第13話 印栖摩州の影

 ペンハウスを後にした二人は、そのまま階段を下り続けた。四階、三階、二階、一階。高校棟の階段を降りきった先に広がるのは、文化系の部室や委員会室が並ぶ地下階だった。

 薄暗い廊下に並ぶ無機質な鉄の扉。各扉には部を示すプレートが掲げられ、部員募集の手作りポスターが張り出されている。放課後もだいぶ深い時間にも関わらず、フロアにはちらほらほと生徒の影があった。

「あった。この部屋ですね」

 三崎と柊木が目指したのは、そんなフロアの一画にある編集委員会の委員会室だった。三崎は息を整えノックを四回。すかさず「どうぞ」と返事があった。おもむろに鉄の扉を押し開けると、まず紙とインクの匂いを感じた。次に目に映ったのは多量の本が雑然と積み上げられた事務机。島状にレイアウトされ、まるで出版会社のオフィスのようだった。机に向かう生徒たちは、原稿を書いたり、本を読んだり、タブレットを操作したり、ふたりの存在などまるで気にしない素振り。そんな最中からふと声が掛かる。

「君らがボランティア委員会のメンバーだね。一歌から話は聞いてるよ。アタシ、本谷小町」

 本の山から顔を覗かせる女生徒が手招きをした。そばかすを散らしたつり目の女生徒だった。サイドを刈上げたツーブロックのヘアスタイルが特徴的だった。

「初めまして。ボランティア委員会の三崎悠人です」

「柊木なつきです。よろしくお願いします」

 ぺこりと頭を下げるふたりに、本谷はカラカラと笑った。

「二人とも礼儀正しいね。アタシと一歌は入学した頃からの友達だからさ、そんなに畏まらなくてもいいわよ」

 本谷の出迎えにふたりの心持ちは幾分か軽くなった。

「一歌から少し聞いたけど、あなたたち生徒会の石黒輝貴と張り合っているそうじゃない。ボランティア委員会を統廃合する、とかで」

「はい。その件に関連して、石黒さんについて話を伺いたくて」

 三崎は声のトーンを抑えて言った。

「何やら事情がありそうね。それじゃ、こっちで話そっか。ちょっと応接借りるよ」

 へーい、と原稿に向かう男子生徒からの生返事。本谷が手招きした先にあったのは間仕切りで作った半個室だった。ボランティア委員会同様に、そこには古めかしいソファとローテーブルがあった。

「狭くてゴメンね。これ、どうぞ」

 本谷はふたりをソファに案内すると、お茶のペットボトルを手渡した。

「い、いえ。お構いなく」

「いいから、いいから。せっかく予算出ているのだら、使わないともったいないよ」

「そ、それじゃ、お言葉に甘えるっす」

「それに、アタシとしてもボランティア委員会には大いに期待してるからさ」

 本谷はソファに座ると、ふたりの顔をまじまじと見た。

「私たちに期待ですか」

「そう。アタシ『つばさ』の記者なんだけどさ、ボランティア委員会の『お悩み相談』の動向について取材させて欲しいのよね。どう? 悪い話ではないと思うけど」

 三崎は、これが志島の筋書きか、と直感した。編集委員会にネタを提供するところまで織り込んで『つばさ』に広告を打ったに違いない、と。だとしたら、本谷の依頼を断る理由などなかった。

「志島先輩ならきっと応じると思います。私個人としても、ぜひお願いしたいです」

「私もっす!」

「うんうん。話が早くて助かるよ。それで、石黒の何を聞きたいんだっけ?」

「私たちが伺いたいのは石黒さんの性格の変化についてです。先の『お悩み相談』にも関係するのですが、高校一年の間に彼の身に何が起こったのか知りたいんです」

「確かに石黒は高校に進んでから変ったわね。軟弱なオタク君から一転して生徒会に入り、さらには生徒会長を目指しているのだから。そこには心境の変化の一言で片付けられない何かがある。一歌はそう推理したのね」

「仰るとおりです」

 本谷はふふん、と鼻を鳴らすとタブレットを机の上に置いた。

「まず、石黒の背景について話しておこう。彼は所謂エリート家系のボンボンだ」

 タブレットに表示されたのはとある企業のウェブサイトだった。

「イシグロ・ゼネラル……」

「開発事業が得意なゼネコンでね。新東京市の都市開発にも深く関わっているわ。社名の通り石黒家による同族経営がなされていて、石黒輝貴は社長の息子なのよ」

「全国にも支社があって、結構大きな会社ですね。石黒さんはこの会社を継ぐつもりなのでしょうか」

「イシグロ・ゼネラルを継ぐのは彼の兄というのが既定路線らしいわ。彼自身は、親から政治家への道を勧めたらしいのよ。親は、きっと政界への橋渡しを担って欲しかったのでしょうね」

「社長とか、政治家とか、学生のうちから自分の生き方について考えているなんて。まるで違う世界の話を聞いているみたいっす」

「それが普通の感覚だわ。石黒の置かれた環境が特殊なだけよ。こちらとしては、それだけ取材のやり甲斐があるのだけれど」

「彼は政治家への道を歩むために、成藍学園の生徒会長選挙に立候補を?」

「恐らくね。それが石黒の思い描いたサクセス・ストーリーなんじゃないかな」

「でも、ちょっと短絡的っすよね。親に言われたから生徒会長を目指すみたいじゃないすか。本当にそれが石黒さんの進みたい道なのかな」

 柊木の一言に本谷はニヤリとした。

「いい視点ね。私も一介のオタク君が、親に言われて急に政治家を目指すのは不自然だと思った。それで今度は彼の実家、つまりイシグロ・ゼネラルについて調べてみたの。これを見て」

 本谷はタブレットをスワイプし、イシグロ・ゼネラルのニュースリリースのページを表示した。一年前に遡ると、とある人物がコンサルタントに就任した旨の記事がヒットした。タップすると男の顔写真が表示された。

「石黒が高校に進学した頃に、この人物がイシグロ・ゼネラルに接近したのよね」

 その男の見開かれた両目は、まるで死んだ魚のように淀んでいた。鼻はそぎ落とされたかのように低く、口は大きく、への字に曲がっていた。テカテカ光る頭部には僅かな頭髪があり、丁寧に撫で付けられていた。

「……深井盂頭フカイワンズ

 三崎と柊木は同時にその名を発し、互いの顔を見合わせた。お互いに何が言いたいか判っていた。

「一目見たら二度と忘れられないタイプ、といった所かしら。時期からして石黒も深井氏と会ったと思うのよね」

 本谷は再びタブレットを操作し、検索窓に深井盂頭の名前を入力した。最初にでてきたのは、深井の個人事務所のウェブサイトだった。いくつかのリンクを参照すると、業務内容や経歴が表示された。

「深井氏は千葉県の外房の生まれで、神主を生業としていたそうよ。それが神の啓示を受けて、神社仏閣コンサルタントという事業を始めたんですって」

「後継者のいない神社やお寺を再生する仕事……」

「言い方悪いっすけど、なんか胡散臭いっすね」

 柊木の発言に、本谷は思わず吹き出した。

「柊木ちゃんて正直ね。でも私も同感。それはそれとして、商売は実にうまくやっているみたいよ」

 深井盂頭の活動実績を示すページが表示された。どこかの神社の前で氏子らしい人々と肩を並べる写真があった。注目すべきは写真の人々が身につけるもの。それは『勧請祭』と記された法被だった。

「この法被、新東京神社の人たちと同じ。石黒さんと深井盂頭ってひとが会ったのは間違いないっす!」

「石黒さんの性格が変ったのは深井氏と出会ったから?」

「コンサルタントという仕事柄、口はうまいでしょうね。何かを吹聴されて、感化されてしまったのかも」

 ふと思いついたように柊木が手を挙げた。

「そのひと、元々は神主さんだったんすよね。神社について調べられませんか」

「オーケィ。調べてみましょう」

 本谷はタブレットを地図に切り替え、深井波占の地元とおぼしき外房のとある漁港周辺を表示した。

「この印栖摩州インスマスというのが、深井盂頭の出身地ね。で、恐らくはこれが神主をしていた神社だと思うの」

 地図を拡大すると、町の中に神社があった。タップすると詳細が表示された。

「……鱓権ダゴン神社」

 その言葉を目の当たりにした三崎と柊木は、全身から血の気が引くのを感じた。本谷もまた、ふたりの様子から不穏の影を読み取った。

「どうやら、手掛かりが掴めたようね」

 本谷の問い掛けに三崎と柊木は強く同意した。

「それにしても、何なんでしょうね。鱓権ダゴンって」

 本谷はタブレットに『鱓権ダゴン』と入力し検索したが、奇妙なことに一件も明確な答えは返ってこなかった。

「残念。ウェブではお手上げね」

「……印栖摩州インスマスは漁師町っすよね。きっと鱓権ダゴンというのも海の神様なんじゃないっすかね。深井盂頭というひとは、鱓権ダゴン様を奉る神社の神主さんだった。それを布教したくて新東京神社に縁のあるイシグロ・ゼネラルに近づいた……」

 柊木が思考をまとめようとした所で、思わぬ横やりが入った。間仕切りの向こうから、あのー、と声がした。水を差された三人は咄嗟に息を潜め、声の方を見やった。

「お話中、スミマセン。そろそろ閉門の時間なんで先に上がりますね。他のみんなも帰りましたんで、後よろしくお願いします」

「そ、そうね。後片付けはやっとくから」

 お疲れっした、と言い残し編集委員のひとりは部屋を後にした。改めて腕時計を見た本谷は、申し訳なさそうに言った。

「もうこんな時間。今日はお開きにしようか」

「そ、そうですね。今日はありがとうございました」

「……ありがとうございました」

 柊木の言いかけた言葉は胸の内に残ったままだった。なぜ深井は鱓権を布教したいのか。どういう経緯で石黒は深井に思考を染められたのか。考えれば考える程、謎は深まるばかりだった。

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