第3話

 歩幅を合わせて、先へ、先へと足を進める。


 等間隔にならんでいた街灯の感覚が、段々と等間隔ではなくなり、徐々に広くなっていく。ぎゅうぎゅうと肩を寄せあっていたビルたちの背が低くなって、空が広くなっていく。


 そして更に進むと、右にも左にも畑が広がっていて、遠くの方にぽつりぽつりと建物が見えるくらいになった。おまけに街灯と街灯の間は広くて、視界を照らすものはほとんど月明りだ。


 ふと、誰かに呼ばれたような気がして足を止めた。


「どうしたの?休憩、する?」


「ううん。まだ平気。それより、なにか聞こえない?」


「え?何が?」


 目を閉じて、耳を澄ませる。


「……なのです。ですから……た……の」


 遠くの方から風にのって、少しノイズの混ざった女性の声が聞こえる。


「ほら、聞こえる?」


「ううん、誰か喋っているのかな。多分、この先かな」


 段々と大きくなる声を辿りながら、そのままのペースで歩いていく。


 すると、なにやらぼんやりとした明かりが見えてきた。街灯の青白い色の光ではない、少し温かみのある小さな明かりだ。


 もう少し近づくと、何台もの照明器具に照らされたその場所の様子が、はっきりと見えてきた。


 二階建ての小さなビルのような建物の前に十数人程度の人だかりができている。その中心にはよく学校においてある朝礼台のような台があり、その上に若い女性が一人、マイクを握りしめて立っていた。


「私達は、まだ負けてなんていないのです。私達が地球人である尊厳を失わない限り、この戦いには負けないのです」


 その女性はキンキンとする尖った声で話す。


「そうだ、尊厳を失ってはいけないんだ!」


 ガラガラとする老いた男性の怒鳴るような声が続く。


 ああ、きっとこの人達もまだこの状況を信じたくないのだろう。


「ほら、そこの二人組。あなた達もそう思うでしょう?」


 いきなりの指名にどう答えていいかわからなくなり、心臓が急に早く動き出す。


「すみません。そういうのは、よくわからないので」


 何も答えられないで金魚みたいに口をパクパクさせていた私の代わりに、遥輝が答える。


「それは大変。あなた達、地球人の尊厳を失おうとしているの?もしかしてアイツらに降伏するのが正しいって思っているの?それでも本当にこの地球で生きていたことに誇りもなにもないわけ?」


 まくしたてるようにその女性は言う。


「い、いえ……」


「そういうわけではないんですけど……」


 あまりの勢いに私も遥輝も小さな声でしか言葉を返すことができない。


「そんなの地球に暮らす人間としてありえない!」


「それでも本当に地球に暮らす人間か?」


「馬鹿じゃないのか?」


 機関銃みたいに罵りの言葉が降ってくる。どうしようもできなくなった私は、ギュッと遥輝の手を握って下を向いた。


「まあ、みんな落ち着け。この二人は残念なことにまだ何も知らないだけかもしれないぞ」


 誰かがそう言うと、言葉の嵐はピタリと止んだ。


「ああ、かわいそうに。そういうことだったのね」


 そうしてさっきとは真逆の言葉があちらこちらから降ってきた。


「それなら教えてあげるわ」


 その言葉に釣られるように顔を上げると、台の上にいる女性が満面の笑みでこちらを向いていた。


「このまま何もしなければ、アイツらは地球に暮らす人間を明日にでも回収しに来るの。それは知っているよね?」

二人揃ってうなずく。


「その先、どうなるか知っている?」


「いえ、知らないです」


「私も知らないです」


 その答えに満足したのか、さっきよりも一オクターブくらい高い声でまくしたてるように話を続けた。


「アイツらは地球人をなにかに利用しようなんて考えているはずはないの。回収されたら私達はアイツらからしたらただの『戦果』なのよ。これだけ生き物を狩ることができましたっていう、戦果。大昔の戦いで言えば耳みたいなものね。だからもし、アイツらが私達を利用することが出来るとしたら、地球人の尊厳を奪うような行為だけだわ。そんなこと、地球人として許されるはずがないでしょう?あるはずがないでしょう?だからね、回収されないようにするのよ。そうすることで私達を地球人の尊厳を守ることが出来るの」

 ギラギラと光る丸い目や、にいっと横に伸びる口の隙間から覗く歯が、まるで怪物のようで不気味だった。周りの人達の目もずっとこちらを向いている。まるで、獲物を見定める肉食動物のようだ。


「ねえ、ところで二人はこんなときにどこに行くの?もしもアイツらから逃げようと思っているならさ」


「海に行くんです!」


 遥輝が女性の言葉の勢いを断ち切るように、声を上からかぶせていった。


「へえ、海に。なんで今?」

 

 大きく息を吸って、ゆっくりと吐く。なるべく緊張しているのがばれないように、堂々と私は答える。


「だって、地球にいられるのが最後なんですよ。海、見たくなるじゃないですか」


「ああ、母なる海だものね」


「見たくなるものわからなくないな」


 私達を取り囲んでいた人達の目が段々と穏やかになっていく。


「そうなのね。地球人として素晴らしいわ」


 壇上の女性はそう言って、ポケットから黄色い錠剤の入った瓶を出した。


「海に行って気が済んだなら、これを飲むといいわ。眠るように全てから開放されるから」


 ヒッ、と、喉の奥で悲鳴が上がりそうになるのを堪えた。ここで取り乱したら、きっと捕まってしまう。


「ありがとうございます。でも、大丈夫です。僕たちも一応手段は持っているので」


 遥輝がこれでもかというくらいの営業スタイルでそう言った。


「あらそう?ならいいけど。海ならこの先の交差点を左に曲がったところに駅があるから、そのまま線路沿いに東に行けば着くわ。終点が海水浴場だったのよ。歩きだと、二時間くらいかしら。頑張ってね」


 ぺこり、とお辞儀をして言われた通りの道を進む。あとどれくらいかが分かると、ちょっぴり元気が出てくる。

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