第5話 正体は黒スーツ

 きっともう会うこともない。

 人間とはそういうものだし、それ以上でもそれ以下でもない。

 そう思っていたのは二週間前のことだ。


「……ご面倒をおかけしてたいへん申し訳ございません」


「いえ、仕事ですから」


 平身低頭、頭を下げたルカの上でふっと吐息がかげったした気がした。

 そろりと顔を上げると、相変わらず無表情な黒スーツが影法師のように立っていた。

 公務員の山田さんだ。


「それで、あなたの身元を説明してくれるのがこの人?」


 山田さんのとなりでどことなく面倒くさそうにしているのはお巡りさんだ。山田さんはお巡りさんに視線を向けた。


「ご連絡いただきました、担当の者です。大西さんの身元確認ということでしたが、何か問題が?」


「いや、身分証明も見せてもらったんだけどね。こんなものは見たことがなくて」


 お巡りさんがルカの手元を指した。銀行のキャッシュカードと同じような、何の変哲もない証明カードだ。身元を証明するものと言われて出した身分証明証が普通の人とは違っていたらしい。

 それを指摘されて、山田さんは「ああ」とうなずく。こういう質問はよく受けているのかもしれない。


「特例用の証明証です。総務省に問い合わせていただければ、照合できますよ」


「それはいいんだけど……このお姉さん、怪我はないの一点張りなんだよ。どう見ても脇腹を切られているのに」


 お巡りさんに言われて、ルカは服の切れた脇腹をさっと手で隠す。勤勉な警察官はまことに立派なことだが、血も出ていないのにしつこいったらない。

 山田さんはルカの様子を視線を走らせただけで確認して、お巡りさんに向き直った。


「ご本人が大丈夫とおっしゃるなら、大丈夫なんだと思います。僕があとで確認します」


 かばってくれたと思ったのに、無表情黒スーツがしれっと特大の爆弾を落とした。


「か、確認って何を見るつもりですか!」


 思わず叫んだルカを、山田さんは黒瞳でじっとりと睨んだ。


「あとで怪我を見せてください。具合を確かめます」


「そこまでしてほしいとは言ってないです!」


 ルカが電話で頼んだのは、ルカの身分証明についてだ。まっさきに兄に電話したが、夜だし風呂に入ったあと出歩くのは嫌だと断られてしまったのだ。意識高い系女子かよ。そういった事情で、ルカの正体を知っていてお役所仕事ができる人は山田さんしか思い浮かばなかった。

 すがる思いで頼ったというのに、当の山田さんは冷たく首を横に振る。


「あなたが無事かどうかなんて、あなたが判断することではありません」


「本人が判断できないことってどういうことですか……」


 もう礼儀もへったくれもなく顔をしかめたルカを山田さんは見下すように睨んだ。


「僕がこの目で見て無事だと判断できなければ、無事とは判断しません」


 めちゃくちゃだ。そしてどういうわけだかルカが怒られているのは分かった。というか何でこの人こんなに怒ってるの。


「あー…、彼氏さんとの痴話喧嘩は帰ってからやってくれますか」


 呆れ気味のお巡りさんをルカは睨んだ。


「この人、彼氏じゃありません!」


 ルカがあたり構わず噛みつくハメになった原因の黒スーツは、無表情にルカを睨むばかり。

 なんでこんなことばっかりなんだ。




 どうにかお巡りさんに大丈夫だと説明して解放されると、今度は山田さんに連れられて近くの公園のベンチに座らされた。

 ここは電灯の光源も遠くて、薄ぼんやりと明るいだけだ。

 それでもはっきりと分かるほど山田さんは呆れ顔で溜息をついた。


「……ひったくりを捕まえて、犯人に切られるだなんて、どういう人生を送っていればそういうことに遭遇するんですか」


 それはルカのほうが尋ねたい。

 仕事帰りにあの寂しい通勤路を歩いていたら、女性の悲鳴が聞こえてきた。

 何事かと思えば、スクーターに乗った二人組が爆走してくるところで、その手には女性物のバックが握られていた。

 ああ、これはニュースでよく見るひったくりかと思ったところで、ルカを第二の獲物に定めたらしい。ドラゴンの視力でよく見れば、二人乗りのうしろの強盗はナイフをチラツかせている。きっとそれでバックの紐を切って奪うのだ。

 しょうがないなと肩にかけたバックの紐を握らせたついでに、二人組ごとスクーターから引っ張りあげた。

 面白いほどきれいに釣り上げた二人は空中を舞い、スクーターは路上を滑って横転。

 地面に転がされた二人は地べたに這いつくばった。その一人が何を思ったのか、ルカにナイフを片手に切りかかってきたので、思わず魔力で作ったドラゴンの手で再び地面に押さえつけたところで、警察が来た。最初に被害に遭った女性が警察を呼んでくれたのだ。きっと彼らには犯人が見えない巨大な岩にでも押しつぶされているように見えただろう。骨は折れたかもしれないけれど、たぶん生きてはいたと思う。

 警察に事情を話していた途中で、女性がルカの脇腹に気がついた。あきらかに脇腹の服がばっさりと切られていたのだ。   


「なんか脇腹が痒いなぁと思ったぐらいだったんですよ。服を切られたときにナイフの先がかすったんですね」


 傷口を見せろと言われても、傷なんかないんだから見せようがない。

 その場に居た人たちと大丈夫だ、大丈夫じゃないの押し問答になって、困り果てて山田さんを召還することになった。

 山田さんはルカの話を聞いて、また深く溜息をついた。


「……それで、本当に傷はどうなっているんですか?」


 答えなければ無理矢理にでも服を剥いで確認する。そういう物騒な目で山田さんが見てくるので、ルカは渋々答えた。


「本当に平気なんですよ。たぶん鱗が結晶化して浮き出てます」


 人間のかさぶたのように、ドラゴンが人間に化けているときに衝撃が加わると鱗が可視化してしまう。もちろんドラゴンは戦闘機とぶつかったところで怪我はしないので、ナイフなんかで傷ひとつつかない。 


「……あなたのお兄さんが来ない理由が、なんとなく分かりました」


 山田さんは眉間を指で揉んで、長い溜息をつく。山田さんは薄情な兄の気持ちのほうが分かるらしい。この人も冷血漢だったか。


「犯人は失神していたそうです。うわごとで、化け物とうなされていたとか」


 悪いことをしたんだからちょっとは悪夢でも見るがいい。ルカが視線を逸らせると「大西さん」と言い含めるような声が留めてくる。


「僕は犯人の心配なんかしていませんよ」


 自業自得です、と山田さんは静かに話し始めた。


「あなたなら、ひったくりに襲われるのをうまく避けるとか、被害に遭った女性を助けに行って警察を呼ぶということだけでも十分できたはずです」


 無口で無愛想な印象の山田さんが、言って聞かせるようにして話すなんて思いもしなかった。ルカが思わず黙って見つめ返すと、山田さんはすこしだけ黒瞳から険を薄めた。


「あなたがドラゴンで、どれだけ強いかということも仕事柄、僕もよく知っています」


 この人は今わざとドラゴンという言葉を口にしたのだ。ルカの気持ちによく響かせるために。

 でも、と山田さんは続けた。


「どうでもいい犯人に脇腹を切られてしまうような、危ない真似をあなたにしてほしくない」


 黒い瞳はどこまでも真摯で、真っ直ぐだった。黙って彼の話に耳を傾けていたルカに、山田さんは柔らかに苦笑した。


「……きっとこういうことを、あなたのお兄さんは毎回おっしゃっているんだと思いますよ」


 どうしてルカがトラブルに遭うたびに、余計な手間を増やすなと怒られていると分かるんだろう。まるで兄が優しくなるバグでも組み込まれて転生して、噛んで言い含められたようだ。


(やっぱり人間って面白いなぁ)


 お人好しと兄にバカにされ続けているルカは、人間に裏切られたことなんて山ほどある。

 けれど、こうして山田さんのようにルカを心配してくれるのもまた人間だった。

 思わず「あはは」と笑ってしまうと、山田さんはムッと口を歪めた。


「僕の言っていることがそんなにおかしいことですか」


「あ、いえ。そういうことじゃなくて」


 誤解させてはかわいそうだ。山田さんは見た目通り、きっとこんな風に説得するなんて得意ではないはずなのに。


「山田さんみたいに心配してくれる人がいるから、やっぱり人間を助けて良かったなって思うんですよ」


 よっぽどおかしいことでも聞いたのか、山田さんは目を丸くしてルカを見つめると、呆れたように渋面を作った。


「……あなたのお兄さんのご苦労が偲ばれます」


 山田さんはまた眉間を指でもみほぐしながら、長い溜息をつく。ご苦労も何も、あの血も涙もない兄がルカのために動いてくれることなどほとんどない。


「この際だから言っておきますけれど、わたしに傷をつけられるのなんて、竜殺しぐらいですからね」


 竜殺しは、西洋のドラゴンにはドラゴンスレイヤーと呼ばれていて、竜を殺すために特別な魔法と技術を継承している特殊な人間のことだ。大昔は竜と人間はバチバチに敵対していたので、その頃編み出された技術を後生大事に受け継いでいる。そういう一族はいろんな国に今も居て、たまに現れるヤンチャな竜をこらしめる仕事を請け負っているらしい。竜にも色々いるから。色々な事情で竜ではなかなか討伐できない同族も、竜殺しなら捕獲から征伐まで出来るらしい。

 日々小市民として暮らしているルカは遭ったことはないが、おじいちゃんの昔話には必ず出てくるし、お父さんやお母さんは敵対関係でなくなった今でも苦手のようだった。


「だいたい、ホントに竜殺しなんているんでしょうかね。ほとんどお伽話の中の人ですよ」


 そう言って笑ったルカを、山田さんはじっと黒い瞳で見つめた。


「……あなたの目の前にいます」


「え? そんな怪談じゃあるまいし……」


 笑い飛ばそうとしたというのに山田さんが冗談を言っている様子はない。


「あなたが僕に感じている違和感は正しいものです。大西さん」


 真っ暗な夜より黒い瞳が、ぼんやりとした明かりを頼りにルカを映している。

 黒いビー玉のような瞳に見つめられていると、背中がちりちりと音を立ててざわめいた。

 ドラゴンの背中には逆鱗に繋がる鱗がある。それが警告するように逆立っている。


「僕がその、あなたの言う竜殺しです」

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る