三話 爆弾 4
ダメもとで小春を誘ったのだが。
「ええよ」
ごくあっさりとそう返ってきてビビり散らかし、俺は本当にいいのかよとさんざ尋ねたが、最終的に「しつこい! 行くゆうてるやろ!」と怒られてしまった。ええ……?
そんなこんなで、週末になり、俺達は送迎バスに乗ってゆられていた。
バイト先に休む旨を伝えたら、要さんが「羽を伸ばしてきて。いつもお疲れ様」と労ってくれた。
俺は外の風景を眺める彼女に、チョコの棒菓子を差し出す。
「ほい」
「ありがと」
二人しておやつを摘まみつつ、俺はちょっとドキドキしながら小春を見る。
一緒に温泉旅行とか何考えてんだよこいつは……。お菓子を喰っているこいつはリラックスしたようにだらっとしているし。
「ん? どしたん、泰斗。なんか緊張しとるみたいやけど」
「そらするわ。異性と一緒に一泊とか。……いいのかなあ」
「自分から誘ったくせになんやそれは。ま、ええやん。いいとこそーやったし、楽しまな損よ」
そうニカッと快活に笑う彼女はそう言って外を眺めるのを再開した。俺も外を見てみる。
景観はよかった。都会を走り去り、田舎へと足を踏み入れる。大きな橋を渡りつつあり、美しい河川が穏やかに流れていた。天気も良く、絶好の行楽日和。
こうして、旅行が始まった。
高級温泉旅館ということで、学生である俺達は舐められる可能性もあったけど、従業員の教育が行き届いているらしく、俺達に変な視線を向けるやつはいなかった。
小春はお土産コーナーを早速見ているようだった。目星をつけておくのも悪くないだろう。俺もそれに倣う。
「おー、この餅みたいなやつ美味そうだな」
「うん。あ、こっちのカレーせんべい椋鳥が好きそう!」
「喜びそうではあるな。俺はとりあえず職場と寮用にデカいのを何か一個買おうかな」
「なるほど。うちも部活でおっきいの買おうかなー。泰斗、寮のは半分だすから」
「ああ、それがいいな」
「泰斗、なんか持ってきてる? 夕飯足りなかったら困るやん? ここで何か買うべきか悩んでるんよ」
「ああ、カップ麺二個持ってきてるぞ。夜食が必要な時のために」
「さっすが泰斗! うち、そこまで気が回らんかったわ」
「せっかくの旅行にカップ麺もどうかと思ったんだがな。ま、食わないならそれに越したことないし、お菓子もまだある。心配はしないでいい」
「うん! おお、こういう場所でもこういう剣とかのキーホルダーあるんやね。あ、木刀ある! せっかくだし買って帰る?」
「何がせっかくだからなんだ……」
「あ、んじゃあ、せ、せっかくやからさ……お揃いのキーホルダーでも買わない?」
「ん? いいぞ。何にすっかなー……小春、任せていいか? 俺、こういうセンス壊滅的なんだよ……中学の頃、美術は2だったし……」
「うち、美術は4やったな。まぁ、それなら……」
ピンクの小鳥と、色違いの青い鳥を手に取った。アクリルキーホルダーか。
「これにしよ! ガッコの鞄に付けるわ!」
「俺も鞄に付けようかな。あ、今更だがそういう目で見られるかもだぞ」
「ええよ、泰斗なら。さ、買おう! あ、微妙にピンクの方が安いんか。じゃあ、このピンクの鳥を泰斗が買って。こっちの青い鳥はうちが買う!」
「分かった。お互いにプレゼントだな」
「ん!」
会計を済ませ、ひとまずそれは大切にしまうことにした。
上機嫌な小春と一緒に、案内された部屋に入る。
綺麗な和室だった。畳のいい匂いがする。トイレとシャワールームはついているが、大浴場がある。シャワーは使わないだろう。
給湯ポットにお湯を確認。
「小春、お茶でも飲むか?」
「うん、貰う」
緑茶のアメニティの封を破って淹れていく。
まずお湯は茶器に。お湯の温度を下げてから、ティーパックを沈める。
「ほい」
「ども。あちち」
それでも熱かったようで、しばらく置いて冷ますようだった。
と思ったら、急に脱ぎ始める小春。思わず反対を向いた。
「な、何してんだよ急に!」
「いや、旅館の浴衣に着替えよーと思って」
「だから、改めて言うけどお前可愛いんだって! 自覚しろ! 襲うかもしれんだろ!」
「泰斗なら見られてええし。うちの知ってる泰斗は、そんなことせえへんもん」
けらけらと笑う彼女に血が上って、俺は思わず小春を抱きしめた。下着姿の彼女は、思わず真っ赤になっている。
「……こういうこと、したくなるんだよ。だから、ちょっと……気を使ってくれ」
「……」
彼女は、離れようとする俺を抱き寄せた。
彼女はまっすぐに俺に向き直る。まつげが長い。顔立ちは幼さを残しつつ、愛らしく整っている。瞳の力が、俺を動けなくする。
だから、跳ねのけられなかった。いや、退けようという意思がなかったのかもしれない。
そう、キスされそうになりながら思う。ゆっくり近づく顔。だが、分かってしまった。こいつが俺を抱きしめる手が震えてたから、怖いと思うのが。
それが、俺を動けなくしていた見えない鎖を断ち切らせる。抱きしめられてはいるが、距離を、取れた。
「小春。怖いならやめとけ。……小春、正直に言うぞ。俺は、お前が誰だかわからん。昔、俺と遊んでたって言うけど、俺の親友はハルヤなんだ。急に、ハルって呼べって言うようになって……んで、ハルヤとは、それっきり。小春、お前は……誰なんだ?」
「……誰でも、ええやん。泰斗、そんなに真実が知りたい?」
「誰か分からないうちは、俺はお前とそういうことをしたくない。お前は昔俺と遊んでた。それは間違いない。けどお前はハルヤじゃない。お前は誰なんだ、小春」
「……それは、泰斗自身で思い出してほしい。思い出せるように、うちのことを見ててほしい。でも、思い出してほしくない。誰なのかわかったら、うちと……泰斗は、ただの友達になるかもしれん。それは、嫌なんよ」
呼吸をし、今度こそ彼女は、俺の唇を奪った。俺は、嫌だと言ったのに。問答無用だと言わんばかりに。
甘い残り香が鼻腔に燻る。彼女の甘い体臭が、脳髄を揺さぶる。目の前の女の子を抱きしめたい衝動にかられたが、これ以上は戻れなくなる。
友達にも、親友にも……知り合いにさえ。
それが怖くて、俺は少し彼女を突き放す。
しかし、彼女は悲しむ様子はない。潤む瞳は、俺を見据え続けている。
「好きよ、泰斗。好きでもないやつと旅行なんか行かん。好きでもないやつにキスなんかせん。好きでもないやつとお揃いのキーホルダーなんて付けたくもない。変わろうと努力できる人。そして、実際に変わった人。あんたを形成するすべての人々に感謝しながら、もう一度、言うわ。好いとるよ、泰斗。この世界中の誰よりも」
何か言おうとしたが、それはアメニティのせんべいを咥えさせられ、かなわなくなった。
「……返事は今でなくてええ。どうせ今は断るんやろ? ……やから、うちのことを思い出したあと、改めて、返事を聞かせて欲しい」
言葉が出なかった。物理的にもだが、せんべいがなかったとしても、俺は何か言えたのだろうか。
いきなりの告白に、嬉しさより勝ったのは戸惑いだった。何より、彼女の好意にあんまり気づけなかった自分に驚いた。
だが、当の本人はそれでこの話は終わりだという風に、笑みを浮かべた。いつもの、ソーダを思い出させる、爽やかな笑み。
そんな甘い笑みをしないで欲しい。我慢が、できなくなる。俺の心が知覚過敏のように、彼女の一挙手一投足で、痛みを覚える。
俺の事が好きで、そのことを返事もさせてくれない。
ただ俺の中での彼女に対するバイアスが狂って、何をしていても……心に居座ってしまう。
「さ、着替えよ! 泰斗もさっさと脱ぎいや。温泉旅館に来たらな、浴衣を着んとあかんの」
「……決まってんのかよ、それ」
せんべいをかみ砕き、ようやく絞りだせた言葉に、小春は浴衣を着ながら頷いた。
「うん。さっさと着替えりー」
言われて、ようやく錆びついていたように動かなかった俺の体が動く。
浴衣を着て、何事もなかったかのように談笑を始める小春に相槌を打つが、俺の心は、ふわふわと浮足立って、どこか遠くの出来事に思えてきたのだった。
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