第2話 迷子はドラゴン

 しかしいくら耳をすませてもどこも騒ぎになっている様子はない。

 さすがに人間には見えないよう魔法で姿を隠しているようだ。

 けれど、同族には丸わかりだ。


(誰だ、あんなわかりやすい子供だましの魔法使ってるのは!)


 人間を騙す程度の魔法は、ドラゴンにとっては簡単な手品のようなものだ。ちょっと魔法や魔術が使える人間にはすぐにバレてしまうし、見えなくてもビルに影ぐらいは映ってしまいそうだ。

 とりあえずルカは巨体の影を追って走り出す。ドラゴンなんてものが都会の空を飛んでいていいはずがない。そもそもルカたちのような人間社会に溶けこんで暮らしているドラゴンは都市部を、ましてやそのありのままの姿で飛ぶことさえ滅多にない。

 階段を駆け上がるようにして、ルカは空中に魔法で足場を作って助走する。同時に姿を隠す魔法も使っているからこの時点でルカの姿は一般人には見えなくなっている。普通の人には道端からルカが忽然と消えたように見えただろう。

 肩に提げていた通勤バックをルカ専用の物置である亜空間に放り込んで、もう一段大きくジャンプする。

 そうして空中で人には見えない翼を羽ばたかせた。完全に姿を隠す、遮断の魔法だ。ドラゴンでも特別な魔法を使わなければ音も聞こえない。ドラゴンは羽根を使って飛ぶというより、魔力を浮力と揚力に変えて飛んでいるので羽根はグライダーのようなものだ。人間の姿のままのほうが小回りが利くので、そのまま野良ドラゴンを追いかける。

 ばさばさと羽音を響かせていたドラゴンには、ビルのあいだに入りかけていたところですぐに追いついた。

 遠目にもわかっていたが、このドラゴンはまだ小さい。軽く見積もって三階建てのビルほどしかないだろう。

 ドラゴンの子供だ。

 それにもっと厄介なことに気がついた。


(この子、この世界のドラゴンじゃない)


 異世界に行ったドラゴンの一族だ。向こうはよほど環境がいいのかドラゴンの数が多くて、ドラゴン同士の小競り合いも多い。だから子供でも戦闘経験を持つ者が多くて、翼や鱗に細かい傷がある。それに異世界のドラゴンはなんとなく雰囲気が殺伐としているのだ。


(普通に呼びかけるのは危ないかも)


 最悪、出会い頭に戦闘になる。ドラゴンは見た目と違って温厚な生き物だが、警戒心も強い。ちょっとひと吹き、炎を吐いて危険が及ぶのは人間たちの住む街だ。うっかり火の海にしたら怒られるだけでは済まない。

 ルカはぱちんと両手を合わせる。するとぐるりと身体を囲むように魔法の網が球体となって現れる。これがこのまま結界になる。結界に隠れられれば人間はもちろん、ドラゴンにもほぼ見えない。魔法が得意なおじいちゃんに昔習った魔法だ。投網みたいだと言ったらやめてくれと渋い顔をされたいわくつき。それを一瞬で空中に解き放つと、ビルの谷間に隠れかけたドラゴンの子供が網にかかった。

 ギャッと声が聞こえると同時に、空へと引き上げていく。

 雲より上に引き上げてもいいけれど、今や空も人間の目が光っている。ドラゴンが飛行機に当たったところでまったく問題はないけれど事故はまずい。

 急に飛べなくなった子ドラゴンは何が起きたのかと結界の中でお座りして、きょろきょろと見回している。

 雑居ビルのあいだの慰み程度の公園の上まで連れていって、外界と遮断した結界の中で呼びかけてみることにした。


「おーい、大丈夫?」


 呼びかけるとぎょろりとドラゴンの目がルカを見た。


「──娘、我をドラゴンと知って……」


「あー、そういうのいいから。君、迷子?」


 ルカは話しながら人間の姿をやめた。

 堅い鱗に包まれた体が見る間に大きくなって、頭の角で結界を破りそうになる。大人のドラゴンは小さくてもビル七階分を越える大きさになる。ドラゴンは年齢に応じて大きくなっていくので、成人しているルカはビル八階分まで大きくなってしまった。鉤爪の指をくるりと回して角の部分だけ結界を直すと、足下の子ドラゴンはあんぐりと口を開けていた。


「お、おまえ! 同族か…!」


「うん。だから、人間の姿になれる?」


 話を聞くから、と言うと子ドラゴンは迷うように顔をしかめたけれど、素直にうなずいた。ドラゴンは年長者の言うことは大人しく従う者が多い。間違ってもおばさんって意味じゃない。

 子ドラゴンが結界の中で身体を縮めて人間の姿になると、やっぱり子供だった。でも角もしっぽもうまく隠して変化しているから、魔力の操作がうまいのだ。人間の姿だと十歳前後ぐらい。異世界風のズボンにチュニック、腰に巻いた布には小さな剣まで差している。柔らかそうな皮の靴は硬いアスファルトに降ろすにはちょっと気の毒だ。怪我をすることはないが、痛いはずだから。

 さいわいここは公園なので、ふたりで土の上に降りる。

 人間にはいきなりルカと少年が現れたように見えただろうが、夜の公園には人間はいない。

 少年は物珍しそうに淡い金髪の頭を振って、辺りを紫の瞳で見回している。初めて来たのだからきっとビルも珍しいのだろう。

 お飾り程度の電灯の下で、ベンチに腰掛けて話を聞くことにした。


「……ゲートに入ってしまったんだ」


 どうやら他のドラゴンが開けたゲートを興味本位で潜ってしまったらしい。ゲートとは向こうの世界とこちらの世界を繋ぐ、ドラゴン独特の魔法だ。異世界と繋ぐ魔法だから、大人のドラゴンでも使える者は限られる。


「ゲートの持ち主を追ってきたら、大きな光る墓場のような建物ばかりの場所に出てきてしまって……」


 たしかにビルを知らなければ墓石のようにも見えるかもしれない。


「ここは人間の都市だよ。それで、ゲートの持ち主は見つかったの?」


 ルカの問いに少年は首を横に振る。


「見つからない。探している途中で人間に見つかって、追いかけられたから魔法で姿を隠して逃げていた」


 元から目くらましの魔法を使っていたようだが、それを人間に見破られたという。


「この世界の人間は魔法なんか使わないと聞いていたから、追いかけられて驚いてしまって……」


 少年の姿とはいえ、二百年ぐらいは生きているだろう。そんな彼が驚いたのだから、よっぽど驚いたのだ。話を聞いたルカも少し驚いた。大昔なら魔術師もごろごろ居たが、今の時代ではもはや絶滅危惧種だ。見かけることも珍しい。

 そんな二人のいる公園に、かつかつと足音が響いてきた。誰かがビル街を猛然と走っている。

 革靴をかき鳴らして公園のそばを通り過ぎようとしたのは、黒いスーツの青年だった。少年が「あっ」と声を上げるのと同時に、青年のほうもふたりに気付いて、あっと小さく声を上げて立ち止まる。

 青年は迷うことなく公園に足を踏み入れると、ベンチに座っているルカたちの前にやってきて見下ろした。見下ろされる経験は人間の姿でなければなかなかできないことだ。

 青年はおもむろに少年ドラゴンとルカを見比べて、神妙に切り出した。


「……もしかして、お子さんですか?」


「違います!」


 間髪入れずにルカは答えた。

 いろいろ聞きたいことがあったが、いきなり子持ちにされてはたまらない。

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