さようならとはじめまして (2)

 そうすれば、なんてことはないのだから。

 シュレーゲル王国の最南端にあるこの村から王都までは遠かったが全く帰って来られない距離では無い。


 家財道具と言う程の物もアンはそれほど持っていない。ベッドとクローゼットに小さなドレッサーが一つ。

 でも本、どうしよっかな……と手紙の到着後、本格的に荷造りを始めたアンは自分の部屋にある本棚を眺める。本棚には農業や植物についての記録文の写本や図鑑がみっちりと収まっていた。それらを持って行ったとして、それが必要になるのかまだ分からない。


 どんな暮らしが待っているのか皆目見当もつかない中での荷造りはなかなか難しく、結局は農作業で鍛えたアン自身が背負ってどうにか出来る分だけの荷物を大きな布袋とトランクに纏めた。


 母親からは「私も随分頑丈な子を産み育てたみたいだけど流石に重くないの?」と言われる始末ではあったが田舎娘とは言え年頃のレディなのでこれでも譲歩したつもりだった。

 村から出て行く当日には王都からではなくダンデリオンの屋敷から馬車が迎えに来てくれて一度、その屋敷で王都に向かう為の馬車に乗り換える手筈になっている。

 同行するダンデリオンも天候次第で馬車に同乗するか、天気が良ければまた自ら馬に騎乗し、王都に向かうのだろうな、とアンが考えながら荷造りをしていると「そうだ」と一つ、思いつく。


 屋敷での乗継の際にもしまたあのメイド、フリジアに会えたなら……アンは彼女にお礼がしたかった。あれからアンが受け取った紅茶の茶葉は彼女の大切な人たちと分かち合い、最後の一滴まで美味しく頂いていた。

 ただ当日、会えるか分からないし渡せるかどうかも分からなかったがこれは自分の感謝の気持ちだから、とキッチンに行って棚に置いてある小さな瓶をいくつか手に取り、その中身を紅茶が入っていた缶に丁寧に詰めて蓋をする。



 アンに辺境伯の屋敷から向かえが来たのは両親共に仕事で忙しくなる直前の頃だった。

 マーガレットや友人、薬草畑に勤める同僚から近所のおじさんやおばさんたち、村長や司祭までもが道に出て来て王都へ向かうアンを見送る。

 アンバーの原石が教会の大きな香炉から掘り起こされてからこの旅立ちの日に至るまではたったのひと月足らずの期間だった。

 その間、土や植物に触れる事は禁じられていたので仕事に出る事が出来ず、それでも薪割りや瓶詰めの保存食を作ったり、食事の支度や掃除、家の修繕から何から何まで出来る限りの事をアンは済ませていた。


 それはまるで、ずっと住んできた家そのものにもお礼とお別れを告げるように。


 一人でぼーっとしているとどうしても不安が込み上げてきてしまい、それを払拭したくてアンは思いついた事の全てをこなした。

 高齢の夫妻が住んでいる隣のお家の薪割りも、教会の香炉や祭壇も磨いてお世話になった本棚の整理もした。


 王都へ旅立つアンに沢山の祝福をしてくれる村の人々。

 それでも母親の表情は寂しそうで、父親も気丈に振る舞ってはいるがなんとなく空元気な雰囲気をアンは感じていた。


 血の繋がった親子だからと言うのもあったがやはり一つの家を中心にずっと暮らして来たからか、分かってしまう。


「みんな、行ってきます」


 ゆっくりと走り出す馬車の小窓から身を乗り出し、アンは手を振る。

 いってらっしゃい、気をつけて、と掛けてくれる言葉が聞こえなくなるまでずっと手を振り続け……村の入り口も見えなくなるまで手を振り続けたアンは寂しそうな瞳をして窓を閉じる。どうやら御者が気を利かせて馬の速度を落としてくれていたらしく速度が上がる。アンもやっと前を向いて座り、ポシェットの中から一番お気に入りのハンカチで包んでいたアンバーの原石を取り出してぎゅっと両手でお祈りの時のように手のひらを合わせて包み込む。


 大丈夫。

 きっと、大丈夫。


 心細さを勇気づけるように言い聞かせるアンを乗せた馬車は辺境伯の屋敷へとひたすらに走って行く。

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