一話 最悪の再会 4
「し、白鷺桜子と申します! よろしくお願い致します!」
俺は土曜日、大空のうどんへ桜子を紹介した。本来、俺はシフトには入っていないのだが、緊急らしく入ることになる。桜子のフォローもしたかったので丁度良かった。
見た目だけは可愛らしい桜子に、大将は喜んでいたが一人娘の要さんは厳しい視線を向けている。無理もない。この人、新人に厳しいからな。俺も四月はぼろくそに言われながら、なにくそと思い仕事をこなしたものだ。
ただ、この要さん、致命的に不器用ですぐに油でウッとなる体質らしく、俺はすんなりと空いていた仕込みとフライヤーのポジションに収まってしまった。それからというもの、意外に要さんは面倒見がよく、気にかけてもらっている。
桜子の殊勝ともいえる緊張気味の挨拶に、笑ってみせたのは大将の鶯谷宗吾さん。
「おう、嬢ちゃん。バイト初めてなんだってな。配膳と伝票見てタッチ式のレジ要員、先輩はウチの娘の要が教えるから。要、手加減してやれな」
「仕事な以上、ビシバシ行くから。いくら泰斗の紹介だろうと最低限の罵倒を受け止める準備だけはしといてね」
「は、はい!」
要さんは冷たく見えるかもしれないが、いつもこんな調子だ。ミスをちゃんと怒ってくれるので、緊張感を保ったままバイトができる。
俺は既に前段階の一度揚げを行っている。滲む汗をタオルで拭いつつ、溜息を吐いた。大丈夫だろうか、桜子のやつ……。
そんな俺を、要さんが見上げてきた。この人ちっちゃいんだよなあ……。レジには彼女専用のお立ち台があるくらいには。
「泰斗、暑くない? フライヤーはちゃんと塩分と水分取らなきゃダメだよ?」
「あちーけど、働いてるって感じするからフライヤーは好きっすよ。油ものがダメな要さんの分まで頑張るっす!」
「ありがとう。平日は鴨川さんが頑張ってくれてるけど、土日はいないし。頼りにしてる」
「おっす!」
「お前はまともな敬語使えたら最高なのになあ……。まぁいいや、今日も張り切っていくぞ!」
「おーっす!」
「うし、いい返事だ!」
そんなわけで、バイトが始まる。
大空のうどんは人気店。あっという間に忙しくなっていった。まず、桜子は見学。三十分学びの時間を与えられ、そこから機械やらを操作し、配膳などを行う。
なるほど、桜子は相変わらず要領はバッチリのようだ。愛らしい容姿に愛嬌があり、丁寧な口調が素で飛び出して、あっという間に仕事を覚えていく。要さんも二言くらいアドバイスするだけで、何ら問題もなく仕事は進むかに見えた。
「ちょっと、何で冷やしじゃないんだよ!」
「え? 温かい鱚天うどんでしたよね?」
「オレはいつも冷やしで頼んでんだろうが! 間違ったことくらい分かれよ!」
「……」
ニコニコしていた桜子だったが、圧が増した。ああ、そうだった。こいつキレやすいんだった。何か言うだろうなあ、絶対。
「そんなの知ったことではありませんし、いつも来てると仰る割には店員の顔すらも覚えていないのですね」
「ああんっ!? 何だとこの……!」
「ふんっ」
「いだっ!?」
桜子に容赦なく拳骨を落としたのは、意外にも大将だった。
「この人は常連なんだよ、嬢ちゃん。これからは覚えておいてくれや」
「そうだ大将、もっと言ってやれよ!」
「けどな、いつも来てようが俺の店で、しかも俺の店の店員にその横柄な態度は頂けねえよな。そもそもお前が間違ったのがいけないんだろうが。人のせいにしてんじゃねえぞ!」
「んだと? じゃあもう来ねえよ!」
「そうか。達者で暮らせよ」
なんなんだよ、とイライラして帰っていこうとしたサラリーマンだったが、要さんに腕を掴まれた。
「んだよ!」
「会計。それと、お前何様のつもりだ。お客様は神様じゃないんだよ、お前と同じ、働いて、金を貰ってる身だ。それでご飯食べさせてもらってんだよ。それが分からないなら、お前は二度と飲食店に入るな」
「…………」
神妙な顔をした男は、頭を下げて金を払い、どこかへ消えていった。
大将は渋い顔をして桜子を見ていた。彼女は怒りが醒め止まぬようで、眉をつり上げている。
「嬢ちゃん、あれくらい捌けないようじゃウチには置いておけねえぞ。飲食店は舐められやすいんだよ、何故か、な。お客様は神様だとかいうどこかの馬鹿がほざいた言葉が根付いちまってる。大体が組織に属して金貰ってる同じような連中だってのによ。サービス受ける側に回っちまうと、すぐにそれをみんな忘れちまう。ここでやっていきたきゃ、我慢を覚えな。確かにお前の言い分は正しい。ただ、それがこの場における最適解にはならねえことの方が多い。でも、そのまっすぐさは美点だ」
「父さん、正直に世間知らずって言葉の方が納得しやすい。いい、白鷺さん。周囲に合わせてたらあんな対応しないわよね? あなたには協調性がない。自分の言動が人の迷惑になる可能性を全く考慮してないでしょ。自分が一番正しいと思っている。その意識は全部捨てて。これができないなら辞めてよね」
「…………分かりました」
桜子はやはり納得しがたい、という顔で頷いていた。俺は働いて金を貰うことの大変さを両親を見て知っていたので、大体のことは我慢できる。けど桜子はそうじゃない。思い通りにならなかったら、いつも親か金の力が働いていた。
でも、今は両方ともがない。それを痛感しているのだろう。しかし、彼女は頬をぴしゃっと叩くと、いつもの笑顔を浮かべた。それを見て、要さんも、ほう、と顎を撫でている。
「いらっしゃいませ!」
新しく入店したお客さんに、可愛らしい挨拶が飛ぶ。
そっか。変わろうと頑張ってんだな、こいつなりに。
俺も俺の仕事を、ちゃんとしますかね。
新規ではいった海老天を揚げながら、俺は塩分補給タブレットを一つつまみ、かみ砕くのだった。
帰り道。
桜子と一緒にコンビニに寄って、缶ジュースを買う。今日は俺が奢った。
綺麗に整えられている爪でプルタブを開けるのに苦労してた桜子だったが、何とかぱっかんとそれを開けて、コーラを恐る恐る飲んでいる。
「……甘いですね」
「労働の後には炭酸ジュースが染みるもんさ。たまにりんごジュース飲みたくなるけど」
「労働……やはり、難しいですね。大失敗です……常連さんが一人、こなくなってしまいました」
「気にすんなって。ああいう手合いはどーせまたやってくるんだから。それに、変わろうって努力してたじゃん? 最初から仕事自体は問題なかったわけだし、やっぱすげえわお前」
俺も買っていたサイダーを半分ほど飲み干し、口元を拭う。
「俺なんか大変だったぞ。三日目に厨房入れてもらうまでは、敬語もロクに使えないし要さんには怒られてばっかだったし。お前より絶対に酷かったね」
「やめよう、とは思わなかったんですか?」
「微塵も。なにくそ、だったら完璧にやったろーじゃん? って頑張って覚えたね。敬語はどうにもならなくて、で、試しに厨房入れさせてもらったらそこで文句なしって褒められてさ。んで、毎朝の仕込みと土日のフライヤーってわけさ。で? 俺ですらこなしていた仕事を、もうやめる気になったのか?」
「まさか。次は絶対に完璧にこなしてみせます」
「それでいい。モチベーションはなんだっていいんだ。ちゃんと前向きに稼げ」
「……はい!」
そうしていると、赤いパーカーにデニムの半ズボンの小春が片手を挙げながらやってきた。何も不思議じゃない。エトワール荘から最寄りのコンビニだし、ここ。
「よっす、泰斗と白鷺。バイトお疲れ。ジュース?」
「おう。小春は?」
「好きなバンドのライブのチケット支払い」
「なるほど、どのバンド?」
「届けブリハマチ、ってバンド。最近結成されたんよねー、イイ感じ!」
「そう言えば小春はどっかでバイトしてんの?」
「いや? そんな暇あったら勉強か部活してろ、やって。勉強柄じゃねー」
「ははは、ガンバ。出てきたら余分に買っておいたミルクティーをやろう」
「おー! サンキュー、泰斗! 明日の朝ご飯はなーに?」
「ジュリアンスープとガリバタトースト」
「ジュリアンスープ?」
「まぁ、あらゆる具材が細切りや千切りになったコンソメスープのことだ。キャベツ、玉ねぎ、ベーコン、じゃがいも、あらゆるものが細い」
「おお、コンソメスープにガリバタ合いそう! んじゃ、二人はここでちょっと待っとって」
言うだけ言って、出てくるまで待つことに。
「そういや、何でお前ら仲が悪いんだ?」
「昔、羽斗さんと一緒に遊んでいた時の、他校の女子のグループのリーダーだったんです。で、まぁ、遊び場所を奪うために周囲へお金を撒き、そしたら殴り合いの喧嘩になって……」
そういえば、顔に痣を作っていた時期も、あったような気がする。なるほど、その頃の知り合いか。
……ん? 俺……なんか、今思ったら桜子以外に遊んでいる子がいた。百舌鳥ちゃんと一緒に遊んでいる途中に出会った、金髪の男の子。そう、ハルヤだ。桜子が家の用事でいない時はずっと、ハルヤと遊んでいたっけ。
でも、何で今思い出した? 小春の顔を見て? 何で男子を連想したんだろう。
深い考えは、頬に当てられた冷たい感触ですべて忘れてしまった。
「つめてえよ小春!」
「あはは、しかも泰斗にじゃない。ほい、バイトお疲れさん。初めてやと緊張したやろ?」
意外にも、桜子に差し出されたのはソーダ味のアイスキャンディ。おずおずと桜子はそれを受け取り、コーラが残っているのにもかかわらずその場で開封してしまった。
「お前同時攻略するつもりか……」
「あ、つい……」
「あー、家で冷凍すればいいかなーって思ってたんやけど。んじゃコーラちょうだい」
「だ、ダメです! これは羽斗さんに貰ったコーラなんです!」
「ちぇー。泰斗、ミルクティ」
「ほらよ」
ペットボトルのそれを渡すと、小春は嬉しそうに笑う。
「あざーっす! んじゃ帰ろ! 腹下しても知らんぞー、タカビー女」
「だったらもっと別のものを……いえ、いいんですけど……」
緊急性の高いアイスから食べることにした桜子。あ、頭押さえてる。キーンってなったんだろうな。早く食べ進めようとすればするほど、アイスってやつは牙を剝く。
なんだかんだ、小春は優しいんだよな。多分、桜子の様子を見に来たんだろうし。
「ん? なん、泰斗。こっち見て」
「いや。いい奴だな、小春」
「今頃気付いたと? ま、泰斗には負けるけどね! パンツ一枚くらいあげよっか?」
「マジで!?」
貰えるなら貰っておく主義だ。おかげで駅前のスーパーを梯子することになっているので、ポケットティッシュには困っていない。
しかし、常識的に考えてその行いと思考回路が解せないのは確かだ。現に桜子が真っ赤になって食って掛かっている。
「や、やめなさい、鵯さん。はしたない!」
「えー、別にええやん、下着くらい。毎日泰斗にべろべろされてるんよ?」
「えっ!?」
驚愕しかない、という表情でこちらを見る桜子。顔面蒼白じゃん。面白いなお前。
「いや、桜子。信じるなよ。するかよそんなこと。金貰ってやってることなんだぜ、家事は。まともに、真面目に誠実に! こなしてるに決まってんだろ」
「でもまぁ、ムラッとはする?」
「するけど、なんか下着の匂いが集まると生々しくてちょっと引くぞ」
「あー、そういうもんなんか。ま、頼むわ」
「小春はサッカー頑張ってるからな、俺も頑張るぞ」
「あれ、ユニとかソックスとか洗濯は頼んでないのに、なんでしっとーと!?」
「火曜と木曜と土曜は練習で、月曜と水曜と日曜は早朝走りに行ってるの知ってっからな。で、金曜日は完全オフの日。超回復か? ちなみに知ったのは偶然買い物の帰りに河川敷のグラウンドで汗まみれになって動き回ってんの見たから」
「あー、なるなる」
「自分で洗ってんのか、練習用ユニとか」
「いーや。マネジが全部やってくれると。サッカーに打ち込むために」
「……俺もフォローするから、なんかあったら言えよ」
「ありがと、泰斗! バランスのいい、美味しい食事をよろしく!」
拳を向けられるので俺はそれに拳を軽くぶつける。
「任せろ」
……やっぱ、女子も頑張ってるんだよな。
桜子も慣れないバイトを頑張ろうとしている。小春は、サッカーを見た時、目を奪われるほど輝いて見えた。無論、実際に発光しているわけではない。けれども――まばゆく見えた。何よりも鮮烈に、鮮やかに、煌めいていた。
俺はそんな舞台に上がれるほど、まっすぐな性格や性根ではない。でも、彼らに何かをしたいという気持ちに嘘は粉微塵も含まれていない。
だから、俺は家事で力になりたいのだ。
そうしたら、少しは。
――「お前は、何をがんばってるんや! がんばってないやつが、がんばってる奴を、バカにすんなや!」
……あの日、ハルヤに言われた言葉を、綺麗に叩き返せる気がして。
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