第12話 大西さんは駆け出した

 もしもルカが長く人間社会で暮らしているドラゴンではなかったら、到底受け入れられないし、きっと耐えられなかっただろうなということもたくさんある。

 ──ルカが警察に職務質問されたことを会社に密告したのは、小西さんだった。

 有給休暇を経て晴れて退職する際に会社へ行ったとき、課長から告げられたのだ。小西さんはすでに自主退職して、会社にはいなかった。

 これはきな臭いと兄を問いただしたら、やっぱり兄が真相を突き止めていた。

 小西さんは、驚くべきことに嫌われ者の上司と不倫関係で、他の女性社員が彼に近づくことをことのほか嫌っていた。だから、たびたび残業を押しつけられていただけのルカのことも気に入らなかったという。上司は小西さんとの時間を作ろうと、躍起になってルカに残業を押しつけていたというのに色々ままならないものだ。

 小西さんはルカに優しい言葉をかけながら、あることないこと様々な場所で告げ口してまわり、結局会社という居場所を失った。上司は来期の人事で地方へ飛ばされるらしい。本当の奥さんとの離婚話も進んでいるというから、どこか遠くで小西さんと幸せになればいい。

 兄には何か報復してやろうかと言われたけれど、ルカは首を横に振った。こういうことは今までもたくさんあったし、復讐してもたいてい徒労に終わるものだ。人間というものは改心できるすばらしい徳を持っている一方、生まれ持った性質というものは変えられない。

 きっと小西さんは自分の行いを本当の意味で反省することはできないし、これからも嫉妬で身を焼き続けることだろう。この因果から彼女を救わないことで、これをルカの報復とすることにした。

 恋の嫉妬で身を焼き尽くすという感情は、ルカには分からない。

 それはきっと何かを大事にしたいと思うなら、ドラゴンであるルカならすべて自力でまかなえてしまうからだろう。嫉妬という感情そのものが、もしかすると永遠を持ち得ない人間の特性なのかもしれない。

 こういうところは、ドラゴンでは分からないことなのだ。



 出張から帰って一度報告して翌日休暇をもらい、改めて対策部本部へ出勤した。

 対策部は官庁の集まる地域ではなく、地域からはすこし外れたオフィスビルにある。

 所属している人員も様々だ。人間なら陰陽師や魔術師や方士、人外なら悪魔や雪女や吸血鬼に狼男。オフィスで働くには少し特殊な人間や人外たちが四課には集められている。竜殺しは所属していても、ドラゴンはさすがに今まで所属していたことはないらしい。兄は外部の相談役なので雇われていないという。ルカは四課の中の第六室に所属している。第六室の仕事は異世界の人外とのトラブル対処が主で、確かにルカには最適の職場だった。


「ご苦労さん」


 朝一で眠そうな室長は山田さんとルカの顔を見ながらそう言った。


「報告書は山田から受け取ったから、大西さんは署名だけしておいて」


 そんな風に言われてルカはぎょっと山田さんを見上げる。山田さんは昨日の休日のあいだ、報告書を仕上げて室長のパソコンに送っていたらしい。昼まで寝ていたルカとは大違いの休日だ。


「山田さん…またわたしの仕事を…」


 今回はルカが報告書を書くよう言われていたのだ。


「ぼくもそう言ったんだけどね。山田が全然言うことを聞いてくれなくて」


 ルカと室長に見上げられて、山田さんは渋々といった様子で答えた。


「大西さんが仕事ができなくても、僕は問題ありませんので」


 山田さんに問題が無くてもルカには大いに弊害がある。


「わたしこのままじゃ給料泥棒ですよ! 仕事をさせてください!」


 何事も怠けたいルカではあるが、心の底から叫んだ。


 とにかくルカにも報告書が書けるように指導しろ、と室長に言われ、山田さんは渋々書き方を教えてくれることになった。前にも教わっていたが、覚えていないことがたくさんあった。

 となりに居座って付きっきりで丁寧に教えてくれるというのに、山田さんは何がそんなに嫌なのか。覚えの悪いルカに教えることが面倒なのはわかっている。ごめんなさい。

 午前中はみっちりと指導で終わり、昼は山田さんと連れ立って昼ご飯を食べに出る。

 なんだかんだと山田さんにべったりだけれど、美味しいカレーを食べたらまぁいいかという気になってしまう。食後のデザートのクリームソーダを食べていると、山田さんがコーヒーを飲みながらルカを見やった。


「大西さん、転職しようと考えているでしょう」


 スプーンですくったばかりのアイスを落としそうになる。危ない。


「……何のことでしょう」


 とぼけるのは得意ではないが、ルカが視線を逸らせると山田さんは溜息をついた。


「この仕事は大西さんにしかできないことだと思いますが」


 それはそうだ。ドラゴンを楽に捕縛するなんてルカの知る限り、ルカか兄にしかできないだろう。人間社会で暮らすドラゴンは総数としては多いが、日本で暮らしているドラゴンは少ない。


「バイトで今の収入を維持できるんですか?」


「うっ…」


「今の仕事なら困っている人を助けることができますよ」


「……それ今言います?」


 社会貢献できる仕事はすばらしいことだ。身の安全が保障されているのなら。

 それとも、と山田さんはいつもの無表情をルカに向けてくる。


「年下はお嫌いですか?」


 絶対そういうことじゃない。

 思わず睨んだルカに、山田さんは何が可笑しいのか頬を緩める。職場では鉄仮面と評されている山田さんだが、こんなによく笑う人だというのによく分からない評価だ。


「仕事に戻りましょうか」


 ルカがクリームソーダを食べ終わるのを待ってから、席を立った山田さんについてレジへと向かう。


「お支払いは済んでいますよ」


 人の良さそうなマスターに言われて、すでに店を出た山田さんをルカは追いかける。


「山田さん!」


 また勝手に山田さんが支払っていたらしい。今日こそ代金を受け取らせてやるのだ。

 のんびり歩く黒スーツを追って、ルカは駆け出した。



                                おしまい

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ドラゴンの大西さん 螺子ノワ @nowaru24kuro

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