第9話 朴念仁は山田さん

「いい加減、電話に出てよね。兄さん!」


 ふわふわと風船のようなのんきな声が響いてくる。今さら山田が「しまった」と思っても参道は一本道で、ましてやドラゴンの視覚をごまかせるような暇はない。横目で大西兄を見ると、にやにやと笑っている。


「あいつはバカだけど、魔力を消すのはピカイチなんだよ」


 人の中で暮らすということは、彼らにとって普段よりも多く制限をかけるということだ。だからこそ高等な技術が必要だとわかっているが、こんなところで大西さんの力の一端に気付かなくてもいい。


「あれ、山田さん?」


 そう声をかけてくるのは、セーターにジーンズ姿の大西さんだ。葬式帰りのような黒スーツの山田と違い、いつものパンツスーツとは印象が違って見えた。


「どうしたんですか? 兄に何か無理難題を押しつけられました?」


 自分の兄に用があっただろうに、山田のほうへとひょこひょことやってくる。ドラゴンだということは分かっているが、大西さんが変化した見た目は小柄な女性だ。身長は山田の胸元ぐらいで、ドラゴンだとは思えないほど華奢に見える。容姿もとくべつ整っているとはいえないが、どこもかしこも小ぶりで兄のような傲慢さはひとかけらも感じさせなかった。

 ただ灰色の丸い瞳が子犬のようにつやつやと輝いている。

 その目で見つめられると、そんなつもりはないのに意地を張っていたと気づかされてしまうのが不思議だった。


「お久しぶりです。会社をお辞めになるんですね」


「うっ」


 言外にまともな連絡を寄越さないことは伝わったようだった。


「……いやほら、山田さんも忙しいし……」


「困ったことがあれば連絡してくださいと言いました」


「ワンブレスで言わないでくださいよぉ……連絡しなくてごめんなさい」


 即座に謝罪できてしまうところが、やはり兄とは違うドラゴンらしい。本当に兄妹なのだろうかと大西兄に視線を向けると「何だよ」と睨まれる。


「それで、山田さんはどういうご用件で?」


 話を変えようとしたらしいが、大西さんはおおいに失敗した。


「おまえが会社を辞めるって聞きつけてすっとんできたんだよ」


 大西兄の言いぐさに大西さんはげんなりと渋面を作った。


「勝手に全部決めた兄さんのせいじゃん……山田さん正解だよ……」


「俺まで引っ張り出しておいて何だその言い草は」


 兄妹の睨み合いになってきたので、今度は山田があいだに入らなくてはならなくなった。


「僕は経緯をお伺いしようと思っただけです。──あなたなら、どのようにもできたでしょう?」


 山田の問いに、大西さんは兄を睨むのを止めて丸い瞳をこちらへ向ける。


「どのようにもって……魔法を使ってでもってことですか?」


 大西さんの問いに山田はうなずく。


「魔法も、あなたの立派な能力のひとつです」


 ドラゴンはその長い寿命のあいだ、さまざまな魔法を身につけるのだ。成人したドラゴンの大西さんなら密告者を探し出すこともできただろうし、まして仕事ができないなどと言われなくとも済んだはずだ。

 しかし当の本人は「ああ、それ」と苦笑いする。


「わたし、パソコンが苦手で。スマホは何となく使えるのに、あのキーボードを打つ動作が慣れないんですよね」


 でも、と大西さんは笑った。


「この前やっとエクセルがうまく使えるようになったところなんですよ! パワポはまだ全然なんですけど……こういう達成感って魔法使うと全然感じられないし、仕組みを理解できても身体が覚えないんですよね」


 その達成感が楽しいのだという。

 本当に大西さんというドラゴンは、


「……おかしな趣味をお持ちですね」


 その気になれば現代のどんな職業に就いても魔法ですぐに解決できるというのに、本当に変わり者ドラゴンだ。

 山田の感想を聞いて大西さんは眉をひそめる。


「その言い方、変な性癖持ってるみたいだから止めてください……」


 山田と大西さんのやりとりを聞いていた大西兄はかたわらで大笑いしている。そんな兄を大西さんは睨んだ。


「そうだ、兄さん! わたしがミソラちゃんの誕生日プレゼント選べってどういうこと! ちゃんと自分で選びなよ」


 大西さんが子犬のようにきゃんきゃんと噛みつくので、大西兄は面倒そうに手を振った。


「ミソラの趣味なんて俺が知るか」


「小さい頃はパンダが好きなんだーってパンダのぬいぐるみ探し回ってたじゃん」


「もう高校生だぞ。俺がJKの欲しがるものなんか分かると思うか」


「わたしだってわかんないよ。だからパンダのぬいぐるみでいいでしょ」


「何でだよ。おまえはぬいぐるみでいいのか」


 よく分からないが女子高校生の誕生日プレゼントを大西さんが選べと言われているらしい。

 山田の知るところではないが、このままでは帰る機を逸してしまいそうだったので「あの」と声を上げた。すると、


「山田さんもそう思うよね!」


 巻き込まれた。

 子犬のような丸い瞳と人を見下すような双眸に睨まれて、山田は渋々意見を述べることにした。この兄妹は案外そっくりなのかもしれない。


「……本人に欲しい物を訊くほうが良いと思います。おそらく……欲しくもないものをもらっても喜ばないお年頃でしょうから」


 女子高生など山田の知人にいないが、娘を持つ上司なら居る。彼はたびたび娘にプレゼントをして嫌がられている。上司は首を傾げていたが、ただ単に欲しいものではないのだろう。

「それだ!」と大西さんは言うと、兄を睨み上げた。


「やっぱり兄さんがミソラちゃんに訊けばいいんだよ!」


「なんで俺が」


「兄さんがプレゼントするんだから自分で訊けば。わたしは自分でプレゼント用意するから」


「どうして俺がミソラにお伺い立てなくちゃならなくて、おまえは無視でいいんだよ」


 もはや水掛け論の様相だ。しかし山田は口を挟むことはあきらめて、おとなしく結末を見守ることにした。とばっちりはごめんだからだ。

 かくして、兄妹の水掛け論は泥沼と化し、当のミソラさんが帰宅してきたところで打ち切りとなった。今日は午前中で学校が終わったという。


「創立記念日でね。ホントはお休みなんだけど、午前中だけ用があったから学校に行ってたの」


 そう大西さんに説明したのは、制服のブレザーが板についた明るい女の子だった。小柄な大西さんより背が高くてすらりとした印象だ。


「ミソラちゃん、誕生日何が欲しい?」


 水掛け論に飽きた大西さんがミソラさんに尋ねると「別になんにもいらない」と答えられてしまった。


「だってルカちゃん、仕事辞めたんでしょ? 次の仕事見つかった?」


「……面目ない」


 もっともなことを言われて大西さんは項垂れる。しっかりした高校生だ。

 彼女は大西さんの落ち込みようが気になったのか、フォローまで完璧だった。


「ケーキは欲しいかな。わたしの誕生日、夕飯がちょっと豪華だから食べにおいでよ」


 高校生に心配された大西さんは「ケーキは買っていくからね」と少しだけ元気になった。

 ここでようやくお開きにすると大西兄が手を打って、竹箒を片手に参道を帰っていく。


「密告に関しては俺のほうで処理するから、おまえは手を出すな」


 帰り際にそう言い残して唯我独尊はもう振り返らなかった。そのあとを「密告ってどういうこと」と高校生が追いかけていく。

 大西さんのことを密告した社員は彼がどうにかするのだろう。もう山田の管轄ではない。


「密告って何だろ……。あの兄に刃向かったら無事じゃ済まないのに……」


 自分のことだと気付いていない大西さんが脳天気に顔をしかめた。

 本当にのんきなドラゴンだ。


「彼女は、この神社の娘さんですか」


 いっしょに石段をくだりながら山田が問いかけると、大西さんはうなずいた。


「そうです。ミソラちゃん、しっかり者で可愛い子でしょ」


 あの大西兄が幼い頃から面倒を見ているのだという。


「兄は自分の子供みたいに可愛がってるみたいです。神社の子はみんな小さな頃から知ってるし」


 あの御仁が子供を可愛がるようには見えなかったが、あれでいて妹を気にかけている。案外、面倒見のいいドラゴンなのだろう。


「それで、就職活動は順調ですか?」


 山田が話を揺り戻すと、大西さんは渋面になる。


「……あんまり。来月の家賃払わないといけないし、バイトでもしようかと思うんですけれど」


 一人暮らしの大西さんは前の会社と上河神社の中間ぐらいにある、築二十年のアパート住まいらしい。

 そういうことなら山田にも提案できる話がある。


「就職先を紹介できるかもしれません」


「本当ですか!?」


 山田の一言に大西さんは面白いぐらい食いついた。


「何でもします! 体力には自信があるので!」


 おそらく地球上の生物でドラゴンに勝てる体力の持ち主はあまりいないだろう。

 しかしよく知らない相手から持ちかけられた話を、こうも簡単に信じてしまうことには先々が心配になってくる。


「詳しい話はフレンチでも食べながら聞きませんか」


「フレンチ?」


 首を傾げる大西さんに、山田は少しだけ頬をゆるめてしまう。


「フレンチを食べたい気分ではありませんか」


 山田の言葉に「あ」と大西さんは口を丸く開けた。牛丼を食べたあのときに、彼女が言ったのだ。

 すぐ思い出したのか、大西さんは笑った。


「食べたいです、フレンチ!……でも高いお店は無理です」


「ワンプレートランチを出すお店を知っていますので」


 この近くです、と言うと大西さんは「やった」とはしゃいだ。


「まともなご飯は久しぶりだー!」


 大西さんは、本当に心配なドラゴンなのだ。


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