第18話 勧請祭②

 じりじりと縮まる包囲。咄嗟にダンの元へ駆け寄り、上体を抱き起こした。人の心配などしている場合ではなかった。だが放って置けなかった。ダンは散々な目に遭わされたのか顔中痣だらけだった。

「ダン、しっかりしろ!!」

 志島は身体を揺さぶると、ダンは弱々しく応じた。

「……なにをしている。私など放って逃げれば良かったものを」

 ダンは上体を起こすと、辺りを見渡した。

「バカなことを言うな。我々はバディじゃなかったのか」

「……やれやれ。こいつは一本取られたぜ」

 ダンは苦笑した。次の瞬間、重苦しい言葉が辺りに響き渡った。

 

――ふんぐるい むぐるうなふ くとぅるふ るるいえ うが=なぐる ふたぐん

 

 深井を筆頭に、取り囲む者が一斉に唱え始めたのだった。それはお経のように響き渡り、聞く者の脳を直接刺激した。

「何なんだ、この音は。頭が……クラクラする」

 深井の手の中で脈動するアメーバ生物が、音を増幅させていた。音には不協和音のようなノイズが混ざり、聞く者の三半規管を揺さぶり続けた。

「これが奴の洗脳の手口だ。耳を貸してはならない」

「しかし、このままでは」

「自分を信じろ。君は切札を持っているはずだ」

 志島はハッとした。

「よし。合図をしたら、それを天に掲げて目を瞑れ!」

 ダンは敵との間合いを見計らい、今だ、と合図を送った。志島が天高く掲げたのは天文神社のエルダーサインだった。

「力を貸してくれ、ノーデンス!」

 ダンの雄叫びを聞き、志島は目を瞑った。次の瞬間、目映い光がふたりを包み込んだ。それは天から注がれる真白な光の柱だった。

「ええい、こしゃくな。またしても我々の邪魔をする気か!」

 深井の憎々しげな雄叫びが聞こえた。光は徐々に力を増し、それと相反するように経の響きは弱まっていった。しばらくすると、あたりに夜の静寂が戻った。光が弱まるのを感じ、志島は恐る恐る目を見開いた。

「助かった……のか」

 そこに居たはずの深井が見当たらなかった。それどころか群れを成していた信者も、ひとり残らず姿を消していた。周辺には履き物やら、法被やらが散乱していた。どうやら一目散に逃げ出したらしい。

「危機一髪だったな」

 志島は立ち上がり、ダンに手を貸した。

「エルダーサインにこんな力があったなんて」

 ダンは膝に手を着き、よろめきながら立ち上がった。

「旧神ノーデンスの加護だ」

「まるで悪い夢でも見ているようだった」

「それでいい。それでこそ、まっとうな人間だ」

 志島は改めて御札を見た。黒檀のような重さと艶のあった御札は、エネルギーを使い果たしたかのように軽くカサカサに変化していた。不思議に思っていると、遠くから誰かの声が聞こえた。聞き覚えのある呼び声だった。

「志島さん! 無事ですか?!」

 参道を掛けてくるのは懐中時計からの信号を受信した三崎だった。


 志島は状況を飲み込めずにいる三崎に対し、ダンを紹介した。

「ミスカトニック大学のダン・クローヴァ氏だ。本件について助力を得ている」

「初めまして。成藍学園の三崎悠人です」

「よろしく。研究者として見過ごせなくてね、調査を手伝わせてもらっているよ」

 ダンはサングラスを掛け直し、三崎と握手を交わした。

「それにしても何が起きたんですか。この有様は一体何なんですか」

 三崎は足下に散乱する法被を拾い上げ、ふたりに尋ねた。ダンと志島は顔を見合わせ、お互いに肩をすくめた。これまでの出来事を最初から説明するには、あまりにも情報が多すぎた。

「ひと言でいうのなら話の通じる相手ではなかった。これはその結果といったところかな。とりあえずは無事だ」

 志島は決まり悪そうに頭を掻き、そう受け答えた。

「とはいえ、これで食い下がる相手とも思えないが」

 付け加えるダンもまた思案顔だった。

「……深井盂頭フカイワンズ。結局、奴の出方次第か」

 意味深長なふたりのやりとりをよそに、三崎のタブレットが着信を知らせた。相手は柊木だった。

「もしもし、なつきちゃん?」

 三崎は志島に視線を送り、それから話の内容を復唱した。

「あかねさんが姿を消した?!」

 この夜はまだ終わらない。志島は無意識のうちに曲げた人差し指を噛んでいた。


「柊木君か」

 電話口の柊木は動揺していた。その原因は胡桃坂あかねの母親にあった。娘が部屋の扉を開けたかと思いきや、一目散に家を飛び出したのだった。信じられない勢いで、母親は追いすがることすらできなかった。様子伺いに家に上がっていた柊木と澤も、その光景を目にしていた。あかねの母親はついに娘の気が狂ったかと、すっかりパニックに陥っていた。それが柊木にも伝染していた。

「……判った。落ち着いて話を聞いてくれ」

 志島は柊木に、母親と一緒に居るように、と指示を与えた。このまま母親をひとりにしておくのは危険だった。今の精神状態なら、どんな戯言でもすんなりと受け入れてしまうだろうだろう。街に放たれた深井盂頭の手先に、つけ込まれない保証はどこにもなかった。

「君が母親と一緒にいることで、私が安心して行動できる。必ず彼女を連れ帰るから、家で待っていて欲しい。それから絶対に怪しい奴を上がらせないよう、くれぐれも用心してくれ」

 志島と会話するうちに柊木は徐々に落ち着きを取り戻していった。

「待っています。彼女のお母さんと一緒に」

「よろしく頼む。それから澤照美に代わってくれ」

 柊木は隣にいた澤にタブレットを渡した。

「もしもし。澤です」

 澤は予想に反して毅然とした口調で応えた。

「君に頼みたいことがある。胡桃坂あかねの親友である君にしかできないことだ」

 志島は澤の口調に覚悟めいたものを感じた。故に待機でなく、行動を依頼した。

「……判りました。やってみます」

 志島の依頼を受け入れた澤は、柊木と胡桃坂あかねの母親に断りを入れ、別行動を取り始めた。


 電話を終えた志島はダン、そして三崎を見た。

「どうやら我々は先手を打たれたらしい。いよいよ胡桃坂あかねを人身御供にする気のようだ」

 ダンと三崎は、神妙な面持ちで次の言葉を待った。

「……だが、同時に相手の目的地も判った」

 志島はきっぱりとした口調で言い放った。

「勧請祭はまだ終わっていない。奴らは天文神社に向かったはずだ」

 三崎は勢い握り拳を作ったが、一方のダンは頭を振った。

「残念だが私はここでリタイアだ。今の私にできることは、これくらいか」

 ダンはすっかり砂だらけになったジャケットから札入れを取り出し、数枚の札を志島に差し出した。

「天文神社へ急ぐのだろう。タクシーを使うといい」

 志島はダンから札を受け取った。

「感謝する。この借りは、いずれ……」

「気にするな。それよりも早く行け。君らにとって大事なひとがピンチなんだろう」

 ダンの言葉に促され、志島と三崎は東京神社の境内から駆け出した。

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