アズルのものがたり  コンスタンティノポリス 1698年ー1711年

 あれはオスマン帝国と神聖同盟との長い戦争が終わる前の夏だったでしょうか。


 私が彼女に出会ったのは、アヤソフィアの傍らでした。明らかに西方のドレスを纏っていた彼女は、尖塔ミナレットが高く伸びる空を、ぽかんと口を開けて見上げていたのです。若い、しかも高貴な身分の女性がともも連れず出かけるなど、と思ったのですが、そのどこか若葉が風にそよぐようないでたちに、私は思わず声をかけてしまいました。

「女性の入口はあちらですよ」

 彼女は驚きもせず視線をこちらに向けました。檜色の巻毛を揺らし、あおい瞳が陽光の中で笑っていました。『なぜ?』男女の入口が違うのか、と問いたかったのでしょうが、彼女はテュルク語を上手く話せませんでした。カサンドラと呼んで、と彼女は名乗りました。当時はワラキアもモルダヴィアもオスマン帝国の属国でありました。そのモルダヴィアから人質として送られ帝都に囚われていたのがディミトリエ・カンテミールであり、彼に輿入れしたばかりのワラキア公女が、カサンドラでした。


 ディミトリエ・カンテミールはモルダヴィア公の次男に生まれ、皇帝スルタンの忠実なる友であり、科学文学への造詣も深く、また帝国の伝統習慣に関心を持って、新妻そっちのけで遊興するらしいのですが、カサンドラはむしろその状況を楽しんでいるようでした。一緒に図書館を訪れ、市場バザールを巡り、楽隊や踊り子たちに声援を送り、カフェヴェを飲み、浴場ハマムを覗き、屋台でケバブチェを食べて、金角湾を臨む丘へピクニックにいきました。オスマン朝の開闢かいびゃくから400年、コンスタンティノポリスを陥落させ首都としてから245年、この都市は世界中から人と物資を集めてきました。カサンドラはコンスタンティニエの華やかさ豊かさに触れて喜び、きらきらと輝くようでした。ワラキアでは、と彼女は糸杉の木陰で囁きます。公位を巡る争いが激しくて、いつ騙されるのではないか、殺されるのではないか、と怯えて暮らしていたの。こうして何にも脅かされず歩き回れるなんて夢のようだわ。


 しかしこの都市まちの平和は仮そめのものです。国境のあらゆるところで、戦火が燻っている。私たちの父も、私の許嫁とされていた方も、前線で亡くなりました。母と弟妹たちを養うために、私は働かなければなりませんでした。この国で女が仕事を探すのは容易なことではありません。幸いなことに父は幼い私を私塾にやってくれ、読み書きができました。軍隊時代から父の友人であったクルムさんが、退役後書店を営んでいたので、そこで写本をさせてもらえるようになりました。私は写本が好きです。お金を貰えて、いろいろな本に触れることができる。古典から思想書、最新の科学書まで、寝る間を惜しんで写しました。


 私が写本を生業としていることを知って、カサンドラは最新式の印刷機と活字、紙を見せてくれました。オスマン帝国でも印刷機は使われていますが、もっぱら外国語の書物のためであり、国内の文芸作品の多くは写本されているのが現状でした。それらはカンテミール卿が取り寄せたものだそうで、卿は帝国のあらゆるものを記録し、国外に後世に伝えようとしていたのです。帝国の芸能工芸技術は多くが口承でございますでしょう、師匠から弟子へ、模倣から習得されるものです。ですがカンテミール卿は、軍楽隊メフテルの楽曲からこの街中で歌われる民謡のようなものまで、『西側の音符号で記録を取った』。政治体制から人々の暮らしまで、ラテン語で記述し本にまとめようとしていたのです。

「アラビア文字は活字にするのが難しいかもしれないけれど、宮廷工房ナッカシュ・ハーメには最高の技術者の方々がいるのだし」

 ワラキアでは今、ラテン語ではない、キリル文字の聖書をつくっているの。国民みんなが自分の言葉で聖書を読めるようにしたい、というのが父様の考えだったわ。印刷機は同じ品質で安価に書物をつくれるし、教育の機会の拡大にも役立つはずよ。カサンドラは、インクが染みついた私の指先を撫ぜながら言いました。アズルの字はとても綺麗だわ、まるで蔦が萌え立つよう。堂々と貴女が書いたのだと言えればよいのに。


 カサンドラお気に入りの薔薇園を私たちは歩いていました。ここの庭園は、ビザンツ時代に建設された水路から供給される水で潤っています。私たちは薔薇を楽しむけれど、水路を見ることはない。絢爛な文化というものは、もちろん宮廷での華やかな宴や壮麗な建築物もそうですけれど、詩を詠み音楽を奏で歌い、家々を装飾し古いものを磨くような、毎日の実践の中にこそ受け継がれるものではないでしょうか。私は、本を写しながら想像するのです。原本を書いたのはどういった人物なのが、どこの生まれでどんな家族がいて何が好きで何を考えているのか。私と彼らは文字を書くことで繋がることができる。物語を写す時など、激しい場面では筆も荒ぶり、恋する相手に想いを告げる場面では筆はたおやかになるのですよ、私はそういうものを見ると、どんな人間の一人ひとりも愛しいもののように思える。私と見ず知らずの“彼“は同じなのだと。

「聖なる言葉は特に。それを文字で書き留めるという行為は、祈りなのです」

 いえ、私は印刷機の有用性に異議を唱えたのではありません。カサンドラの少し困ったような微笑みを見て、私は慌てて言い募りました。違います、印刷機は便利ですよ、素晴らしい文学や技術や知識をより多くの人々の手元に届けるということは、とてもとても大切なことです。ただ私は、写本というものも、けっこう意味があるのだと言いたかっただけです。私は貴女のそういうところが好きよ、カサンドラはどこか寂しそうに、向こうの空を横切るローマ水道橋を見上げて言いました。巨大な古代の建造物は、アーチ形の影を私たちの足元にまで伸ばしていました。


 ディミトリエ・カンテミールは確かに、カサンドラを愛していたのだと思います。男が女に望むものを与え、自由を許すことは、愛情であり信頼であると、私は同意します。しかしそれだけでしょうか。私はマリアの白く柔らかな頬をくすぐりながら、砲声の轟く海峡に目をやりました。カサンドラは初産で体調を崩ししばらく休息が必要だったため、私は子どもの世話を助けるためにカンテミール卿の館を訪ねるようになりました。マリアはとても可愛いのですが、赤ん坊というものはこの世界の生きづらさを初めて体験するのですから仕方ありません。マリアの泣き声と、海軍が演習で鳴らす砲撃音が、カサンドラをますます疲れさせるようで、彼女は塞ぎがちになりました。マリアを乳母に任せて、どこかへ療養に出掛けてはどうか、と卿は言ったらしいのですが、カサンドラは頑なにマリアを離そうとしませんでした。

「女だからって、なぜ」

 カサンドラは、夜中に泣いて起きたマリアをあやしながら、アザーン《祈りの呼びかけ》と紫橙に染まる朝霧を窓辺で眺めながら呟きました。あの人は関心が無いの。よい夫の振る舞いはしてくれても、などというものは、家領を継ぐこともできないし、せいぜい面目を潰さない程度の教養と容姿があって、政略結婚の道具になればいいとしか思っていない。私はを授かるまで産み続けなくてはならない。色を失って痩けた頬に伝わっていく水滴を、私は拭ってやりながら答えました。そんなことないわ、カンテミール卿は思慮深い方だもの、今はお忙しいだけよ。神聖同盟との戦争がカルロヴィッツ条約の締結で収束し、帝国は多くの領土を割譲することになりました。旧態依然とした帝国軍を改革しなければならない、という機運が高まり、新しい技術と制度の導入に向け、カンテミール卿は皇帝スルタンを補佐して働いているのです。

「息子であったって、権力を争って殺し合うだけだわ。そんなことのために子どもを産んで、差し出せっていうの」

 父様と叔父様のように。カサンドラの父親はワラキア公セルバン・カンタクジノ、帝国と属国という立場だったワラキアにの間を上手く立ち回り、ワラキアに自立と“近代化”をもたらした賢君でした。しかしかつて共に啓蒙政策に取り組んだ実の弟、カサンドラにとっては親しい叔父だったコンスタンティンと西欧化か民族化で対立し、遂に弟は兄に毒を盛ったのだと言います。そのコンスタンティンも、実の息子と義理の息子の公位継承争いを調停しきれませんでした。帝国が目に余ると判断すれば、彼らもまた処刑されてしまうでしょう。私たちは、そういう危うい境界に住んでいるのだと、マリアの無垢な寝顔を見て思うのです。


 私は今に至るまで結婚も子どもを持つこともしなかったので、カサンドラを本当に理解できていたのかは分かりません。私のことを少し話せば、私には父が決めた許嫁がおりました。彼と父は同郷でした。地方総督府で出納補佐のようなことをしていたところ、その測量技術を買われて軍の後方支援部に入り、父と知り合ったそうです。それから、海軍所属となりました。詳しくは知りませんが、近年の航海術において測量や海図を引くことがますます重要になってきているとのことです。父は彼を気に入っておりましたが、私は数度言葉を交わしたことがあるだけでした。軍で士官職になれれば、給料も上がって、結婚後も安心して暮らせるから、と言っていました。そうしてアゾフ海戦で、軍艦ごと沈められてしまったのです。おかしなこと、あの方は海図を引くのが得意であったはずなのに、ご自身が沈んだ場所を誰にも伝えることができないんです。あの静かな海のかなたで、遺体は見つかりません。だから私は今もどこかであの方は生きているのだと思うことにしました。お金の寡多など、私は気にしなかったのに。もっとお話ししておけばよかった、ということだけが私の後悔です。


 ですから、これは女だけの問題でもありますまい。カンテミール卿の館から自宅に戻る途中、衛兵イェニチェリたちが街頭で揉めているのが聞こえてきました。先の戦争から、衛兵たちの働きに対して正当な給料が支払われていない、という不満が鬱積しており、軍内での騒乱が絶えません。これはもう仕方のないことです。戦争に次ぐ戦争、新しい領土が手に入ればそこから奴隷なり貢納なり人頭税なりを徴収できるのでしょうが、長期に渡る広範な戦争の犠牲と損失の方が遥かに上まっているのは明らかです。戦争のために国内産業の育成を疎かにしたこともあります。アナトリアは肥沃な土地ですが、海外から加工製品の輸入が増え続け、国全体としては銀が流出しているはずです。


 重商主義政策という、とクルムさんが教えてくれました。かいつまんで言えば『輸出を最大化し、輸入を最小化し、国内に金や銀などを蓄積することが、国力を増大する』のだそうです。関連書籍の翻訳を写したことがあります。国家は国民の利益をはかり防衛するために国力を増大させなければならない、国民は一体として国家を支える、それが『国民国家』の在り方なのだそうです。私は日没に輝く海峡と、銀の雲を靡かせてたたずむアヤソフィアを眺めました。そうやって国家やら近代化やらというものは、土地や人をするのですね、と私は神に尋ねます。カルロヴィッツ条約で、父とあの方の故郷であるトランシルヴァニアは帝国からハプスブルクへ割譲されました。西方諸国ヨーロッパはスペインの継承権を巡って新たな戦争に忙しく、その間にピョートルが黒海を掌中に収めようと、帝国の北辺に侵攻する。そこに生きている人間や、彼らが日常生活の中で培ってきた文化などお構いなしです。


 まるで印刷機がごとん、と版を押して、無数の活字を並べていくように、私たちは生きているのだと思います。世界や国家という枠組みは、大きな物語をつくるために、一人ひとりを文字として使い捨てていくのでしょう。その通り、カンテミール卿の『オスマン帝国史』は、私の生きているこの国を外観するのに役立つでしょうが、誰が私のことを、カサンドラのことを、あの方のことを、そこから読み取ってくれるというのでしょうか。歴史として普遍化された記録から、誰が私たちのことを理解してくれるというのでしょうか。



 ナイチンゲールの呼ぶ美しい季節がまた巡ってきます。カサンドラはライラックのたわわな庭で子守唄がわりに、マリアに詩を詠んでやっているようでした。


心よ、生命の水さえ意味をなさず 哀れなるかな 愛するものの口付けも届かない

一千年待とうとて アレクサンドロス王のように闇夜を探し回ろうと

この崇高で残酷な世界のなかで 一切の虚飾を捨てて、愛をあずけて

私は向かう、ひたすらに おそれることなどあろうものか


 1710年にモルダヴィア公位を継いでヤシに帰還したカンテミール卿は、ロマノフ朝と密約を交わしオスマン帝国に叛旗しました。一族の者はみな、サンクトペテルブルクへ亡命したと伺っています。貴女とご兄弟たちが、そちらで息災であることを祈っています。


 カサンドラはその前に、第三子出産後の経過が悪く、亡くなりました。貴女はまだ、彼女の歌声を覚えているでしょうか。私の書く文字の中に、彼女を見つけ出してくれるでしょうか。

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