四話 グッドナイト 1

 夏休み最終日。


 昼飯のそうめん、玉子焼き、ウィンナー、サラダという食卓は、気まずい沈黙が流れていた。


 小春は食欲はいつも通りだったが、挨拶以外は無言で、そそくさと食べて去っていった。桜子も、どこか表情が暗い。


 が、そんなの知らんと言いたげに、瑠璃ちゃん先輩だけは明るかった。


「ねーねー、ウィンナーどんな食べ方がいいかなー。塩コショウは飽きたから味変したい」

「なら、ケチャップにマヨ混ぜてオーロラソースとか?」

「いいね! やってみよー!」


 この明るさが救いではあった。椋鳥は特に何も言わず、食事をしている。元々物静かな奴だったが、何やら考え込んでいる様子ではあった。いつもより食が細い。


 食事が終わり、俺はぼんやりとテレビを見ていたが、ふと揺すられて我に返った。


「ねーねー、テレビニュースから変えて。つまんない」

「うーっす。何見るっすかー?」

「あ、バラエティやってる。これでいいや」

「おーっす。瑠璃ちゃん先輩、練習はいいの?」

「夏のコンクールも終わったし、二週間まるっと休みなんだー。まぁ自主練しに行ってもいいんだけど、なんか憑き物が落ちたというか、疲れちゃって」

「お疲れっす。カルピスでも飲む?」

「飲むー!」


 ばんざいをする彼女に、少し濃いめにカルピスを作る。俺の実家が送ってきた支援物資(野菜や米)の中にあったものだ。お中元かよとちょっと思ったが、まぁありがたくはあった。


「椋鳥もいるか?」

「はい、薄めでお願いします」

「おう」


 二人分のカルピスを手渡す。椋鳥はそれを手に自室へと戻り、瑠璃ちゃん先輩はカーペットの上にゴロンと転がった。定期的に清掃して除菌スプレーなども掛けているので問題はないだろう。


「ちーっす。お、孔雀、いいもん飲んでんな」

「あげないよー、愛ちゃん」

「目代先輩もカルピス要ります?」

「おう。ちょい濃い目で氷たっぷり」

「うぃー」


 カルピス製造マシンと化した俺はすぐさま目代先輩にもカルピスを提供。彼女はそれを半分ほど飲み干すと、ソファーに腰掛けた。


「どこ行ってたんすか?」

「いや、夏休みも今日で終わりだろ? 仲間内の集会やって、各々予定で戻ってった。バイトしてるやつもいるし、恋人と過ごすやつもいるそうな。そうでないやつらはカラオケ行ってたぞ」

「カラオケついて行かなくてよかったんすか?」

「冗談じゃねえ。あたしのへったくそな歌に愛想笑いで拍手されんのは気分わりーんだよ」

「ああ、なるほど。お菓子なんかあったかな……ポテリコ大容量サイズとポテチ、どっちがいいです?」

「「ポテチ」」

「はいよー」


 目代先輩と瑠璃ちゃん先輩はめいめいお菓子を齧っている様子だった。


「二人って仲いいんすか?」

「ん? フツーだよね? 愛ちゃん」

「まなちゃんはやめろ。……こいつ、敢えて空気読まないから、まぁ、自然と仲良くなったのかもな」

「うん、そんな感じ。愛ちゃんは意外といい人だからね! お菓子くれるし!」

「うるせえな、ったく……」


 瑠璃ちゃん先輩の馴れ馴れしい距離感を、若干鬱陶しそうにしながらも邪険にはせず、そのままにしている。居心地が悪くないのだろう。二人の距離感が、何となく、今の俺には羨ましかった。


「瑠璃ちゃん先輩は夏休みの宿題終わってるっすか?」

「うん、まあ、後は数学が二ページくらい」

「目代先輩は?」

「あんなん真っ先に片してから休むだろ」


 二人とも案外真面目だった。小春もすでに俺と一緒に宿題を終えているし、何だかんだ心配はしなくても良さそうだった。


「羽斗さん、国語の文章題強化プリントって配られてます?」

「おう。ああ、なんだ。すり合わせしとくか?」

「よろしくお願いします。どうにも自信がなくて」

「椋鳥なら大丈夫だと思うんだけどな」


 椋鳥が持ってきたプリントを覗き込む。うん、俺達に出されてるやつと全く一緒だ。


「俺はここのニュアンスが違ってたな。曖昧ではなく、もう少し強い感情だと思ってた」

「それは考えたのですが、どうしてそう考えたのかが明瞭でなくて」

「体言止め使ってるだろ。それに、文章の最初と最後で同じ主張してて、この文も断言してるだろ? だから強い言葉なんだろうなって」

「なるほど……そう言われてみればそうかもしれません」

「つって、椋鳥の方が成績いいかんな」

「いえ、ワタシは昔から三回に一度くらい文章題で三角つけられますので。羽斗さんは?」

「……そういや文章題や小論でトチったことねえかも」

「でしょう。読み取る能力や察する能力に長けてるんです。ただ、最近はワタシでも分かります。桜子と鵯さん……何かあったでしょう?」

「……さすがだな、椋鳥。お察しの通り。今、小春とは冷戦中で、桜子とは会話したくない」

「何故ですか? 正直、カレーがマズくなるので話してください。解決できるかもしれません」


 冗談めかした様子で微笑む彼女。最近、何だか彼女との距離の近さを感じたりする。恋人的にではなくて、友人的に気を許してもらっている。そういう感じだ。


 だからなのか、意外とすんなり、俺の口から問題が飛び出した。


「桜子がキスしてきた」


 そういうと、普段眠たげな表情をしている椋鳥はまん丸に目を見開き、そして赤くなってそっぽを向く。


「……なるほど、それは爆弾ですね。で、鵯さんに見られたと」

「ご明察。小春はショック受けたみたいで、なんでか桜子は泣いてた。こうすることしかできないって言ってな。……俺はどうするべきなんだろうな」

「それは……羽斗さんの思うとおりにしたらいいと思います。今でも小春さんがお好きですか?」

「好きだ。けど……桜子の存在も、俺の中で、もう無視できないくらい膨らんでる」

「どうしてでしょうか? 何かあったのですか?」

「……あいつは、俺の思ってた腹黒じゃなかったんだよ」

「…………」

「あいつは、昔……俺の交友関係をムチャクチャにして、選民意識を植えさせてきた。そこから俺は更生して……まともな人格になった。友人を引きはがしていたと、ある女の子が嘘を吐いた。俺はそれを信じた。桜子はその嘘も何もかも、分かったうえで呑み込んでいたんだ……それでも、俺を好きだと言った。最近になって、その女の子と話す機会があって、嘘だって気づいたら――俺は、どれだけの仕打ちを、彼女にしたことになるんだろうって、つい考えた。……つれえよな。俺がこうなんだ。本人が受けた絶望は、想像ができない。……でも、小春が好きなのも、本当。あいつは俺を変えてくれた人だから。……誰も傷つかない方法って、ないもんかねえ」

「ありませんよ」


 椋鳥はズバッと一刀両断して、カルピスをひと口含んだ。


「でも、誰もが不幸になる方法なら、残念ながらあるんです」

「それって……?」

「アナタが、鵯さんと桜子との関係を、断つこと。アナタには罪悪感が残り、鵯さんは愛する彼氏を失い、桜子は本格的に絶望の淵に立たされる。でも、それ以上は何も起きない。喧嘩もしようがないし、厳しい視線に晒されることもない。ある意味では、一番優しいのかもしれません。ですが、その選択を取ったら、ワタシはアナタを軽蔑します。ワタシの知っている羽斗泰斗は、誰に対しても直情的に思ったことを言う。……そういう人だから、ワタシも気の置けない友人として、こうして話を聞いているのです」

「……そっか。サンキュな、椋鳥」

「いえ。でも、個人的には桜子を選んでほしいですけどね。彼女は、アナタの話ばかりしていました。髪が白くなった後も、ずっと、愛しそうに……。報われて欲しいです」

「……」

「まぁ、でも、それは全て、アナタが決めなくてはいけません。ですが、急ぐことでもないと思います」

「急ぐさ。……待ってる時間ってやつが、一番つれえんだ」

「……いえ。待つ楽しさというのも、確かに存在するのですよ、羽斗さん」

「そーいうもんかねえ」

「そういうもんです」


 どすッと横っ腹に一発貰った。目代先輩だ。


「困ったら言えっつってんだろ! 恋愛事は苦手だが、力貸してやんよ」

「あざす、目代先輩!」

「もー、泰斗くん。私も好きなんだからね?」

「え、瑠璃ちゃん先輩、どんなところが?」

「全体的に。顔も悪くないし、性格も何だかんだ世話焼きで優しーし」

「……あざす」


 瑠璃ちゃん先輩を撫で返しながら、俺は周囲を見る。


 一人で悩むことはないのだと、思い知る。俺には、こんなにいい友人(?)達がいるのだから。


「とりあえず、夕飯の買い出し行くわ。何がいい?」

「ハンバーグ!」「シチューで」「パン。バゲット」

「……なるほど。んじゃハンバーグシチューにしますか。ガーリックバターバゲット付きの」

「「「異議なし!」」」


 どうやら、夏休み最後の日は、凄まじいくカロリーに満ちた食事になりそうだった。

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