エピローグ
「私、カップ麺選びのプロなんで。パッケージだけでうまいかどうかわかるんすよ」
山奥の洞窟の中、山と積まれたカップ麺を横に、土岐は葉巻から煙をくゆらせながらそう言った。
安芸は頭が痛そうな表情を浮かべ、缶ビールのプルタブを開けた。
「『ちゃんとした飯』の定義を話し合う必要がありそうだな」
「アリスには好評っすよ」
「食育だけはわりと真面目にしてたつもりなんだがなぁ」
嘆くように言う。
ランタンの小さな炎がわずかに揺れ、土岐の隣で眠るアリスの背中が照らされる。
安芸はひとつため息をついて、ふっと表情を和らげた。
「だがまぁ、変わらず元気そうで良かった」
「それ言うの五回目っすよ。疲れてます?」
「理事長なんてやってりゃな」
再びため息をついて、何本目になるかもわからないビールをあおる。頬はすでにかなり赤く染まっている。
前理事長、由仁千屋彩夢を倒してから半年がたった。
連続魔法少女失踪事件の終着。
魔法少女による妖精の討伐。
魔物と妖精の対立の真相。
土岐たちの掴み取った決着により、世界のありかたは大きく変わり……と思いきや、現実はそう単純ではなかった。
由仁千屋の置き土産は、土岐とアリス、生徒会長の三人しか聞いていない。だから、メディアを前に土岐はすべてを正直に語った。世界がどうあるべきか、正解はわからないが、このまま隠しておくべきではない。そう思っての告発だった。
土岐の言葉は世間にとってショッキングなものだったらしく、テレビやネットで相当な論争を巻き起こした。
が、それだけだった。
真相がどうあれ、人類にとって魔物はコミュニーケーションの取れない脅威であり、妖精は魔物の討伐に協力してくれる存在である。この構図が変わらない以上、ほかの選択肢を取るわけにはいかなかった。
それでもあえて変化したことを挙げるなら、「ブラックホールゾーンは人間には扱いきれない技術だから埋めろ」という声がやや大きくなったくらいか。
巨大な水槽の中、ひとつもがいた程度では、波は立たないらしい。右腕を犠牲に手に入れた知見は、あまりにささやかだった。
「まぁ、あんま気にすんな。悪いのは全部アヤメだ。お前らが自由を捨てる義理はねぇ」
「どっちかっていうと私もそう思うんすけどね」
由仁千屋によって変質した土岐たちの身体は、変わらなかった。アリスと土岐は、ただそこにいるだけで魔物を引き寄せる。いわば歩く災害として生きることを余儀なくされた。
だから、ふたりはほどなくして、山奥の洞窟に身を隠し、世捨て人のごとくひっそりと暮らすようになっていた。
「アリスが気になるみたいなんで」
「こいつの親はそんな繊細さ持ち合わせちゃいなかったってのに、誰に似たんだか」
「そら育ての親でしょ」
「ふん。ならなおさら、もっと図太くなれっての。こんなジメジメした洞窟にこもって、気が滅入るだろ」
「私は、アリスがいるから大丈夫っす」
土岐は明るい声でそう言うと、わずかに顔をうつむけた。
「けど、やっぱりまだ、チャオがいないことは、ちょっとだけ違和感あります」
「……そんくらいのほうが、あいつとしても嬉しいんじゃねえの。すぐ切り替えられたらそれはそれでショックだろ」
「そう、なんすかね」
いつまでもうじうじと。甘えるなと。ため息まじりに言われそうな気もする。
葉巻を弄びながら脳内のチャオと会話する。
安芸は煙をひとつ吐いて、静かに問いかけた。
「学園魔法少女のべつの呼びかた、養殖以外で知ってるか?」
「……なんでしたっけ。緑がなんかって」
「色なき緑の魔法少女、だ」
ああ、と声が出る。一番最初、理事長からアリスの捕縛を依頼されたときに出てきた単語だ。
「外側だけで中身が入ってない、みたいなアレっすよね」
「この言葉、アタシが言いだしたんだ」
「……理事長、ブチギレてましたよ」
「アヤメ、学園トップとしての誇りと気高さは本物だったからな」
愉快そうに笑って、ビールをあおる。
「これな、妖精から魔力を外注してることを揶揄した言葉だって勘違いされてるけど、本当は違う意味で言ったんだよ」
思わず目を丸くしていると、安芸は視線を斜め上へ向け、懐かしむように語り始めた。
「アタシが生徒だったころの相方、アヤメだったんだ。卒業して教師として働くようになって、最終的に道を違えたわけだが、嫌いになったわけではない」
そこで一旦言葉を切ると、安芸は赤い頬をポリポリと掻きながら続けた。
「なんつーかな、寂しくなったんだよ。アタシの内側にはずっとアヤメとの思い出が残ってるのに、横には誰もいなくてさ。アヤメがいなきゃなんもできねえなんて、そう本気で嘆いたときに、色なき緑の魔法少女だって自虐したんだ。……それが、いつのまにか意味が変わってアヤメまで流れ着いちまった」
苦笑しながら話して、ごまかすようにビールを流しこんだ。
土岐は葉巻の煙をくゆらせて、まっすぐに安芸を見据えた。
「安芸さん、今は」
「今もまだ、アタシは色なき緑の魔法少女だよ。たとえ茂理が帰ってきたとしても、変わらずな」
「……」
安芸ほどの魔法少女から発せられたとは思えないほどに、自嘲的な、弱い声。
彼女の顔は柔らかく、思い出に浸る老婆のように穏やかだった。
「だからまぁ、なんだ。みんな、案外そんなもんだよ。土岐だけじゃない」
「……そうすね。けど、私にはアリスがいますから。色なき緑のまんまで、前を向いて生きていこうと思います」
土岐はそう答えて、隣で眠る少女の右手を握りしめた。
赤黒く変色したままの異形は、それでも、人間の温度をしていた。
色なき緑の魔法少女が猛烈に眠らない しーえー @CA2424
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