第二話『閑話の談笑』 急

 喫茶店を襲ったテロリスト「じんかいかいてん」の二名は早々に退場する事になる。

 ず、一人はことから軽い平手打ちをもらって膝から崩れ落ちた。


「え? な、何が起こった!?」

「脳が揺れたな。流石さすがの腕前というところか」


 動揺して逃げ出そうとするもう一人の仲間にふさがった。


「この、退け!」

せっかく話し合いに来たのだから、じっくり話せば良い。但し、公安警察とな」


 テロリストが仕掛けた軍刀の一振りを、は二本の指でつかんで止めた。

 そのままがら空きになった脇腹へ二・三発の蹴りをたたむと、テロリストは手から軍刀を離し、膝を突いてもんぜつした。


「お前も一旦寝てろ」


 かかと落としを脳天に受け、男は気を失った。

 こうして、テロリストはほとんど何も出来ずに二人仲良く夢の世界へと旅立った。


(強え……。ぼくの出る幕、全然無いじゃないか)


 あまりにもあっさりとした解決に、わたるぜんとしてしまった。

 引き倒されたことからも明らかだが、もし仮にこのと衝突していたら、自分も同じ様にやすく片付けられていただろう。


「警察に連絡を。それから、我々の分の会計をお願いします」


 は店員を落ち着かせる。

 わたるは立ち上がってことの元へ駆け寄った。


こと、大丈夫? は無い?」

「あるわけないけれど、何も出来なかったからとりえず心配して声を掛けたってところかしら?」

「感じ悪いな。図星だけど」


 わたることがやりとりをしていると、店員と話し終えたがやって来て財布から万札を数枚差し出した。


「災難だったな。迷惑料代わりだ、好きなように使うと良い」


 わたるは渋い顔をした。

 高校生にとって結構な額だったが、そのまま受け取るのもしゃくに障る。


「別に迷惑なんて掛けられてませんよ」

「そうかな。だが、こういうのは素直に受け取っておくものだ。今のうちに処世術は身に着けておいた方が良いぞ」


 はそう言うと、わたるに金を半ば強引に掴ませた。


おれの懐具合は心配するな。こういう時に気持ち良く金を出してやるのが大人のしょうというものだ」


 釈然としないわたるに、ことに不敵な笑みを向ける。


うる君、さっきも言ったが、おれを甘く見るなよ。おれきみの事をよーく知っている。きみが思っているよりもはるかにな。ゆめゆめ忘れるな」


 と目と目を合わせることは何も言葉を返さない。

 少しの沈黙が流れたが、は腕時計を見て踵を返す。


「もたもたしていると警察が来るからな。おれにはこの後色々予定がある。この場はきみ達に任せよう。じゃあな、王子様」


 一方的にりふを残して去るの背中を、わたるは多分に腹を立てながら見送った。


こと、あいつ何なの?」

きゅう。大学で政治学を学び、卒業と同時に母の事務所に転がり込んで来た男よ。今はまだ若いから私設秘書をしているけれど、優秀だからそのうち政策秘書を任されると思うわ。その後、母のつてで政界入りするつもりでしょうね」


 ことの母・すめらぎかなは与党の衆議院議員であり、防衛大臣政務官を務める有力政治家である。

 元々はほうまつ政党の候補だったが、政治思想の近さから当時の首相に後押しされ、政党をくらえしている。

 そのすめらぎ議員に気に入られているということは、彼女が決定的に失脚しない限り将来は盤石だと思われる。


「仮にあいつが政治家になったとしても、ぼくが票を入れることは無いかな。聞いた? 『おれきみの事をよーく知っている。きみが思っているよりも遥かにな。努々忘れるな』だってさ。まるっきりストーカーの台詞せりふだよねえ」

「そう言う貴方あなたはまた随分タイミング良く出てきたわよね」


 へらへらと笑いながら冗談ぽくことに話し掛けるわたるだったが、返ってくる視線は冷ややかなものだった。


貴方あなたが体育の授業の時、わたしのことをチラチラ盗み見ていること、気付いていないと思う?」

「な、何ノ事カナ?」

「中学生の頃、わたしの椅子の匂い嗅いでた事あったわよね?」

「そういうのは中学と一緒に卒業したって!」

「賢明ね。流石に今やったら絶交するわ」


 わたるが石の様に硬くなったのを見てことためいきいた。


「良い機会だから自分の行いを少しは省みなさいね。わたしとしても、長い付き合いのおさなじみを警察に突き出したくはないわ」


 ことはそう言うと、硬直したわたるを置いて店を出て行った。

 お陰で、通報を受けた警察の事情聴取はわたる一人で受けることになった。




⦿⦿⦿




 喫茶店の一件から二週間がち、十月十五日金曜日。

 色鮮やかな実りと早くなる黄昏たそがれに、道行く人々はまた一つ年が暮れに近付いていることを思い起こす。

 秋が深まる物悲しさには、冬の景色とはまた違った移ろいの情緒がある。

 それは遠くなった始まりの季節と迫る終わりの季節のはざで、重ねられた歳月とともに情景を優しく包み込み、未来へ向かう世代の歩みを映す。


 この日はわたること、そしてふたの三人であいの無い会話を交わしながら下校していた。

 ことが居なくなったのは一年前の事件の日と、二週間前の時だけで、他の日はこうして家路を共にしている。

 ただ、その二つの日に何の用事があったのか、彼女は頑として話さなかった。


 わたるがそれを知るのはもっとずっと後の事だ。


ずみさんの貸してくれた漫画、面白かったわよ」

「良かった。いつもとはジャンルが違うし、好みに合うかなって心配だったけど」

「何借りたの?」

「いやらしいわね」

「どういうこと?」

さきもり君のえっち」

「どういうこと!?」


 何気ない日常が色づく街と共にゆっくりと流れていく。

 大通りの銀杏いちょう並木はすっかり秋の装いをまとい、鮮やかながね色の輝きをどこか誇らしげながらもはかなげに示している。

 やはり、今年もまた季節の流れが例年よりも早い。

 こうこくの出現によって太平洋の地形が変わった影響だという推測も、大っぴらにSNSで流れるようになった。


 どこまでも続くこうようが、街行く三人の記憶をそっといろどっていた。


 が、そんな三人の元に正面から招かれざる客が訪れた。


「随分とまあ、のんに楽しい高校生活を送っているようだな。大変結構な事だ」


 だった。

 黒いコートを纏った姿は相変わらず威圧感がある。

 わたるは露骨に嫌な顔をし、ふたことの陰に隠れた。

 そしてことめんそうに口を開いた。


「何の用ですか、さん?」

「一つ良いしらせがある。じんかいかいてんの残党が全員検挙され、壊滅となったらしい。これできみのおさんも多少は浮かばれるかもな」


 わたるは首をひねった。

 例のテロ組織の壊滅がことと何の関係があると云うのだろう。

 そして、何故なぜはこうも例のテロ組織について詳しいのだろうか。

 彼自身はじんかいではないと言っていたが、どこまで真実なのだろうか。


 ことものげな表情でに答える。


「多分……そんなことは全然無いでしょうね」

「それもそうか。やはり……彼の望みは一つなのだろうな」


 ことの反応からすると、全く無関係ではないのだろうか。

 だがこれまでのことを思えば、わたるいたところで答えてはくれないだろう。

 そんなわたるゆううつを余所に、事情に通じているという面で先んじているは再び攻勢に出る。


「なあうる君、きみはどうしたいんだ? 本当に母親の後を継がなくて良いのか? 自分の進むべき道をよく考えるんだ。おれが示している道は、きみが未熟な経験から考えているよりずっとまっとうでスマートなものだ。黙っておれに付いてくるのは決して悪い選択ではないだろう」


 の目は真剣そのものだった。

 間違い無く、本気でことの事を勧誘している。

 わたるは何か言い返してやりたかったが、どうするか決めるのはことであって、自分が出しゃばるべきでは無いだろうとおもとどまった。

 当のことは、小さく息をいた。


さん、貴方あなた貴方あなたの道を行けば良い。でもわたしにはわたしの生き方があります」


 わずかに眉をひそめた。


「もうわたしに構わないでください。二人とも、行きましょう」

「あ、ああ……」


 わたるふたはそろそろとことの後に続いた。

 は三人を目で追って振り返り、その場でじっと彼らの背中を見ていた。


「ふん、生意気な事を言う……」


 わたる達から見えなくなるまでその場でたたずんでいた。


⦿


 三人の沈黙を破ったのはふただった。


「今の感じ悪い人、知り合い?」


 ふたの抱いた印象も、わたると同じく好ましくなかったらしい。


ずみさんもそう思う? やっぱあいつ、感じ悪いよね」

「なんて言うか、自分が正しいと思ってて、生き方を型にめようとしてくる感じがすごく不愉快だなって。何となく、子は親に、女は男に従うのが当然だと思ってそう。で、思い通りに行かなきゃすぐ暴力振るいそう」


 あまりにも辛辣なふた評に、わたるは思わず吹き出してしまった。

 実際、ことに断られた際に手首を掴んでいるから、後半は間違いと云えないかも知れない。


うるさん、お母さんがどうとか関係無いからね。うるさんはうるさんなんだから」


 ふたの言葉は先日こと自身がに言った事だ。

 ただ、それを友人に言ってもらえた事がうれしかったのだろうか、彼女は小さく笑った。


「ええ、そうね……。ありがとう、ずみさん……」


 三人は取り留めも無い会話に戻り、駅までの道を歩いて行った。


 青春の日々はいずれ終わりを告げる。

 だが、そこにあった景色はきっ変わらず、また次の誰かの青春を彩るだろう。

 人々の時代を動かすのは、いつだって人々が重ねた年月である。

 それが新たなる希望に満ちた世界を築き上げるのか、これまでの世界を打ち崩して地獄に落とすのかは、時が来るまで誰にもわからない。


 黄金色の銀杏並木がただ彼らの背中を見送る。

 そうして、歳月はまた過ぎていく……。

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