1-2 スリ退治

 ルイにとって、日中の街というのはどこかよそよそしいものだった。

 物心がついた頃から、「家族」と出かけるのは夜ばかりだったし、なによりそこは自分の居場所ではないと感じていた。


 でも、今日からは違う。


(オレは、ここでオレの居場所を見つけるんだ……!)

 家を出たのは三日前のこと。「家族」と呼んできた連中は今頃、自分のことを探しているだろうか? それとも、自分一人がいなくなったところでどうでも良いと、気にも留めていないかもしれない。


 短く刈り上げた黒髪をがりがりと掻きながら、ルイは周囲を見まわした。

 今いるのは王都・イキシア。家の仕事で何度となく来たことはあったが、闇に沈んだ頃に見る街並みとはまるで違う景色に感じる。

「ええっと、ここが宿屋で……確かこの先に大通りがあったはずだよな」

 ぶつぶつ独り言を唱えながら、行く先を確認する。

 家を出る時、金銭を持ち出すことはできなかった。それをやれば、間違いなく「家族」が総出で追ってくることが分かりきっていたからだ。それも、容赦なんてこれっぽっちもなしに。


(まずは、金を稼ぐことから始めねぇとな)

 それも、できうる限り真っ当なやり方で。そうでなければ、あの家を出た甲斐がないというものだ。

 そのためにも、人手を募っていそうな飲食店でも探さねば。そう、大通りへ続く方向へと足を進めたときだった。


 ドンッ、という音が後ろから聞こえた。ついで、「誰か捕まえて!」という叫び声。思わず、ルイはびくりと身体をこわばらせた。

「その泥棒を捕まえて……! 鞄の中に、孫からの手紙が……っ」

 ハッとして振り返ると、老女が地面に手をつき倒れていた。身なりを見る限り、清潔そうではあるが、特段裕福というわけでもなさそうだ。その視線の先に、走って逃げていく大柄な男がいる。手には、女性物の鞄があった。

 通行人の人々は、驚いたような──あるいは「またか」と、無関心な目を向けている。どちらにせよ、面倒ごととはかかわりあいになりたくない――そういう顔だ。


「チッ……気分わりぃなぁ」

 そう呟いたときには、身体が動き出していた。

 人通りはそこそこ多いが、みな男を避けるように歩いているため、追うのはさほど難しくない。

 ダンッ! と勢いよく地面を蹴ると、ルカの小柄でひょろりとした身体は、まるで弾丸のように勢いよく突き進んだ。


「そこのスリ野郎、待てよッ!」

 叫んだ声に、男――スリ犯が振り返る。必死に逃げるその顔が、ルイを見た途端にニヤリと歪む。

「なんだ、ガキが追ってきてたのか」

「ハァ⁉︎ ガキじゃねぇしっ! もう十七で成人だよッ」

 正確には、誕生日までもう数日あったが。そもそも生まれた日自体があやふやなため、どうでもいい。


 ルイはより強く地面を蹴り、宙に跳んだ。

「ばあちゃんの鞄、返せやコラッ」

 スリ犯の、ガタイのよい肩に手をつく。それを支えにして肩の上で逆立ちになり、更にはそこから弾むようにして前方へと着地する。


 スリ犯はぎょっとした顔で、前に回り込んだルイと──その手にある鞄とを見た。先程、スリ犯が老女から奪ったばかりの鞄が、いつの間にかルイの手にあった。


 はんっ、とルイは斜に構えてスリを睨む。

「弱いヤツをターゲットにして、チマチマせこい盗みを働く……オレが一番嫌いなタイプだよ、アンタ」

「う……うるせぇっガキが偉そうに! そいつを返せっ」

 ルイの倍はありそうな男の太い腕が、鞄を狙って伸びてくる。ルイはひょいっとそれを避けて、大通りへと向かった。


 「狩り」を邪魔されたのがよほど悔しかったのか、スリ犯はしつこく追ってくる。それを撒こうと思うなら、人混みに紛れるのが一番手っ取り早い。

(人混みまであと少し──)


 そのときだった。


「調子にのりやがって、このクソガキがぁッ!」

 怒鳴り声と共に、背後からなにかを投げつけられた。それはルイの頬を掠り、少し先の足元へと落ちる。

 きらりと太陽の光に反射するそれを見て、ルイは「うげっ」と声を上げた。

「街中でナイフなんて投げてんじゃねぇよへたくそッ!」


 周囲からも悲鳴が上がる。

 足を止めずに後ろを見ると、スリ犯はまだ何本かのナイフを隠し持っている様子だった。これでは、人混みに入れば通行人を巻き込んでしまう。

(思ったよりヤバいヤツじゃん)

 かといって、走るのを止めれば刺されるのは自分だ。

(クソッ、どうすっかな――)


 ふっと。

 駆け抜けた横を、女性の影が通り過ぎて行った。正面を向いていたためよくは見えなかったが、黒色の長い服裾がはためいていたのが分かった。――修道女か。

「ちょ……危ないぞアンタ!」

 振り返り、慌てて怒鳴る。予想通り、修道服の後ろ姿が視界に入った。

「ご老人の荷を奪い、それを助ける人をも刃にて襲う……なんと哀れなお方でしょう」

 まるで聖歌を謳っているような、柔らかで美しいソプラノボイス。だがそれは、悲しみに満ちた声だった。


「女ァ! 邪魔だ退けッ」

 男のがなり声。まずい、とルイは足を止め、急いで二人の方へと駆け戻ろうとした。

 なにかいい考えがあるわけではない。ただ、このままではあの修道女が――。


 女性がスリ犯へと歩み寄る。男のにやりと嗤う顔に、振りかざされたナイフが、ルイの視界に飛び込んできた。

「止めろ!」

 叫ぶ、が――間に合わない。女性の腕がスッと動くのが、やけにゆっくりと見えた。


「群れからはぐれてしまった迷える仔山羊は、群れに帰してあげるが私の役割。そう――力づくでも」


 その瞬間。

 なにが起きたのか、ルイには、理解ができなかった。

 ただ気がついたときには、男の身体はその場に倒れ込んでいた。


「あ……が…………」

 それだけ呻くと、スリ犯はそのまま意識を失ったようだった。殴打された顔は赤くなり、白目を剥いたまま鼻血を出している。

「え……あれ?」

 思わず駆け寄る足を止め、きょとんと見ていると――くるりと女性が振り返った。


「――素晴らしい!」

 そう、女性のが、ガッとルイの右手を握りしめる。思わず「いだっ!」とルイは悲鳴を上げた。

「な、なにすんだよッ」

「まぁ、ごめんなさい」

 女性は慌てて力を抜きつつ、ルイの手は離さずににっこりと微笑みかけてきた。

 先ほどのスリ犯よりも、更に一回り近く大きな身体で、ルイを見下ろしながら。


「単身で泥棒から荷を取り返したあなたの義勇心、深く心に染み入りました!」

「い、いや……そんな、大げさな」

 正直、正義感だとかそういうものは一切なかった。ただただ、この男のやり方が気に食わない――それだけだったのだが。


 だが、女性はやけにキラキラとした薄紫色の目でルイを見つめ続けた。

「私、シャルロットと申します。シャルロット・デパーニーです。あなたは?」

「……ルイ」

「ルイさま! では、共に参りましょう」


 そこでようやく手を解放され、ルカは「は?」と顔をしかめた。

「行くって……アンタと? どこへ」

「泥棒さんを預ける先と言ったら、決まっています」

 よいしょ、という形ばかりの掛け声と共に、シャルロットが軽々とスリ犯を担ぎ上げる。

 にっこりと。まるで物語に出てくる神の使いそのもののような笑顔で、彼女はルイへと笑いかけてきた。


「さぁ、共に騎士団本部へ参りましょう!」

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