第三話『事態急変』 破

 二〇二六年四月二十八日月曜日、日本国の国会議員会館で一人の中年女性が資料を見ていた。


こうこくによる米国の占領も終了か……」


 コーヒーカップを片手に、すめらぎかな防衛大臣兼国家公安委員長がつぶやいた。

 上質な椅子に踏ん反り返り脚を組む姿勢には、を過ぎた女性とは思えぬ程に色気が沸き立っている。


「米国の運命は、こうこくの属国化でしょうか」


 秘書のきゅうすめらぎに見解を問うた。

 彼女はコーヒーに口を付けると、持論を展開する。


「少なくとも、都合の良い政府に立たせるでしょう。今後、米国をかいらいに仕立て、国際社会に影響力を発揮しようとするでしょうね」

「米国が大人しく言う事を聞くでしょうか?」

「無いわね。そりゃあ、降伏と占領はショックが大きいでしょう。でもおそらく、こうこくく利用し復活をもくむ。幸い核使用の影響も限定的で、各国との関係修復も充分可能だしね」


 すめらぎの目が鋭く光る。


わたくしとしては、この動乱を泳ぎ、夢を手繰り寄せるのみ。丁度、米国という目の上の大きな大きなこぶが取れた。目下、最大の問題はこうこくね。でも、上手く行けば我が国は強大な力を手に入れ、そしてわたくしの夢は実現する」

「あのー……」


 とは別のもう一人、ばんどうあけという女性の秘書がすめらぎに尋ねる。


「前からきたかったんですけど、先生の夢って一体何なんでしょう?」

「あら、教えていなかったかしら?」


 すめらぎは不敵な笑みを浮かべて答える。


「世界最強よ」


 ばんどうは驚いて顔を前に突き出した。


「な、何の冗談ですか?」

「大真面目よ。わたくしはこの世界で最も強い存在になりたいの。それがわたくしの長年の夢。最も強い力を持ち、米国だろうが中国だろうが、そしてこうこくであろうが、何者にもびることなく我を押し通す、そんな存在にね」

「ここからが政治手腕の見せ所、というわけですか」


 若干引き気味に苦笑いを浮かべるばんどうと違い、は織り込み済みといった様子で彼女の展望を確かめる。


「鍵となるのはあのよ。わたくしが世界最強となった後釜に、とも考えているのだけれど、相変わらず『もう一つの血』に縛られているのが厄介だわ。さまのせいね。ま、じんかいの本家はかいてんと違い政府に融和的で使えるから、この後も利用するだけ利用させてもらうけれど」

「自分も言ったんですがね。彼女は充分貴女あなたに尽力出来ますし、その方が『もう一つの血』の使命を果たす道としてスマートだと」


 すめらぎは写真立てに目を遣った。

 そこには若かりし日の彼女と、夫とおぼしき男性、そして人形の様にれんだが無愛想な少女が写っていた。


「精々強がっていなさい、ことちゃん。どうせわたくしからは逃げられはしない。政治家を甘く見ないことね」


 すめらぎかな――うることの母親。

 その特異な夢が、日本国とこうこくいては世界の運命を大きく動かすことになる。




  ⦿⦿⦿




 さきもりわたるうることずみふたは、少しずつ道を別にし始めていた。


 ず、ふたは自分の夢を追うべく専門学校へ進学した。

 高校卒業後、二年程はわたる及びことと交流を保っていたが、段々と連絡もまばらとなっていった。


 わたることは同じ大学に進学したこともあって、交流は続いている。

 しかし、現役合格したことに対して一年浪人したわたるという差もあって、別々に行動することも増えてきていた。


 ただ、人の縁とは奇妙なもので、大学に入って再び縁の出来た古い友人も居る。


 二〇二六年六月一日月曜日は宵の口、二十一歳になっていたわたるは居酒屋のカウンターで一人の友人と酒を飲んでいた。

 けんしんは中学時代の同級生で、こととも面識があり、大学入学を機に再会して連絡を取るようになった。


うるやつ、本格的に就職活動始めたと聞いたのだが?」


 は箸で軟骨の唐揚げを食らうと、カクテルをわずかに口に含んだ。

 線の細い、神経質そうな見た目の青年で、実際に暴飲暴食するタイプではないが、わたるの誘いにはよく乗ってくれる付き合いの良い友である。


えず、早速今日の午前中から面接だったってさ」

「あいつ、無愛想だが大丈夫なのか?」

「午後には二次選考の案内が来たってよ。成績は良いし、受け答えもちゃんとしてるからな」


 い話のはずだが、わたるの気分は浮かなかった。

 彼自身、来年度の卒業と就職に向けて準備を進めてはいるのだが、それ故に余計彼女に先んじられていると意識してしまうのだ。

 わたるはハイボールをぐいと飲み込んだ。


「なんかことの奴、最近しいんだよなあ……。男でも出来たのかなあ?」

「就活状況教えてもらっておいて言う台詞せりふじゃないのだよ」

「いや、余計な詮索するなってくぎ刺されたんだよ」


 わたるは大きなためいきいた。

 酒が入っているせいで気が弱くなっているのかも知れない。


「小学校の頃からずっと一緒だったけど、すがにもう潮時なのかな……。どこの企業受けてるのか教えてくれないし」

「教わってどうするのだ。いくらおさなじみでも就職先まで付いて行くなど、一寸ちょっと尋常ではないのだよ」


 は僅かに肩をらしてわたると距離を開けた。

 わたる自身そんなことは百も承知である。

 お互いもう子供ではないのだから、いい加減けじめを付けるべきなのだ。


『関係をはっきりさせるのは早い方が良いと思うな』


 かつふたにそんなことを言われてから、もう五年近くもっている。

 今更離れたくないと言ってももう遅いのかも知れない。


「もう一層、今からうるの奴を呼び出して告白するか?」


 の目は笑っていなかった。

 もういい加減にうじうじ悩むのはめろと思うのも当然だろう。

 だが、それは決して出来ない。


「いや、実はこと、この店出禁なんだ」

「は?」

ぼくも知らなかったんだが、あいつ酒癖悪いんだよ。別に暴れる訳じゃないんだが、ひどい絡み酒でな。態度がかんに障る客がいると赤の他人だろうと絡みに行くんだよ」


 一応擁護しておくと、態度が癇に触るというのは他の迷惑客に対してで、誰彼構わずいんねんを付ける訳ではない。

 だが、それで自分からけんを売る訳だから、迷惑の火に油を注いでいるも同然である。


「で、ぼくはその場に居なかったんだが、ゼミ仲間との飲み会でやらかしたらしくてさ、大声で口論していた団体客に一丁みしたんだと。そしたら話が更にこじれて乱闘に発展したみたいでさ、暴れた団体とまとめてあおったことも出禁を食らったと、そういうわけらしい」

「うわ、マジなのか。毒舌なのは知っているが、それは正直幻滅なのだよ」

「ま、後でゼミ仲間からてんまつ聞いて本人も反省したらしい。それ以来酒は飲まなくなったんだが、客を暴れさせられた店には関係無いからな。ゼミの中で出禁があいつ一人で済んだだけ店は寛容だよ」


 わたるは思い出す。

 ことの酒癖の悪さで被害を受けた経験は彼にもあった。


『このヘタレが。わたしを押し倒すくらいのこと、してみなさいよ。ま、返り討ちにしてやるけれどね』


 そう耳元で囁き、誘惑するように密着させてきた身体の感触を、わたるはよく覚えている。

 ことは記憶が無いと言っていたが、態度や返事が余所余所しくなったのはそれ以来ではないか。


「あ、そうだ。良い就職先があるのだよ」


 は何か思い出したように、今度はわたるの方へ身を乗り出してきた。


うるの母親はあのすめらぎかななのだろう? あの人の下で働けば、卒業後も関係性は途切れないのだよ」


 呼び出し案よりも余程冗談染みた提案だが、わたるまっぐ見ていた。

 は妙な所で必要以上に真面目な男で、めっに冗談を言わないのだ。

 突拍子の無いような発言も、本人は本気だったりする。


「それは……絶対に無いな」


 すめらぎかなの名前を聞いて、わたるはすぐにの顔を思い浮かべた。

 ことに手を出そうとしたあの男の下で働くなど、考えただけで不愉快になる。

 そんなわたるの事情を知らないは、せないといった様子で首をかしげる。


すめらぎ先生は信頼の置ける政治家なのだよ。政界でも屈指の愛国議員だ。あの偽物の日本があらわれる前から防衛力の強化を力説し、中朝韓露に対してぜんとした態度を貫き、ポリコレリベラルに安易に迎合せず、経済に関するうそだまされず、歴史に揺るぎない誇りを持っている。我が国に必要な政治家なのだよ」


 また始まった――今度はわたるが肩を反らせてから身を引いた。


、取り敢えずぼく達の就職の話しない? こんな情勢だし、この国の将来を心配するのは分かるんだけどさ」

さきもり、何度も言わせるな。『この国』じゃない、『我が国』なのだよ」


 わたるまいがしそうになった。


 わたると違って現役で法学部に合格している。

 しかし、わたると同じく卒業するのは来年度、つまり一年留年しているのだ。

 理由は、勉強よりも別な事に熱を上げてしまっていたからだった。

 彼は「妙な所で」「必要以上に」真面目なのだ。


、今は自分のことに専念した方が良いと思うぞ。国や政治なんて大それた事考える器じゃないって。学生なんだぞ、ぼく達は」

「勉学そっちのけで女にうつつかしている奴に言われたくはないのだよ」


 わたるは閉口した。

 振り返れば最初、が語るこうこくについてのいっげんに口裏を合わせてしまったのがまずかった。


『左翼共は、目と鼻の先に大嫌いな大日本帝国そのものが顕れたというのに、まだ国の足を引っ張るようなれいごとばかり言う。やはりあいつら、日本を滅ぼしたいのだろう』


 結論は過激だが、不満と批判はわからぬでもない――そう言ったが運の尽き、は時折こういう話をわたるに振ってくるようになった。

 苟且かりそめの同意を得たことが原因でのめり込んでいるとしたら、責任を感じてしまう。

 弁護士の夢はどうしたのかと心配になってしまうし、先程のように注意はしている。

 このまま思想の底無し沼にまって人生を見失わないように願うばかりであった。




⦿⦿⦿




 と飲み終えたわたるは借りているアパートの部屋に戻り、布団の上でスマートフォンの画面を見詰めていた。


〈面接どうだった?〉


〈もう二次選考の案内が来たわ〉


〈やったじゃん〉

〈ちなみに、どこ受けたの?〉


〈聞いてどうするの?〉

〈航には関係無いでしょう〉

〈教える気は無いから〉

〈余計な詮索しないで〉


〈ごめん〉


 メッセージのりはここで途切れている。

 わたるは溜息を吐いた。


「もう……潮時なのか? これ以上は……ストーカーか……?」


 自覚しているならおもとどまるべきだろう。

 しかしわたるはというと、更に情けなさに輪を掛けようとしていた。


『このヘタレが』


 一度だけ、酔った勢いで絡んできたことの記憶――その身体を鮮明に思い出す。

 息が掛かる程近くで感じた彼女のぬくもり、けんの様な長い髪の感触、そして夢の中に誘うマシュマロの様な柔らかい乳房……。


わたしを押し倒すくらいのこと、してみなさいよ』


 何度も何度も盗み見た、ことの体つきを思い出す。

 わたるの中でぼんのうがふつふつと沸き立ち、理性の器からあふさんと内圧を増していく。

 実際、血液が身体のる一点に集まってきている。


 だがまだ、わたるの欲望は決壊しない。

 ただ女体の妄想が浮かぶだけならば、わたるにとってまだマシだった。

 わたるを辛抱たまらなくさせるのは、それに伴う別の記憶とゆがんだ性癖である。


『ま、返り討ちにしてやるけれどね』


 瞬間、わたるの中で記憶が弾けた。

 高校二年の秋、喫茶店でテロリストを軽い平手打ちでこんとうさせたこと

 高校一年の秋、武装したテロリストの身体を片腕で軽々持ち上げ、地面に落として気絶させたこと

 そして、出会った小学一年のあの日、自分の事を容赦無くボコボコにたたきのめしたこと


 共に過ごし、成長する中で、何度か思い知った一つの現実。

 自分はことに腕力で、暴力で、男女間で絶対的優位にある筈の要素で到底かなわないという事実。

 では勉学や芸術的才能はどうかというと、これも駄目だ。

 最初から植え付けられ、歳月と共に強まった、拭いようの無い敗北感と劣等感。


 わたるはそれを思うと、かんともし難い情欲に激しくはやてられてしまう。

 被虐こうわたるがんがらめにし、操り人形の様に突き動かす。


こと。ああ、こと! こと!!)


 端整な顔立ちをした青年が、均整の取れた肉体の衝動を鎮めるようとしている。

 半開きになったわたるの口から情けなくもあでやかな吐息とあえぎ声が漏れていた。

 わたるはこの一時が好きではなかった。

 欲望の決壊を迎えた後は、毎度死にたくなる程気分が落ち込んでしまうからだ。


⦿


 わたるは眠ってしまっていたようだ。


「シャワー浴びよ……」


 夜に目が覚めたわたるは、身にまとわりいたどろの様な雑念を洗い流したかった。

 まだ週明けだというのに、悪い酒になってしまった。


「潮風に当たりたい気分だな……」


 わたるは、海に行こうと思い立った。

 外へ出ると、限りなく満月に近い月に雲が掛かっていた。

 こころしか、月と雲、星々が渦を成して闇の中へ吸い込まれていく様だ。


「バイクは……まずいか。酔いは覚めてるけど、飲んでからまだ間もない。タクシー、呼べるかな……」


 わたるは生まれて初めてタクシー会社に配車を依頼した。

 運転手は最初、宅飲みで帰れなくなったと思っていたようだが、どうでも良い事情にかかわらず快く乗せてくれた。

 どうやら青春を感じたらしく、若さをうらやましがっていた。


 タクシーが海浜公園へと向かって走る。

 夜のむらくもが、まるで黄泉よもつさかの入り口へ誘う様に、わたるの行く道先へと伸びている。

 それはさながら、彼をこれから数奇な運命に絡め取ろうとしているかの様だった。

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