四話 グッドナイト 2

 学校が再開する。


 夏服姿の生徒達ももう二ヶ月もすれば見れなくなるのかと思えば、特に残念とも思わないし、むしろ二年も同じ光景が待っている現実。しかし、制服は今だけの特権なのではなかろうか。そう思うと、途端に貴重なコスチュームだと思う。


 俺と小春。席が隣同士なだけに、なんかじんわりと拒絶が伝わってきている。何故か、また眼鏡にポニーテール姿に戻ってしまったし。


 ここまでされると俺が悪いと暗に言っているんだろうけど、俺は唇を奪われた側だったのに。しかし、キスしてしまったのも事実で、あそこで桜子に怒れなかった俺自身に、今も困惑している。


 俺は、どうしてしまったんだろうか。そんな気の多い人間ではないはずなんだけど。


「いちち」


 うっかりして包丁でやった切り傷がしくっと痛み、思わず顔を顰める。


 日常生活にまで支障をきたしているこの事実を、どうにかしなければならない。


「泰斗」

「……なんだよ、小春」

「放課後、屋上に。そこで、うちの考えを言う」


 言うだけ言って、彼女は外に視線を向けた。これ以上は、話しかけても無駄だろう。そう思って、俺も自分の事を行う。


「あんたにも言ってるんよ、タカビー女」

「……はい」


 桜子も頷いて、満足したらしく、机に突っ伏した。寝るらしい。


 俺の考えも、もう決まっていた。だから、後は言うだけなのだが。


 ……どうなることやら。





 放課後の屋上に、ぬるい風が吹き抜けていった。


 夕方とはいえ、日はまだ高い。とはいえ、もう一時間もすれば赤く色づくだろう。そんな時間帯に、小春と、俺と、桜子は対峙していた。


「まず。うちが泰斗を好きなのは揺らがん。これは絶対や。その上で言う。もう三人で付き合おうや」

「なっ!?」

「…………」


 桜子は異文化カルチャー過ぎたらしく、目を見開いた。俺は、何となくそんなことを言うんじゃないのかと思っていた。小春は、不器用だが他人の気持ちが分かる人間だ。俺が桜子を気にかけていることに、気づいているのだろう。


「な、納得できません! そんなことをされても、嬉しくありません!」

「本音を言え」

「……三人でもいいので、振り向いていただけるだけで、充分なんです」

「よう言うた! 偉い!」


 小春は桜子の背中をバシバシと叩いた。


「……三人は、正直言うと微妙なんよ。けど、これが最善やろ。泰斗も、そうおも――」


 俺は、ぴしゃりと小春の顔面を叩いた。


「泰斗、なんで――」


「――――ざっけんな!!」


 怒号が、鳴り響く。静寂を劈き、低く、鋭く。


「俺は小春が好きだって言うつもりだった。好きだったから。けどなんだ、三人でって。なんでそんな考えが出てくる! 俺の意思を汲んだつもりか!? 確かに桜子のことを考えるようになったのも事実だ。けど、俺が好きになった女の子は、今んところ一人だった! そのはずだったんだ! 何故、小春は俺を独占したいと言ってくれない! そんなの、俺に対しての裏切りだろ! 三人で、とか、俺を馬鹿にするにもほどがあんだろ!」


 小春は、俺を信じてくれなかった。


 その事実だけが胸を刺す。チクリと、そして痺れる毒が、全身に回り、俺は正気ではいられなくなる。


「……この選択はしたくなかった。けど、お前らがそんなんじゃ、俺の考えは、こうだ。俺は、小春と別れる。そして桜子とも付き合わない。俺を信じてくれない女と、俺のことを考えない女……なんでそんなやつらと付き合わなきゃならねーんだ!」


 言う間に、歯を食いしばっていた。涙が頬を伝う。こんなことを言わなければならない現実が、あまりにも悲しくて。こんなことをしなきゃならない現実に、あまりにも嫌気がさして。


 二人は、何も言わない。いや、言えない。どちらかがハッピーエンドになるか、三人で大団円でも考えていたんだろうか。そんなことは、ありえない。


 椋鳥には軽蔑されるだろう。他の連中だって俺を嫌うかもしれない。


 それでも、嗚呼――それでも。


「俺は、本気で怒ってるからな。……家事はいつも通りするけど、それ以外で俺に話しかけてくるな」


 怒気を押さえつけるのに精いっぱいだった。


 胸が苦しくなるのを宥めすかし、俺は岐路を辿ろうとドアを開けた。


「……椋木」


 どうやら、聞いていたらしい。


「アナタは、正しいです。あのような結論なら、そうすべきでした。……軽蔑なんてしません。あれは、あの二人が致命的に悪い」

「……そっか」

「戻りましょうか。買い物にお付き合いします」

「おう、頼むわ。俺もちと、頭冷やさねーと……」

「ええ。アイスでも買いましょうか、物理的な行いに意味があるのかは分かりませんが」

「そだな」


 変わらない椋鳥の態度に感謝を覚えつつ、俺達はスーパーへと歩みを進めた。


  ◇


 この方法が、一番だと思った。


 二人で、付き合う。気になる幼馴染二人、これが最善だと、鵯小春はそう思っていた。


 けれども、現実は非情だ。


「……まさか」

「こうなるとは……」


 泰斗があそこまでの怒りを見せるとは、自身も、白鷺も思っていなかっただろう。現実を認めきれず、消えた背中を、いつまでも眺めていたが、ゆらりと恋敵が動いた。


「……泰斗さんはフリーになりました。いつアタックしてもいい」

「あんたは、それをせんよ」

「どうして、そう思うのですか?」

「泰斗が本気で嫌がることは……せんやろ。今の泰斗に話しかけたら、あんた、最悪殴られるかもしれんよ」

「……ですね。元はといえば、貴方がトンチキな提案をするから……」

「……すまん。あそこまで怒るとは思ってなかった……」

「怒る可能性を考えていたのですか?」

「少し。それは不義理だろ! ってのを考えてたんだけど……全然違った」

「……かなり、悔しいですよ。鵯さん、貴女は想われていた……心の底から」

「ま、ご破算やけどな。うちからすれば、勝手にキスしといて逆ギレしたのかとも取れんことないけど、あれはあんたのせいやって分かってるからな。……ホンマ、邪魔やなあんたって女。甘い顔したってええことないし」

「こっちのセリフです。貴女さえいなければ……」


 ……睨みあっていたのだが、アホらしくなって、どちらからともなく笑う。


「ま、その根性だけは認めたるわ、桜子」

「! ……ですが、まだ決着はついていませんよ、小春さん。絶対にわたくしになびかせてみせます」

「おうおう、やってみーや。うちが取り返す!」


 大事な人との距離が遠くなって。


 まさか恋敵との距離が縮まるなんて。微妙で、因果で……どうしようもなく……アホみたいな現実に、笑いしか出てこない。


 その日は、暗くなるまでお互い、泰斗の話ばかりしていた。


 ……またいつか。どちらの手を取るのかは分からないけれども。


 愛を囁かれる日々を、願って。

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