第11話 ひとつの音、ふたつの神社④
柊木は新東京神社の鳥居の前に立ち息を整えた。この先は敵陣と心得ていた。生徒会の石黒はボランティア委員会を解散させようとしている。このまま石黒の野心に屈せば、全ては水の泡。学園での居場所を失い、敬愛する志島や三崎とも離ればなれとなってしまう。
「そんな未来、絶対に嫌っす」
胡桃坂を窮地へと追いやった原因を突き止めなければならない。その手掛かりが新東京神社にあるはずだった。柊木は改めて鳥居を見つめ、それから境内へと歩を進めた。
「まずは手水舎を調べるっす」
岩をくり抜いた水盤から滾々と水が湧き出でている。柊木は礼儀作法に従い柄杓を使い、手と口を清めた。
「……美味しい。湧き水なんすね」
水盤に掘られた碑文によると、手水には湧泉が用いられているという。水の清冽さは柊木の精神を研ぎ澄ました。手水舎を出て、石畳の参道を進むと左手に拝殿が見えた。右手の方向にはもうひとつの参道が伸び、社務所らしい建物へと続いていた。拝殿の周囲には足場が組まれていた。改修工事だろうか。白さびの浮いた鉄の足場が古い木造の社を取り囲む様は、どこか冒涜的に見えた。拝殿をお参りしようにも規制線に阻まれ、柊木は遠目から眺めるばかりだった。
「なんか変な感じ」
「何が変なのかな?」
背後でくぐもった声がした。ひっ、と声を上げ、恐る恐る振り返った。そこにいたのは石黒だった。
「び、びっくりした! 何すか急に!」
えらの張った頬に、ゴルフ場の芝生のように刈り揃えられた角刈り頭、セルロイドの眼鏡。その奥の瞳は妙に爛々としていた。長身痩躯の体型に、休日にも関わらず制服を身につけていた。石黒は後ろで手を組み、訝しむように柊木を見た。
「驚かせてすまない。神社に対し、ケチを付けるような物言いに聞こえたものでね」
「ただの参拝っすよ! せっかく来たのに、よく見えなくてちょっと残念だなって」
「これは神社の改築のためなんだ。新東京神社はリフォームを経て、生まれ変わろうとしているんだよ」
石黒は柊木の背後にある拝殿に視線を向けた。その表情はどこか恍惚としていた。
「そ、そうなんすね。私は今のままでも全然いいと思うっすけど」
「いいやダメだね。まず、中に入っている神様がよくない。だから入れ換えるんだ」
「神様を入れ換えるだなんて。そんなことできるんすか?!」
「ただの国民には無理だろうね。でも上級国民の私にならできる」
石黒は柊木に視線を戻すと、歯を見せて笑いかけた。だが、眼鏡の奥の目はまるで笑っていなかった。それは支配者の目だった。使える者は手駒、それ以外は敵。何もかも自らの意のままに操ろうとする者の目だった。ボランティア委員会は、この男の目に留まり今まさに解散へと追い込まれていた。
「それだから、あなたはっ」
いつの間にか柊木の心は敵対心に支配されていた。その湧き上がる思いは、胸の内をわずかに吐露させた。
「だから、何だというのかね」
「いえ、あの、その」
「どうやら君は私を知っているようだ。とすると成藍学園の生徒だな」
「そ、その……。石黒さん、っすよね。生徒会長選挙に出馬されると聞きまして。有名な方だから、つい声に出てしまって」
柊木はその場を取り繕うために、心にもないセリフを吐いた。一方の石黒は満更でもない様子で顎を撫でた。
「そういう話なら悪い気はしない。この計画も選挙戦を思えばこそだからな」
「神社の改築が、生徒会長選挙のためなんすか」
「そうだ。私は新東京神社を学生向けのコミュニティエリアにしたいんだ。カフェを出したり、アートとコラボしたり。今の時代、神社にも多様性が必要だと思わないかね?」
柊木は全く同意できなかったが、しぶしぶ頷いた。
「たぶん、学園の皆も喜ぶと思うっす……」
「この計画が進めば、私の名前もより広く伝わることになるだろう」
「で、でも、だからといって、そのために神様を入れ換える必要あるんすか?」
「それが
「まず君には、この神社の成り立ちについて説明する必要がある。新東京神社は元々、水門神社と呼ばれていた。元を辿れば小さな泉だ。この地は戦前から旧日本軍の研究所が多く、湧水は研究所にとって貴重な資源だった。それを崇め奉るために神社を建立した。この地にはふたつの神社があり、ひとつは山の天文神社、もうひとつは泉の水門神社と呼ばれていた。どちらの神社にも同じ神が宿されていた。それが
「流行り神の
「当時はともかく、現代において民間信仰から生まれた神を奉るなど、神社の社格を下げるに等しい行為。そこで
石黒は両手を広げて天を仰いだ。まるで自分が全知全能の神にでもなったかのようだった。自らの妄想を現実できるだけの実力を手に入れた中二病患者。柊木は石黒に対し、確かな狂気を感じていた。
「私にはよく判らないっす。あなたの熱意はすごいけど、
『勧請祭』の法被を着た人影はゆらりゆらりと距離を縮め、柊木を確実に包囲していった。
「だったら、教えてあげよう。手取り足取りね」
「嫌っ! これ以上近寄らないで!」
石黒の手が伸び、柊木の腕を掴もうとしたその時だった。
「こんな所で油を売っている暇はないぞ、柊木君」
柊木の腕を取り、引き寄せる手があった。その手の温かさに安堵を覚え、柊木は身を委ねた。法被を着る者どもを押しのけ、腕の中に飛び込むと、そこにいたのは志島一歌だった。
「女学生を相手に何をやっているんだ、お前たちは」
柊木の肩を抱き寄せ、志島は集団と相対した。石黒は悔しげに歯がみしている。
「志島、私の計画の邪魔をする気か」
「何の話だ。それに、はなからお前の妄想に付き合う気などない」
石黒は舌打ちをし、目をそばめた。
「興が削がれた。行くぞ、お前達」
そのまま踵を返すと社務所に向かって歩き始めた。その後をぞろぞろと法被の者どもが付き従う。石黒が消えるのを見届けて、志島も柊木と共に歩き出した。
「大丈夫か?」
「めっちゃ怖かったす。何なんすかあいつら?!」
「よく頑張ったな」
志島はよしよしと柊木の頭を撫でた。ふたりが新東京神社の鳥居を潜ると、街には夕暮れが迫ったいた。
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