一話 ありふれた幸せ 2
完全に暮れる前あたりに、俺は解放された。南先輩はもう少し働くのだそう。これしきの労働で七千円も貰えるか! と今時珍しい熱い人間ではある。
制汗剤を改めて吹き付け、俺はそのまま小春と合流した。着物姿ではないが、無理からぬこと。着付けできるような人間は寮にはいない。
「おっす、泰斗! うわ、汗だく」
「しゃーねーだろ……今まで灼熱地獄のまま焼うどんなんか焼いてたんだから」
「それもそっか! 行こ! どんなんがあったか聞いていー?」
「いや知らん。俺はほぼバイト先の屋台に付きっきりだったから」
「ほんじゃ一緒に見にいこっか!」
「あ、まず紹介したいとこあるから来てくれ」
「うん」
俺はバイト先に顔を出した。驚いているのが大将と南先輩。要さんは、ほう、という表情をしていた。
「紹介しときます、彼女っス」
「彼女でーす、どうもー……」
さすがに初対面の全員を前におっかなびっくりになってしまうのは無理からぬことだろうな。俺も緊張するだろうし。
「マジだったんだな、泰斗……。そっか、おめでとう! そして死ね!」
「ええのあれ、爽やかにサムズアップをひっくり返しとるけど」
「甘んじて受け入れるしかねえ。先輩の時、頼まれたらめっちゃアシストします!」
「よし、良く言った! それでこそオレの後輩だぜ!」
「これが男子の友情か……ギブアンドテイク……?」
要さんは首を傾げていたが、さておき。
俺達はデートに戻った。まず、射的からすることになった。
これ、実は珍しい遊技らしい。落とせる軽いお菓子なんかがねらい目だ。あのコルクでゲームハードが落ちるはずもないが、的が大きく狙いやすいためか、子供はみんな挑戦する。いい商売だな。
小春も狙ってはいるが、重心も定まりにくいコルク銃を狙って当てるのは至難の業。大まかな狙いはあれど、五割は運だ。しかしさすがサッカー部レギュラー。普通に当ててキャラメルを落としていた。
「やるな」
「泰斗も頑張って!」
俺はラムネ菓子を狙うが、中々当たらん。
小春は溜息を吐いて、オレにべったりくっ付いて腕を絡める。
「わ、ちょ、俺汗くさいぞ!」
「ええって。……そう、あんまブレたらあかんの。……」
俺も集中して、何とも言えない青色のプラスチックのケースを狙う。細いので当たらないとは思うが、当たったら確実に倒れるだろう代物だ。
ぱん、と軽い音でコルクがはじけ飛ぶ。見事に当たって、俺達は顔を見合わせた。
「さすがだな小春!」
「いやー、うちの指導のかいあったわ! おめでと、泰斗!」
二人でハイタッチをしながら、お互いの戦利品を摘まみつつ次へ。
次はかき氷のようだった。オーソドックスないちご、めろん、ブルーハワイにみぞれ、レモンなどから、コーラ、マンゴー、グレープ、ピーチ、オレンジ、変わり種の極みのようなミント味まで出ている。どういう味するんだよ、ミントって。
小春はイチゴと練乳。俺は新規開拓しようか迷って、日和ってグレープ味を頼んだ。ミントは興味あったけど、いざ選ぶとなると迷いが生じた。四百円も払うのだ。もし合わなかったら地獄だし、小春と一緒にいる時間を不幸という名のどぶに一瞬でも捨てたくない。
「グレープちょっとちょうだい」
「いいけど、シロップってどこも同じ味だぞ」
「ミントも?」
「ミントなあ……どういう味するんだか……50円ならミント味にしてたかもな」
「気軽に試せんよね、四百円ちゃ」
「学生の四百円舐めちゃいかんよな」
「そうそう。あー、欲しいシューズもあるし、もう少し節制しないとなー」
「お、なんだよ。スパイク?」
「うん」
「そういや誕生日っていつ?」
「八月七日。あ、誕生日に買ってくれる? なんて」
「いいぞ」
「ちょ、あかんよそんな気軽に! 一万強するんよ!?」
「おおう。でも全然プレゼントできる値段だ。俺は貰っても嬉しくないものをやるつもりはないし、聞けて良かった。型番教えといて」
「んじゃ、えっと……アディダスのコパシリーズのピュア1ジャパンのやつ。硬い土と人工芝用のやつ。練習の時履きたいの」
「サイズは?」
「24.5」
「オッケー」
「ほ、ホンマにええの……!?」
「良くなきゃ言わんて」
それなりの貯蓄はあった。俺はロクに趣味がなかったし、溜まる一方ではある。
それに全員分の食費も浮いてる分は貯金してるしな。卒業する時に分割した代金を持たせる野望もある。男子連中のもそうだ。
「……うち、誕生日プレゼントなんて、友達からもらったことないん……」
何だか泣きそうになっている彼女の額を人差し指で小突く。
「バーカ。友達じゃないだろ。彼氏だ、俺は」
言ってて照れくさくなって、顔の火照りを自覚しながらかき氷を口に含んだ。甘くて、溶けてなくなっていく。自分の体の一部となって消えていく。
「泰斗の誕生日はいつ?」
「え? もう終わったよ、四月の十六日」
「来年はぜったい盛大に祝うけんね! 絶対よ!」
「何対抗意識燃やしてんだよ……」
負けず嫌いなようだった。まぁ、そりゃ勝負の世界にいるんだからそうでなくちゃダメなんだろうけど、なにもお祝いにまで対抗意識燃やさんでも。
「小春って好きな食べ物なんだ?」
「ん? んー……焼肉?」
「そっか。じゃあ八月七日は焼肉にすっからな」
「……泰斗、うち、体くらいしかあげられんのやけど……あだ!?」
「祝われろ。今までがどうだったかは知らんけどな、俺の彼女になった以上、誕生日や記念日は祝われるもんだと思っとけ。ま、とりあえずは七月末だな」
「?」
「付き合って一ヶ月記念日」
ぷっ、とそこでようやく小春が笑う。
「そんなん女子が気にするやつやん!」
「うっせーな! いいだろうが嬉しいんだし!」
「あはははっ! うん、嬉しい! ありがと、泰斗!」
「おう」
そう返し、俺達は再び歩き出す。
「んお、唐揚げだ。買おうぜ」
「うちあっちのタコ焼きがいーなー」
「んじゃ」
「うん、両方一人が買ってシェアね!」
「おう、んじゃそっちのタコ焼きの屋台で合流だ!」
「おー!」
そうして、俺達は気に入った屋台で食べ物を制覇しに掛かり、例年通り花火大会が行われる。河原は人気スポットで人が埋まってたが、高台にある神社に俺達はやってきていた。先輩曰く、ここがもっとも見やすくて人がいないスポットなんだとか。
「おー、でっかー! 綺麗やね、泰斗」
「ベッタベタなこと言っていい?」
「ん?」
「……その、小春の方が綺麗だよ」
「うわ、ベッタベタ」
「だから先に確認したろ」
「やからって言う? フツー」
「の割には恥ずかしそうじゃん」
「そりゃ恥ずかしいセリフやし」
「ひっで」
不意にキスをされる。俺も身を乗り出し、彼女の口の中に舌を入れた。
お互いの唾液が絡み合い、顔が離れると少し糸を引いた。
「……スイッチ、入っちゃったじゃん」
「外だぞ」
「……戻ったら迷惑かけるし……いこっか。学生でもいける場所教えてもらった」
「……お、おう」
「あ、ゴムは先にコンビニでかっとこ。備え付けのは怪しいけんね」
「だな」
食べ物の空の容器をごみ箱に捨て、俺達はコンビニに向かい、そうして夜の街に消えていった。
翌日。しっかり元気な俺の横で、今度は少しだるそうな小春が机の上に伸びている。朝食を待つ間、だらーっとしていた。
「うあー、久々にしんどい……。昨日の泰斗元気過ぎやろ……」
「二ケース買っといてよかったぜ」
「うちら精力と性欲強い方なのは確かやし、あってよかったわ、ホント。でも大満足やったで。うちら相性ええな!」
「そうだな」
実は結構ぎりぎりだったのだが、まぁそれはいいか。
「およ、鶺鴒先生、何してるんすか?」
「あん? 掃除だよ掃除。週一でやることにしたんだよ。お前のおかげで高いところもどうにかなるしな。アタシも朝飯食うから寄越せ」
「うーっす、今日はハムエッグチーズトーストと昨日煮込んどいたミネストローネ」
「おう。ていうかお前ら朝帰りはやめろ、いくらなんでも。目代だって外泊する旨は伝えてくるんだぞ。これからは連絡しろ。んで、ヤるのは勝手だが絶対避妊しろよ、いざとなっても庇わねえからな」
「するなとは言わないんすね」
「そんなもん高校生なんて真っ盛りじゃねえかよ、押さえつけるとどこかで歪むんだよ。いーんだよ、分別ついてりゃパンパンパンパン、ヤってようがヤッてまいが」
今更だがこんなやつが寮母でいいんだろうかと思ってしまう。本当に今更ではあるが。
「って、そういや、男子寮の方は修繕が進んでるみたいだぞ」
「お、そうなんすか?」
「なんー、泰斗。戻る気なん?」
「いや、荷物の移動が想像以上にめんどかったからここにいたいけど。つか戻っても家事しには来るけどな」
「よねー! さっすが泰斗、男前!」
「よいしょせんでいい。俺もお前ら心配だし……でも先生もやる気を取り戻してくれて嬉しいっす!」
「そんな気にさせてくれたのは、お前だよ、羽斗。お前が頑張って家事をしてくれたから、アタシももう一回頑張ってみたくなったんだ。そんで、教えてくれてるだろ? アタシの家、だーれもそういう事してなかったからさ……基礎の基礎から教えてくれるの、ホントに嬉しかったんだ。家庭科とかあったけど、学生時代はぶん投げてたからさ。……ホント、お前がここに来てくれて感謝してる。ただ、まぁ、行為の時は声をなるたけ抑えてくれ。さすがに聞いててビビるから」
「あ、すんません」「ごめん、鶺鴒先生」
「ま、ほどほどにな。今日はそのハムエッグチーズトースト教えてくれ!」
「オーライ、簡単レシピなんで見ただけで大丈夫っすよ!」
「おお、そりゃ楽しみ!」
こりゃ俺も男子連中の家事をしに行くだけ、という日は遠くないのかもしれない。
専用の台にのった彼女に色々教えていく。
「いっすか、まずバター。んで溶けたら片面を大体三十秒強火で焼く。きつね色になったら引き上げて、今度はオリーブオイルを垂らして、ハム焼いて、卵割って……そうそう、で卵の上に塩コショウ。んで、焼けたパンの面をセット、目玉焼きの上にチーズ乗っけて、火が通り切る前にその面を卵にかぶせる。ここまでを素早くな。んで、ひっくり返して二十秒。焼けてくるんで、引き上げる。はい、完成。あれば乾燥バジルなんか振るといいっすね」
「ほー。意外と簡単なんだな」
「俺はドルチェマシンでコーヒー作ってるんで。センセはなにがいっすか?」
「チョコチーノ」
「小春は?」
「カフェラテ」
「あいよー」
マシンを操作しながら、頑張る先生を見守りつつ、マシンを起動させる。
ご機嫌な朝食までは、もう少しと言ったところだった。
夏休みも十日に差し掛かる頃、瑠璃ちゃん先輩が忘れていった弁当を届けに行くと、桜子の姿が見えた。
「桜子ー」
「あ、羽斗さん! どうしたんですか、学校まで」
「俺は瑠璃ちゃん先輩に弁当届けてた。桜子は自習か?」
「ええ。期末では無様なところをお見せしたので、次こそはいつもの順位に返り咲きます」
「具体的に何位だったんだ?」
「十位以内には入っておりました」
「そりゃ立派なもんだ」
「あの、良ければ……自習、していきませんか?」
「わりーな、これから特売なんだよ。桜子、食べたいものがあったら言ってくれよな」
「で、では……エビフライを」
「おう、了解。全力は尽くすけど丸まらないように祈っといてくれ」
切り方でまっすぐなエビフライにできるのだが、たまーに丸まるんだよな。美しくないので海老天としてはなしだ。俺も九割九分九厘成功するが、それでも稀に丸くなってしまう。プロとは呼べん。
じゃあ、何にしようか。タルタルソースにするか? いいかもな、爽やかピクルスとレモン果汁を多めに……
「羽斗さん」
ずっと、引っ掛かりを覚えていた。
昔の桜子は、俺を泰斗と呼んでいた。何故、彼女が俺を名字で呼ぶのかが分からなかった。分かろうとしなかった。
だって、以前までの桜子は明確に俺の敵であったから。ある意味、俺を変えた人間だ。悪い方向に。
でも、今はどうだろうか。
ネガティブなイメージは、薄れつつある。どころか、最近は割とプラスなイメージだ。じゃないと、わざわざ俺から声を掛けたりしない。勉強を頑張ろうとしていたり、バイトを頑張っていたりと、ちゃんと人に見られながらでも努力できる性質に変わろうとしている彼女を、素直に応援してやりたい気分になった。だから、マイナス方面のイメージはまだ根底にはあるが……それでも、俺の中でのイメージは、良い。
「どうした、桜子」
「鵯さんと、別れて頂けませんか? わたくしと、お付き合いをしましょう」
「……何で今言う。幸せの絶頂の俺に」
「今だから、です。羽斗さん、今までは、貴方は疲れたことはなかったはず。仕事にも影響しているでしょう? 明らかに、鵯さんと交際してからです」
「ああ、そりゃそうだ。疲れるもんなんだぜ、男女関係って」
「鵯さんも、動きが悪いです」
それを聞いて、俺は動きを止めた。
小春……。
そうか、疲れないはずないもんな。あいつ、夏休みも休みは一日おきにあるとはいえ、十二キロ走りながら日々の練習こなして、性交渉までこなしてんだ。疲れてねえはずがねえ。
彼女の本位であるサッカーに影響がある以上、もう少し、俺が遠慮すべきだ。
「今、羽斗さんは自分が遠慮すべきだろうと思ったでしょう?」
見透かされていたらしい。心臓を掴まれたような気分で彼女を見上げると、くすくすと微笑んでいた。天使のような、悪魔のような。両方同居したような微笑みだ。
「わたくしなら、遠慮する必要はありません。いついかなる、どんな時でも、貴方を受け入れられます。好きなのです。……どうか、考えてくださいませんか?」
「なるほど、そりゃ無理だ」
「ど、どうしてですか……?」
「疲れる疲れないも、俺の影響があいつに悪かどうか、それはあくまで俺と小春の問題だ。何でお前がしゃしゃり出てくる。俺と、小春は、お互いが好きでそうしてんだ。何一つ後悔はないし、恥ずべきことは何もない。小春もきっと同じ気持ちさ」
そう振り返って、俺は立ち去る。彼女はノートを取り落としたようだったが、それはどうでもいい。俺にはかかわりがない。
さーて、買い物買い物……。
遅れてやってきた心臓の高鳴りをおさめる。告白というものは、こんな関係のないやつにまでドキドキさせられんのがホント……。
「……おっ」
豚ヒレ肉特売もらい!
と思ったら、手が重なる。
「……あ、すんませ……あれ!?」
「こちらこそ……えっ!?」
俺と女の子は目を合わせて驚いていた。横からおばさんがひれ肉を掻っ攫うが今はどうでもいい!
「百舌鳥ちゃん!?」
「泰斗くん!?」
思わぬ出会いに、俺は衝撃を受けるのだった。
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