序話 ようこそ、エトワール荘へ 2

 ふふふ、今日は鶏肉が安かったから鶏もも肉のカレーだ。芋を剥いて大き目の一口大。水につけてあく抜きしつつ、ニンジンを剥いてこれもまた一口大に。


 玉ねぎは繊維に沿ってテキトウに。今日はそのまま半分を千切りにして、食感が残るよう、もう半分をくし切りにしておく。まず千切り玉ねぎを適当な油がなかったのでオリーブオイルで炒める。後でサラダ油とかバターとか買っとかなきゃ。にしても冷蔵庫の中空っぽだったな。皆が何かと使ってると思ってたんだけど。冷食はぎっしりと詰まっており、シールが貼られている。恐らくわたしのモノだマークだろう。


 続きだ。ニンニクと生姜を入れて一口大に切っておいた鶏もも肉をたっぷりと。肉を大胆に使った方が美味い。加減しないとくどくなるから少しバランスを見ながら。残ったやつは醤油と酒に漬けておく。明日の弁当だ。


 具材を炒め終わったら、野菜を入れて全体に油を回し、水を突っ込んで、醤油、酒、ウスターソース、ケチャップを入れる。インスタントコーヒーは買うの忘れたので、個人用に飲む予定だったコーヒー牛乳を少し。これで沸騰させていく。


「よっしゃ」


 炊飯器に米もセットしたし。何で一升炊きの炊飯器なのかは分からないけど。一升炊いておいた。明日の弁当用にも使うし、冷凍も確保したいし、問題ないだろう。


 ふと、階段を降りる音。誰だろう。


 現れたのは、ふわふわとした黒髪の女の子だった。色が白い。清楚な雰囲気にお嬢様という印象を抱いた……ものの、学校指定ジャージなのが少しアレ。


 でも、非常に目を引く女の子だった。


「あの……アナタが羽斗さん?」

「そ。羽斗泰斗。えっと、先輩? 俺一年なんだけど……ですけど」

「同じ一年です。椋鳥梢と言います。……カレー?」

「ああ、そうだよ。なんだ、食べたいのか?」

「……頂いてもいいですか?」

「おう。もうしばらく待っててくれ。やー、腹減ったー!」

「ワタシもこの匂いにつられてのこのことやってきました」

「そっか! まぁニンニクと生姜はダメだよなあ、どうあがいても食欲出る」

「ですね。にしても、お料理できるんですね」

「まぁ、ちょっとな」


 というのも嘘だな。家では誰もやらなかったから家事をするようになっていた。気づけば小学生のくせに友達と遊びもせず、スーパーの特売のチラシを握りしめているようなガキだったからな……。高校生になって家族と離れて、ようやく友人ができて、日々楽しく過ごしてたのに。あの腐れ隕石め。


「わ、冷蔵庫にぎっしり食材が……」

「くっそ重かったけど何とかな……。原付の免許取ったし、近々買いにいきたい」

「お金はあるのですか?」

「バイトしてるから。後、俺親戚多いんだ。正月はフィーバーだよ」


 その分、顔とか覚えとかなきゃだったが、もう家を出た俺にはあんまり関係ない……とも言えないか。盆と正月は家に帰るかもだが……いや戻らねーわめんどくせえ。


 アルバイトも続けているし、この調子で稼いでいこう。


「どこでアルバイトを?」

「うどん屋」

「パライソ学園はアルバイトオッケーなんでしたっけ?」

「家計が苦しいから例外オッケー。ていうか親は学費と寮費、食費以外の援助はしないし。頑張って稼がないと」

「辛くないですか?」

「いんや。むしろ好きにやらせてもらえるからありがたいね。うどん屋から色々持って帰ってくるときはご馳走するぞ!」

「それは……ありがとうございます。ワタシ、結構食べるんです」


 そう穏やかな微笑みを湛える彼女はとても綺麗だった。上品な笑みだ。男子連中とは全く違う、そう、例えるなら高嶺の花。そんな高貴さにあふれている。眩しい。失明したら責任取って結婚してくれるだろうか。


 ともあれ、カレーの鍋にお玉を入れる。菜箸で煮えているか確認……よし、煮えてるな。


 火を落とし、カレールウを入れよく混ぜながらもう一度火をつける。うん、よし。ぷわんとカレーのいい匂いが充満していくのを感じる。


「お」


 丁度米も炊けたらしい。軽快な電子音が炊飯器から届く。


「よし、食おうぜ」

「あー! なにカレー何か食べようとしてるん!?」

「おう、鵯さんか」

「さん、はいらん。で、そこのお嬢様が作れるわけないし……まさか、羽斗が?」

「そーだよ。なんだ? 男が料理しちゃいけねえってか」

「逆。感心した! というわけで、カレープリーズ!」

「良かろう、ありがたく頂くがいい」

「ははーっ!」

「二人とも仲がいいですね」

「カレーだぁ!」


 俺に何かが飛びついてきた。ミルクみたいな体臭がする。ちっさ。誰だ小学生ぶち込んでる奴は。幼い容貌、淡い茶髪をまっすぐに降ろしている女の子がカレーを見て目を輝かせた。


「これ小春ちゃん? それとも、梢ちゃん?」

「家庭科の成績は2!」「同じく」


 そんな誇りみたいに言うなよ、できてねえじゃん。


「ってことは君か! 男子生徒くん!」

「羽斗だ」

「一年坊の羽斗泰斗君だね?」

「一年坊て。同じ一年に言われたくねえよ」


 俺に飛びつき、そして降りた彼女は、改めてみても小さい。しかし、そのあどけない顔をムスッとさせる。


「むー、私二年だよ? 二年の孔雀瑠璃」

「そっか。変なあだ名付けていい?」

「ダメ。一年生は私のことを瑠璃ちゃんって呼んでくれなきゃいや」

「はぁ、瑠璃ちゃん先輩」

「ううん、この雑に先輩を付けた感、いいね! 泰斗君と呼んであげよう! それはそれとして、カレー私の分、ある?」

「あるけど……まだいたりするのか?」

「もう二人いるんだけどねぇ……もう一人はしばらく帰ってこないよ。知り合いの作家さん手伝ってるんだって。まぁ、もう一人はアウトローだから。殴られないように気を付けてね。そういや新しい人、泰斗君の他にきた?」

「いや。知らんです」


 首を横に振る鵯をよそに、俺は少し顔をしかめた。


「……アウトローて……」


 どんなやつなんだ? まぁいいけど。

 カレーを配膳し、早速食べ始めている。

 意外にもがっついていたのは椋鳥。涙を流しながら食べてるのは鵯。瑠璃ちゃん先輩は意外にも静かに食事を行っていた。


「美味しい……! これめっちゃ美味いやん、羽斗! コンビニ飯ばっかやったから……染みる……!」


 なにも泣くことはないと思うけど、男子寮で初めて料理振る舞った時もこんな感じだったなぁ。


「あんた料理得意なんやね!」

「ほどほどにな」

「食費払ったら作ってくれる?」


 瑠璃ちゃん先輩が顔を覗き込んでくるのに、頷き返した。


「そりゃ構わないけど……どうせ俺の分は作るし」

「やったー! 私のもよろしく!」「同じく」「よろしく!」


 ここでもこうなるのね。まぁいいけどさ。俺以外に誰か一人くらい得意な奴がいると思ってた。


「寮母先生は?」

「あー、いるけどネトゲで滅多に出てこない。授業はテレワーク」


 自由過ぎるだろ。男子寮も似た感じだけども、あっちはちゃんと学校に来てる。

 めいめい、うまいうまいと言いながら完食。食後に紅茶なんか入れながら、ふと訊ねてみる。


「風呂は順番どうすりゃいいんだ?」

「深夜か早朝に入って」

「了解了解。洗濯物は? あれだったら洗うが」

「……う、うーん……それは……」「微妙ですね……」


 まぁそうだよな。椋鳥さんと瑠璃ちゃん先輩が顔を赤くする中、俺の肩を叩いてくる鋼メンタルがいた。


「あ、じゃあよろしく」

「お前マジかよ。別にいいけど」

「うちがやるとしわくちゃになるん。干すのとかめんどいし、頼むわ」

「いやいやいや、小春ちゃん下着見られるんだよ!?」

「ええよ下着くらい。というか、ホンマに洗濯するの苦手なん……。羽斗は慣れとーと?」

「まぁ、実家にいた頃は姉と妹の下着洗ってたが。ブラジャーの干し方も完璧だぜ!」


 あいつらも女捨ててたからな。そうか、自分で冗談半分に切りだしたこととはいえ、同年代女子の下着を洗うのか。少し緊張する。

 そんな緊張など欠片も知らないのだろう。肩をバンバンと叩かれる。


「おおお! 有望やん! よろしく!」

「おう、やるからには任せろ」

「じゃ、じゃあ、ワタシのも……」

「じゃあ私のもよろしく!」

「いやそうはならんだろ!」


 どういうことなの。一人OKならみんなOKなの? 赤信号、みんなで渡れば怖くないとか意味不明な理屈じゃないんだぞ?

 まぁいいや。とりあえず食器片づけよう。





 夜中。風呂に入っていた。やっぱ風呂は良いなあ。何か広めだし、掃除が大変そうだってことに目を瞑れば……いや、明日は気合入れて掃除するか。カビがちょっと気になる。明日が休みでよかったー。男子寮の世話もしていかなきゃならんし。


「うぃー、入るぞーってお前誰だ!?」

「いっ!?」


 全裸の女の子だ。染めているグレイの髪に、小さな背丈。瑠璃ちゃん先輩よりは大きいが、それでも百四十センチ半ばくらいだろう。それなのにぽよんとした胸があって……いかん、全力でターンを決めようとして、思わず彼女を見る。

 切り傷があった。すりむけも……。


「手当てする。服着てくれ」

「あ? いらねーよそんなん……」

「ダメだ! 菌が入ったらマジで洒落にならんし! はい、とりあえずバスタオル! ちょっと俺の常備してる薬箱持ってくるから!」


 ざっと俺も体を拭いて、ドタバタとそれを取りに帰り、素直に待っていた彼女を手当てする。消毒液が染みたか、顔を顰める彼女に、苦笑しながら大き目の絆創膏を貼っていく。


「はい、防水性なんでこれで風呂入って大丈夫」

「なんだお前は。見ず知らずのやつにこんなことしてんの? つか女の裸に動揺しろよ少しは」

「見ず知らずだろうが、俺は行動を変えないって。見過ごせん。というか意識させないで、どっかにやってたのに……」

「……そっか。いーじゃんお前。今時バカみたいな奴じゃん」

「ひでえな君……」

「良い馬鹿だって言ってんだよ。お前、名前は?」

「俺、今日からここでお世話になってる羽斗泰斗だ。えっと、一年生?」

「アホ、二年だ。目代愛美。……今日はちょい、リアルファイトしてきたっつーか。ま、気にすんな。で、台所でカレーの匂いすんだけど、誰が作ったんだありゃ? ウチに料理まともできる奴いねえぞ」

「俺が作りました。洗濯も俺の担当になったし、まぁ、そういうことで。目代先輩も洗濯します?」

「……まってろ」


 しばらく待っていると、籠一杯の洗濯物を出してきた。


「今から頼むわ」

「今からやると、陰干しになるんすけど……まぁいいけど。陰干し用の洗剤買っといて正解だった」


 この量だ。すでに洗濯籠にはいっぱいになったあいつらの下着類が埋まっている。二回動かさなきゃだろう。さて、大きいワイヤー入りのやつはネットに入れて……


「お前、すげえ手慣れてるな……」

「ドン引きしないでください、傷つきます」


 といいながら、とりあえず洗濯機のボタンを押した。柔軟剤と陰干し用の洗剤をセットして、一息。


「じゃ、そういうわけで。カレー良かったら食べてください。ご飯は冷蔵庫にあるので、チンしてどうぞ。俺は明日の仕込みに入るんで」

「は? 何お前、これから全員分の飯と洗濯やるつもりか?」

「そうですけど? つか男子寮も心配だし、行ってやらなきゃな……」

「……呆れた。お前自分のこととかねぇの?」

「ないっすね。俺はこんな俺なんかに良くしてくれる友人達や、受け入れてくれたここの人達に何か返したいだけです」


 キッパリとそう返すと、彼女は目をぱちぱちさせている。まるで昼に星でも見たかのような表情。それから大きなため息を吐いて、仕方なさそうに笑った。


「…………はぁー。この寮は割と変わったやつの巣窟だけど、お前はとびきり変だ」

「失礼ですね、俺はまともですよ!」

「今日日、自分からまともだと主張した人間にまともなやつなんか一人もいねえんだよ」


 そんなことないじゃん! 俺がいるじゃん!

 俺は男子寮の中ではまともですよ……多分。いや、何か自信なくなってきた。


「んじゃカレーは食わせてもらうよ。それに、なんかあったらオレに言いな。力になってやんよ」

「? どういうことです?」

「気に入ったって話だ。お前は馬鹿だけど好きな馬鹿だ。認めてやんよ、入寮」

「はあ、ありがとうございます?」

「んだその返事は。おらっ、覗くな。さっさとどっか行け」

「洗濯機止まったら来ますんで」

「おう、それまでには出る」


 ならいいや。俺は自室に戻り、少しパソコンを開く。

 男子寮の連中のチャットが飛び交っていた。


『ヤバい、部屋が一日で羽斗が来る前に戻っちまった!』

『久々のカップ麺なんか新鮮』

『羽斗、どうするんだ? 俺の部屋なら、いいよ……!』

『お前の部屋足の踏み場もねえじゃん!』

『言えてら!』


 キーボードを叩いて会話に参加する。


『お前らから食費貰ってる分、六月いっぱいまでは家事とかしに行くから耐えろ。七月以降は自分で何とかしてくれ』

『倍払うので何とかしてくれ。バイトだと思って』『それ』『金は親が出す』『お前じゃねえのかよw』

『お前ら少しは努力してくれ……。当番制にすりゃいいだろ』

『初日に牛肉のユッケを作って食中毒が起きた事件があってな』

『分かった、俺が行くわ。金は倍貰うからな。一人頭二万円』

『つか、一人頭一万円でどうやってやりくりしてたんだ? 食べ盛りの男子高校生だぜ? 色々足りないだろ』

『お前ら六人いるからな。料理は一人を賄うよりも、複数の方が節約できるんだぞ』

『なるほどなぁ』

『後、じいちゃんちが農家だから野菜は送ってもらえてただろ。米とか。あれが俺のチートアイテム』

『ありがとう、羽斗のじっちゃん。そして羽斗。崇めよ』

『アーメン』『アメーン』『ラーメン』『ザー○ン』

『混ぜちゃいけないもの平然と混ぜてんじゃねえよ』

『で? 羽斗、お前女子寮なんだって? どう? いい匂いする?』

『まぁ、むさくるしくはないけど、色々と気を遣う』


 というのは半分冗談。もう色々女子への幻想は消えている。男の俺の前に平然と下着が山積みにされている籠を押し付けられた時に。色んな甘い匂いが混ざり合ってなんか生々しくてちょっと引いた。


『やっぱ男同士だよな! 気を遣わなくていいしな!』『俺らはオタクも馬鹿にしねえ!』『ただモテてる奴はデストロイだな』『アルゼンチンバックブリーカーかましてやる』『殺意マシマシ、筋肉多目で!』『抜け駆けしたら殺す』


 相変わらずだ。


『羽斗も好きな子ができたら真っ先に言え!』

『お前らに話すと粉微塵になるまでムード破壊するだろ』

『否定はせん』

『いや否定しろよ』

『まぁ、明日の晩飯は肉じゃがが食べたいってことだけ言っておく』

『分かった、肉じゃがとなんか適当な揚げもんするから』

『あざーっす!』


 しゃーない。俺が倍頑張ればいい。何とかしよう。

 まず買い物が便利になるチャリか原付が欲しいところだ。リヤカー引いて買い物に出る選択肢もあるが、そんなところを見られているのは恥ずかしくて俺のチェリーマイハートが見事に複雑骨折しかねない。


「よーっし」


 まずはとりあえず洗濯を完ぺきにこなすぞ!

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