第7話
「授業中だけど、念のため、見つからないよう気をつけて行こう」
黒いポニーテールをフリフリさせながら、土岐が呼びかける。
アリスは金髪を隠す帽子を被り直しながら答えた。
「戦闘なら任せて。かわりに道案内はお願いね」
ふたりは茂理を探すべく学園へやって来た。
魔力探知されないよう変身はしていない。安芸から貰い受けた土産はポケットに入れている。正直持ち歩くには邪魔で仕方ないが、保険として考えると手放すことはできなかった。
「道案内ね。任せなさい。チャオ、用務員室ってどこ」
「旧校舎の隅ぱお」
土岐の質問に、チャオは呆れたように答えた。
「また旧校舎?」
以前襲われたのが同じく旧校舎の理事長室前だったことを考えると、あまり気は進まない。土岐は重い脚を、なんとか用務員室へ向けた。
校庭から響く笛の音を耳にしながら、曲がり角を曲がる。
うしろからまばゆい光が、土岐たちの前に影を作った。
思わず振り向く。
どこから現れたのか。魔法少女がこちらへ長剣を振り下ろしてきた。
反応は、アリスのほうが早かった。スッと前へ出て、拳を顔面に叩きこんだ。
ぶべっと言葉にならない断末魔を上げて、魔法少女は鼻血を飛ばしながらコンクリートに転がった。
「エマ、いま授業中じゃなかったの?」
「……そっか。先生ってパターンがあったか」
数秒思案して思い至る。実技の授業で、目の前に倒れている魔法少女と手合わせをした記憶がうっすらとある。たまたまこの時間は担当の授業がなかったのだろう。
「わたしを狙うならともかく、どうしてエマを標的に?」
「なんか指名手配されてて」
「魔法少女連続失踪事件絡み? 理事長は犯人をわたしだと思ってるんじゃないの?」
「のはずだけど……なんでだろ」
首を傾げる。なにがなんだかわからず、命の危機がそこにあるから逃げ続けてきた。改めて考えると、理事長が敵なのか味方なのか、それすらもわからない。
「ま、今の目的は茂理さんだし。一旦置いとこう」
土岐はそう言うと、胸に手を当てて変身。横から来た魔法少女を短剣で斬り伏せた。
結局、旧校舎へと足を踏み入れるまでに、追加でふたりの魔法少女を撃退するハメになった。
「アリス、あのクソ強魔法使わないんだ」
ファイトクラブで見せてもらった、柱を粉々にする魔法。あれほどの威力があれば誰も相手にならないだろうと思っての問いだったが、アリスはすました顔で肩をすくめた。
「発動するためには対象に触れてないといけないから、難しいの。それに、そもそも人間相手に使うような魔法じゃないでしょ」
「ごもっとも」
土岐はうなずき、用務員室へ続く角を曲がった。
バッタリと生徒会長に出くわした。
「…………」
「…………」
「……どうも」
「ええ」
会長はニッコリと笑むと、胸に手を当てた。まばゆい光に包まれ、次の瞬間には魔法少女に変身していた。
「授業は!」
剣を構える生徒会長の姿に、思わず叫びながら駆け出した。
「うしろ!」
アリスの声。同時、間合いをつめてきた会長が鋭い太刀筋で土岐の首を狙ってきた。
反射的にヘッドスライディングして避ける。ごろごろと転がってからすぐさま立ち上がり振り向くと、すでに二撃目を斬りこんできていた。
終わった。そう思った瞬間、アリスの拳が刃を叩き落とす。
「エマ! 加勢!」
鋭い声。土岐は短剣を振りかぶった。
会長の反応は速かった。土岐の短剣が振り下ろされる直前に身を引き、ふたりから距離を取る。
二対一。いつぞやの対面とまったく同じ構図だ。あのときは分が悪いと見てアリスが即刻撤退を決めた。が、今回はそうも言っていられない。覚悟を決めて短剣を構えると、アリスが小さな声で言った。
「逃げよう」
「えっ」
思わず視線を向ける。アリスは碧眼の焦点を会長に合わせたまま、一筋の汗を垂らした。
「この人には勝てない。体術だけでもわたしたちより上だし、遠距離攻撃も持ってるでしょ。まともにやりあう相手じゃない。今日は諦めて、また今度にしよう」
そういえばそうだった。原付で逃げる土岐たちを、空を飛びながらビームを撃つという反則技で追いつめてきていた。だが、
「今日逃げたらもうチャンスないよ」
「……」
土岐の言葉にアリスが沈黙する。
土岐たちの姿は、すでに何人もの魔法少女が確認しているのだ。次来るときは間違いなく学園全体の警戒が高まっていることだろう。
「アリス。会長に勝てないのはわかった。なら、なんとか撒いて用務員室行くしかない」
「でも……」
アリスの声が細くなる。
土岐は、短剣を握る手に力をこめた。
「大丈夫。ふたりでならやれる」
根拠なんてない。ただ己を、彼女を奮い立たせるための言葉だった。
アリスはなおも不安げに瞳を揺らしたが、土岐の目が会長にのみ注がれているのを見て、覚悟を決めたように息を吐いた。
「作戦会議は終了?」
「わざわざ待ってくれるなんて会長さんもお人よしっすね」
「人望を集めるには器量が必要なのよ」
「そのデカい器で私らのことも見逃してくれないっすか」
「ただの無能は尊敬されないの、よっ」
言い切るとともに会長が大地を蹴った。莫大な推進力でもって一直線に土岐の懐へ駆ける。
「させない!」
直線上、横から叩き落とすようにアリスが手刀をおろす。
「!?」
読まれていた。急停止した会長が九十度回転し、その勢いを乗せてアリスへ剣戟を放つ。
「あ、」
土岐の間抜けな声。
会長の勝ち誇った笑み。
「――」
アリスだけが、そのスローモーションから抜け出していた。
鋭い切っ先を、身をよじって紙一枚かわす。
剣を振り切り隙のできた会長の脇腹に、蹴りを放った。
「ぐっ」
会長のくぐもった声。
「行くよ!」
アリスの声が土岐の意識を呼び戻す。
「待ちなさい!」
慌ててアリスに追随する土岐を、数テンポ遅れて会長が追ってきた。
旧校舎を舞台に、鬼ごっこが始まった。
土岐たちにとっての不運は、会長のほうが足が速いことだった。まっとうな追いかけっこでは勝ち目がない。
目的地を知られていないという唯一の強みを生かすしかない。物陰を利用し、隠れながらすこしずつ逃げる。
だが、このままでは、よしんば用務員室にたどり着けたとしてまともに茂理と会話する余裕などないだろう。
一度、きちんと迎撃するか完全に撒く必要がある。
そう考え、手近な資料室の扉を開けた。中に入って換装を解き、鍵を閉めた。
このあたりを捜索しきって、見つからなければするどこか別の場所に行ったと勘違い死てくれるだろう。希望的観測だが、ほかに手も浮かばなかった。
ひとつ小さな息をついて部屋の中を見渡す。初めて入った部屋だった。大きな本棚が左右にいくつも並んでいる。奥の大きなカーテンの下には立派なテーブルと、背もたれの高い立派な椅子がひとつ。見渡した範囲では人は誰もおらず、今更ながらほっと安心する。
ぴんぽんぱんぽーん、と、校内放送が始まった。
『土岐依満が出現しました。見つけ次第拘束してください』
会長のものではない。知らない人の、感情のこもらないアナウンスがスピーカーから流れる。
「……ガチなやつじゃん」
呆然と呟く。おそらく会長が連絡したのだろう。どの程度の生徒が捕えに動くかは未知数だが、より身動きがとりにくくなったのは間違いないだろう。
廊下を駆けるヒールの甲高い音がやみ、隣の部屋の扉が開く音がした。やはりこの部屋にいることはバレてはいないらしい。が、順番を考えるとおそらく次はこの部屋に来るだろう。施錠されていることからここではないと判断してくれれば良いが。
「チャオ。用務員室までどんくらい」
「三部屋隣ぱお」
「さすがに壁ブチ抜くのは無理か」
「土岐ちゃん一旦落ちつくぱお」
ふたりの脇を抜けて、アリスが窓のほうへ足を踏み出した。
カーテンに手をかけ、すそをそっと持ち上げて覗いた。
「外も難しそうだね。魔法少女が何人かうろついてる」
「地下室とかないの」
「……さすがになさそう」
床に目を落としたアリスが言う。
どうしたものか。困り果てていると、ヒールが床を叩く音が響いて来た。がっ、と、扉を開けようとする音が室内にこだまする。
心臓が飛び出すかと思った。
とっさに目配せして隠れそうな場所を探す。本棚の裏。掃除用具入れ。机の下。
まともに検討している時間はない。ムリヤリ開けようとする音に掻き立てられるように、掃除用具入れにふたり駆けこんだ。
音を立てないように扉を閉める。同時、金属のへしゃげる音が鳴った。
「あら、壊れてしまったわ。老朽化かしら。修理の申請しなければいけないわね」
白々しい声とともに、会長が扉を開けて入室してきた。
こいつガチモンのやべえやつだ。心の内で警鐘がけたたましく鳴る。だが、ここに隠れてしまった以上、いまさらできることはない。通気窓から様子をうかがうだけだ。
激しく心臓が鳴る。土岐のものかアリスのものか、それすらもわからない。どちらからともなく手を握り合い、まるでひとつの身体になったかのように溶け合う。
「土岐依満さーん。どちらにいらっしゃるのぉ?」
すっとぼけたような軽い調子で言いながら、室内を歩き回る。本棚の裏、机の下。カーテンを開け、窓の鍵が閉まっていることを確認する。
「あれぇ、この部屋ではなかったかしら」
そう思うならはやく次の部屋に行ってくれ。手が汗ばむ。
心臓が早鐘を打つ。
「うーん、どちらかしらねぇ」
顎に人差し指をあてて呟く彼女の瞳が、土岐の目をとらえた。
反射的に顔をそらす。いや、大丈夫。目が合うわけがない。ただたまたまこちらを向いただけだ。そう言い聞かせ、もう一度通気口から外を覗く。口だけ笑んで、笑っていない瞳が確実にロッカーをとらえていた。
かつ、かつ、とヒールが床を叩く音がゆっくりと響く。棺桶に押しこまれているかのような錯覚。
やばいやばいやばい。脳内が真っ白になる。彼女の手がこちらに伸びてくる映像がスローモーションのように見え――
「かいちょおおおおおおおおおおおおおおお!!」
学校中に響いたんじゃないかと思うくらいの大声が乱入していた。
びくぅっ! と身体を震わせた会長が振り向くと、肩で息をするオレンジ髪の魔法少女が、汗をぬぐって言った。
「会長! いました! 土岐依満が!」
「……本当?」
不審げに尋ねる会長に、汗だく魔法少女は「はい!」と語気強く肯定した。
「体育館のあたりに隠れてました! まだ誰にも見つかってませんから、手柄取られる前に行きましょう!」
「そうね」
即決だった。彼女はロッカーに見向きもせず、汗だく魔法少女とともに颯爽と資料室を出て行った。
バタバタと足音がとおくなり、やがて完全に消えたところで、土岐は扉をあけた。外に飛び出し、新鮮な空気を胸いっぱいに吸う。
「っはあ~~~~~~~~~~、たすかったあ……」
知らず呼吸を止めていたらしい。大きなため息が出た。汗で髪の毛が額に張りつき、魔法少女らしからぬ姿になっているが、そんなことはどうでも良かった。アリスと顔を見合わせて、へにゃりと頬を緩ませる。
「やあやあ災難だったね」
そんなふたりの近くに、青髪の魔法少女が立っていた。
「っ~~~~!」
声にならない悲鳴。
土岐が反射的にアリスの前に立つと、
「違う違う! あたし味方!」
その魔法少女は剣を足元に放り、両手を挙げて無害アピールをしてきた。
「……えっと、あんたは」
胡乱な目を向ける。
「覚えてない? ほら、こないだ魔物狩るとき、土岐さん助けてくれたっしょ」
「……………………あー、思い出した」
ファイトクラブ前にコアを奪おうとして、結局うまくいかなかったときの魔法少女だ。
同時に、さっきの汗だく魔法少女も脳内の映像に重なった。
「あたし大和(やまと)。あのときはお礼も言えなかったからさ。あたしもあいつも気にしてたんよ。だから、今こうして力になれてよかった。どうせ君、犯人じゃないんでしょ?」
「……そんな簡単に信じていいんですか」
「いいのいいの。あたしは直感で生きる魔法少女だから」
なんだそれ、と思いつつ、そのテキトウなノリに、心が軽くなるような感覚もあった。
「ところで、そちらの相方さんはどちらさまで。見覚えないけど」
「成り行きで一緒に行動してる天然魔法少女で――」
そこまで言って、失言だったと気づいた。大和は、あからさまに顔をしかめていた。
「いや、違うんす。アリスは天然魔法少女だけど、いいやつで」
土岐の要領を得ない説明に、彼女の表情は変わらない。
彼女が顔をしかめるのは、よくわかる。自分もかつてそうだったから。だからこそ、どう説明をしたら良いかわからず、歯がゆかった。
「とにかく、私はアリスに助けられてきたんで。味方っす」
「なるほど、わかったよ」
土岐の説明に、大和は得心いったというふうにうなずくと、アリスに向き直った。
「あとはこっちで引き継ぎますので、部外者はお帰りください」
「ちょ!」
反論しそうになった土岐をかばうように、アリスの手が伸びた。
「……エマ。大丈夫」
アリスは苦笑いを浮かべて、絞り出すようにそう言った。
口をぱくぱくさせる土岐から視線をはずし、立ち上がると、身体の前で手を組んで、浅くお辞儀をした。
「エマをよろしくお願いします」
そう言って、大和の返事を待たずにひとり歩き出した。
あまりの急転直下に、土岐は、ただ呆然と見送ることしかできなかった。
姿が見えなくなったところで、大和が口を開いた。
「ところで土岐さん。指名手配されてるのになんでここに来たの」
「え、あ、はい」
いまだ心ここにあらずの状態だが、なんとか本題を思い出す。
本当はすぐにでもアリスを追いかけたいところだ。が、この一刻一秒を争う状況で内輪もめを起こすのは、地雷原でタップダンスを踊るようなものだ。自分のためにも、アリスのためにも、ここは衝動をぐっとこらえて前を向くしかなかった。
「用務員の茂理さんって知りませんか。その人に用があって来たんすけど」
土岐の言葉に、大和は腕を組んで首をひねった。
「さすがに用務員の名前は憶えてないなあ。でもま、行けばわかるっしょ。用務員室まで護衛についたげるよ」
これ以上迷惑をかけるのも忍びないところだが、ひとりで校内を散策するわけにもいかない。好意に甘えることにした。
大和が先に資料室を出て、周辺の状況を確認した。ちょいちょい、と手の合図に合わせて土岐も部屋を出た。
外から見えないよう身をかがめ、窓の下の空間を忍者のように素早く歩いた。
幸い、こちらに来ている魔法少女は少ないのか、まったくエンカウントすることなく用務員室にたどり着けた。
「中入って確認してくるから、土岐さんちょっと待っててね」
「……いえ。もう大丈夫っす」
彼女の前に身体を滑りこませる。
「でも中に誰がいるかわかんないよ」
「だからっす。これ以上大和さんを巻きこむわけにはいきません。私の味方して立場悪くなったら、目覚め悪いっすから」
面食らう大和に軽く頭を下げ、土岐は勢いで扉を開けた。
「……あら、どちら様?」
四十代くらいだろうか。上下青いジャージの穏やかそうな女性が、目を丸くして尋ねてきた。
とりあえず人がいたこと、こちらを見てすぐに襲いかかってこなかったことに安堵しつつ、土岐は一歩踏み出した。
「二年生の土岐といいます。用務員の茂理さんを探しているのですが、あなたがそうですか?」
「……茂理さんね」
土岐という名前に一瞬ピクリと眉を動かしたが、彼女の関心は茂理のほうに傾いたらしい。
「茂理さん、一年くらいまえに、辞めちゃったのよ」
「えっ」
目の前が真っ暗になったかと思った。
やっとの思いでたどり着いた場所から、とっくに目的の人物がいなくなっていただなんて。
「今どこにいるかとかは」
「それがわからないのよねえ。本当にある日突然、校長からあの人辞めたよって言われて。随分お世話になったのに、挨拶もできないままお別れになっちゃったのよ」
呆然とする。これまでの苦労はなんだったのか。走馬灯のようにこの数日間がよみがえる。
「退職された理由は、お訊きしても?」
ぐるぐると脳内に黒いものがうずまく土岐にかわって、大和が尋ねた。
「一身上の都合としか聞かされてないわね。ああ、でも、辞めるすこし前に、『友人との約束を果たせる日がもうすぐ来る』って嬉しそうに話してたわね。もしかしたらそういうのが関係してるのかも」
「聞かせてください」
土岐の目に光が戻った。
友人との約束。まず間違いなく、安芸との約束だろう。ならば、今の彼女の居場所とは無関係ではないはずだ。すこしでも次に繋がる情報がほしい。
そう思って前かがみに言ったところで、間の悪いことにピンポンパンポーンと校内放送が始まった。
『土岐依満。土岐依満。友人は預かった。生徒会室に来なさい』
「……すんません。急用ができました」
歯噛みをして言う。
「あら、穏やかじゃなさそうね。大丈夫なの?」
「はい。大丈夫じゃないんで、行きます。茂理さんの話はまた今度聞かせてください」
「今度はお茶菓子用意しておくわね」
柔和な笑みに会釈を返して、背中を向ける。
「待って」
部屋を出て行こうとする土岐に、大和の声がかかった。
「天然なんかのために、なぜ、見えすいた地雷を踏みにいくの」
彼女の声を染める色は、八割の心配と、二割の困惑だった。
無理もない。すこし前の土岐ならば、同じことを思っただろう。
けれど、今、土岐の答えは、決まっていた。
「大山アリスのことが、好きだからですよ」
すこしだけ振り向いて、笑ってみせた。
天然魔法少女だとか、学園魔法少女だとか、属性は関係ない。大山アリスという個人を気に入っている。
身体を張る理由は、それだけでじゅうぶんだった。
面食らう大和から視線をはずし、今度こそ走り出す。
「チャオ。道案内は頼んだよ」
生徒会室を前に思う。つくづく異様な道中だった。幾人もの魔法少女にエンカウントした。なのに、誰も土岐とコミュニケーションを取ろうとしなかった。襲いかかりもしてこないし、かばってくれるわけでもない。先までの殺伐とした空気が嘘のように、ただのいち生徒と同じ扱いだった。
余計な障害がないのはありがたい。ありがたいが、嵐の前の静けさという言葉が思い出される光景で、神経が落ち着かなかった。
数度深呼吸。鼓動を整え、胸に手のひらを当てる。まばゆい光に包まれ、魔法少女へと変身。意を決して扉に手をかけた。
ゆっくりと、警戒しながら引き戸を開ける。
狭い生徒会室で、会長と、口枷をはめられたアリスのふたりが立っていた。
「しつれーします」
できるだけぶしつけに言って一歩踏み出す。
むー、むー、となにか言いたげにするアリスから視線を外し、会長に向けて言った。
「アリスのこと、もっと丁重にもてなしてもらえないっすかね」
「随分肩入れするのね」
「友人なんで」
土岐の反論に、別の声が挟まった。
「お疲れ様でした」
陰から現れたクジラの妖精、理事長だった。
「理事長。魔法少女連続失踪事件、私もアリスも犯人じゃないっすよ」
「魔法少女連続失踪事件……。ああ、そうでした。そういう体裁でしたね」
理事長が可愛いマスコット姿のまま、無邪気に言う。愛らしいはずのその姿が、どす黒く見えた。
「体裁……?」
「あなたにもそれなりに頑張ってもらいましたから、教育者として報酬を与えなければなりませんね。教えて差し上げましょう。あの一連の事件の犯人は、わたしです」
「…………なんで?」
「魔物を絶滅させるためです」
「どういうことっすか」
「結論を急ぐのは、学習者の姿勢としてよくありませんよ」
優雅にドリップコーヒーを淹れながら、理事長はゆったりと言った。
ふんわりと、コーヒーの香りがただよう。
「わたしはずっと、魔物を絶滅させたいと思っていました。しかし、一匹見たら百匹は隠れている生き物ですから。手立てが見つかりませんでした」
すこしずつ、丁寧にお湯を注ぎながら語る。
「人類は遅れた種族ですが、一点、害虫駆除という点においてのみ、わたしたちよりはるかに優れた発想力、技術力を持っています。だから、わたしはあなたがたの発明を、魔物の殲滅に応用することにしたのです」
ぴちょん、と最後の一滴を注ぎ、ポットをおろす。
「まず、魔物の血液から、魔力を抽出します。アヘンからモルヒネを、そしてヘロインを生成するように、より鋭く、精密に、高純度な魔力のみを引き出すのです。そうして出来上がった液体を、魔法少女に注入し、徐々に身体をつくりかえてゆくのです。知っての通り、魔物は仲間意識が強く、同族のピンチに駆けつける習性があります。うまく混ざり合い、適合すると、魔物を引き寄せるエサとなるのです」
コーヒーカップを口元に近づけ、香りを楽しむ。食後のブレイクタイムのように、穏やかに話を続ける。
「幾人もの魔法少女を拉致しては実験してきました。ですが、どなたも適合せず、壊れてしまいました。魔物の鋭利な魔力に飲みこまれてしまうのです。そこで、わたしは育てることにしました。素質ある魔法少女の、土台を大きくして、魔物の魔力をしっかりと受け止められる状態にしたかったのです」
「…………それでアリスに白羽の矢が?」
「ご明察」
ヒレを叩いて賞賛する。ぱふぱふと可愛い音が鳴るだけだった。
「……なんで、わざわざそんなこと。魔物は、魔力を食って生きてんでしょ? 妖精が独占してる鉱山を分けて、べつべつに生きたらいいじゃんか」
「ああ、安芸桜のところでその話も聞いていたんでしたね」
理事長はコーヒーをひとくちすすって、こともなげに言う。
すう、と目を細めると、短い右ヒレを上に向けた。
なんだ? と土岐が顔を上げると、なにもない空間から、黒く小さな塊が雨のように降ってきた。
ゴキブリだった。
「ぎゃああああああああああああああ!!!」
おぞましい数のそれらに思わず絶叫。逃げまどっていると、理事長はヒレを前に向け、ウインクした。次の瞬間、すべてのゴキブリが一瞬にして燃え上がり、跡形もなく霧散した。
瞳孔を開き、肩で息をしながら生き残りがいないか服を叩く土岐。
理事長は、冷静に言った。
「同じことです」
よく響く声だった。
「あなたがたがどうしてこれほどまでゴキブリを嫌うのか、わたしたち妖精には理解できません。ゴキブリだけではありませんね。蜘蛛。ナメクジ。蠅。蟻。芋虫。挙げ始めればきりがありません。もちろん、不潔だからだという反論もあるでしょう。実害があるという言い訳も聞きます。が、詭弁でしょう。生理的に受けつけないから、不快だから殺しているという側面を否定することはできないはずです。でなければ、不快害虫だなんて言葉は生まれませんから」
「……」
「わたしたち妖精にとって魔物とは、そういう存在なのです」
「……」
「ただ存在するだけで不快。生理的に受けつけない。視界にいれたくない。この世に存在することが許せない。だから殺す。巣にさかのぼってまで根絶する。――今一度問いましょう。わたしたちは身勝手ですか? 犬や猫を可愛がり、ゴキブリを殺すあなたがたに、わたしたちを否定する権利がありますか?」
美味しそうにコーヒーを飲み干して、そう締めくくった。
土岐は、なにも言えなかった。
否定する言葉はたくさん浮かんできたが、どれを口にしたところで、軽すぎると思った。
「……ひとつ、わかんない。アリスを育てるってだけなら、わざわざアリス側にも私を捕まえるよう依頼する必要なんてなかったでしょ。一方的にアリスを狙って、アリスひとりで逃避行したっていいじゃん。なんで私に一緒に行動させた?」
「あなたは、ついでです」
「……?」
首を傾げる土岐に、理事長はなんてことないように言った。
「わたしの本命は、この天然魔法少女を捕らえること。そして、チャオの忠誠心を試すことです」
「…………え?」
視線をとなりへ移す。
チャオはうつむき、土岐と視線を合わせようとしないまま、理事長のもとへ飛んでいった。
「チャオは、わたしのスパイです」
「……」
呼吸がつまった。
胸中に針が落ちた感覚。舌が痺れ、脳内からパチパチとはじける音がする。チャオに裏切られたのだと、頭は理解している。理解しているが、心が拒んでいた。
「あなたが思っている以上に、チャオは優秀なのです。学園内では、わたしに次ぐ実力者ですから。ですが、内面に問題がありました。人間に肩入れしすぎる傾向があったのです。できればこの子は有効に使いたい。けれど、へたに実力があるぶん、万が一反旗を翻されたら厄介。だから、チャオがきちんと部下として働き続けてくれるか、試験をすることにしたのです。その際、不可抗力として、たまたま相方だったあなたを巻きこむしかなかった。それだけの話です。あなたは、いてもいなくてもどちらでも良かったのです」
「……」
「まあ、結局は駄目でしたが。どれだけ表面上偽っても、人間への情を捨てきれないのでは、わたしの部下としては使えません」
冷たく言うと同時、チャオの身体から血が噴き出した。
「チャオ!」
土岐が反射的に駆け寄る。が、あとすこしで抱きかかえられるというところで、すいっと手のひらからすり抜けた。コーヒーを淹れるときと同様の魔法なのだろう。理事長は土岐を一瞥だけして、部屋の隅の食器棚の引き出しを開けた。
黒より暗く、宇宙より深い空間が広がっていた。
「……ブラックホールゾーン」
土岐は、呆然と呟いた。
なぜここに、とか、なんで今開けたのか、とか、そんな疑問がぐるぐると頭の中で回転する。
理事長はつぶやくように言った。
「本当に惜しいわ。わたしの、一番弟子」
ごみを投げ捨てるように、チャオをブラックホールに放りこんだ。
「チャオ!」
土岐は叫びながら駆け寄った。
が、これまでじっと黙って待っていた会長が、土岐を羽交い締めにした。
「はなせ!」
ジタバタと暴れるが、ビクともしない。会長は表情を消して、土岐の身動きを完全に封じていた
土岐の身体が一瞬弱く発光。赤いポニーテールが、黒に戻った。
チャオから流れてきていた魔力が途絶えたことを示していた。
「わたしは最後の仕上げに入ります。その子はもういらないから、あなたの好きにしてちょうだい」
「かしこまりました」
「待て! アリスにはなんもするな! エサ役だったら私でもいいだろ!」
陸にあげられた魚のように暴れる。が、力ずくでおさえられ、どうしようもない。
理事長は土岐の言葉に答えることなく、アリスを連れて部屋から出て行ってしまった。
「おい! あんたは! 会長はなんであんな奴に協力すんだ!」
「うるさい」
感情のままわめく土岐に、語調をおさえて会長が言った。ドスの利いた声に、思わず土岐も気圧される。
「おまえになにがわかる。落ちこぼれヤンキーが、理事長を悪く言うな」
「……あんたは理事長のなんなのさ」
「ふっ」
会長は鼻で笑った。
「あたしは理事長のおかげで生きているの。だから理事長の力になる。そのためなら、人の道も外れられるわ」
「……でもあんた、手柄取ろうとしてたじゃん。ほんとはただ」「気が変わった」
土岐の言葉を遮って、会長が言った。
「このままことが終わるまで拘束しておくつもりだったけれど、こんな問答も面倒ね」
「……やってみろよ。人を殺すときの感触は、一生夢に見るぞ」
「おまえを殺すのはあたしじゃないわ。環境よ」
冷たく言って、土岐をブラックホールゾーンに突き落とした。
「おやすみ。色なき緑の魔法少女」
その言葉も、底のない暗闇に吸いこまれていった。
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