第12話 志島と石黒と藤木戸

 放課後のペントハウスに三人は集合した。言葉少なく、各々ソファに腰を下ろしている。テーブルには一枚のルーズリーフ用紙。開け放たれた窓から西日が刺し、まっさらな紙に光と影のコントラストを作った。最初にペンを取ったのは志島だった。

「ルールは判っているかな」

 志島が目配せすると、三崎と柊木は頷いた。

「よろしい。では始めよう」

 志島はルーズリーフにペンを走らせ、記した言葉をその通りに口にした。

「……まずはカフェ・レムリアで澤と会い、胡桃坂宅を訪問した」

 言い終えると向かいの三崎にペンを渡した。

「胡桃坂さんはテケリリという言葉を残して半狂乱に陥ってしまった」

 同様に三崎は左隣の柊木にペンを渡した。

「次の日に、私と志島先輩は新東京神社に向かったっす」

「一方の三崎君は天文神社へと向かったね」

 それは三人が体験した出来事をひとつにまとめる作業だった。三つの目線によって紡がれるひとつの記憶。これを共有することで、次の方針を定めようとしていた。

「私はそこで、ひとりの老人と会いました。どうやらシルバー人材センターの方らしい。その方は私にこれを授けてくれました。天文神社の社の中にあったものです」

 三崎は制服の内ポケットから御札を取り出し、テーブルの上に置いた。

「素材は黒檀でできているのかな。ずいぶんと古そうっす」

 柊木は御札を拾い上げ、手のひらに乗せた。

「裏には星のような模様が彫刻されている。これは何を意味するのだろう……」

 柊木から御札を受け取ると、志島はこれをよく観察し、特徴である星の文様を紙に書き写した。

「老人の話によると、かつて新東京市には旧日本軍の研究施設と天文台があったそうです。その施設は戦後GHQに接収され、それからしばらくして火災で焼失。火災の影響で施設に勤めてた方々はその地を離れていったそうです」

「時系列としては新東京神社を調べている間の出来事っすよね。天文神社、一度は訪れてみたいっす。ね、志島先輩」

 再び志島にペンが渡った。

「ああ、この一件が落ち着いたらな。……それで、私と柊木君は新東京神社で石黒と藤木戸に遭遇した。我々は二手に別れた。私は藤木戸の後を追い、胡桃坂との関係を問い質した。が、逆上した藤木戸に反撃されてしまった。藤木戸には仲間がいた。『勧請祭』と記された法被を着る男たちだった。藤木戸と法被の男たちは共に『テケリリ』という言葉を吐き、襲いかかってきた。私の窮地を救ったのはサングラスの男だった。ミスカトニック大学に研究チームを持っているそうだ」

 志島は制服の内ポケットから名刺を取り出すと、テーブルに置いた。

「……また『テケリリ』ですか。ところで、怪我はありませんか」

「ああ、見ての通り問題ない。それよりも話を先に進めよう」

 思案顔で文字を追う志島に、三崎の言葉は届いていないようだった。三崎もまた紙に視線を戻し、言葉を継いだ。

「判りました。……名刺にはダン・クローヴァとあります。アソシエイト・プロフェッサー。つまり准教授ですね。学部はアーキオリジィ、考古学ですか。彼はミスカトニック大学の考古学の准教授のようですね」

 三崎はタブレットを用いて名刺を翻訳すると、その内容を紙に追記した。

「私は新東京神社に潜入したっす。そこで生徒会の石黒さんと会ったっす。新東京神社に奉られた神様を慧留陀エルダ様から鱓権ダゴン様に取り替えるらしいっす! やっぱりそこにも法被の人たちがいて異様な雰囲気で、めっちゃ怖かったっす。でも先輩がヒーローのように現れて颯爽と助けてくれたっす! ね、先輩!」

 柊木が目を輝かせて鼻息を荒くすると、志島は表情を微かに緩めた。

「委員会の長として当然の行いをしたまでだ。……では次に、これらの言葉を繋いでゆこう」

 志島は紙面を俯瞰し、各々が記した言葉を線と線で繋いでいった。全ての言葉を繋ぎ終えたとき、紙面の中にひとつの言葉が浮かび上がった。

「見ての通り全ての線が石黒に繋がった。胡桃坂が正気を失った原因、その謎を解く鍵は石黒が握っているはずだ」

「なるほど」

 あの、と柊木が手を挙げた。

「ひとつ質問があるっす。志島先輩と石黒さんって知合いなんでしょうか。先輩、面が割れているって言ってましたよね」

石黒輝貴イシグロテルキ、奴との因縁についてはまだ話していなかったな」

 志島はソファの背もたれに身体を預けた。

「丁度いい機会だから話しておこう。奴との付き合いは二年前に遡る。私と石黒と、それから藤木戸は共に三年E組のクラスメイトだった。石黒と藤木戸は絵に描いたようなオタクで、アニメやゲームの話題で盛り上がるような間柄だった。E組の生徒は学力面でもスポーツ面でも、中途半端な輩が多かった。模範にも不良にもなれず、低温で無気力な集団。そんな中でマニアックな話題で熱くなるふたりは異質な存在だった。オタク特有の熱っぽさが癪に障ったんだろうな。新学年が始まってから、ふたりがイジメの対象になるまで、さほど時間は掛からなかった」

「イジメというと、具体的には」

「たとえば、こんな事件があった。ある日、藤木戸が読んでいた本が机の中から消えた。それは石黒から借りた大事な小説だったらしい。オロオロする藤木戸に、クラスメイトのひとりが声を掛ける。『君の本だったのか。借物だと思って図書室に返してしまったよ』と。藤木戸は慌てて図書室に向かい、そこにいたクラスメイトに声を掛ける。自分の本を知らないか、と。すると相手はこう答える『その本なら、既に貸してしまったよ』と。藤木戸はさらに追跡する。『その本なら、友人に又貸ししたよ』と。藤木戸はクラスメイトの言葉に従い、ひたすらに追跡する。しかし、いくら尋ねても帰ってくる答えは『誰かに渡した』『誰かに貸した』ただそれだけ。当の本人は決して目当ての本にたどり着けない。そうして這々の体でクラスに戻ると、藤木戸は異様な光景を目の当たりにする。消えたはずの本が石黒の机の上にあったんだ」

「最低っすね。ひとのものを勝手にたらい回しにするなんて」

「クラスの大半がふたりをオモチャにして遊んでいたんだ。これを使ってね」

 志島はタブレットのアプリを立ち上げた。『学園アプリ』だった。

「クラスメイトはアプリを使って石黒と藤木戸を監視していたんだ。ふたりの行動を逐一アプリに投稿し、その様子を傍から見て楽しんでいたそうだ。私には何が楽しいのかさっぱり理解できないが、低俗な感性の持ち主が多かったのだろう。加えて当時は情報リテラシー教育が行き届いておらず、監視の目も緩かったからな」

「……便利なはずのツールがイジメに使われるのは、やるせないですね」

「この場合、傍観は同罪。そこで私はふたりに知恵を貸した。クラスメイトが構築した監視網を逆に利用する方法をね」

「監視網を逆に利用する……一体どうやって」

「ニセの情報を流したのさ。それもクラスメイトが決して知りたくない情報を」

 三崎と柊木は固唾を飲んで次の言葉を待った。

「サイコ神山という教師がいる」

「数学教師のあだ名ですよね。由来は映画監督のアルフレッド・ヒッチコックに似ているから。加えて生徒への当たりの強さは折り紙付きだとか」

「サイコ神山の指導で泣きを見る生徒は多い。そんな彼の試験の一週間前に私はある仕掛けをした。まず石黒と藤木戸に使い古した数学の参考書を用意させた。そして、数学の問題と解答を記したメモと、アニメ雑誌から切り抜いた美少女キャラクターのスクラップを忍ばせ、例のごとくクラスメイトに盗ませた。それから藤木戸には大げさに慌てるようにと伝えた」

「クラスメイトはその様子を『学園アプリ』で共有して悦に入る、と」

「しばらく追跡した後、こう言うように伝えた。『どうしよう。神山先生の参考書が盗まれた! 先生から職員室に届けて欲しいと頼まれていたのに!』と。その言葉が波紋のように広がると、あっという間に参考書は戻ってきた。クラスメイトは念のために確認する『この本、お前のじゃなかったのか?』と。藤木戸は当然のようにこう返答する。『違うよ。これは神山先生の本だよ』と」

「なるほど。たらい回しを逆手に取ったのですね。参考書の所有者がサイコ神山だとしたら、挟まっていたメモの意味も変ってくる」

「情報を共有した連中は戦々恐々としただろう。あろうことかサイコ神山の試験に対して不正を働いてしまった。もしもバレたらタダでは済まない。そんな憶測が脳裏を過ぎったはずだ」

「考えただけで胃が痛くなりそう……」

「挟んだメモは実際のテストと全く関係のないデタラメ。だが、その真偽はテストを受けない限り判らない。そんなモヤモヤを抱えたまま連中は追い込みの時期を過ごすハメになった。テストの結果は他のクラスよりも平均点が低かったらしい」

「アニメキャラのスクラップを忍ばせたのは何故っすか?」

「意図的にメモを見せるためさ。連中にしてみれば美味しいネタだろう。それにフェイクというのは意外性を持たせた方が、かえって真実味を増すものなんだ」

「な、なるほどっす。それでイジメはなくなったんすか?」

「ああ。テストの点という実害を被って懲りたらしい。以降ふたりへのイジメは、はたと止んだ」

「現在の石黒さんとまるでイメージが違いますね。正直、意外でした」

「私もその一件で友好関係を築けるかと思っていた。だが、私の思い違いだった。藤木戸はともかく、石黒は私に対抗心を燃やし始めてね。どうやら、私のやり方が彼のプライドを刺激してまったようなのだ。以来、何かにつけて私に挑むようになってね。これが因縁の始まりとなった」

「石黒さんって、なんだか面倒くさいっすね」

「そんな関係も私の休学で終わりを迎える。故に丸一年の間、石黒の身に何が起きたのか判らない。だが、何かが起こったはずだ」

「それは新東京神社で彼に会ったからですか?」

「そうだな。私の知る限り、強引に女に手を出すような男ではなかった。石黒は私の知らない間に変った。言い換えるなら、石黒を変化させるだけの強い力が作用した。その力は恐らく、法被の男たちと関係するものだろう」

「つまりは石黒さんの過去を洗えば何かが判るかもしれない、と?」

「三崎君と柊木君は編集委員会の本谷小町モトヤコマチを訪ねて欲しい。私の名前を伝えれば、きっと協力してくれるはずだ」

「判りました。ところで志島さんはどうされるのですか?」

「君が手に入れた天文神社の御札を貸してくれないか。石黒について、違う確度からアプローチしてみようと思う」

 そう言うと志島はダン・クローヴァの名刺に視線を合わせた。

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