ヘルマン村のアンジェリカ (6)

 アンはダンデリオンの出発の見送りまで夫人と一緒にさせて貰い、自身もそろそろ村に帰る時間になる。

 帰りは彼の持つ馬車ではなく街と街を繋ぐ乗り合い荷馬車を乗り継いで帰る事になっていた。今からだと着くのは早くてお昼過ぎかな、と日が落ちるのが早い季節だったが明るい内に家に帰れるようにとのダンデリオンの計らいで早めに屋敷から発つ。


「お世話になりました」

「畏まらなくていいのよ。私もあなたとお話が出来て本当に楽しかったわ。夫のみならず、また会う事があるかもしれないから楽しみにしているわ」


 朗らかに笑って見送りに出るマドレーヌにアンはトランクを持って昨日向かった街まで歩き始める。

 最後までついていてくれたフリジアから「お昼に是非、食べて下さい」と昼食の入った包みまで渡され、至れり尽くせりだった事にアンは何度もお礼を述べながら屋敷を後にした。


 そうして一人、すぐ近くの大きな街まで歩いて乗り合いの荷馬車に乗り込む。

 年末から始まっていたお祝いの日は今日までだから、と目一杯楽しんでいる様子の街から離れ、ガタゴトと素朴な荷馬車に揺れているとどうしても両親の姿を思い出してしまう。これから二人の待つ自分の家に帰るのだから当たり前だったのだが……そう幾日も経たない内にアンは家から出て一人、王都に向かう事になる。


 これは決定事項だった。

 神から宝石と能力を授けられた者は王都に住んでいる――予め読んでおいて欲しいと辺境伯から贈られた記録文のような本を読んだ所、一同に集められている訳では無さそうだったが生まれ育った場所から離れて王都に住む、と言うのは必須の条件らしい。


 昨日、聞き取りの際にダンデリオンから聞かされていた言葉をアンは反芻する。

 そうして自分の存在が危険なものであることを自覚せざるを得なかった。


 アンバーの出現、それに伴い授けられた豊穣の手の能力は植物の成長に強く関わる。

 成長を酷く捻じ曲げる程ではないにしても実際に触れて育てた植物は実りが非常に良くなる、と同じアンバーを出現させた者の影響力について本に記されてあった。つまりアンがこの先、自分の手で危険な毒草を育ててしまった場合、通常の数倍もの毒性を持たせる事が可能になってしまう。


 ティースプーン一杯でやっと効くような毒が、一つまみだけで効いてしまう。

 感知できるほどの苦みも、微量ならば分からなくさせてしまう。


 しかしながらそれは反面、良い事にも使える。

 薬草ならばその薬効は高まり、うんと少ない量で賄える。同じ収量でも少なくて済むのなら今まで十人にしか使えなかった薬草が二十人へ、と倍になる。まさしく物は使いようだった。

 良い事にも悪い事にもアンの考え方や気分次第で容易く傾いてしまう。

 国益をもたらす者にも、仇を為す者にもなれる――だからこそ、何か秘密裏に悪いことを企てないように然るべき者たちの目の行き届く範囲である王都に住まわせなくてはならない。

 今は一時的に途絶えていたらしいがアンの先達にあたる人物もその豊穣の手を持ちながら、王族の屋敷の庭師として普段は住み込みで働いていたと本に記されていた。


 きっと私もそうなるのかもしれない、とアンは感じていた。

 常に誰かの目がある場所で、行動の全てを管理される。


 村の皆は祝福してくれたがこれは神様が自分にもたらした試練なのかもしれない。そうだったとして、自分はその試練に耐えられるだろうか。喉元まで苦く込み上げてくる不安と寂しさを胸に押し込めばちょうど、乗り継ぎの街に荷馬車が到着した。


 近くで待機していた馬の手綱を握る御者に聞いてみれば村から一番近い街への出発まで少し時間があるそうなので御者にチップを渡して先に荷台に座らせて貰い、ずっと手に持っていたままだった昼食の包みを開く。


 お腹の減りは、気持ちを萎ませてしまう。


「あ……」


 そこにはスライスされた分厚いチーズが挟まったパンとは別に手のひらほどの丸くて平たい缶の入れ物が一つ入っていた。

 それはとても軽かったのでアンも気が付かなかったが持ち上げた時に僅かにかさかさとした感覚。もしかして、とそっと蓋を開ければアンが「美味しいです」と伝えた紅茶の茶葉が詰まっていた。


 なんて優しい人なのだろう、とアンは思う。

 メイドのフリジアとはほんのひと時の交流だったと言うのにここまで気を使ってくれるのはやはり仕事に誇りを持っているからなのかもしれない。


 茶葉の香りを嗅げば気分が少し落ち着く。

 家に帰ったら両親と飲もう、と蓋を締めたアンはサンドイッチを大きく頬張ってよく噛んで、飲み込む。


 帰ったらまず、どんな話を両親にしようか。そして自分が王都に向かう事になっても、後ろ盾となって貰える辺境伯とその夫人はとても気さくで芯の通った人たちだから大丈夫なのだと伝えよう、と――アンが分厚いチーズが挟まったサンドイッチをひと口ずつ、しっかりと噛みしめていれば時刻は荷馬車の出発の時間になっていた。

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