第16話 反撃の狼煙

 志島と柊木は中庭からほど近いキャフェテリアに場所を移動した。食事の提供は終了していたが、テーブル席は自由に利用できた。柊木は志島を席に座らせ、それから自販機に赴き、缶コーヒーを購入した。志島に頼まれたものだった。

「気分、どうですか」

 柊木は志島に缶コーヒーを手渡した。

「ああ。だいぶ落ち着いたよ」

 志島は普段見せないような穏やかな顔で呟いた。

「そ、それらな良かったっす」

 ほんの一瞬見せた素の表情。まだ知らない志島の一面を目の当たりにし、柊木は密やかな喜びを噛みしめた。

「これからのことを伝えたい。三崎君を呼んでくれないか」

「了解っす!」

 柊木が三崎に連絡を取る一方で、志島もまたメールを打ち始めた。

「三崎先輩、もうすぐ来るそうです」

「ありがとう。こちらも仕込みが終わったところだ」

 メールを送信したところで、志島は缶コーヒーのプルタブを開けた。一口飲むと糖分とカフェインが消耗しきった脳に活力を与えた。志島のエンジンが息を吹き返した。


 三崎が到着する頃には日も落ちていた。部活を終えた生徒達の格好のだべり場として、放課後のキャフェテリアは活況を呈していた。これなら石黒にも感づかれまい。志島は周囲を見渡し、十分に警戒しながら話し始めた。

「まずは我々の置かれた状況を説明しよう」

 志島は生徒会室での石黒とのやり取りについて、ボランティア委員会に関する事柄をふたりに伝えた。

「……本気ですね。石黒さん」

「まだ可能性はあるっす! そうっすよね、志島先輩」

「次の生徒議会は来月を予定している。それまでに胡桃坂あかねを救い出し、編集委員会に記事を依頼する。我々の成果が『つばさ』に乗って校内に広まれば、状況を覆せるはずだ。問題は胡桃坂あかねをどう救うか。石黒によると、来週から彼女は普段通りに登校するらしい」

 志島の発言に三崎は息巻いた。

「ちょっと待って下さい! 今日を含め三日間のうちに彼女を回復させるというのですか。一体何をどうしたら。……俄には信じられません」

「回復ではない。胡桃坂あかねは、もっと酷い状況に陥るだろう」

「石黒さんは一体何を」

精神破壊マインドブレイクを引き起こすつもりだ。心を壊してしまえば、何かに怯える必要もなくなるからな」

「そんなことして胡桃坂さん自身はどうなるっすか? 彼女を待っている澤さん、お母さんはどうなるっすか?」

「彼女の人格は漂白される。思い出も絆もなくなる。彼女はきっと生身のロボットのようになるだろう」

 柊木は反射的に口に手を当てた。あまりの悍ましさに吐き気を催したのだった。

「何か打つ手はないのですか。もう手段を選んでいる場合ではありません。そうですよね、志島さん!」

 普段冷静な三崎も、この時ばかりは落ち着いていられなかった。自失する柊木と動転する三崎。そんなふたりを見比べながら志島は冷静に言い放った。

「胡桃坂あかねを救う手立てはある」

 ふたりは固唾を飲み、次の言葉を待った。

「石黒は新東京神社で『勧請祭』を取り仕切ろうとしている。裏で糸を引くのは印栖摩州インスマス深井盂頭フカイワンズで間違いないだろう。深井は、鱓権ダゴンの勢力を広めようとしている。故に、新東京神社に縁のあるイシグロ・ゼネラルに近づいた。しかし自ら手は下さない。否、下せないんだ。なぜか。それは新東京神社に慧留陀エルダ様が奉られていたからだ」

 志島は天文神社の御札をスカートのポケットから取り出した。

「これはエルダーサインという旧神を示すシンボルだ。これには旧支配者を抑止する力があるという」

「エルダーサインを奉るのが旧神の慧留陀エルダ様。それを排除しようとするのが旧支配者側の鱓権ダゴン様。両者は敵対関係にある、ということですか?」

「理解が早くて助かるよ。……そして嫌忌するエルダーサインを取り除くため、旧支配者側に組した石黒は胡桃坂あかねを利用した。そこで彼女は邪悪な何かに当てられてしまった。テケリリという奇妙な音を立てる何かに」

「すると、あの法被の人たちは……」

 柊木は不安げに志島を見つめた。

「恐らくテケリリの力に当てられ正気を失った者の姿だ。ひとは正気を失うと、いとも容易くマニアと化す。さしずめ法被の連中は鱓権ダゴンマニア、いや鱓権ダゴン教徒といったところか。だが石黒は違った。奴の心にはそれ以上の深い闇があった。その闇のおかげで今も正気を保ち続けているようだ」

 そう言うと志島は気後れを感じた。石黒の抱える闇を、少なからず感じていたからだった。

「石黒さんの心の闇とは一体……」

「さあな。奴は奴で何かと戦っているのだろう。その矛先は我々に向けられているが、殆ど八つ当たりに近いな」

「ホント、いい迷惑っす!」

「それよりも今はテケリリの正体を突き止めることが先決だ。心を操る呪術の類いなのか、はたまた神経を刺激する怪音波の類いなのか。だが、そのカラクリさえ判れば、彼女にかけられた呪いも解けるだろう」

 目標が定まると、三崎と柊木の胸にも前向きな気持ちが芽生え始めた。

「新東京神社で、まだ調べていない場所が二箇所ある。ひとつは社の中。そしてもうひとつは社務所だ。もし御神体であるエルダーサインを他の場所へ移したのなら、社の中はもぬけの殻のはずだ。とすれば調べる先は社務所。そこに何かがあるに違いない」

 志島は懐中時計を見た。そろそろ閉門の時間だった。

「だが、ここから先はアンダーグラウンドの世界だ。決して無理強いはしない。そして、もしその気があるのなら、必ず私の指示に従ってもらう」

 ふたりの意思は既に決まっていた。

「水くさいですよ、志島さん」

「ここまで来たら一蓮托生っすよ!」

 まったくお前達ときたら。志島は苦笑した。

「そう言うと思ったよ。では指示を出そう。まず柊木君は澤輝美と合流して胡桃坂あかね宅を見張って欲しい。石黒の発言を信じるなら、必ず動きがあるはずだ」

「了解っす!」

「三崎君は不本意かもしれないが、自宅で待機していて欲しい。万が一のためにバックアップ役に徹して欲しいんだ」

 三崎は悔しげに歯がみしたが、渋々頭を縦に振った。

「判りました」

 志島は懐中時計をテーブルに置き、次にタブレットで地図アプリ表示させた。地図上に光る点が表示された。それは志島のいる位置を示していた。

「この懐中時計にはGPS機能が付いていて、地図アプリと連動している。リューズを五回押すと赤く明滅する仕様なっていて、これが緊急事態発生の合図だ。もしもの時は君が動くんだ」

「それじゃ、志島さんは」

 志島は凜とした表情で、ふたりを見据えた。

「私は新東京神社へゆく」

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