小屋の中

「という悩みの電話をさっきまで聞いていたんだ」

「ははっ、どう思った」

「一軍の最下位にも入れないほど才能のないプライドの高い凡人が、三軍の一番という居心地のいい場所まで逃げて来て、小さい自慢話を集めてきて必死にオナニーをしているんだと思った」

「あだ名は、勘違いバカだな」

「短すぎて伝わらない。私なら、勘違いオナニーマン」

「マンだけじゃなくて、ウーマンもいるだろ」

「勘違いオナニーマンウーマン」

「マンが先でウーマンが後なんて、これは男尊女卑だな」

「勘違いオナニーウーマンマン」

「どっちが言いやすい」

「勘違いオナニーウーマンマン」

「よし、そっちでいこうぜ」

「同意する」

 深夜であった。

 まだ、夜明けは遠い。

 黒が深くて眩暈がする。方角ではなく方向が分からない。重力を忘れてしまうような日付変更線付近の陶酔。

 私は男と二人で家の中にいた。

 男が机の上から携帯を手に取る。

「これで、社会と繋がってるんだもんな。お前は」

「駄目か」

「いや、面白いなぁって思って。もちろん、俺もこれで繋がってる瞬間もあるけど、大抵は生だからな」

「大抵はそうだろう。だが、俺みたいな人間は今後多くなっていくように推測できる」

「人と人とのつながりが薄くなっていく」

「批判か」

「いや、心地いいな。正直、俺という人間がいるわけだから、どっちだっていい。俺の生き方が変わることはないな」

「携帯は」

「分かってる。この机の右斜め下あたりに置くんだろ」

「違う、左斜め下だ」

「悪い悪い。でも、机の上にはちゃんと置いてるからよ」

「細かい部分を間違えている」

「気にし過ぎだろ」

「こだわりを持っているからこそ爆弾を作ることができる」

「そんな危険なものを、こんな汚い所で作っているとは誰も思わないだろうなあ」

「だろうな。皆、非日常を彩るものは、非日常からしか生まれないと思っている。それが大きな誤解だ。無能な政治家も、国民の中から生まれる」

「国民も幾つかの階層に分かれていて、その中の少数の派閥から生まれていると思うけどな」

「気持ちは分かるが、その発言では何も変わらない。悔い改める必要のない、それらしい筋の通った都合のいい理屈を見つけただけに過ぎない。地球外生命体が、ヒトラーという異分子を見た時、人間は野蛮な生き物だと定義するに決まっている。細かく分析されてから、性格に理解されることなどない。間違いなく、浅いところですべては決定される。私たちは、私たちと同じ生き物が下した決断や、行動の一つ一つの責任を背負うべきだ」

「もう背負ってるだろ。大変だよ、社会は」

「いや、まだ足りない。もっと苦しむべきだ。体中から血を噴出させて、肉を削がれながら、眼球を串刺しにされるべきだ」

 男は、携帯を右斜め下の角につけるように置いた。

 私は手を伸ばし、左斜め下の角へと移動させる。

 机の表面に僅かに指が当たった。酷く乾いていて、信頼性の高い触り心地だった。明日も、明後日も、明々後日も、明々々後日も、ここに居続けるだろう。男よりも、心を預けられる無機質な親友である。

「そうかもしれない。社会は、私という異分子を生んでしまった。そして、それを排除する方法も受け入れる方法も模索している。だが、見つからないだろう」

 烏の鳴き声が聞こえた。

 そう、思った。

 気のせいだった。

 ただの雲の唸り声だった。

 もしかしたら明日は雨が降るかもしれない。雨漏りの修理をしなければならないのを、先延ばしにしていたので、家中水浸しになるかもしれない。少しだけ不安になる。

「今後、お前が社会に出ることはあるのか」

「私が社会に出ると思うか」

「可能性はあるだろうがよ」

「ないわけじゃない。しかし、冷静に考えてどう思う」

「可能性はある」

「頑固だな。ほぼない。というか、社会に出ていると言っても良い。それは、さきほど、お前が言ったことと同じだ」

「まぁ、電話はしてるな」

「結果、悩みを聞く者として社会と繋がっているし、爆弾魔ナキメソウとして社会に出ている」

「でも、明らかに異分子だ」

「そう、異分子だ。しかし、異分子と名がついているということは、この社会に席があるということだ。もし、異分子とも呼ばれないのであれば、私はここにもいられない」

「殺されるってことか」

「いや、存在がない。席がないという居場所さえないということだ。一つの部屋に椅子が敷き詰められていて、その部屋では座る以外の生き方が存在しない。誰も立てない。椅子の上で生まれて、椅子の上で死を迎える」

「立ち見禁止の映画館か」

「そうだ。皆が社会を見ている。自分のいるところも社会なのにな」

「きっと、見ているのは模範的な社会なんだろうな」

「その通りだ。そして、幸運にも、いや、不幸にも、現実では立ち見は可能だ。そして、異分子である私でさえ、その模範的な社会を見て、批判をしたり同意したり、否定したり、肯定したりしている。そう、今この瞬間も私は模範的な社会像を見ているのであって、社会を見ているわけではない。批判しやすい社会像を自分の中に作り出して、一番簡単に論理構築できるような道を選んでいる」

「そこまで色々なことを分析してるのに、お前って、社会に出る勇気だけは持ってないよな。そういうところは、本当にキモいよな」

「キモいの意味が分からない」

 そう言いながら、私は、私がキモい理由をなんとなく察した。

 キモい。

 噴き出してしまった。

 確かに、私はキモいな。本能で分かる。この言葉には矛盾も間違いもない。受け入れるしかない。

「あぁ、あと言わなければいけないことがある」

「なんだよ」

「ナキメソウの正体を捜しに、警察が来た」

 男が急に立ち上がり、よろめいて壁に背中を強く打ち付けた。家が大きく揺れる。

「家を壊すな」

「ヤバいだろ」

「家か」

「警察だよ」

「まぁ、控えめに言って危険だ。ただ、私を疑っているようには見えなかった」

「なんで、そう言いきれるんだよ」

「犯人のいそうなところには、捜査員が行っているんだそうだ。私も、その中の一つだと言っていた。近くに町があるだろう。あそこの住人で怪しそうな者はいないかと聞かれた」

「疑われてるって思わなかったのか」

「そうは思わなかったな」

「お前、バカじゃねぇのか。なんでそういう時に限って怪しまねぇんだ。脳みそを使えよ、クソゴミ」

「そう言えば、そうだな。何故、私は自分の感覚を信じたんだろうな。別に、自分が爆弾魔であることを隠すだけで、あとは正直に話してもいいと思った」

「おいおい、バカかよ。マジのバカか」

「お前のことも話した」

「嘘だろ」

「本当だ。警察が話を聞きたいそうだ。話してくれ」

「話すって何を」

「私が爆弾魔であることを隠しながら、あとは全部正直に話せばいい」

 男がわざとらしくため息をついた。滑稽である。

「ふざけるなよ。どうすりゃいいんだよ」

「話せばいいんだ」

「話さない方向で進められないのか」

「長い付き合いの奇妙な男がいると言ってしまった」

「おいおい」

「話をつけておくとも言ってしまっている」

「バカ過ぎるだろ」

「とりあえず会ってくれ」

「どうやって、その警察と連絡を取ればいいんだよ」

「番号は教えてもらっている」

 男はゆっくりと座ると、私の顔を見つめてからサングラスを頭から目へと移動させた。口元が固く結ばれているのがより強調される。

「まず、お前はそんなに優秀じゃねぇ。社会のことなんて何も知らない、ただの無知だ」

「自覚はある」

「違う、俺が言いたいことはそういうことじゃない。黙って聞け。いいか、お前は頭の回転が速いバカだ。爆弾を作って世間を恐怖のどん底に叩き落せるだけのバカだ。お前はまだ、何が不得意なのかを分かってないんだ。冷静に考えてみろ。社会に出たことがあるのか、ほぼないだろ。社会がお前をどう見ているのか検証したことがあるのか、ないだろ。社会と会話をしたことがあるのか、ないだろ。お前はまだ、社会に踏み入れてないんだ。あくまで自分の知っている社会や世界の中にあるものが、すべてだと思ってる。例外があることを分かってない。いいか、お前は、ここ数年は俺以外の人間と、向き合って話したこともないはずだ。この世に約八十億人といる人間の中にいる、たった一人の俺というサンプルしか知らないんだ。そんなのは、会話でもなんでもない。独り言だ。経験なんて何も積みあがってない。誰とも話してないのと同じだ。だから、とにかく慎重になれ。自分には短所があって、騙されたり、嘘をつかれたり、失敗を押し付けられたりすることがあると理解しろ。悪意を持った誰かがお前に近づいてくる可能性があると刻み込め、頭に、じゃないぞ、心に、だぞ。知識とかじゃなく、本能に刻み込め」

「分かった。申し訳なかった。そんなに詰めるな。大げさだ」

「大げさなわけないだろ。警察がここに来たんだぞ。あいつらは、嘘なんて平気でつくし、自分の本当の目的なんて、一切外には出してこない。それが表に出る時は、目的を達成する意味を失ったか、達成することが確実になった時だ。何もかも、きれいさっぱり全部が片付いて、あとは見え透いた詰将棋。そういう時間になってからお前が後悔して、もがいて、ありとあらゆる手を尽くしたところで無意味なんだ。だから、今なんだよ。この瞬間に、焦っておかないと絶対に後悔するんだ。なぁ、俺の言ってること、分かるよな」

 私は辟易していた。そして、その感情を言葉に乗せて口から吐き出そうとした。

 その瞬間だった。

 男の頬を何かが伝った。液体であり、わずかばかりの輝きを放っていることを確認できた。

 正面から受け止めなければならない。

 そう、思った

「俺はな。お前にここにいて欲しいんだ。どんな形であれ、お前はもう犯罪者だけど、捕まりたくはないだろ。自由を奪われたくないだろ」

「あぁ、そうだな。不自由にはなりたくない」

「俺だって、不自由なお前を見たくない。できるなら、もっと早く止めておくべきだったかもしれないって思ってる。爆弾を作る前に、いや、携帯だって渡すべきじゃなかった」

「いや、それは、私の責任だ。携帯を買ってくれた君に責任はない」

「俺にそう言わせてることが問題なんだ。俺は、お前が別に爆弾魔だろうが、連続殺人鬼だろうが、連続強姦魔だろうが、男尊女卑を掲げるテロリストだろうが、女尊男卑を掲げる悪徳政治家だろうが、なんだっていいんだ。今、何をしていて、何になろうとしているかなんて、関係ない。俺はこれからも、ずっと、ここでお前と喋りたいんだ。なんとなく社会とずれていて、だけど曲がりなりにも社会に影響を与えていて、自分なりの哲学を持って意見を言う、そういうお前のことが好きなんだ」

「ありがとう」

「分かるだろ。留置所にいるお前が好きなんじゃない。ここなんだよ。ここにいる、お前が好きなんだ。この場所で、仙人みたいに生活してる、お前とお喋りがしたくて俺はここに来るんだよ。ここでの会話を大切にしているんだ。だから、お前に捕まってほしくないんだよ」

 男が私を抱きしめた。

「俺は、お前が本当に心配なんだ。お前がどこかに行っちまう気がして不安なんだよ」

 私の腕は男の腕の内側に閉じ込められた。しかし、私は居心地の良さを感じていた。男の体臭は意外にも全くなかった。大雑把な性格をしていても、不潔な人間ではないと思っていたが、それが証明される形となった。むしろ、私の方が臭い可能性すらある。この小屋で暮らし、服は三着しかない。歯磨きも風呂も毎日しているわけではない。

 恥ずかしい。

 しかし。

 男を無下にすることもできない。

 私は、会話というものは理解し合えないもの同士が意思の疎通を図るための手段であると思っている。そう考えると、私と男は会話などしていないということになるのかもしれない。

 会話が必要ない関係性。

「青い臭いがする」

「今、なんて言ったんだ」

「いや、私にこういう日が来ると思わなかったんだ」

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