第10話 ひとつの音、ふたつの神社③
バス停は新東京市を隅々まで見下ろせるほどの高台にあった。車の往来こそあるものの、人気はないに等しい場所だった。バスを降りた三崎は環境の変化を鼻で感じた。清々しい木々の香り。この街にもこんな場所があったのかと、新たな発見に心が躍った。振り向くと車線を挟んだ向こう側に『天文神社』と記された立て看板があった。森の入口が顔を覗かせていた。
「こんな場所に神社があるとはね」
入口へと歩みを進めた三崎の眼前に、山へ分け入るための細くて急な坂道が待ち構えていた。足を踏み入れると涼やかな空気を肌で感じた。快適な気候に足取りも軽く、三崎は山を登り始めた。
「それにしても、妙だな」
歩きながら思わず独り言つのは、山中に点在する廃屋を目の当たりにするからだった。苔むしたコンクリの基礎やモルタルの剥がれたレンガの壁、長い年月を経て朽ち果てた建物が、あちらこちらに見え隠れした。それらは過去の遺物のようで、この場所の異質さを雄弁に語るものでもあった。
「ようやく頂上だ」
木々が途切れ、空が見えた。息を弾ませ最後の坂道を登り切ると開けた場所にたどり着いた。視線の先に鳥居とひとの背丈ほどの小さな社が見えた。鳥居に掲げられた社額には『天文神社』とある。近づくと先客がいた。竹箒を持って社の周りの掃き掃除をするのは、作業着姿の小柄な白髪の老人だった。
「どうも、こんにちは」
「おや、こんな辺鄙な場所に珍しいね。学生さんかい?」
三崎が会釈をして近づくと、老人は愛想良く応じてくれた。
「はい。成藍学園の生徒です。この神社について調べておりまして」
「そうかい、勉強熱心な学生さんだねぇ」
老人はひとしきり掃き掃除も終わったようで、社の脇に設置されたベンチに向かい腰を下ろした。手ぬぐい手で額を汗を拭うと、三崎に向かって手招きをした。
「神社のことなら多少は判るよ。私で良ければ話をしようかね」
三崎は手招きに従い、老人の隣に腰を下ろした。
「あなたは……」
「私はただのボランティアさ。週に一度、こうして手入れをしているんだ」
老人の着る作業着にはシルバー人材センターと刺繍されていた。
「ご苦労様です。ここまで来るの、大変じゃありませんか?」
「それほど苦にならないねぇ。この神社には子供の頃からお参りしているから」
三崎の頭にふと疑問が生じた。新東京市は日本のバブル期以降に開発された街だった。それ以前は雑木林が生い茂る丘陵地帯だったという。子供の頃、老人はどういう経緯で神社を訪れたのだろうか。
「私は移住者で、かつて新東京市は人の住まないような土地だったと聞きます。当時の様子について教えて頂けませんか?」
老人はにこやかな表情のまま静かに語り始めた。
「実は、この土地には旧日本軍の研究所があったんだ。当時から地名らしい地名もないような土地だったから、軍の研究所には向いていたのかもしれないねぇ」
老人の口から語られたのは、思いも寄らぬ事実だった。
「それじゃ、ここに来るまでの山道にあった廃墟も……」
「あれも研究施設の一部だったものさ。戦後、GHQがやって来て研究所を接収してね。私は研究所に勤める従業員の子として戦時中に生まれて、この地で育ったんだ」
「それで子供の頃から。GHQは施設を解体しなかったのですか?」
「不思議なことに、彼らは研究所を自分たちのものにした後も使い続けたんだ。研究員も従業員も一緒にね」
「戦後日本で、そんなことがあったなんて」
「知らなくて当然さ。このあたりの住民には箝口令が敷かれていたからね。まさに秘密基地というわけさ」
「もしも外部に漏らしたら」
「その当時は秘密警察に逮捕されるぞ、なんて脅されたこともあったねぇ」
老人は冗談めかして両手に手錠を掛けられた様を見せた。
「GHQは一体何の研究を?」
「当時から詳しい話は聞かされなかった。GHQが旧日本軍から引き継ぐ程だから、よほど特殊な研究をしていたのだろう。ひとつだけ言えるとしたら、この神社が関係していたのは間違いないだろうね」
「研究所と『天文神社』がですか」
「そう。つまり天文学さ。かつて神社のすぐ傍に天文台があったんだ。今では考えられないが都内でも天の川が観測できたそうだよ。『天文神社』は天文台の守護のために建立されたんだ。今は見ての通りだが」
三崎はあたりを見回した。老人のいう天文台はどこにも見当たらなかった。
「……この場所で何かあったのですか?」
「終戦から数年後、研究所で大きな火災が起きてね。炎はあっという間に燃え広がり、一晩明けたら何もかもが灰となってしまった。当時の私にしてみれば、戦争よりも恐ろしかったね。研究所の関係者だけでなく、近隣住人にも死者が出たよ。天文台はその火災で焼失したんだが、奇跡的に『天文神社』だけは難を逃れてね」
老人は深いため息をついて、改めて神社を見た。
「そんなことが」
「火災が転機となったねぇ。跡形もなくなった研究所には規制線が張られて、研究員に従業員、その家族らは強制的に移住させられたんだ。何でも貯蔵庫から流出した薬物で土壌が汚染されたとかで。もともと研究所がなくては成り立たないような小さな集落だったから、移住は否応なかった。それから先は知っての通り。研究所もろとも集落は消滅し、自然が戻ったというわけだ」
三崎はポケットからノートを取り出すと、老人の回顧を記録した。
「おじいさんは今、新東京市民に?」
「ああ、そうだよ。ここが私の生まれ故郷だからね。そうだ、学生さんにいいものをあげよう。これも何かの縁だからね」
話が一段落したところで、老人は膝をぽんと打ち立ち上がった。そのまま社に向かうと、社の扉を開け中から小さな木片を取りだしたのだった。
「それは……」
「これは『天文神社』の御札だよ。君に進呈しよう」
老人が差し出したのはマッチ箱ほどの黒光りする木札だった。『天文神社』と刻まれている。三崎は御札を恐る恐る受け取った。
「いいんですか、こんな貴重なものを」
「星の巡りのように、縁も巡るものなのさ。かつて私がそうされたように、いま私もそうしようと思ったんだ」
そういうと老人は社の扉を閉ざした。竹箒を拾い上げると社に向かって一礼し、三崎に向き直り別れを告げた。
「久しぶりに昔話ができて楽しかったよ。私の話は役に立ちそうかね」
「ええ、とても」
「それはよかった。では、また会おう」
「ありがとうございました。またお会いしましょう!」
老人は山道を下っていった。ひとり残された三崎の手の中には御札があった。手のひらで御札を転がすと、背面の刻印に気がついた。眼の意匠を中央に配する五芒星であり、眼の中心には燃え上がる炎が描かれたいた。
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