第39話

39 魅了催眠



 王宮の離れの部屋で、ラビとイバラは対峙する。

「ねえ。アルトの差し金なの?」

「ここに来たのは私の意思です。お兄ちゃんのことは、言えません」

「あいつが差し金なんかやるわけないもんね。人を使えない甘ちゃんだし」

 ラビは腰のナイフに手をかける。

 荘厳なドレスを纏ったイバラからは、すさまじいプレッシャーが放たれている。

(知っているお姉ちゃんじゃない。立っているだけで意識を失いそう)

 それでもラビは気を強く持つ。

「お兄ちゃんに命を救われたのは、イバラさんじゃないんですか」

「ああ。あいつ、そんなこと話したの」

「何も、思わないんですか?」

「思うって。何を? ああ。感謝でもすればいいのかな?」

 ラビはわからなくなる。

 病院にいたときから、イバラはおもしろい人だと思った。

 初対面のときは「恐がらないでよ。同じ車椅子なんだから。仲良くしましょ」と声をかけてくれた。

 三人皆で治らない病気を抱えていて、入院していて。現状に不満を抱いていることはわかっていた。

 ソウルワールドに魂を転生したら、ということを三人で語り合っていた。

「命を救われた人に、そんな……。病院で一緒だったでしょう! 三人でよくなったらいいねって……」

「違うのよ、ラビ。私は始めからあんた達が嫌いだった」

「え……?」

「そこにいたから、不快にならないように振る舞っていただけ。あんたたちとは生きている次元が違った」

 手に持つナイフが震えてくる。

「いいことを教えてあげる。私は大人の欲望を向けられていることに気づいていた」

「なんの、話……?」

「私はできることを知っていた。ソウルワールドへの転生の申請のために、役所に向かうでしょ?」

「私も……。お兄ちゃんと行きました。臓器提供と一緒だから手術の前に申請だけしていようって……」

「その申請のときにね。〈裏道〉があるのよ。ソウルワールド後に後宮仕えをするルートを選ぶことでチート能力を配布して貰える」

「まさか……」

「現世の申請の時に私にチート能力をくれた人。それが今王宮にいる〈デズモンド王〉よ」

 ラビの手から力が抜けていく。

 イバラは始めから、アルトやラビのことなど眼中になかった。

 始めから、のし上がるために他人を利用することを考えていたんだ。

「この王都は、デズモンド王とニルヴァーナ王妃の二人で運営しているみたい。

 中世モチーフの仮想世界だから法体系はあべこべだけど、転生者がつくった国にしては、上々といったところかしらね。もっとも、デズモンド王も私のものなんだけどね」

「毒島が王宮仕えの冒険者になったのも……あ。お兄ちゃんの追放が、あんなに早く波及したのも……」

「わたしよ」

 イバラの声は冷酷だった。

「お姉ちゃん……。違う。もうお前はお姉ちゃんじゃない。姫宮イバラ! あなたは……。あなたは!」

「熱くならないでよ~。古い関係を斬り捨ててのしあがるなんて。めずらしいことじゃないでしょ?」

 ラビは覚悟を決める。

 ナイフを持つ手は震えているが、それでも構える。

 アルトがおかしいことは薄々気づいていた。 あんなに残酷に裏切られてまだイバラのことを思っているなんて、奇妙だった。

 今、イバラと対峙して辻褄があった。

(何かをしたんだ)

「うぅう。うあぁああああ!」

 ラビは瞬足の一歩を踏み出す。

 戦闘経験は浅い。それでもアサシンに鍛えて貰ったおかげで、身体能力はあがっている。 ナイフの一撃が、イバラの首筋で振られる。 鮮血の雫が数滴、舞う。

 ナイフの切っ先は、イバラの首を薄く掠めただけだった。

「外した?」

「やっぱり、。ラビ」

「もう一度……。うぅう」

 イバラの眼が闇の中で赤く光ると、ラビは動けなくなる。

(どうして? 意思に反してからだが動かない……)

「私のスキルは〈魅了催眠〉」

「はぁ、はぁ……」

「私を魅力的だと思った相手に、催眠をかけることができる。効果範囲は狭いんだけどね。だから人を選ばないといけない」

「はぁ、ふぅ……」

「ソウルワールドに転生したときから。このチートを試しまくっていた。でも複数を催眠にかけると効果は薄くなっちゃう。だから私には〈男を統括する男〉が必要だった」

「それが、毒島だっていうの? お兄ちゃんじゃなくて……」

「あいつは今のあんたと同じ。私の魅了催眠にかかっていない」

「え?」

「正確には50%の魅了催眠ってところかな。このスキルにはわからないことが多くてね。あんたやアルトみたいに、昔なじみだと私の手心が加わるのかな?」

 50%の魅了催眠だけでも、ラビは動けずにいた。

(だめだ。おかしい人のはずなのに。魅力的に思ってしまう。と思ってしまう。50%で魅了催眠でこの威力なの?)

 荘厳で煌びやかな装飾のドレス。

 頭に乗せたティアラの王冠。

 人を使うことをなんとも思わない。

 傲慢が許せるだけの美貌。

 牝として女として優れていると主張する、豊満な肢体。

「イバラ様万歳、といいなさい」 

「お姉、ちゃ……」

「ちっ……」

 イバラはラビに平手を見舞った。

「ぐぅっ!」

 鼻血がでるも、ラビは食いしばって耐える。「イバラ様万歳、といいなさい」

「それは、嘘だよ。お姉ちゃん」

「はぁ? 嘘?」

「支配でできた関係も、王様との契約も。スキルで得た愛情も。そんなものは全部嘘だよ」

「嘘じゃない。今目の前にある。私は力を手中にしている。あんた達と一緒にいた頃の惨めさはない」

「それが惨めなんだよ。お姉ちゃんは大切なものを見失っている」

「私はソウルワールドに適応した! 現世だってすべては金だったでしょう! 適応することの何が悪いの?」

「あなたは、大事なものを見落としている」

「あんただって親に虐待されてなかったら、死ぬこともなかった。力が無かったから死んだのよ」

「正論だね」

「わかったなら、屈服しなさい。イバラ様万歳、と……」

「お姉ちゃんのそういうところを、お兄ちゃんは好きって言ってたんだ」

「え……?」

「自分には甘いところがあるから。お姉ちゃんの傲慢なところが好きなのかもって。お兄ちゃんは言っていた。私も、そうだった」

「どうでもいいわ」

「うん。私も。あなたとはどうでもいい。現世のことは錯覚だった」

 イバラも押し黙る。

「私たちは〈綺麗な錯覚〉だったんだ。ようやく気づかされたよ。私たちは入院の極限環境で……。

「御託はいいわ」

 イバラがラビの髪を掴む。

 そのとき、部屋の窓ガラスがぱりぃぃん、と割れた。

 イバラの部屋に突入してきたのは、5人の兵士小隊だった。

『ニルヴァーナ姫親衛隊だ。姫宮イバラ第五夫人。王宮扇動剤で逮捕する!』



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