第8話 竜殺しは山田さん

 ビルや住宅の密集する都市部にあって、それを森とともに別の空間へ切り取ったようだった。

 喧噪を寄せ付けない石段の参道を登ると、大きな鳥居が見えてくる。

 上河神社だ。

 社は古いが大きく、境内は明るくて手水場の水音までどこか温かい。そのくせ境内にはあらがいがたいほどの静謐な空気が満ちている。


「なんだ、おまえか」


 傲岸不遜が装束を着ているような神主が、竹箒を片手に山田を灰色の双眸で見下ろした。まるでモデルように整った姿だが、この日本人離れした容姿の神主こそ、先日知り合ったドラゴンの大西さんの兄だ。


「ご無沙汰しております、大西さん」


「どうせ不肖の妹のことだろ。さっさと話せ」


 祭神ということを差し引いても唯我独尊を地でいく男だ。間違っても争いに来たわけではないので、山田は素直に口を開いた。


「引ったくりの件で、警察のほうはこちらで解決しました。会社のほうはどうなりましたか?」


 対策部への問い合わせなら山田でも対処できることだが、会社のほうはそうはいかない。進捗はどうなったのかと大西さんに問い合わせても「大丈夫」というだけの返信で、この兄にしても「問題ない」という返信だけであったので確認に来たのだ。

 兄のほうの大西さんは「ああ、それか」と平然と続けた。


「会社を辞めることにした。しばらく神社で正月準備を手伝わせる」


 どう聞いても兄の独断で決められた事項のようだった。


「……それはいったいどういう経緯ですか?」


「俺が直接会社に出向いて話をつけただけだ。あいつときたら仕事もろくにできない上に、トラブルを起こしたからな。ペナルティだと思っとけ」


 まるで大西さんの意向が反映されていない決定だ。山田は溜息もそこそこに根気よく質問を投げることにした。この兄も圧倒的に説明が足りない御仁だからだ。


「ひったくりの逮捕に協力しただけでしょう? 仕事には何の差し支えもないのでは」


 山田の質問に兄は小さく息をついて、灰色の目を細めた。


「会社の近くでのことだったからな。会社の人間に見られたらしい。面白半分の出まかせで妹のことを上に密告した奴がいる」


 どうやら大西さんが警察に職務質問されたらしいと密告したという。


「どうもそいつがよっぽど悪し様に告げ口したらしくてな。人事部や課長が妹を問いつめた」


 普通の人間ではない彼らからはいくらでも不自然なことが出てくる。それをフォローすることも対策部の仕事だった。


「どうして僕に連絡をくれなかったんですか」


 すでに済んでしまったことに言及するなど、いつもの自分らしくはなかった。けれど、山田はそれが滑り落ちたことを不思議と不快には思わなかった。

 そんな山田を少し面白がるように見下ろして、大西兄は皮肉げに笑う。


「おまえたちが出来るのはせいぜい会社に訓告するぐらいのことだろう。一度生まれた不信感はそう簡単に消せるものじゃない」


 大西兄はほんの少しだけ憐れむように目を細める。人間ではない、長く生きた者特有の達観した目だ。


「群れの中の異物を攻撃するのは何も人間だけの特技じゃない。群れを作る生き物の本質的なことだ。人間たちにとって、俺たちは異物そのものだからな。あのバカ正直な妹にもそれぐらいのことは分かる。だから会社を辞めることに抵抗はしないさ」


 一度異物と判断された者は、群れを去ることでしか安穏を得られないというのか。

 それがひどく理不尽な常識だと感じるのは、山田がとうてい大西兄妹ほど長くは生きられない人間だからだろうか。

 押し黙った山田に、大西兄は呆れたように苦笑する。


「バカだろ? あいつ」


 大西さんがバカかどうかなど山田に同意できるはずもない。黙って睨むと大西兄は笑って続けた。


「昔っから要領も悪いし、鈍臭くて不器用でな。出来なきゃ魔法でも使えばいいのに、それもしない。変なところで頑固で面倒なやつだ」


 でもな、と大西兄は笑う。


「どんなくだらないことでも出来るようになると、飛び上がって喜ぶようなやつなんだよ。さすがに藁草履が編めるようになったって明治に入ってから言ってきたときには呆れたけどな」


 こつこつと二十年は身につくまで練習していたというから、気の長い長命の生き物にしかできないことだ。それに、技術の断絶が著しい今では神社の注連縄作りにも参加しているという。好きこそものの上手なれを体現したような結果だ。


「気の長い奴なのさ。どれだけ裏切られても人間助けて良かったなんてほざくんだ」


 大西兄は肩を竦めて目を閉じた。


「何の報いもなくても、俺が目を離すとすぐ誰かを助けてやがる」


 本当に面倒な奴だ、とこの非情な御仁をぼやかせるのだから、大西さんのお人好しは相当年季の入ったものだ。

「だからな」と大西兄は灰色の目を開けて山田を見遣る。


「おまえも関わったが最後と諦めて、妹を助けてやってくれ」


 思いのほか静かで柔らかい声が、傍若無人を体現したような御仁から出てきたものとはすぐには分からなかった。

 山田は生まれたときから、竜を殺す技術を叩き込まれて生きてきた。将来どういう職業に就くとしても、それが一族の生業だったからだ。だから当のドラゴンに嫌われるならまだしも、助けてくれと言われていい人種ではないはずだ。

 山田が面食らっていると、大西兄は「ははは」と大笑いする。


「おまえみたいな朴念仁がそんな顔をするなんてな」


 これだからあいつは面白い、と笑ったところで石段の下から軽い足音が駆け上がってきた。


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