一話 最悪の再会 1

 休日を挟んで、翌日は月曜日。平日だ。


 俺こと羽斗泰斗の朝は朝の四時から始まる。朝にアルバイトを入れさせてもらっていた。

 うどん屋にはもう明かりが点いている。人気うどん店、大空のうどん。ここはうどんの人気も凄まじいが、様々な種類のてんぷらを使用した天丼も人気で、特に昼間は忙しい。休日は俺も入っているが、正直目が回る。ホールもやったことがあるが、俺は今はてんぷらのネタの仕込みと実際に揚げるフライヤー、そして食器洗いを担当していた。


「おう、羽斗。エビ背ワタとイカの仕込み包丁と今日はキス天もあるからキス捌け。ていうか魚捌けたか?」

「うっす、大丈夫です」

「よし。やれ」

「おっす!」


 言われた通り、大振りなエビの背ワタを取ってまっすぐにするために交互にきれこみを入れていく。イカは吸盤をしごき落として口を切りおろし、頭を引っこ抜いて分離させてから切っていく。ゲソ天は人気だ。やれることは怠らない。


 ぱっぱと手早く作業をする。その一枚目を、いつも店長である大空泰仁さんが確認してくれていた。


「よし、今日も上等だ。俺がやるより上手いんじゃねえか?」

「いやー、それはないと思います」

「はっはっは、よし。その調子でエビは百、イカは五十、キスは五十、これは背開きで中骨だけ落とせ」

「おっす!」


 今日もバリバリバイトしてやるぜ。いつも早朝だけだ。休日は日曜日だけ真昼間から夜まで働いているが、今日は月曜日。普通に学校がある。


 俺はただ体の動くまま、全力でお客様に出す品を作るために、包丁に魂を込めていった。





 助かったぜ、と店から解放されたのは六時半。エトワール荘に戻ってシャワー浴びて天気予報確認。昨日の生乾きの洗濯物を屋上に出して準備オーケー。朝食の仕込みをしたら、あっという間に七時十五分だ。

 寝ぼけ眼の鵯が相変わらずのTシャツ姿で降りてくる。


「んー、おはよー、羽斗」

「おはよ。朝食食うか?」

「食べる……何?」

「今日はオムレツ」


 オムレツ用のフライパンを買うほど割とオムレツが好きだ。卵二個を割り溶き、塩コショウ、顆粒コンソメ、生クリームはないので牛乳を少し差し、フライパンにバターを。

 強火で手早く半熟卵を生成し、そこから火を止めて包んでいく。中にチーズを入れるのも忘れない。

 オムレツとボイルウィンナー、トマトとレタスの簡易なサラダに特売のバターロールを二つ。女子はこんなもの……だと思う。少し寂しいのでコーンポタージュスープのインスタントを入れてみた。

 ちなみに一昨日たっぷりと作ったカレーだが、きっかりなくなっていた。

 朝の炊き立ての米は少し予定がある。


「おお、美味そう!」

「すまんな、ミートソースまで作る気力がない」

「いやいやいや! ごーか! めっちゃ美味そうやん!」


 早速スプーンでオムレツを崩す鵯。とろ、と零れだす半熟卵に糸を引くチーズ。食べてると、そのまま無言でいろんなものに手を出し始め、食事に夢中になっていった。


「バターのいい匂い……おはようございます」

「おう、制服だな。似合ってるぞ、椋鳥さん」

「どうも。朝ごはん、下さい」

「分かった」


 椋鳥にそう返事をして、二枚目のオムレツを焼くことにする。


「おっはよー! 朝ごはんよろしくー! ちょっと朝シャン!」

「はいよー、準備しときます」


 瑠璃ちゃん先輩のはゆっくりでよさそうだな。

 寝ぼけ眼だが制服姿の目代先輩がやって来た。


「ふぁあ~……お、今から出るんだけどパンだけ貰っていいか?」

「ああ、これあげます」

「お、缶コーヒーじゃん。カフェオレか、まぁ朝にはいいか。なんであるんだ?」

「まとめ買いしてキャンペーンの品ゲットを目指してましてね。消費に協力してください」

「なる。サンキューな」


 本当にパンを持って出て行ってしまった。

 俺は自分の分のウィンナーとパンを同時に口に放り込んで、同じく缶コーヒーで飲み下して朝食終了。後で歯を磨こう。


「ほい」


 二枚目のオムレツを渡し、三枚目を焼くため、俺はフライパンに向き直った。





 私立パライソ学園。名前はどうかとは思うが、白と紺のクラシカルなセーラー服が何故か女子に人気で、男子は黒の学ランという面白味のない高校だ。風紀は限りなく自由で、よっぽどじゃないかぎり怒られない。茶髪ロン毛のこの男子寮生の一人、笹見津久志も当然ながら怒られない。

 スポーツが盛んで、俺のいた男子寮は俺を除いて全員運動部だった。で、男子高校生というものは大体腹ペコだ。普通実家で食べてくる飯を抜いていたのだろう笹見は、机でぐったりしていた。


「腹が減ったよ、オカン……」

「オカン言うな。そういうと思って、ほれ」


 三角形のラップで包まれたそれを手渡してやる。


「おお! 握り飯か! 二個も!」

「中身はウィンナーと醤油鰹節マヨゆで卵だ。今から先輩たちに配ってくる」

「おう、行ってら。てかオレも行く」

「分かった。いくぞ笹見」

「ガッテンだい」


 先輩たちのところに行くと、泣いておにぎりを受け取ってくれた。ていうかその場で貪り食ってた。その一人に貰った野菜ジュースを飲みながら、俺は教室に戻り、一息。


「お前、これからもこんなことすんのか? 大丈夫?」

「ああ、まーな。あの人らには恩義しか感じてねえ。恩義は返さないと男じゃねえ!」

「お前のそのアホみたいなとこ好きだよ」

「お前より賢いはずなんだがなあ」

「勉強よりも大事なことがあるのさ」

「それ勉強ができないやつの常套句だよな」

「よっしゃ、喧嘩だな!」

「殴り合いで俺に勝てるとでも?」

「スンマセンっした、殴り合いで勝てるとは思ってません!」

「分かればいい」


 笹見は細くて長身、イケメンのサッカー部。蹴りあいなら負けるだろうけど、殴り合いでは負けない。

 にしたってここまで書くとモテ要素を網羅しているかと思えるが、残念なのはその性的嗜好。


「にしても、今日も困ってる幼女がいないものか」

 そう、こいつは重度のロリコンだ。

 ロリコンの度合いによってヤバい度合いが決まるのだが、こいつはアリスコンらしい。なんでも、旬が6歳から12歳までだそうで。最初に訊いた時、先輩たちも一瞬沈黙していた。無理もない、先輩達が読んでるのは大体胸ボーン、腰きゅっ、ケツどーんみたいな男子が思い描く一般的なナイスバディーな大人のお姉さんが主流だったから。


 そう、こいつが一度その巨乳女子高生の雑誌を見てこう言い放った。


「熟女が好きなんですか?」


 もう極まっている。深い闇を抱えすぎた純真な彼の瞳に、性癖を語り合う猛者はこの中にはいなかった。


 さておき。


「お前ロリコン辞めるって言ってなかったか?」

「だって高校生とかオバサンじゃん?」

「ダメだこいつ、マジでヤベェってレベルじゃねえぞ」

「だからその巣窟に行ってしまったお前が不憫で……!」

「本気で涙ぐんでんじゃねえよ。お前のストライクゾーンどれくらいだっけ?」

「小――」

「分かった、それ以上は言葉を飲み込め。今ならまだ引き返せる」

「砕け散るこの世界から、小さな女の子を今救い出すんだ」

「また変なアニメ見てたんだろ……」

「失礼な! マッキーナちゃん可愛かったぞ!」

「お前サッカー部のくせしてオタクなのマジでどうにかしろ」

「両立してみせるぜ、オレは両刀だからな。ショタもいける」

「そっちじゃねえよ両刀。せめてオタクとサッカーにしろよ。後ショタもいけるなよ怖えよ」

「大丈夫、相棒に……つか男子寮でムラッとしたことは一度もねえ。身長百七十より上はどうやったって興奮できねえ。それこそ妹でもない限りな」

「お前ヒロインが小学生百七十センチの妹だったらどうすんだよ」

「!!!?!?!?!?!?!!!? な、なに……しょうがくせい、なのに、あどけないかお、なのに、おおきくて……ロリというべきなのに、妹属性だというのに……オレは……オレは……っ!?」

「しかもおどおど系でシャイですぐ物陰に隠れる系だ。ランドセルが小さい」

「ぬぁああああああああああああ――――――――――――っ!? やめろ、目を覚ませオレの性癖が何者かに侵略されてるZO!」


 こいつより馬鹿とか言われてる現状がなんだかすごく悲しくなってくるんだが。


「でも、お前どうなんだ? そのロリとまぁお付き合いすることになってさ。でも相手も年取るじゃん。十二歳以上になったらどうすんだよ」

「え? 別れるけど?」


 潔すぎて何にも言えねえ……。


「何か勘違いしていると思うが、オレは三次元のロリには触らないぞ」

「そ、そうなのか」

「ああ。そういうのは二次元だけで足りてる。オレがこの変態大国日本に産まれてなかったらきっと、発狂していたことだろう」


 それはどうでもいいや。俺はスーパーの特売情報をスマホで確認。……ふむふむ、今日は鶏むね肉の日か。鶏むね肉いいよなあ。安いし、高たんぱくだし、調理法を間違えなければしっとりしてて美味い。


「お前は。また色気のない特売漁りか」

「うっせえ。お前は何してたんだよ」

「そんなの『サッカーと十一人の妹』のプレイ動画を見ているだけだ」

「買えよ」

「部屋に六つあるが? プレイ動画のうぷ主はオレだし」

「そ、そーか。メーカーに金を落とすのは正しいな」

「分かって来たじゃないか」


 相変わらず財布が強靭過ぎない? こいつの部屋はマジでオタク部屋だからな……でもなんだかんだ、悪い女に引っかかりそうないい奴ではあるんだ。でも引っ掛かるとしたら幼女だろ? 悪い幼女……ダメだ、俺の貧困な発想力じゃ想像つかん。


 ふと、視界に入る、金髪でポニーテール、そしてメガネの女の子。

 鵯だ。窓の外を眺めているようだが、絵になってるなあ。眼鏡がクソダサイから注目されてないだけで、肌も綺麗だし、金髪もよく似合ってる。


 視線に気づいて、ピースをする彼女にサムズアップを返す。頷いて微笑みを浮かべ、鵯は窓の外に視線を外した。ふと思い出し、鵯に近づく。


「……何?」

「何食いたい?」

「は?」

「いや、晩飯」

「肉」

「オッケー」


 それだけ聞ければ充分だ。

 うーん、ハンバーグか? でも昨日牛肉でカレーやっちまったから合い挽きとかは避けたい……あ、そうだ。つくねにしよう。今日大葉一袋五十円だったから、つくねの大葉巻きにしてしまおう。うん、鶏のひき肉も安かった。今日はこれだな。フフフ、完璧だぜ。


 女子寮はそれでいい。男子寮はどうしよう。肉じゃがをやるって言った手前……揚げ物……うーん、鶏のメンチカツにしてみるか。それか鶏ひき肉で唐揚げ。うん、美味そう。


 よし。


「予定を……と」


 スマホにメモって完璧。


「オカン、今日の晩飯は?」

「うーん、Fineでやりとりした肉じゃがと……鶏ひき肉の揚げ物だ。味噌汁は野菜たっぷり入れとくからちゃんと食えよ?」

「いやホントマジすまん。お前もう寮とか関係ないのに……」

「アホ。友達だろ。友達が困ってんなら、助けてやろうってもんだ」

「……お前やっぱ馬鹿だ。でも、お前のそーゆーとこ好きだぞ」

「お前なあ、人をぽんぽん馬鹿呼ばわりしてんじゃねえよ」

「そこがいいんだ。お前は本当に、それで美少女で小学生なら無敵だったぞ」

「小学生のくだりいるのか?」

「死守すべきポイントだろ」

「さいで。頑張ってロリコン卒業しろよ」

「これは魂なんでな。どんだけ輪廻しようが覆らない」

「うーん、これがサッカー部一年期待の星、完全無欠のフォワードとかマジかよ」

「何とかAチームでベンチ入れてよかったー」


 パライソ学園は部活動が盛ん。それも運動部はどこも大体強い。サッカー部も強豪校だ。その中で一年ながらベンチ入りできているということは、凄まじい実力があるのだろうと分かる。


「はぁ、美弥ちゃん、ちゅっちゅ。うん、美少女はみんな液晶みたいな味がするぜ」


 ……こいつがサッカーしてるところマジで想像がつかん。

 一回部活動を見てみたい気もするが、まぁ野郎なんか見てたって癒されないし。やめとこ。一生懸命なのが見なくても、帰ってきた時のドロドロの姿で分かるからな。今も、日常的にウェイトを付けて訓練しているし。足首に鉄板を巻くベルトが見えた。何だかんだ熱い奴だ。


「さーてと」


 学校では勉強と趣味の時間。趣味は新しいレシピをネットサーフィンすること。面白そうなものがあれば覚えておくのだが、結局無難な料理に落ち着いてしまうのが良くないところだ。


 料理の世界は奥深い。同じ食材でも調味料や調理が違えば味は変幻自在。その中で人々は自分の好みというものを見つけているのだから、飽くなき探求心だ。

 とりわけ、日本みたいに三食食材やメニューが変わる国は稀だと聞いている。日本人でよかった、色んなものを食べられるし、その喜びを知ることができる。


 だから俺は飯を作りたい。頑張ってる人間に、それを味わってもらいたい。

 女子寮の連中は正直流れだったが、男子寮のやつらはみんな頑張ってる。


 二年の大らかでスケベな南芳也はレスリングに、三年の寮長で気前のいい北海要先輩はラグビーに、笹見津久志はサッカーに、二年のヤンキーっぽい東野雄二は野球に、三年の文学(官能小説)青年、西宮淳は剣道に打ち込んでいた。その姿が眩しく見えて、どろどろに草臥れているその姿が、とてもカッコよかった。そんな彼らに何かしたいと思ったのが、家事をやるきっかけだった。俺を含めれば六人の寮だったが、本当に楽しかった。


「ん?」


 南先輩からメッセだ。Fineを開く。


『女子寮を激写せよ。謝礼五万円』

『マジで捕まりますよ』

『つまらねー』


 俺の身分も考えてくれよ。にしても、あの先輩達があの状況を見たら……なんかやたら顔が整ってるやつばっかだし。


「笹見、すっげー可愛い女の子って何て言うんだっけ?」

「S級美少女だ。なんだよ、誰かいたか? ん? 小学生どこにもいねーじゃん」

「お前は究極的にそこに落ち着くのか……」


 相変わらず凄まじい執念だ。笹見のやつ、なんだか日を増すごとに病気になってないか。


 ともあれ、S級美少女軍団の中にいると知られたらマズい。


『どんなやつがいるか名前だけでも!』

『目代愛美さんとか』

『すまん、全部忘れろ』

『そんなにやべー人なのか?』

『関わるな。あいつの兄貴が北九州で頭はってた超伝説のヤンキーだぞ』


 さすが試される大地北九州。ヤンキーなんて今日日化石のアホがまだ現存しているとは。最近不良漫画はやってるし、あてられたのかな。


『気を付ける』

『おう、注意しとけ。あの手のやつは暴力が部分的にOKとかアホみたいなこと言ってるからな。仲間守るためでも暴力を振るうって公言しちゃダメだ。そーゆーのはこっそりやんねえとな』

『南先輩も結構ろくでもねーですね』

『バレた? まぁお前はそんなんと関わり持たずに、好きな料理しててくれ』

『そうするよ』


 はなっからそのつもりだ。個人の事情に深く立ち入るつもりはない。不可抗力でもない限りは。


「お、センセ来たぜ。ケータイ隠せ」

「だな」


 笹見の言う通り、電源を切って鞄に突っ込んでおく。


 さて、今日も眠たい授業でも聞きますか。


 と思ったら、駆け込んでくる女の子。


「す、すみません! 遅刻しました!」


 飛び込んできたのは、まさしく、そう、S級美少女だった。

 白髪だ。まずそれが第一印象。白い肌、青い瞳。おおよそこの世のものとは思えない美貌に全員が驚いていた。


 けれども、なんだ? 俺を見てる? そして、俺は彼女に、見覚えがある?


 その予感を裏付けるように、彼女は俺を見て微笑んだ。


「……好きですよ、羽斗泰斗さん。もう一度、貴方とやり直したくて、わたくし、ここまで来たんです」

「は? いや、俺は初対面で――」


 ――本当に?


 思わず記憶を探る。誰だ。誰だこいつは。いったい誰なんだ。


 でも、ああ――。先生が俺達のやり取りを無視して、正解を書いていく。


 白。


 鷺。


「……まさか、桜子、なのか?」

「ええ、ギリギリセーフです。ビンタを回避できてよかったです。思い出して頂けたようで。お察しの通り。白鷺桜子です。六年前にわたくしを振ってみせた、羽斗泰斗さん?」


 完璧な微笑み。一部の隙もない、優しいが、どこかサディスティックな彼女の笑みとその小柄な体躯は、記憶に映る――


――黒髪だった少女の、ままだった。

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