四話 溜息と微熱 3

 カレーというものは、日本人であれば誰でも親しみのある料理だろうと思う。


 基礎が詰まった料理でもある。野菜の皮を剥き、切って、下処理をし、肉を焼いて、野菜に油を回し、炒めて、水を入れ、煮る。そこに元……すなわちルウを咥える、といった工程を踏まなければならない。


 こう工程を並べるといかにもめんどくさそうだが、実際にやってみると三十分で煮込む段階にまで片が付くほど勝負の早い料理でもある。


 俺持参のアルミ製の寸胴鍋を用いて作る。一度沸騰させてしまえば後は放置で出来るのも簡単でいいが、今回は火が通るまで煮込む作り方をする。


「よし、椋鳥。まずは野菜の皮を剥くんだ」

「はい」

「包丁は置け。こんなものを買って来た」


 ピーラーを手渡す。表面を削ることで皮むきが可能となる便利アイテム。


「しかし、包丁で剝かないとカッコ悪いです」

「プロだってピーラーは使うぞ。家庭料理なんざいかに便利な道具を頼って、時短するかが肝だ。包丁は万能だがそれに特化はしていない。このピーラーは皮むきのために生まれたサラブレッド。ピーラーは恥じゃない。どころか、下手なやつが包丁を使うとじゃがいもの実まで削ってボロボロになるんだぞ。食いでがなくなるのは嫌だろ」


「……嫌です」

「大人しくピーラーを使え。包丁は慣れてからでいい。まずは、落ち着いて切ったりする動作になれろ。それからだ」


 俺は包丁でじゃがいもの皮を薄くそいで下ごしらえをする。椋鳥もピーラーで皮を剥き始めた。


「そうそう、そんな感じ」

「やはり包丁の方がカッコいいですね」

「慣れだけど、俺も最初の頃はよく怪我してたよ。だから、追々な。今日はピーラーでやってみようぜ」

「はい」


 そうして、全部の芋剥きと人参の皮剥きが終わる。玉ねぎは半分に切って、そこから向いていくとやりやすい。どうせ半月状にして薄切りにする。


 繊維に沿って千切りを覚え、じゃがいもを角切りにし、ニンジンを乱切りにしていく。


 知識はあると言っていた。手つきは危なっかしいが、それが活きている。


 初心者とは思えないレベルで、ゆっくりとそれらをこなしていく。


「お前できるじゃん! スゲー、最初からこのレベルかよ!」

「そ、そうでしょうか……?」

「おう! これができるんなら肉じゃがとシチューもできっからな。今度やってみるか?」

「みます」

「よしよし。んで、解凍した豚小間を炒める。その間に、六分間くらいじゃがいもと人参ははラップかけてチンだ」

「……煮込まないのですか?」

「煮込んだっていいけど、こっちの方が早いのさ。ま、冬場と夏場はおとなしく煮込めばいいんだが」

「何故ですか?」

「冷房暖房ガンガンたいてるとブレーカーがな、落ちたりするんだ……」

「なるほどです」

「ま、そんなわけで、玉ねぎが透き通るまで炒めてみてくれ」

「はい。……あの、鍋振りをしたいのですが」

「あー、あれな。俺もガキんころやってた。あれはチャーハンとかでやると良くないんだよなあ。業務用の奴じゃないとどうやってもフライパンの温度差がるし。でも、まぜっかえすの覚えてたら楽だから、ちょい練習してみようか」


 中火に掛け、椋鳥の手を覆って、一緒にやっていく。


 こうやってコツを仕込んでもらえれば大方のやつは一発だ。椋鳥は意外に器用なので、こういうのも大丈夫かもしれない。


「こうやって、鍋を前後させる意識だな。ってどうした、椋鳥。顔赤いぞ」

「て、手を、握られると……」

「あ、気にしたか。すまん」

「いえ。……でも、大体わかりました。こういう感じですか?」

「そうそう。もうちょい遠慮をけして、パワーをあげてみろ」

「…………」

「そんな感じだ。出来るじゃん!」

「そ、そうでしょうか」

「おう。んで、透き通ったし、肉も入れて肉に火を通す。まぁ、肉は煮込む段階で入れると食感が柔らかくなるが、好き好きだな。俺は豚からでた脂を他の野菜に吸わせるために炒めてる。お、じゃがいもと人参も良い感じだな。ラップ外す時には蒸気に注意、簡単に火傷するから絶対気を付けろよ。で、肉に火が通ったら残りの人参とじゃがいも入れて、じゃがいもの表面が透き通ってくるまで炒める。よし。んで、良い感じになったら、この寸胴に具材を入れる。んで、旨味の出ているフライパンに水を汲んで、そこから水を足していくわけだな。ただ、テフロン加工のフライパンは急に水を差すとテフロンがはがれやすくなる……まあ別にいいけど。んで、沸騰するまで放置……する前に、隠し味を入れる」

「何を入れるのですか?」

「俺は濃い口少々、ハチミツ少々、インスタントコーヒー少々、ウスターソース少々、ケチャップ少々かな。冬は牛乳差したりするが夏はやらない」

「何故ですか?」

「腐りやすくなるからな。ちなみに自衛隊のカレーは隠し味にコーヒー牛乳を入れているぞ。なんかで見た」

「なるほど……」

「他に入れるならバナナやリンゴのすりおろし、スパイス類だろうな。後ローリエ。今回はコンソメも入れちゃう」

「ふむふむ」


 椋鳥は味付けのメモを取っているようだった。感心感心。


「後は沸騰してしばらく置いて味をなじませ、そこから再度加熱してカレールウを入れて完成だ。それまでに、料理に使った奴の後片付け。出来るか?」

「教えて頂ければ」

「おう。洗剤をツープッシュくらいで、スポンジモコモコさせて洗っていく。肉を切る場合だが、まな板は最後にしろよ、衛生的に。出来ればまな板なんかは肉切った後は熱湯殺菌するといいんだが、まぁ、めんどかったら洗剤で充分だ。今回は肉は切ってないので、各自しっかり洗う。できそうか?」

「はい、多分」

「よし。じゃあ俺は風呂を洗ってくっから。沸騰したらジャガイモやニンジンに火が通ってるか確認な。竹串でも菜箸でもなんでもいいから確認。確認したら火を止める。俺は男子寮にもいかなきゃだから、帰ってきたら一緒にルウを入れよう。後、米は研いでセットしてあるから、米研ぎは飯食い終わったあとに教えるよ。ハンバーグは男子寮でタネだけ作ってくる」

「お願いします」

「よし。んじゃ、行ってくる」

「いつもすみません」

「気にすんな、俺が好きでやってんだ。料理に興味があるって言ってくれて、正直、嬉しかったぜ。んじゃ」


  ◇


 良い人だな。改めて、ワタシ――椋鳥梢は、最後のまな板を洗って乾燥棚に立てかけながらそう思った。


 第一印象は少し怖い人だったが、料理を一生懸命作っている姿に、数十分で印象が変わった。


 ことことと煮えていくカレーになるだろうスープ。沸騰してきたので、火を止めて、煮えたかどうか菜箸で見てみる。


 レンジでチンしたこともあってか、どれも火は通っているようだった。蓋をかぶせて、少し休憩することにした。


 ホットコーヒーを飲む。ドルチェグストマシンを使い、キャラメルマキアート。ヌタバで買ったソースもあるので、入れてみる。より甘く、お店っぽくなった。


「ふう……」


 羽斗泰斗。


 家事ジャンキーな人だと思っていた。けど、大車輪の活躍を見せる彼の動機は、人への感謝の気持ちの表し方だった。


 正直、作法や所作は荒っぽい方で、少し苦手だと感じなくはない。けれど、行動は確実に誠実で、自分なりの義理を持っており、それに篤い。


 桜子の想い人でもあり、鵯さんとも凄く仲が良い。


 そんな彼に嫌悪感を持つ人間は、この寮にはいないだろう。


 ワタシも、カレーを作ってもらえてうれしかったし、こうして作り方まで真摯に教えてもらって、褒められて、悪い気はしない。


 彼は、自分にとっての当たり前が人にとってのあたりまえでないことをよく知っている。だから、人ができないことを馬鹿にしないし、むしろできる範囲なら助けてくれるような人だ。


 だからこそ、前の男子寮で家事をしていたのだろう。


「……」


 静かだ。羽斗さんが来て、桜子が来て、大分賑やかになったこの寮。


 それでも、こうやって静かな時もある。


 そんな時間も好きだったが、一度羽斗さんたちといる賑やかさを知ってしまうと、物足らない。


 早く戻ってこないかな。


 なんて、思ってしまいながら、つい長くリビングに居座ってしまう。自分は興味がないと言わんばかりに本を読みながら、話に聞き耳を立てる。とんだかまってちゃんだ。


 そんなワタシにも、羽斗さんは容赦なく話題をぶん投げてくる。遠慮がない。それが、たまらなく心地がいい。


 どこか一線引いていた友達の輪に、入れた気がして。


「……ふふっ」


 少し嬉しくなりながら、しかしその静寂に耐えきれず、リビングに設置してある大きなテレビの電源を点けて、適当なニュース番組を見る。


 それをBGMに、置きっぱなしだった鞄から文庫本を取り出して、ページを開くのだった。

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