第3話 青年は公務員

 ルカの否定に「それは失礼しました」と青年は折り目正しく謝罪する。

 あんなに走っていたのにほとんど息も乱れていない。いまどき珍しいぐらい真っ黒な黒髪を清潔感のある程度に切りそろえて、目もそろえたように真っ黒だ。そしてその表情は口以外は人形みたいにほとんど動かない。人間であるのは間違いないのに、得体の知れない青年だ。

 青年のほうはじろじろとルカが見ていることにも意に介さず、上着の内ポケットから名刺入れを取り出している。


「僕はこういう者でして」


 丁重に差し出された名刺を受け取らずにいられないほどには、ルカは社会人だ。思わず受け取って紙面を確認する。


「……総務省、異種族対策部第四課……?」


 彼に肩書きはないが、物々しい省庁名とよく分からない文字列に名刺を遠ざけたくなる。


「わかりやすく言いますと、人間ではない方とのトラブルを主に対処しています」


 人間ではない方というのはもちろんドラゴンも含まれるのだろう。ドラゴンという言葉を使わないあたり、ドラゴンだけではないその他の人外によく会っているのかもしれない。

 青年はルカが自分の身分を確認したところで、きわめて冷静に続けた。


「不躾で申し訳ありませんが、あなたもこちらの少年と同族の方とお見受けしたのですが……」


 この青年は一瞬でルカの正体を見破ったらしい。少年も驚いているところを見ると、彼を追いかけていたのはこの人なのだ。そういうことなら隠しても仕方ない。


「……同族ですが、一族ではないです」


 ルカが渋々うなずくと、青年は「そうですか」と確認するようにうなずき返した。この青年はドラゴンというものは一族単位の結束が強いということを知っているようだ。


「実は、僕はそちらの少年を保護するために追っていたんです」


 この公務員が言うには、街で発見したドラゴンが子供がついてきてしまったと言い出したという。それでこの少年ドラゴンを探していたらしい。


「いくら魔法で姿を隠していても、あの程度ではビルに影が映ってしまいそうだったので」


 青年の指摘は正しい。それを見つけてルカも少年を追いかけたのだ。ドラゴンの影が発見されれば、さぞネットニュースの一面を騒がせたことだろう。ルカのぼやきに青年も相づちを打った。


「そうなる前に捕まえて警告するつもりでした」


 街を許可なく飛ぶのはドラゴンといえど違反になるので、反則切符をきらなくてはならないという。スピード違反の車かな。


「そういうわけでしたので、少年を保護してくださり、ありがとうございました」


 そう言うと、青年は少年の前で視線を合わせるようにしてかがんだ。


「僕たちはあなた方を傷つけるつもりはありません。ゲートの持ち主は僕たちのところに居ます。ついてきてくれますか」


 公務員であることを差し引いても、内心はどうあれこの黒スーツの青年は少年ドラゴンにも敬意をもって接している。青年の態度には好感が持てた。

 でも少年のほうは暴れたりしないものの、いまいち信用できないようだった。その気持ちもわかる。ドラゴンを一番殺している種族は、どんな化け物よりも弱い人間なのだ。

「あの」とルカが口を挟むと、再び青年はこちらを見た。よく見れば整った顔立ちなのに、本当に表情のよく分からない人だ。黒髪で黒スーツという出で立ちもなんだか怖い。


「兄に連絡してみてもいいですか?」


「お兄さん、ですか?」


 そんなものがいるのかという視線だったが、ルカはうなずいた。人間社会に慣れている兄なら良い知恵をくれるかもしれないし、この青年が所属しているというよく分からない組織のことも知っているかもしれない。

「かまいません」と青年がうなずいたのを確認してから、ルカは亜空間に放り込んだ自分の鞄を取り出した。二人の視線がなんだかそっちのほうに興味を引いているような気がしたが、構わずスマホを取り出して兄へ電話をかける。

 正直電話に出てくれるか賭けに近かったけれど、兄は十コールぐらいで出てくれた。


『おまえ、また厄介なことに首をつっこんでいるのか』


 開口一番、溜息をつかれた。兄のことだ。ルカの魔力の反応でも察知して、この騒ぎを把握していたのだろう。


「異世界から子供が迷いこんでてさ。見つけたから保護したの。それで、この子を追いかけてきた人がいて……」


 話しながらさっき渡された名刺を改めて読む。


「総務省の、異種族対策部第四課ってところの人で……兄さん知ってる?」


『はぁ? 四課の連中が出てきてんのか』


 兄は不機嫌そうに溜息をついて、『名前は?』と聞いてくる。どうやら兄はこの対策室とやらをよく知っているらしい。兄に訊かれたので名刺をよく確認する。


「えーと、山田リョウ、さん?」


『よりによって山田か!』


『運がないな、おまえ』と電話口で兄は大笑いした。いわれのないことで大笑いされるのは居心地が悪い。ルカは口をとがらせながら質問を重ねる。


「知ってる人なの? この子、山田さんに預けてもいい?」


『おまえが連れて帰るわけにもいかないだろう。そのガキに親はいないのか』


「ゲート開いた人にくっついてきちゃったんだって」


『じゃあ、そいつに連れて帰らせろ。ゲートは開けた奴じゃないと元の座標が分からない』


 兄が言うには、ゲートは開いた本人でなければ元の場所に戻れないという。確かにルカが今ここでゲートを開いても、向こうの世界ではきっとまったく別の場所に開いてしまう。


『ちょっとガキに代われ』


 兄の言うとおり、少年に聞こえるようにスピーカーにすると兄の大声が公園に響いた。


『テメェでゲートも開けられねぇガキがうろうろすんな! 迷惑だ! 早く帰って修行しろ!』


 好き勝手に怒鳴り散らしてブツンと通話は切れた。相変わらず口の悪い兄だ。正直兄の意見には同意するが、ルカまで育ちが悪いと思われてしまうではないか。

 案の定、怒鳴られた少年は泣くのをこらえるようにうなだれている。


「あの……失礼ですが、お兄さんというのは?」


 公務員の青年、山田さんが無表情を少しだけ戸惑うように崩して尋ねてくる。


「上河神社の神主……と神様をしている大西です」


 神様はちょっと口にするのは迷った。でもあの神社の祭神は間違いなく兄なのだ。どういう経緯か知らないが、ありがたい龍神さまとして門前町を守っている。

 山田さんは上河神社と聞いて「なるほど」とうなずいた。


「あの大西さんの妹さんでしたか」


 兄が山田さんの仕事場でどういう扱いなのか、聞きたいような聞きたくないような言い方だ。とりあえず聞かないでおく。


「では、この少年の身柄は我々が預かります」


 山田さんの言葉に、少年はうなだれたまま押し黙ってうなずいた。

 興味本位で迷い込んだことは悪いことかもしれない。でも、捕まって叱られただけではあんまりだ。ルカは異世界に行ったことはないが、向こう側の世界はただ怖い世界だったと思いこんで帰るのはちょっと遠慮したい。返すほうとしても寝覚めが悪い。

 ルカはうなだれる少年に合わせるようにしてしゃがんだ。兄のせいでべこべこにへこんでいるのが可哀そうだ。ごめんよ、口の悪い兄で。


「ね、おなか空かない?」


 ルカの言葉に少年は少しだけ顔を上げた。


「わたしもね、おなかぺこぺこなんだ。何か食べてから行かない?」


 少年の目がわずかにまたたいて、鈍く生気を取り戻したように見えた。


「山田さん、何か食べてからじゃ駄目ですか?」


 山田さんはすこしのあいだ考え込むように顎を指先で撫でていたが、すぐにルカにうなずいた。


「あまり長い時間は看過できませんが、食事の時間ぐらいなら大丈夫です」


 僕は席を外しますので、と言われてそれもなんだか気の毒になった。スマホの時計はもう22時を指している。時間外労働もいいところだ。


「あの……よろしければ山田さんもいっしょにどうですか?」


 ルカの提案に、山田さんは目を丸くした。よほど意外なことを言ってしまったようだ。けれど、少しだけ彼は相好を崩した。


「……僕もご一緒して良いのなら」


 山田さんは少年を追っていて夕飯を食べ損ねたという。少年にも確認するように視線を向けると、彼も短くうなずいた。


「おれも構わない」


 子供の姿とはいえ、ドラゴンでこれぐらい大きくなれば分別だってつくのだ。

 じゃあどこで食べようかという話になって、山田さんとスマホで検索する。

 物珍しさで言うのならファミレスがいい。メニューがたくさんあるし。でもあいにくとファミレスは繁華街にしかなくて、ここから遠い。このビジネス街にあるのは早い安い旨いが売りのチェーン店。


「ごめん、ちょうどいいお店が近くにないや。牛丼でいい?」


「ぎゅうどん?」


 ルカの言葉をオウム返しする少年は首をかしげた。知らないのなら、土産話にはちょうどいいかもしれない。


「よし! 牛丼にしよう」


「大西さんはいいんですか?」


 スマホ画面の地図を確認しながら、山田さんがそんなことを尋ねてくる。


「元々おしゃれなフレンチ食べたいなんて思ってないからいいです。今日はキムチ牛丼食べたい気分なので」


「山田さんの定番は?」と尋ねると、彼は少し面食らったように頬を緩めて笑った。なんだ、怖い人かと思ったら笑うんだ。


「僕は、大盛りにして紅ショウガをたくさんかけて食べるのが好きです」


「あ、うちの兄もその食べ方好きですよ」


 山田さんとの会話に少年が戸惑ったように見比べている。大事なことを訊くのを忘れていた。


「名前は? わたしはルカ」


 大西は日本に住むために兄が作った戸籍の名前で、ルカという名前はドラゴンの名前の愛称だ。正式名はもっと長い。

 少年はそれを理解したのか、堅く緊張していた顔を少し崩した。


「おれはティニだ。──おまえたちの話を聞いていたら、“ぎゅうどん”がどんな食べ物か楽しみになってきた」


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