第9話

「ぼえ」

 べしゃり、と床に叩きつけられた。

 蛍光灯の眩しい光が頭上に輝く。見慣れたその景色に安心感と、喪失感を抱く。

「なぜ」

 相方を失った哀しみに首まで浸されてゆく中、そんな声が降ってきた。

 首を動かすと、会長がパソコンのわきから、呆然とした顔をのぞかせていた。

「…………お邪魔しました」

 のそりと起き上がり、部屋の出口に向かう。

 ゆるりとした動きの土岐を会長は呆然と見送――るわけがなかった。ギリギリのところで正気に戻ったのか、鬼の形相を浮かべると胸に手をあてて魔法少女の姿になった。

「ひぃっ!」

 思わず駆け出す土岐。ドアを勢いよく開け、適当に走り出す。

「待ちなさい!」

 うしろから殺気にまみれた鋭い声が追いかけてくる。ブラックホールに叩き落とされた時点で死刑執行されたようなものなのだから、もう許してほしいと思うが、なんとしてでもシャバの空気を吸わせたくはないらしい。

 魔法の使いかたさえわかれば土岐としても対抗のしようもあるが、残念ながら想像もつかない。アリスの居場所を訊きたいのは山々だが、どうせ教えてくれるわけもない。今は逃げに徹するしかないだろう。そう結論づけて曲がり角を曲がると、

「こっち」

 小さな、しかしよく通る声が聞こえた。

 反射的に視線を向けると、青髪の魔法少女、大和が掃除用ロッカーの隣に立っていた。

「ここ隠れて」

 ……これは信用していいのだろうか。

 ほんの刹那の逡巡。

 なにしろ、アリスへのスタンスで対立したまま別れてしまったのだ。向こうからしたら、土岐への借りは返し終わっているし、いまさら味方をする義理もない。

 足音は緩まない。時間がない。

 直感だった。

 ロッカーに身を滑りこませた。青色魔法少女は音もなくロッカーを閉めた。直感の八割は正しいという。残りの二割を引かないよう、土岐は手のひらをこすり合わせた。

「あれ、会長。どうしました?」

 足音が最大に達したところで、大和の白々しい声が響いた。

「土岐依満を見なかった?」

「あー、なんか滅茶苦茶走ってくる人いて危なっておもったんですけど、あれもしかして」

「それよ。どちらへ向かったかしら」

「たしかあっちのほうに」

「わかったわ。あなたは役員の招集を」

「了解です」

 タッタッタと足音が遠ざかってゆく。

 ほぅ、と小さく息を吐くと、扉越しに声をかけられた。

「……土岐さん。もうすこしそのまま待ってて」

「あの、ありがとうございます」

 声をひそめて礼を言う。が、同時に頭の中で疑念が首をもたげる。なぜ土岐の肩を持ったのか。わざわざ嘘をついてまで、天然に味方する女をかばうメリットなど、彼女にはないはずだ。

 とはいえ、直接尋ねられるほど空気が読めないわけでもない。どう言葉を続けたものかと悩んでいると、向こうから切り出してきた。

「土岐さん、相方は?」

「…………ブラックホールに。私のせいで」

「………………………………………そ」

 長い、長い沈黙を挟んでの、たった一文字の返事。ミルフィーユのごとく何層にも感情を重ねた一文字だった。

 土岐の心の壁に、ヒビが入った。

「私が、……私が、殺したようなもんなんです。どうしよう。私、アリスを助けたいのに、そんな資格あるのかな」

 まとまらない言葉がとつとつと漏れだした。

 考えてみれば、チャオの覚悟に気づくべきタイミングはいくつもあった。

 手段を話せない理由なんて土岐が止めるからに決まっている。

 チャオが罪悪感を強く抱いていて、なんとか挽回したいと思っているだろうことも、きちんと考えれば容易に思い至れたはずだ。

 なのに、相棒の土岐は、アリスを助けたいという焦燥に駆られるばかりで、チャオの内面に思いをはせることができなかった。

 暗いロッカーから、土岐の声がタールのようにこぼれる。

「チャオとアリスどっちが上なんて決めたくないのに。アリスを助けたら、チャオの命を……」

「相方をなくしたことないから、あたしに言えることなんてないんだけどさ」

 扉の外、タールに足を浸した魔法少女は、背中に向けて言った。

「順位をつけてたのは、チャオくんのほうなんじゃない?」

 彼女の言葉に、土岐はハッと顔を上げる。

「たぶんだけどさ。チャオくんは、自分の命とアリスさんの命を天秤にかけて、アリスさんを選んだんだよ。重さ比べしたのは土岐さんじゃない」

「……」

「チャオくんの相方であり続けたいなら、あの子の意志を継ぐべきなんじゃない?」

「……」

「アリスさん、おそらく、理事長室にいるよ」

 ロッカーの扉が開く。

 まばゆい光に照らされて、土岐の目からこぼれる雫がきらめいた。

「はい」

 それだけかろうじて答えて、ロッカーから一歩踏み出した。

 歩き出す土岐の横を、彼女もついてきた。

「?」

 きょとんと顔を向けると、そこでようやく彼女も土岐の疑問を理解したのか、平然と言った。

「協力するよ」

「ええ~~~~~~~~~」

 嫌そうな声は、土岐のものではない。どこからか現れた、クマの姿をした妖精だった。

「正気くま?」

 茶色のぬいぐるみのようにデフォルメされたクマが、可愛い声で不満を口にする。

「恩人に力を貸したい気持ちはわかるくま。でも、ぼくらにはリスクが大きすぎるくま。理事長に盾突くなんて、生きて帰れたら御の字くま」

「そんなこと言わないでさ。どうせあそこで捨てた命なんだから」

「アブク銭こそ大切にするべきくま」

「……そうっす。私ならひとりでも大丈夫っす」

 ふたりの言い争いに割って入る。

「それに、会長から役員招集するように言われてたじゃないすか。仕事放棄してたら疑われますよ」

「ああ、それなら大丈夫さ。もう呼んでいる」

「えっ」

 戸惑う土岐の背中から、にゅるっと冷たい手が首元へ這ってきた。

「お嬢ちゃん。いいカラダしてるねえ」

 ぬるりとした声だが、直感的にわかった。書庫から会長を外に追いやってくれた、オレンジの魔法少女だ。やたらと色っぽい指使いに一瞬ぞわりと身を震わせ、あわてて身じろぎして逃れた。

「やあやあ、生徒会役員の佐川だよぅ。話は聞かせてもらったよ、トッキー。よーは、足のつかないかたちでうちらが協力すればいーんでしょ? ウナちゃんなんかアイディア出して」

 佐川の呼びかけに、首元でマフラーのようになっていたウナギが顔を上げた。

「難しいこと丸投げするのやめてほしいウナ」

「えーでもウナちゃんうちより頭いーし、考えるより聞いたほうが早いかなって」

「なんのためにその大きな頭があるか考えたほうがいいウナ」

 うなぎの妖精は呆れたように言うと、ひとつため息をついてから土岐に向き合った。

「挨拶は抜きウナ。条件を整理するウナ。ぼくもできれば君に協力したいとは思っているウナ。けれど、君に協力したことを理事長に知られるわけにはいかない。だから、裏方としてなら力を貸すウナ」

 ふたりのやりとりを聞きながら、土岐は言葉が出てこなかった。

 逃避行に付き合わせたアリスを捕らえられ、彼女を救うためにチャオを失った。

 誰かに協力してもらえば、またその人を失うのでは。身体の芯を冷やすような恐怖感に、思わず身震いする。

 チャオとアリスの命を天秤に乗せたのはチャオだ。大和はそう言った。

 ならば今は。

 ふたりの魔法少女と相方の妖精。アリス。今、この命の重さを比べるのは、土岐だ。

 はたして、自分はこの選択をして良いのか。

 そんな資格があるのか。

 もし、それで誰かの命が失われたとき、責任を取れるのか――

「大丈夫」

 脳内でぐるぐる回る霧を晴らすように、土岐の頭を冷たい手がなでた。振り返ると、佐川が、安心させるように強気な表情を浮かべていた。

「……よろしくお願いします」

 そうだ。迷っている暇はない。ようやく決心がついた。

 天秤に乗せた上で、両方を取る。

 ぐっと拳を握って顔を上げた。

「わかったウナ」

 ウナギの妖精も満足そうにうなずいた。

「ただし、理事長に勝つ算段はぼくでは思いつかないウナ。だから、作戦は君が考えるウナ」

「作戦か。弱点とかはないの」

「弱点どころか、強いところだらけウナ。噂話程度だけれど、百を超える魔法を覚えているらしいウナ」

「えぇ……」

「ただ、強いて言うなら魔物への忌避感も、ぼくらより数段強いウナ。だからこそあんなに魔法を覚えて、学園を作って、魔物殲滅のために情熱を注げるウナね」

「ウナくんたちは理事長ほど魔物殲滅に積極的じゃないの?」

「もちろん、生理的には受け付けないけど、理事長ほど極端ではないウナ。殲滅してくれるなら嬉しいけど、何年も情熱を注ぎ続けられるほどの嫌悪感ではないウナ」

「へぇ、結構違うんだ」

「だから、もし君が魔物を使役できるなら、あるいは可能性もあるかもしれないウナ」

「…………魔物は手持ちにないけど、すこしだけならひるませられるかも。アリスが今どういう状況かわかる?」

「おそらく、高純度に精製した魔物の魔力を注入されてるウナ。魔物化については詳しくないけれど、身体が変質する関係で、拘束や監禁はしていないと思うウナ」

「わかった。作戦は固まった。行こう」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る