第10話 嘱託職員は過酷

「あなたの能力が活かせる仕事です」なんて言われたら、たいていの人は信じてしまうのではないだろうか。少なくともルカは信じた。

 まして、美味しいフレンチを食べながら「あなたにしかできないことです」なんて言われれば低い鼻でも高くなる。それにトマトと鶏肉の煮込みワンプレートランチは美味しかった。白ワインもすばらしく美味しかった。

 美味しい料理と甘い言葉。この両方でルカはすっかり信じてしまった。山田さんがまかりまちがっても公務員だということも信心ムードに拍車をかけた。

 山田さんが紹介してくれた職場は彼の仕事場である異種族対策部第四課、その嘱託職員だった。人外の者が多く嘱託職員として働いていると言うし、何より役所仕事だ。

 信じる者は救われる。嘱託職員として雇われるにあたって、提示された給料は会社員時代の倍であったし、危険手当や休日手当もつく。ルカにとって居酒屋バイトよりもはるかに割のいい仕事だ。

 ──この危険手当というところで疑問に思えば良かったのだ。

 

(なんで疑問に思ったのにハンコ押しちゃったかなぁ)


 ルカにとっては危険手当と休日手当は似たようなものだと言われても、ハンコを押す前にまず兄に確認するべきだった。ドラゴンが怪我をするような事態にはならないという意味だと理解していれば、五分ぐらいは悩んだはずだ。しかし、兄も山田さんの仕事に相談役として一口噛んでいるというから、ルカに逃げ場は元からなかったのかもしれない。

 後悔先に立たずとはよく言ったもので、後悔ばかりがルカの頭を占めている。

 およそ好意的とは思えない人相と獣相に囲まれていると心も荒ぶというものだ。山田さんが投降を求めているけれど、話が通じる相手とは思えない。

 今回の仕事は違法人身売買の摘発だ。もう字面から怖い。

 シンジケートのアジトを突き止めた情報を得て、山田さんはルカを引き連れてアジトへ突入したのだ。

 山中の洞窟に集まっていたのは、こちらの世界の人間と、角や獣耳の生えた獣人たち。どうやらここでゲートを開けてこちらの人間を異世界へと売り払っていたらしい。日本人は勤勉で人気があるとか聞いてもまったく嬉しくない。

 最近の違法人身売買トレンドは、誘拐した人間にあなたは聖女ですとか勇者ですと言って魔法で意識操作をして信じ込ませる方法だ。この方法ならどんな環境でも働いてくれるという。あなたは前の世界で死んだので転生させました、という記憶操作も流行っているらしい。魔法での記憶操作は、体罰や拘束よりも効果的な服従方法として異世界のブローカーのあいだで浸透しつつあるというから知りたくなかった事実だ。異世界では奴隷商人だけがブローカーの取引相手ではない。危険な敵地への先遣隊の人員補充、労働力や知識が欲しい学者や魔法使い、子供のいない夫婦、愛玩用のペット扱いまで。なんかもういたたまれなくて心が痛い。

 そのうえ、ゲートと聞いて嫌な予感がしなかったわけではない。

 山田さんとルカが適材適所だとこの仕事を割り振られたときから予感はしていたのだ。でもあえて見ない振りを発動していたのは精神安静上、必要だったことだ。後悔はしている。

 すでに山田さんの投降の呼びかけもむなしく、結局ルカたちはブローカーの強面に囲まれて睨まれている。そしてルカの予想を裏切らず、悪人面の人々に「先生!」と呼ばれて現れたのは異世界のドラゴンだ。人型に変化していたが、威圧感がすごい。異世界のドラゴンは怖いんだってば。

 この期に及んではこちらも、という大いなるフリで山田さんは後ろのほうで洞窟を覗いていたルカを手招く。わかっていますとも。これはお仕事。でももうこれはあれだ。用心棒のあれだ。先生、やっちまってくださいのフリだ。時代劇で見たことがある。


「……危ないので離れてください」


 ルカは一応忠告して渋々山田さんの前に立つ。ルカはこうして山田さんの前に立って、魔力を解放すればいい。

 楽な仕事だ。

 でも見る見るうちに異世界の面々は青ざめていった。異世界は魔法が未だに一般的なので、ルカの魔力を感じることができるのだろう。魔力を感じないこちらの人間たちも船酔いしたように顔を歪めていく。

 密度の高い魔力は水のように質量を持って重くなる。魔法を使えない者は抵抗するすべもないから、洞窟に充満したルカの魔力で溺れているのだ。


『こんなやつがいるなんて聞いてねぇぞ!』


 異世界語でドラゴンの用心棒が叫んだ。それを皮切りに異世界の面々は用心棒が慌てて開いたゲートへ飛び込もうとする。


「大西さん!」


 山田さんの声が飛んでくる。ルカはうなずきながら、投網魔法をひと息に展開させる。洞窟の中にいる人間も獣人もいっしょくたに網の中だ。

 ゲートは邪魔だから、魔力を飛ばして閉じておく。ゲートは繊細なので、衝撃を受ければすぐに閉じるのだ。


「くそ!」


 ドラゴンの用心棒は悪態をついて魔法の網をつかんで破った。

 さすがに成人したドラゴンは投網魔法では封じ込められない。網を突き破って洞窟を飛び出していく。

 ルカも網を結界にして閉じると、すぐに後を追う。

 はばたき一つでドラゴンの姿になった用心棒は背の高い針葉樹を飛び出して、空へと舞い上がる。

 ルカも後を追うまま、ドラゴンの姿になる。ドラゴン同士の戦いはやはり元の姿にならなければならない。

 だからヤバイと思っても後の祭りだった。

 先にドラゴンの姿になった用心棒が唾を飛ばす勢いで叫んだ。


「おまえ! やっぱり大年増じゃねぇか!」


 用心棒ドラゴンはルカよりも一回り近く小さかった。つまりまだ若者なのだ。あのむさくるしい見た目で若者とは異世界は本当に怖いところだ。

 しかし年増とはずいぶん過大評価なお言葉である。ルカは新生世代でひよっこだと言われるし、おじいちゃんなんてドラゴン同士が世界間を股に掛けて盛大に喧嘩をした異世界大戦前から生きている。

 やっぱりちょっと本気出そうかなとルカが軽く口を開いて、火球を作っていると小さな影が目の前に飛んできた。

 危ないと思って火を消すと、山田さんが自由落下している。まさかここまで飛んできたのか。どんな脚力をしてるんだろう。

 思わず魔力で浮力のついた足場を作ってあげると、山田さんはちらっとルカを見上げた。


「ありがとうございます」


 お礼を言う前に危ないから退いてくれないか。この若者を教育的指導としてミディアムレアにしようと決めたのだ。しかし山田さんはざっと腕を振る。

 空中に複数の亜空間ができたと思えば、三振りの刀が現れた。この魔法はルカの慣れ親しんだものだった。ドラゴンの魔法だ。竜殺しはドラゴンの魔法も真似ることができるらしい。

 山田さんはそのまま一振りをつかむと、ルカの作った足場をおよそ人間とは思えない脚力で蹴る。

 ドン、と爆発でも起きたような音を立てて、用心棒へと突っ込んでいった。

 ルカが止める暇もない。

 用心棒はドラゴンに人間の斬撃が通じるはずもないとタカをくくっていたのだろう。半笑いで避ける動作もしなかった。

 山田さんの斬撃は無慈悲だった。捕獲が目的なので柄だったが、ドラゴンの視力をもってしても剣線が見えなかった。

 その強烈な一線が用心棒の脳天を直撃する。

 ガツンと堅そうな音を立てて用心棒が撃たれた鳥のように落ちていく。そしてそのまま受け身もとれずに針葉樹の森に地鳴りと共に落ちた。

 山田さんもそのまま急落下していく。


「うわぁっ、山田さん!」


 ルカも慌てて追いかける。

 落下点に人の姿に戻って降りてみると、完全に気を失った用心棒ドラゴンの頭を足蹴にして、黒スーツをなびかせた涼しい顔の山田さんが立っていた。このひと本当に人間かな。


「だ、大丈夫ですか……山田さん」


「問題ありません」


 そう言って用心棒の頭から飛び降りると、もう一度腕を振る。すると亜空間が現れて刀を立てかけるようにして仕舞った。どうやら山田さん専用の武器置き場らしい。

 その様子をじっと見ていると、山田さんはルカの前までやってくる。


「大西さんこそ、怪我はありませんか」


 ルカが怪我をするような事態になるのなら、少なくとも森が焼け野原になっている。


「わたしも怪我はないですけど……わたしの口の前に飛んできたら危ないですよ、山田さん」


 ドラゴンの火炎に巻き込まれたら、熱いぐらいではすまない。しかし山田さんは別のことを口にする。


「このドラゴンぐらいだと、どれぐらいの年齢になるんですか?」


 山田さんにそんなことを言われてルカも用心棒を改めてよく見てみる。


「たぶん、八百歳ぐらい? でも異世界のドラゴンって見た目より若かったりするんですよね」


 異世界のドラゴンは男性も女性も見た目がたくましいドラゴンが多い。


「ドラゴンが人に変化した場合は、一定年齢で一度加齢が止まるんですよね?」


 さすがに竜殺しの山田さんはドラゴンにくわしい。


「はい。でもあのドラゴンはまだ成長するんじゃないかなぁ」


 そうルカが答えたところで、山田さんが持っていた衛生電話が鳴った。この山中は今時珍しくスマホが圏外なのだ。

 山田さんが電話を取ると、のんびりした声が聞こえてくる。


『そろそろ仕事に戻ったら。おふたりさん』


 本部にいるはずの室長だ。どうして見えてもいないのに無駄話しているとバレたんだろう。

 捕獲してもう一度報告するように、と言われて電話は切れた。

 


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