第10話

「っ……」

 アリスは唇を噛んだ。すでに三つの注射痕をつけられた細腕に、宙を浮遊する注射器が迫ってきていた。

「へんなことを考えないでくださいね。土岐さんがどうなってもいいのなら、話は別ですが」

「……さっさと打ちなよ」

 スカートを握りしめながら強がるように言う。

 あの後、アリスは理事長に連行されるなり、拘束を解かれた。

 どういうことか。不審な目を向けるアリスだったが、たった一言、「土岐さんの無事はあなたの態度によって保障されます」というセリフが、どんな堅固な檻よりも彼女の自由を奪った。

 それにしても、わざわざ拘束を解く意味はあるのか。疑問が首をもたげたものの、思い直されても嫌なので、あえて口にはしなかった。

 注射器の先端が、鋭い痛みを伴って細腕に着地した。中身がゆっくりと内側へ侵入してくる。

 熱い。

 中身の液体が熱されているわけではない。だというのに、注入された箇所が熱を持ち、身体全体に広がっていくような感覚があった。

 全身から汗がにじんでくる。

「魔物嫌いのくせに、魔物の魔力は大丈夫なんだね」

 アリスの軽口。

 完全無視して、理事長は注射器を燃やした。

 さっきからずっとこの調子だ。理事長から煽られることはあれど、アリスからコミュニケーションを取ろうとすると、まったく応答がない。

 得体のしれなさと、自身の身体に起こる変化が、じわじわと精神を追いつめてゆく感覚があった。

 だが、土岐を守れるなら、それでいい。己に言い聞かせ、悲鳴を上げる本能を理性で屈服させる。

 ぐらりと頭が揺れた。

 重たい、とまず思った。バランスが悪い。こんな高い場所に五キロもの球体を設置するなんて不合理極まりない。取り外せないものか。ぐるぐると脈絡なく思考が巡る。土岐は無事だろうか。会長にひどいことをされていないといいが。退学がかかっていると言っていた。母親に勘当されたらどうするのだろうか。どんな人なのか一度見てみたかったな。ぐるぐる。ぐるぐる。

 二本足でバランスを取るのが難しくなってきた。頭がぼーっとする。視界もすこし曇ってきたような気がする。

 目を前に向けると、理事長が邪悪な笑みを浮かべているように見えた。

 なんだか異様に腹が立った。

 よし、殴ってやろう。そう心に決めて一歩踏みだすと、身体が大きくふらつき、

 どっごおおおおおおおおおおおおおん!!!

「!?」

 大きな爆発音が霧を晴らした。

 思わず振り向くと、入口の扉が大きく破壊されていた。煙の奥から、覚えのあるにおいがつんと鼻をついた。

 なんのにおいだったか。と思考を巡らせようとしたところで、煙の中から土岐が駆けてきた。

 頭から赤黒い液体を被っていた。

「エマ!?」

「アリス!」

 思わずほころんだ顔が、すぐに青ざめる。こんなことをして理事長が黙っているはずがない。反射的に振り向く。

「……?」

 動きがない。椅子にふんぞり返っていた理事長は、今は胸をそらしているというより、もたれかかっているといったほうが正しいように見えた。目を見開き、両ヒレで鼻を押さえている。

 どういうことか。戸惑うアリスの手を土岐が握った。

「行くよ!」

 走り出す土岐。

 アリスも慌てて足を踏みだした。力がうまく入らないが、なんとか踏ん張って、こけないよう脚を回す。

 理事長室からの脱出は、驚くほどあっさりと成功した。

「エマ、どうしてここに。それにその頭、師匠の」

 土岐の放つにおいにようやく察しがついて尋ねる。彼女の頭から垂れている赤黒い液体。正体は、師匠から土産としてもらった瓶に凝縮して封印されていた、魔物の血液だ。

「いいから、一旦逃げよう。安芸さんとこまでいけば匿ってもらえるかも。脚も用意しといた」

 走りながら、土岐はポケットから鍵を取り出してみせた。

 アリス救出作戦の前、大和たちに協力を仰いだ際に得られた戦果、原付の鍵だ。本体は駐輪場から目立つところに出しておくと言っていた。

「とにかく駐輪場行こう」

 アリスの手を握って走り、旧校舎を脱出し――眉間をしかめた。視線の先に、スーツ姿の教員が三人立ちふさがっていた。

 真ん中の女性が一歩踏み出し、声を張った。

「土岐依満さん。天然魔法少女。連続魔法少女失踪事件の容疑者として、連行します。おとなしくしてください」

「……無実の罪の着こなしかたは教わった記憶ないんすけど」

 土岐はアリスの手を離し、ファイティングポーズを取った。

 なんだかんだ、短剣を握っていたときよりもしっくりくる。最初からこうすべきだったかもしれないと考えつつ、身体を前後に揺らした。

 と、

「――邪魔」

 アリスが消えた。

 否。消えたと錯覚するほどの急加速でもって、彼女らとの距離を縮めた。怯むヒマすら与えない。拳ひとつで三人を蹴散らした。

「……アリス、こんな強いなら会長にも勝てたんじゃない?」

「今のわたしなら、あるいはね」

 今の、とは。

 嫌な予感が脳裏をよぎる。振り払うように再び走り出すと、

「あっ」

 ずざぁっ、とアリスが躓き、派手に転んだ。

「だ、大丈夫!?」

「うん、ごめん」

 よろよろと立ち上がるアリス。すりむいた膝から血が滲んでいた。

「一旦休憩する?」

 思わず、ありえない提案が口をつく。一刻一秒を争う今この瞬間に、休憩など入れる余裕があるわけもない。

 だが、そう言いたくなるほどに、アリスの様子が明らかにおかしかった。なにもない場所で躓くこともそうだが、それ以上に呼吸の荒さが気にかかる。顔もほてり、じっとりと汗がにじんでいる。

「時間、ないから」

 それでも歩を進めようと、足を前に出すアリス。

 土岐は彼女の前にしゃがみ、自身の背中を向けた。

「アリス、乗って」

「え、でも」

「いいから」

 戸惑うアリスを眼力で黙らせる。

 有無を言わせぬ迫力に、アリスは大人しく背中に身体を預けた。

「っ……」

 土岐は、背中に伝わる体温に絶句した。熱い。まるでインフルエンザにかかったかのようだ。

 もとより原付の運転は自分がするつもりだったが、後部座席だとしてもそれなりに体力を消耗する。加えてこの寒さだ。果たして彼女の体力は保つだろうか。

 脳裏によぎる不安を払うように首を振って立ち上がる。

 駐輪場になんとかたどり着くと、明らかに一台はみ出している原付があった。鍵を差しこみ、ハンドルを捻る。問題なくエンジンが唸り声をあげた。

 ご丁寧に用意しておいてくれたヘルメットを捨て置き、うしろにアリスを乗せてまたがった。

 ハンドルを手前にひねると、一気に加速した。

 だが、逃避行は始まる前に終焉を迎えた。

「…………会長、ずいぶん勘が良いっすね」

 校門前で、腕を組んだ会長が仁王立ちしていた。

 原付から降りてスタンドを立てる土岐に、会長が問いかけた。

「どのようにしてここまできたんですの」

「理事長をぶっ飛ばしてやったんすよ」

「……嘘をおっしゃい。どうせその頭にかぶった汚らわしい血でひるませて、コソコソと盗み出したのでしょう」

「取り返したって言って欲しいっすね」

「そいつをよこしなさい」

「イヤっす。こいつは私のモンだ」

 ファイティングポーズを取って、不敵に笑んでみせる。

 と、

「げぇえっ!」

 アリスが吐いた。生暖かい吐瀉物が土岐のスカートに降りかかる。

「アリス!?」

「ごめ、よごし」

「んなのいいから!」

 焦点の合わない目で謝るアリス。明らかに異常事態だ。

 保つだろうか。脳内で問いかける。

 よしんば会長をうまく振り切れたとして、ここからの行程はざっと、山のふもとまでで一時間、そこから三時間の登山だ。保つわけがない。

 どうする。どうする。焦る心を落ち着けるように、アリスの背中に手を伸ばす。

 そこで気づいた。

 彼女の右腕が黒く変色し、二倍ほどの太さに大きく膨れ上がっていた。

「……魔物」

 呆然と呟く。

 細く、白く、美しかったはずの右腕は、魔物の腕を移植したかのような、おぞましい姿になっていた。

「甘い」

 チリっと、背中に殺気がかすった。

 振り向いた瞬間、眼前に刃が迫ってきていた。

「おわっ!」

 反射的に飛びのく。ギリギリのところで避け、長剣を振り切った会長にカウンターを叩きこんだ。みぞおちを突きあげる鉄拳。

 が。

 口の端を吊り上げた彼女は、構わず長剣を突き出した。

 トンネルが開通した。

「ぐふっ」

 腹から背中にかけて抜ける、灼熱の激痛。

 口から大きく血を吐く。

「ぐふあああああああああああああ!」

 躊躇なく剣が引っこ抜かれた。

 食いしばった歯の奥から獣のような声が出る。世界がチカチカと白黒に点滅。

 勢いよくこぼれる血液が、あっというまに水たまりを形成した。

 膝から崩れ落ち、地に伏せる。血と涙の混じった砂利は鉄の味がした。

「さて」

 そんな土岐を見下ろして、会長が冷たく言う。

 邪魔者は無力化した。目的人物は右腕の変異に身悶えして、土岐をかばうことすらできない。

 あとはなにをしても失敗することはない。

 ――その確信が慢心であると気づいたときには、もう遅かった。

「ぬるいですわ」

 背後から響く声。

 同時、背中から、真っ赤なしぶきが生えた。

「ぐっ……おまえは」

 刻まれる横一文字。苦悶の表情で、それでも戦闘態勢を崩さず、会長は振り向いた。

 ツインテールの魔法少女、三箇が、口端を吊り上げて見下ろしていた。

「その女は安曇野を統一した伝説のヤンキーですのよ。腹を貫いた程度で勝ち誇るなど、ぬるすぎて茶もわかせませんわ」

「……この行為がどういう意味を持つか、わかっているのですか?」

 静かな、しかし確実に怒気をはらんだ声。その矛先は三箇ではなく、となりを飛ぶ相方に向いていた。

 が、猫の妖精はどこ吹く風。前足で顔を掻き、涼しい顔で答えた。

「もちろん理解してるにゃあ。理事長に楯突いて、無事で済むはずもない。だけど、我が身かわいさに三箇の友達を見捨てたら、おれは三箇の相棒を名乗れなくなるにゃあ」

「……どいつもこいつも」

 いらだたしげに足で地面を数度叩き、会長は大きく息を吐いた。

 背中からダラダラと垂れる血が地面を濡らす。傷は決して浅くない。

 だが、痛みも焦りも顔には出さない。怒りのみを剣に乗せ、構えた。

 三箇も不敵な笑みを崩さず、剣を握る。 

 沈黙。

「ガンコちゃんビーム気をつけて!」

 土岐の声が、合図だった。

 動き出しは同時。ふたりの剣が重なり合い、ギィンッ、と、甲高い音が響く。

「会長、ビームを撃ちますの」

「さあ。なんのことだか」

 鍔迫り合いのさなか、軽口を叩きあう。

 両者の目は笑っていない。

 長い戦いになる。土岐の直感は、しかし見事に外された。

「!?」

 会長が目を見開いた。

 突如、三箇の剣が消えたのだ。

 それだけではない。換装が解かれ、三箇はセーラー服姿に戻った。

 戦場に突然発生する、圧倒的な無防備。

 支えを失った剣が、不敵な笑みを浮かべる三箇の顔面向けて勢いよく振り下ろされる。

 瞬間。

「終わりにゃ」

 身を屈める三箇。その頭上を、ツインテールを切断しながら巨大な刃が通過。勢いのまま、会長の胸元を大きく斬り裂いた。

「しまっ……」

 断末魔は、最後まで発音することすら許されなかった。前から後ろから大きく失血した彼女は、ついに意識を失い、地に伏せた。

「……ふう」

 冷や汗をぬぐい、三箇は猫の妖精と拳をぶつけた。胸元に手のひらをあて、再度魔法少女になる。

「ガンコちゃん、なんで」

「そろそろ貸していたコアを返していただこうと思いまして」

 軽い声でそう言った瞬間、

「があああああああああああ!」

 腹の底から響く、獣の咆哮が天を衝いた。

 同時。地響きとともに現れた魔物が、三箇の身体を小枝のように折り飛ばした。

 どぢゅっ、と、そんな音だけが、土岐たちの前に残った。

「…………やっば」

 土岐は拳を握り、しかし立ち上がるだけの余力もなく、砂を噛み締めて見上げた。

 何メートルだろうか。洞窟の主をさらに一回り大きくしたような、そんな魔物が、立ちふさがっていた。

 絶望。

 土岐は、身体から炎が消えていくのがわかった。

 これはもう、どうしようもない。このまま三箇同様吹っ飛ばされるか踏みつぶされるか。……いや、すでに致死量の傷を負っている。いまさらだ。

 ならばせめて。せめてアリスだけは逃がさなければ。そう思って視線を動かすと、いきなり身体が持ち上がった。

 玉のような汗を滴らせながら、アリスが土岐を抱きかかえていた。

「アリス!? に、逃げて!」

「一緒にね!」

 言外の言葉を否定して、アリスが駆けだした。膝が笑って、転びそうになる。それでも歯を食いしばって走り続けた。

 だが現実は無情だ。

 地鳴りのような足音でもって追いかけてくる魔物。こちらの五歩があちらの一歩くらいだろうか。デカいやつは速い。そんな当たり前の絶望を突きつけられ、――次の瞬間、灼熱の閃光が土岐の目を焼いた。

 魔物の身体が爆発した。

 爆風に巻きこまれ、悲鳴を上げて倒れこむふたり。

「……な、これ」

「地雷です」

 土岐のかすれた声に、応答があった。

 いつのまに現れたのか。呆然とするふたりの前に、理事長が浮いていた。

「まったく、手間をかけさせてくれますね。やはり多少面倒でも拘束しておくべきでしたか」

 防臭マスクを身に着けたクジラの妖精が語る。

「この地雷は、学園中に仕掛けてあります。魔物は、集めるだけでは意味がありませんから」

 瞬間、先と同様の爆発音が、ひとつ、ふたつと、遠くから響いた。魔物のいななきと、魔法少女たちの悲鳴。

「魔物にのみ反応する仕掛けです。当然、応対する魔法少女たちも巻きこまれますが、やむを得ませんね」

 ……最っ低。

 吐き捨てようとして、しかし喉がかすれて声が出なかった。かわりにジロリと睨みつけてやる。

 すると理事長は、心外だと言わんばかりに目を丸くした。

「なぜそのような顔をするのです。魔物から人々を守ることが、誇り高き学園魔法少女の使命です。彼女たちも本望でしょう」

「……」

 話が通じない。ヤンキー時代にも大概そういうやつはいたが、こいつは次元が違う。人間ではないナニカと話しているのだと、身体の芯まで叩きつけられる。

 腹の底が冷えてゆくのは、血が抜けているからか、心が落ちそうになっているからか。

「そんなことはどうでもいい」

 かばうように土岐を抱きかかえるアリスが、目に涙をためて割りこんだ。

「エマを助けて。なんだってする。一生監禁してくれてもいい。だからエマを」

「ま、アリ、そ、なこと」

 声がかすれて紡げない。せめてもと、目で抗議する。

 だが、彼女の碧眼は、もう土岐を見ていない。ただ理事長を正面にとらえていた。

「……ほう」

 一瞬ポカンとしたクジラの妖精は、ひとつ息を吐いて、感心したように答えた。

「殊勝な心がけですね」

「なら、」

「人間のそういうところは、魔物に似ていて、反吐が出ます」

「……」

 一瞬明るくなったアリスの顔に陰がさす。

「譲歩していただく必要はありません。あなたはもうわたしの手ゴマですから」

 冷たい声。

 アリスはなにも言えず、顔を伏せた。

 土岐は、彼女を励ましてやろうと口を開いて、声を出すことができなかった。

 かわりに、耳に届く鼓動が速度を落とすのがわかった。

 まぶたが重たくなってきた。

 ああ、死ぬときって本当に眠りに落ちる感じなんだ。妙な感動があった。

 前触れは、なかった。

 急に、身体の奥底から熱が発せられ始めた。

 ――まさか。

「熱っ」

 アリスの声。

 しゅううと水分の蒸発する音が土岐自身の身体から発せられる。

 ファイトクラブで、意識のないうちに発現した、土岐自身の魔法。

 太陽。

 まずい。このままではアリスを傷つけてしまう。捨て置いて逃げろと目で語る。

 が、

「逃げないよ」

 アリスの涼やかな声が、凛と響いた。

 大きな碧い瞳は、なにか、覚悟を決めていた。

 彼女は赤黒く変色した右手で、己が左手首を掴んだ。

「ば」

 ばか、と口に出そうとして、間に合わなかった。

 ずしゅ、と、左手首を細切れに裂いた。

 しかめっ面を上書きするように、大粒の血液がぼたぼたと土岐の顔へ落ちてきた。

 魔法少女の血には、魔力が流れている。故に、魔法少女の傷ついた身体は、魔法少女の血を摂取することで癒やすことができる。

「おぇえあ……」

 身体が本能的な拒否反応を示した。放っておくと吐いてしまいそうで、だから気合で嚥下した。

 おそらく、彼女の体内にはすでに、魔物の血が相当回っているのだろう。特有の臭みが鼻から抜ける。

 味も風味も最悪だ。苦み渋み酸っぱさ、その他雑味がごちゃまぜになっている。これに比べれば青汁など、コーラに等しい。

 だが、身体にエネルギーのわいてくる感覚があった。

 えずきながら飲む。死ぬほどマズい。それでも、際限なくほどこされる魔力の雫をこぼさないよう嚥下する。

 身体の底がだんだんと満たされてゆく。

 ああ、なるほど、これが。そういうことか。

 腹部を中心に広がっていた痛みが、徐々に治まりはじめた。

 青かった顔に血色がもどっていった。

「アリス、」

 かすれていた声が、ハッキリと出せた。

「アリス、…………ばか」

「うん。よかった」

 アリスは、涙目で笑った。

「…………なぜ」

 呆然と呟く理事長の声が、ふたりの空間に割って入った。

「なぜ、その血を飲んで土岐さんは平然としていられるのですか」

 首を傾げる土岐。

「その天然魔法少女の血は、すでに、従来のものからかけ離れています。今も、アドレナリンで誤魔化しているようですが、本来なら激痛にのたうち回っているはずです。何年もかけてゆっくりと進むべき成長期を、一時間で終わらせるような、そんな決定的な変異が起こっているのですから」

 思わずアリスを見やる。目尻を拭う彼女は、なるほどよく観察すると、表情筋にかなり力が入っている。おそらく奥歯を食いしばっているのだろう。

 一方、土岐はというと、特別身体が痛いだとか、そういうことはなかった。

「だから、本来ありえないのです。……わたしがこれまで拉致実験してきた数々の魔法少女たちは、ほんの数分すら保たなかった。身体が崩壊することはあれど、それほど大きな傷がふさがるなど、ありえなかった」

 ヒレを土岐にまっすぐ向けて、鋭く問うた。

「土岐依満。あなたは、何者ですか」

「チャオに訊いたらいいんじゃないっすか?」

 口端を上げてみせる土岐。

 一瞬、渋い顔を浮かべる理事長。が、すぐに表情を戻して続けた。

「その血に適合するということは、あなたも素材として十分。ゴキブリホイホイはふたつあって困るものではありません」

 そこまで告げると、前触れなく理事長の頭上に剣が出現した。

 どうやら理事長の魔法らしかった。一文節、なにかを唱えると、鈍色の刃が弾丸のごとき速度で土岐へ向けて疾駆した。

 ――間に合わん。

 直感的に理解した。だが受け止められるものでもない。手遅れを承知で身体をねじる。

「!?」

 ぎぃん! と、鈍い金属音とともに、殺意の塊が叩きとされた。

「よぉ、久しぶりだな。アヤメ」

 突如現れたピンクの魔法少女――安芸桜が、剣を肩に乗せ、ニヤリと笑んでいた。

「師匠!? どうしてここに」

「うちの子らがやたらと騒ぐもんでな。このアホがなにをしてるのかは大体想像がついたわ」

 目をまん丸くするアリスへそう言うと、

「よりにもよって、可愛い弟子を利用してくるとは思わなかったけどな」

 理事長へ邪悪な笑みを向けた。

「安芸桜。探しましたよ」

 突然の来訪者に、しかし理事長は戸惑うことなく、鷹揚にヒレを広げた。

「あなたから出向いてくれるとは、ありがたい」

「おう、歓迎会でも開いてくれるのか?」

「ええ。あらゆる魔法でもてなして差し上げます、よ!」

 ぎぃん! という硬質な音が土岐の耳に届く。

 遅れて、安芸の剣を理事長が受け止めているのだと理解した。

 かと思ったら、次の瞬間には二の矢三の矢と、目にも止まらぬ速度で斬撃を繰りだしていた。右から左から。基本に忠実な、かつ破天荒な体裁きで理事長に襲いかかる。

 音速にも迫る無数の斬撃。だが理事長は、涼しげな顔ですべてを受け止めた。ヒレを縦横無尽に動かし、連動する剣一本で叩き落とし続ける。

 目にも止まらぬ剣戟を交わしながら安芸が叫んだ。

「手伝え!」

「なにしたらいっすか!」

「なんでも!」

「……うす!」

 魔物は放っておいて良いのか。尋ねようかと口を開いて、すぐに閉じた。斜め後方から目に映った安芸の横顔に、一筋汗が垂れていた。

 あるいは、彼女ひとりで渡り合えるならば、土岐たちを魔物の誘導に使おうと考えていたのかもしれない。

 だが、一度も合わせたことがないどころか、使用する魔法すら知らない状態で、土岐たちの助力を要求してきた。

 つまり、彼女の頬の汗は、そういう意味なのだろう。

 あまりに激しい剣戟。目で追いかけるだけでも残像に惑わされる制空権。

 ビビってなどいられない。土岐は奥歯を噛んで突進した。

 理事長が魔法を百個覚えていようと千個扱おうと、ケンカの原則は変わらない。

 でかいやつが強い。

 マスコットサイズのクジラなど、人間の拳で殺せないはずがないのだ。

「っらあ!」

 頭上の剣は安芸との攻防にすべてのリソースを使い果たしている。だからこれは通る。そう確信しての、すべてを置き去りにする右ストレート。

 瞬間。

 音よりもはやく、理事長の舌打ちが鼓膜をついた。

「〜〜〜〜ッ!」

 言いようのない悪寒が背筋を走った。

 根拠もなにもあったものではない。ただの直感だ。理事長の腹をえぐりかけた拳を、全身全霊でもって引いた。

「!?」

 バチぃ! と鋭い音とともに、閃光が視界を、そして拳を焼いた。

「……くっそ」

「焼き切るつもりでしたが、うまくいかないものですね」

 安芸との壮絶な攻防を継続しながら、さして悔しくもなさそうに理事長はそう言った。

 土岐は電撃にしびれた右手をぷらぷらと振り、距離を取った。

 ゆっくりと息を吐く。ささくれ立つ心を落ち着けるよう、丁寧に。

 そうして脳内をクリアにして、ようやっと悪寒の根拠にたどりついた。

「舌打ち、か」

 ファイトクラブだ。

 黄色の魔法少女にやられたとき。あの瞬間も舌打ちを聞いていた。

 あのときは、てっきり、土岐の蹴りが邪魔でついたのだと思っていた。

 まさか、それが魔法発動のトリガーだったとは。

「……」

 焦げた右手を握る。力が入らない。これでは使い物にならないだろう。

 どうする。なおも繰り広げられる剣戟は、ひとめ互角な戦いに見えるが、両者の表情は対照的だ。

 だからこそ、新たな一手が戦局を左右する。土岐の働きが、安芸の戦力にも荷物にもなる。

 課せられた使命の大きさにめまいがする。理性は行けと言うが、本能が足をすくませた。

 ぽん、と肩を叩かれた。

「エマ。やろう」

 アリスだった。

「……腕は?」

「痛いよ。でも、舐められたら終わり、でしょ?」

 脂汗をにじませ、それでも強気に笑むアリス。

 土岐は目をまん丸くし、数瞬後、小さく笑った。

 足元に一枚板を敷かれたような、安定感。

 右手を無理やり握りしめ、狂犬のように歯を見せた。

「だね。拳でわからせてやろう」

「うん。……わたしに策があるの。協力して」

 わずかに声をひそめるアリス。

「エマには、あのクジラを地面に叩き落としてほしい。倒さなくてもいいから」

「……接触が重要ってこと?」

 土岐の問いに、アリスは真剣な顔で首を縦に振った。

「了解」

 だいぶ無茶な要求だが、応えないわけにもいかない。アイディアもなにもない状態で、土岐は理事長へ向き直った。

 魔法少女の体力は人間のソレと次元が違う。フルマラソンも軽く走破できる。だが、当然、無限ではない。

 化け物じみた強さをみせる安芸だが、汗がほとばしり、平静を装う顔には疲労の色が濃く出ていた。休憩もなくずっと理事長と斬り合っているのだ。無理もない。

 一方の理事長は最初とあまり変わらない、涼し気な表情のままだ。ヒレのみで剣戟をこなしているからなのか、保有する魔力量の差か。

 なんにせよ、時間敵猶予はない。

 どうしたらいい。奥歯を噛みながら必死に脳みそをぶん回す。理事長を地面に叩きつけるという最終地点から逆算し、どう道筋をつけたらたどり着けるか。条件と、能力と、確率。

 ――良い案なんてどうせ土岐ちゃんには思いつけないぱお。気合と根性でつじつまを合わせるぱお。

 どこからか。チャオのそんな声が聞こえた。

 思わずキョロキョロと周囲を見回す。

「?」

 が、当然、いるはずもない。頭上にクエスチョンマークを浮かべるアリスと目が合って、ごまかすように笑ってみせた。

 うっせうっせ。

 心の中でいじけつつ、うなずいた。

 番長にはふたつのタイプがある。

 ひとつは、裏にこもり、兵士を操るタイプ。

 もうひとつは、最前線に立ち、兵士とともに戦うタイプ。

 安曇野を統一した伝説の番長は、圧倒的に後者だ。

 深く、深く踏みこんで、地面を蹴った。爆発的な推進力でもって一直線に理事長へ突進。

 さっきと同じ?

 芸が無い?

 まったくもってそのとおり。だが、それがどうした! 剛よく柔を断つ。速度とパワーは、すべての小細工をへし折る!

「おおおおおおおおお!」

 咆哮しながら拳を振る。

 たとえ拳を裂かれようと、電撃を食らおうと構わない。魔法ごと地面に叩きつける!

 が。

「〜〜〜〜っ!」

 相打ち覚悟の一撃は、ピタリと止まった。

 刃が出現したわけでも、電撃を放たれたわけでもない。

 すべてをねじ伏せる気概で打ちこんだ拳は、しかし、なぜか、触れることすらかなわなかった。

「なん……でぇっ!?」

 なんの魔法か。問おうとした土岐の後頭部が、ガツンと殴打された。

「やれ!」

 問答無用の、安芸の声。

「お、お、おおおおおおおおおおおお!」

 ほとんど本能だった。

 気合と根性。そして見栄。ヤンキーのすべてを尽くして、動かない右手の代わりに、全身で理事長にのしかかった。

 そのあまりに不格好な、攻撃ともいえないような体当たりは、理事長としても予想外だったらしい。すんでのところで炎を放つも、すでに土岐の足は地を離れていた。

 どんな地獄の業火も、慣性を止める力はない。

「ぐえっ!」

 顔面をもろに焼かれながら、勢いそのまま理事長を掴んで地に落ちた。

 瞬間、硬いはずの地面が、まるで沼のように大きく沈んだ。

「!?」

 思わず首を振って周囲を確認する。一瞬、地面に右手を押しつけているアリスの姿が視界に入り、すぐに土砂に遮られた。

 この辺り一帯というわけではない。自分と理事長のみがピンポイントで沈んでいるのだと、ここにきて理解した。

 コンマ数秒で、二メートルは沈んだだろうか。

「師匠!」

 アリスの声と、直後口笛がかろうじて耳に届く。

 なにがなんだかわからないが、好機。理事長は今、手のひらの中にいて、周囲をおおわれているのだ。両手にありったけの力をこめて、柔らかいクジラを地面に押しつぶした。

「……舐めないでいただきたいですね」

 やけにクリアな声だった。

 次の瞬間、どこからかすっぱいにおいが漂ってきた。

「ぐぅっ!」

 発信源が理事長なのだと理解するころには、巨大なトゲが土岐の手のひらを貫通していた。

 理事長はあっさりと土岐の拘束を抜け出し、一直線に穴を抜け出した。

 が、次の瞬間、バシィッという強烈な音を響かせて、理事長は土岐の手元に叩き落された。

 なにごとか。土岐は思わず首を上へ向けた。

 穴を埋めるように、魔物が立ちふさがっていた。

「……ああ、」

 悟った。

 理事長はこの学園中に魔物用の地雷を埋めていると言っていた。

 逃げ場のない穴。魔物の出現。

 すなわち、これがアリスの作戦だったのだろう。

「やれ!」

 土岐は叫んだ。

 構わない。自分ごと爆破しろ。そう、声に乗せた。

「……………………あれ?」

 反応がなかった。

 地雷が起動する気配がない。これだけ魔物がドスドスしているのに。

「なるほど、狙いはそちらでしたか」

 理事長は顔をしかめながら言った。

「うまくやればわたしも危なかったかもしれませんが……地雷を無力化するとは、人間というのはつくづくおろかですね」

「魔物ギライならこのほうがイヤでしょ?」

 アリスの、嘲るような声がふってきた。

「ええ。最悪の気分です」

 言いながら、クジラの妖精は、ヒレを数度叩いた。目をギョロギョロと回し、最後にひとつ、「ぷっ!」と破裂音を出した。

「……消えた」

 土岐は、思わずそうつぶやいた。

 思わず手を伸ばす。だが、なにかに触れる感じはしない。

 次の瞬間、肉を斬る音が響いた。

 思わず見上げると同時、大量の赤黒い粘液が洪水のように流れこんできた。

「うそうそうそうそ」

 この色、におい、粘度には覚えがあった。

 記憶を確証に変えるように、遅れて、大きな音を立てて巨大な肉塊が倒れこんできた。

 まずい。このまま真っ当に押しつぶされると、血の海で溺れるなんていう展開になりうる。魔法少女の身体能力でも、無酸素状態には耐えられない。

 なんとかこの水深二メートルのプールから逃げなければ。焦る心と裏腹に、粘性の血液が脚にからみつく。魔法少女の跳躍力を活かそうにも、沈む力のほうが大きいだろう。

「!?」

 半径五メートルほどだろうか、突如、周囲が大きく地盤沈下した。

 行き場を失っていた体液が津波のように大きくうねり広がってゆく。波に流される土岐のうしろで、大きな音を立てて巨大な肉塊が着水した。

 膝下くらいの丈にまで下降した赤黒い洪水。

「エマ!」

 アリスが迷わず飛びこみ、飛沫を上げながら土岐のもとへ駆け寄ってきた。

「ごめんねエマ!」

「大丈夫。なにがあったん?」

「クジラが瞬間移動して魔物を斬った。いまは師匠が時間稼ぎしてくれてる」

「……滅茶苦茶か」

 思わず顔をしかめる。

 観測した範囲、ほかの魔法にくらべて発動に時間がかかってはいた。が、こんな魔法をポンポンお出しされたら盤面はグチャグチャになる。

「……ああ、だから安芸さんずっと攻撃してんのか」

「おそらくね。でも、もうかなりつらそう」

「はやく決着つけんとか。アリス、さっきの魔法はなに?」

「注射された魔物の血に流れてた魔法。……時間操作、だと思う」

「時間?」

「さっきは、地面の時間を数万年一気に加速させた。地雷も」

「なるほど」

 地雷を無効化したと理事長は言っていた。そういうことなら得心いく。

「条件は手のひらで触れることだけど、連鎖的に広げていくことはできるみたい。だから本体も狙ったんだけど、そっちは防がれた」

 アリスの解説に、土岐は顎に手をやって考え始めた。なにかが噛み合いそうな、そんな直感があった。

「………………そうか」

 土岐は、神妙な顔で頷いた。

「アリス。魔力足りる?」

「……あと一回くらいなら」

 イヤな予感がこみあげたのだろう。緊張感のある声が返ってきた。

 鋭いなと舌を巻きつつ、土岐はできる限り平静を装って言った。

「私の腕を切り落として」

「……………………………え?」

「腕をみじん切りにする。そのあと、ありったけ時間飛ばして」

「……………………正気?」

「私の魔法の発動条件が、たぶんそれだから」

 確証はない。n=2の状況証拠のみ。ファイトクラブと先との唯一の共通点。

 追いつめられたが故のやぶれかぶれだと言われれば認めるしかない。だが、ほかに手がないのも事実だ。

「い、いやだよ。そんな、痛いし、今度こそ死ぬかもそれないし、死ななくても腕なくなっちゃうんだよ」

「わかってる」

 狼狽するアリスの両肩を掴み、真正面に見据えて言った。

「私がアリスを守る。アリスの力になる。だから……だから、私に力を貸して」

「……」

 彼女の視線が右往左往する。地上を見上げ、土岐を見て、また地上を見上げ、奥歯を噛んだ。

 泣きそうな顔で、彼女は言った。

「……………………エマ。許さないから」

「うん。一生恨んで」

 こつんと額をぶつけあった。

 地上に登ると、安芸は苦しげな表情ながら、なおも殺意むき出しで苛烈な太刀筋を理事長に向けていた。

 そのうしろで、土岐は、左腕をアリスに差し出した。

「っ……」

 彼女は目を一瞬見開き、呼吸を荒くした。はっはっと浅く息をつぎ、震える手を土岐の左腕へ向けた。

 ぴとりと触れる。

 柔らかく、温かい手だ。

 誰かを傷つけるための手ではない。

「……いくよ」

 土岐は、黙ってうなずく。

 深く、深く息を吸って、アリスが手に力をこめた。

 瞬間、

「っっっ~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!」

 文字通り、バラバラにされる痛みだった。骨まで細切れになった左腕が重力に従って落ち、べしゃりと汚い音を立てた。

 覚悟をしていたとはいえ、地獄の激痛だ。

 だが、叫び声は上げない。唇を潰すほど強く噛みしめ、喉奥に呼吸を押しこめる。

 滝のような血と脂汗が、できたてホヤホヤの生ごみへと降り注ぐ。

 血のにおいは、なるほど先ほど腹を貫かれたときとすこし違った。アリスの血を飲んだことにより、土岐の血もすこし変質したのだろう。

 濡れたくったスポンジのように、ぼたぼたと際限なく血がこぼれ続ける。

 異変はすぐに起こった。

 足元の肉塊が煙を発し始めた。

 焼石に水を注いだ時のように、血が蒸発してゆく。

 温度の上昇は留まるところを知らなかった。血液を注がれれば注がれるほど加速度的に肉塊は煮えたぎった。

 ぐつぐつとマグマのように燃え、地獄のように灼熱を放ち、――太陽のように力強くゆらめいた。

 ファイトクラブと、先との唯一の共通点。

 失血量。

 煮えたぎる血の音は、賭けに勝った福音に聞こえた。

 腕一本分の肉塊は圧倒的なエネルギーに吸いこまれるように、小さく、小さく凝集してゆく。


 さて。

 土岐の魔法は、失血量が一定を超えると発動する。

 では、問題です。

 土岐の身体が切り離されたとき、どちら側で発動するでしょうか。

 すなわち、どちらが”土岐依満”でしょうか。

 正解は――両方。


 土岐は、ビー玉ほどの大きさにまで凝集されたもうひとつの土岐を蹴っ飛ばした。

 足の甲に穴が空いたかと思うほどの激痛。

 が、肉塊は理事長に向けて超速で飛んだ。

 同時、アリスが宙に向けて、手のひらを広げた。

 ――地面越しに魔法をかけることができるならば、大気越しにかけられぬ道理などない。

 目を丸くする理事長が一瞬だけ視界に入り、すぐにまばゆい光が土岐の瞳孔を焼いた。

 激しい爆発が空間のすべてを支配した。

 爆音は鼓膜を壊し、閃光は目を閉じてなお視界を真っ白に染め上げ、爆風は二本足での直立を許さなかった。

 ファイトクラブのときと比較にならない大爆発だった。

 土岐たちは数メートル吹き飛ばされ、受け身も取れず、まともに地面に叩きつけられた。

 爆煙が徐々に晴れてゆく。

「…………やってくれましたね」

 明らかに大やけどしている理事長が、苛立たしげに、しかし確実に、すべてのエネルギーを使い果たした漆黒のビー玉をキャッチしてそう言った。

「このわたしを怪我させるとは。ですが、ここまでです。二度は通用しません」

 あらゆる光を吸収する真っ黒な球を見せつけながら言う。

 瞬間、視界が歪んだ。

「……あ?」

 否。歪んだのは視界ではない。

 空間だ。

 消し炭となった肉塊を中心に、空間にひずみが生じている。

「――なん」

 言いかけた理事長の身体が大きく歪む。

 ビー玉大の肉塊に吸いこまれてゆくように。

「イベントホライズンっすよ。そこ」

 土岐は、自身の持つ魔力を駆使して太陽を創造した。

 そして、アリスのありったけの魔力を注ぎ、一瞬で寿命を終わらせた。

 結果、引き起こされた、超新星爆発。

 その終着点に、なにが待ち受けているのか。

 ――ブラックホールの生成。

 理事長は目を見開き、なにか言いたげに口を開いて、しかしその口元もひずみに囚われた。

 轟音とともに、ブラックホールに吸いこまれていった。

「おわ……った?」

 土岐の、呟くような声。

「エマ……ばか」

 アリスは泣きそうな顔で言った。

「ごめん。アリス」

「……ばか」

 アリスは土岐の手を、強く、強く握りしめた。

 どこにも行かせない。彼女の指先が、そう語っていた。

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