第2話

さようならとはじめまして (1)

 ダンデリオン・フェンネル辺境伯の屋敷から帰って来たアンは暫くいつも通りに暮らしていたものの自分の部屋を少し、片付けていた。

 それはもう、この家から離れなくてはならない事が分かっていたから。


 幸いにも今は農閑期でアンもまとまった休みの最中。

 日中は家の事をしたり薪を割ったり、外の小さい納屋兼貯蔵庫に行って野菜を取って来て瓶詰のピクルスにしたり……とあらゆる手仕事をしていたのだがアンは今、植物に触れる事が出来なくなっていた。特に売りものである薬草だけでなく、自宅にある畑の土にすら触れてはならないとダンデリオンが早馬で手紙を寄越してくれたのだ。


 そんなアンは今、とにかく、非常に、退屈だった。


「それは本当にワーカーホリックだったのよ。休みの日まで仕事の本読んでたし」

「だって……なんかこう、探求心みたいな物が湧いてきちゃって」


 すごく美味しいお茶があるから付き合って、と冬の昼下がり。

 アンの家の暖炉の前で親友と……あの日、アンと一緒に教会でアンバーの原石が掘り起こされたのを見守ってくれたマーガレットを呼んでお茶を始める。

 小さい頃からずっと一緒のマーガレット。仕事はそれぞれ違うしマーガレットには今、結婚を約束している素敵な男性のパートナーが存在していたが不思議と毎年、収穫祭や建国記念日のお祭りが行われる祝祭の二週間の間は日にちを決めて必ず二人で教会に行っていた。


 そんな折りでの出来事は本当に村中を挙げてのお祭りとなって、当事者であるアンすらその時は酷く困惑していた。

 しかしながらここ数日、アンにも決心がついたと言うか――マーガレットとも暫く会えなくなる事はまだ隠してはいた。けれども今より半分くらいの背丈よりももっと小さな時から一緒だった彼女にはアンの心の揺らぎなどお見通しだったのかもしれない。


 普段だったら気楽なお茶の席、適当に持ち寄ったお菓子やお惣菜でだらだらとおしゃべりをしていた筈なのに今日のマーガレットは木の実がたっぷりの大きな甘いパイと、彼女が一番得意でアンの大好物のレモンクリームを瓶いっぱいに詰めて持ってきてくれていた。


 王都に住む事になればいつ帰って来るのかも分からない、帰れるのかすらアンには分からない。父と母、親友とこうして気軽にお茶をするのだってもう……親友の花嫁姿を見る事が、出来ないかもしれない。


「アン、大丈夫よ」


 いつしかアンは泣いていた。

 もういい大人だと言うのに、親友の前でぼろぼろと溢れ零れてしまう涙を止められない。


「マーガレット、わたし……わたしね、言わなきゃいけないことがあるの」


 エプロンのポケットに入れていたハンカチで押さえても、マーガレットに背中を撫でて貰えばさらに涙が溢れてしまう。

 それでもアンは自分がこの村から離れる事、マーガレットに直接結婚のお祝いが出来ないかもしれない事を伝えるが優しい親友はうん、うんと頷いてアンの涙が止まるまでずっと背中を撫でていてくれた。



 そうして辺境伯が馬で王都にある城に向かって一週間。正式な書状が彼の屋敷からの使者の手によって村長の家へ、そしてアンの家にも直々に届く。

 その内容にアンの両親は寂しそうに、けれども娘を王都へ送り出す事に大きく驚いたりはしなかった。そのことについてはアン自身がもう、手持無沙汰を解消するのも兼ねて自分の部屋を片付けたり親友のマーガレットを呼んで長くおしゃべりをしていたのを見て気が付いていたらしい。


 年末から新年にかけて、アンの家にとってはあまりにも急な事態だった。しかしながらこれからシュレーゲル王国はまた農耕大国として青く茂る季節を迎える準備を始める。冬の間に寝かせておいた土を起こして種を蒔き、春に向けての準備をする。


 その前に、アンは管理された場所に移らなければならない。

 よその村や街に出稼ぎに出たり、独立したり、結婚をしたりと様々な理由で家族のいる家から出る事など日々、当たり前のように行われているがアンの場合はそれが少々急で……ちょっと、珍しかっただけ。


 衣食住は国に保障されている。

 寄宿場所から仕事に出ればきちんとその分の賃金も全て自分の物として良いなど……待遇の良い住み込みの出稼ぎだと思えば良いと両親にも、自分にもアンは言い聞かせた。

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