二話 ディスタンス 1

「んっ!」


 日曜日。学校は当然ながら休みで、六月ならではの行事みたいなのもないので、平和な時期だ。雨期とは言うが、今年はあんまり降っていない印象だ。降り過ぎても困るが降らなくても困るのが雨の厄介なところ。何事も過分は往々にして良い結果を生まないものだ。


 さておき、俺はバイトで、早朝からの仕込みと休憩を少し挟み、昼の業務を終えて帰って来た。時刻は十六時半。今日は特売品も大してなく、どう時間を潰そうか迷っていたところ、リビングを出ようとした俺へ、小春がチケットを一枚渡してきた。特売のチラシよりも上質な紙だな。


「なんぞこれ」

「この間払ってた、届けブリハマチのライブのチケット。行かへん?」

「おお、俺も行っていいのか?」

「うん、泰斗と見たかったけん」


 俺と見たかった? それってどういう……?


 訊ねようとしたが、小春は眉を顰めた。


「って、うわ、汗くさー! はよシャワー浴びてきぃ!」

「あー、うん。制汗剤振れねえもんなあ……飲食で……」


 そうか、臭ったか……腋臭とかではないが、やはり臭うのだろうな。俺の疑問は棚上げすることにして、シャワーを浴びることにした。飲食店などは臭い的に制汗剤NGのところが多いのだが、せめてフライヤーの場所だけはOKにしてほしいものだ。六月ですらこの調子だ、夏本番なんか地獄だぞ、マジで。臭いなしのやつを今度こっそり施しておこう。今シトラスの匂いしかねえし。


 多分待ってくれているので、急いでシャワーを浴びて髪顔身体を洗う。今度こそ制汗剤を振って、髪も乾かぬまま準備を行う。五分袖のオーバーサイズの黒いシャツに、ジーンズ。これならそんなに浮かないかな、ライブでも。生憎グッズなんてのは持ってないし。初耳のバンドだし。俺の趣味に合うといいんだけど。


 玄関で待っていた彼女は、片手をひょいと挙げた。俺も同じ仕草を返す。


 彼女の格好は、ダメージジーンズによく分からん英語の書かれた半袖のシャツ、そして缶バッジがついたデニムっぽい質感のワークキャップ。シャツの上から分かる発育の良さ。なんというか、こう、ロックというか。金髪だからなのか、そう言う感じの格好がよく似合う。


「お、来たね、泰斗!」

「お待たせ。いこーぜ、どうせならいい場所で見たい。どこのライブハウス?」

「ふっふっふー、このバンド、メンバーがメジャーどころばっか集まってるコラボのグループだからいきなりホールなんよ! 席は前から八列目」

「お、そこそこいいじゃん」

「やろー? 泰斗も絶対気にいるけん!」


 ちなみに、土日は大体カレーだ。椋鳥が催促するので、土日は作り置きの効くカレーを仕込むのがルーティンとなってしまった。たっぷり作るのだが、きっかりなくなるのも怖い。ご飯は炊飯器で予約してあるし、温めるだけなら連中でも出来るはずだ。


 ホールは最寄駅から二駅いったところだ。都会とは違い、福岡とはいえど田舎は列車の本数自体が少なく、かつ駅から駅への距離も長い。自転車で行くのにも気合がいる距離だろう。俺達も無難に列車で向かう。


 ホールの前では結構な人が集まっていて、入場の時間となって人々が吸い込まれていった。俺達もその中に加わる。開始五分前にはほぼ全席が埋まっていた。


「音楽のジャンルは?」

「メロコア」

「って……何?」


 音楽に疎い俺に呆れもせず、小春は首を傾げながら腕を組み、上手い言葉を見つけようとしてくれている。


「まぁ、ちょっとテンポ速くて、ディストーションギターが凄くて……まあ、超ざっくり説明するとロックの系譜かな」

「ロックね、なるほど」

「そ! 元気出る歌詞が多いから、メロディーに身を任せて、歌詞を頭の中で反響させるんよ。楽しも!」


 刹那。照明が消え、そして舞台だけが輝きを得る。


 唐突に奔る、ボーカルの人のシャウト。歪んだギターの音が空気を痺れさせる。世界の中心が一気に彼らへと成り代わったかのような錯覚さえしてしまう、強烈な引力に、俺は釘付けになった。


 生の音楽って、すげえ。繰り出される変幻自在な声音も、哭くようなギターの音も、脳に叩きこまれるようなスピード感のあるドラムも、それらすべてを支えるベースの音も。


 エネルギーにあふれている。情動的な歌詞さえも一体となり、音の一つ一つが音楽へと変わっていく。


 曲が終わった。周囲は拍手や歓声を上げる中、俺は度肝を抜かれて、ただ舞台の上を見つめることしかできなかった。


 キラキラしている。あんなにも、音楽をやってる人って、熱量があるんだ。


 いつも、動画サイトで静寂に耐えきれない時に流している音とは違う。


 まるで意志そのものをぶつけられるかのような。それに高揚している自分がいた。


「小春、スゲーな、音楽って……!」

「でしょ!」


 そう笑いながら、こちらにペンライトを渡してくる小春。

 無我夢中で、俺もこの一体感に飲み込まれてペンを振る。煌びやかな時間は、あっという間に過ぎていき、興奮醒め止まぬまま、電車でも喋りまくり、最寄りのコンビニでジュースを片手に語り合う。


「三曲目がいっちゃん好きだったなー」

「あれ新曲なん。よかったやろー、作曲者がボーカルの人のファンで、ボーカルの人のイメージソングなんよ! いやどんだけすっきゃねんって感じ!」

「分かるわー、なんかこの人にこう歌ってほしいっていうか、そういう愛みたいなの伝わる伝わる」

「やろー? ホンマあのバンド最高やねん。CD貸すわ」

「おう、借りる。無駄に高音質で取り込んでやるぜ」

「高音質で音楽聞きたいがために、うちはフォンドロイドなんよ。ナップルはナップチューンズの操作がうざったいし。どーせならハイレゾで聞きたいやん? 愛しとーよ、ヘクスペリア」


 わざわざ紫色のケータイを取り出して頬ずりしている。剥き身のまま、カバーなどは付けない主義らしい。あの仕上がりじゃ滑りそうだけどな……。


「俺は安めだからビクセル使ってるわ。廉価版のやつ。大体は動くしあれでいい」


 俺も取り出してみる。オレンジ色の元気なカラーに惹かれて購入したのだが、まぁ、不満はない。普通にネットも見れるし、ポケットにちゃんと収まるし、付き合いのソシャゲもちゃんと動く。個人情報を抜くような国などが作ってないので安心感があった。


「そういや他の人ってケータイ何使ってんだろーな。俺の友達はみんなナプフォンなんだが」

「孔雀先輩はナプフォンの……なんだっけ。最新型のミニのやつ。目代先輩は知らん。タカビー女はありゃ最新型ナプフォンのプロ使ってる。梢はなんだっけ、大銀河の最新型。寮母先生は禅だったかなー、確か」

「なーる」


 ついでに笹見もナプフォンだ。日本人と言えばナプフォンらしいが、まぁ、そんなの強制されても。できることはほぼ同じなんだし。


 というか、未だに寮母先生の姿を見ていないのが恐怖なんだが。小春が言うには、深夜に起きて飯を食い、昼間はリモートで授業をこなして夕方に寝るんだそう。よく教師が務まるよな、それで……。確かに夜に一人分取っておいてと小春に言われたからそうしてるけど、きっかりなくなってるからな。


「いやー、にしても音楽はあんま興味なかったけどハマりそうだわ。サンキューな、小春」

「いいって! 泰斗には世話になっとるし、うちも行きたかったし、んで推しのバンドのファンが一人増える! もう間違いなくハッピーの循環やん! それと、うちの趣味に付き合ってくれて、ありがと。嬉しーよ!」


 そう笑わないで欲しい。本当に目の前の小春が可愛くて仕方ない。心臓の鼓動が逸るのを感じながら、視線を逸らす。


「ふふっ、泰斗は分かりやすいんよね。……昔っから」

「え? 昔?」

「そ。覚えとらんめーね、そりゃ」

「ああ。小春、なんて名前の女の子、俺は知らん」

「そうやね。だって、泰斗は――おっと」


 言い過ぎたか、というように、彼女は手で口を塞ぐ。


「え、おい。説明してくれって」

「嫌。やって、さみしーやん? 自力で思い出して。あんたには、親友がおったはずよ、女の子の」

「???」


 桜子以外の女の子の友達……? そんな奴、いたのか? 俺には分からない。分からないが――何故か、小春を見ているととある男の子を思い出す。


 ハルヤ。俺の人格形成に深く根付いている、俺の友達。桜子と一緒にいて、自分が人より偉いと、子どもながら愚かしいことを思っていた俺へ、本気で殴って怒ってくれた人。他人の威を借りることの恥ずかしさと、頑張っている人への尊敬を教えてくれた熱い奴。本気を出して遊んで、つかみ合いの取っ組み合いの喧嘩をした、友達、いや、親友。


 なぜ、男の子の顔が、小春にダブる。


 顔立ちはカッコよくて、帽子が似合ってて、運動神経抜群で。俺がこうなりたいと思った、一番カッコいい男子なんだ。


「……女の子ねえ」


 ハルヤの面影を小春に重ねるなんて。

 俺ってひょっとして、そっちのケがあるとか? いやねーわ。女の子の方が好きだ。


 確実なのは、俺と小春は、昔に出会っていたことがあったということ。


「……小春。お前、ハルヤって呼ばれてたか? それと、兄妹いない?」

「いんや、ハルヤなんて呼ばれてないよ。そしてうちは一人っ子。でも、そっか。ふふっ」


 何なのだろうか。上機嫌になったらしくて、先ほど聞いた音楽の鼻歌を歌いながら先をいく彼女を、戸惑いながら追いかける。


 ハルヤの妹かと思うけど、そうじゃないのか?


 じゃあ、小春。


 

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