第6話
「この洞窟ぱお」
山を登り始めて三時間。アリスの師匠、安芸桜(あき・さくら)の住むらしい洞窟の入口へ、チャオの案内でようやくたどり着いた。
「一旦、休憩しよう」
浮かない顔のアリスの横で、土岐が近場の岩に座りんだ。隣の空間をぽんぽんと叩き、彼女を招く。
「アリス、安芸さんってどんな人?」
「……強い人だったよ」
数瞬迷って、アリスはそう答えた。
「正しさを押しとおせる、強い人だった」
彼女の声音に帯びた色に、土岐は、口をつぐんだ。ごまかすように周辺へ目をやる。
雪景色だ。それほど標高の高い山ではないが、それでも深雪が視界を真っ白に染め上げている。魔法少女の身体でなければ、凍えて身動きが取れなくなっていたことだろう。
ファイトクラブの死闘で痛めた右足に冷たい空気がしみる。
あの戦いは、最終的に土岐の勝利という形で決着がついた。が、肝心の土岐自身がほとんど気を失っていたこともあり、なぜ自分が勝者扱いされているのか、まったく理解できず困惑するばかりであった。チャオから顛末を聞いたうえで、おそらく土岐の血に流れる魔法がギリギリいっぱいのところで発動したのだろうという結論になった。
とはいえ、棚ぼただろうとなんだろうと、勝利は勝利。合計三十個弱のコアを手にいれることができた。すべて情報屋にぶん投げてこの場所を教えてもらい、こうして冬山登山にいそしむことになっていた。
「アリス。やっぱやめとく?」
「……ううん。ここまで来て引き返せないよ。大丈夫」
アリスは首を振って立ち上がり、尻の雪を払った。
鉛のような一歩を踏み出す。
洞窟内に足を踏み入れ、数メートル。ドドドドド、と腹の底に響く地鳴りが洞窟の奥から迫ってきた。
正体は、全力疾走する女だった。
目をまん丸くしているこちらに構わず、女が跳んだ。勢いのままドロップキック。どごぉ! という、およそ人から出ていいはずのない音とともに、アリスの身体が吹っ飛んだ。
そうしてドロップキックをかましたクレイジー女は、二本足で華麗に着地すると、アリスに向けて中指をおったてた。
「てめえ二度と顔見せんなっつったろうが!」
見た目は二十代後半くらいだろうか。ピンクの髪に、フリフリしたピンク衣装の魔法少女だった。
地面を転がるアリスのもとへ駆け寄る。
「アリス大丈夫!?」
「……」
返事がない。一瞬、コトかと思いヒヤっとしたが、どうやら意識は問題なくあるらしかった。ただ、起き上がることができないようだった。やましいことを隠す子どものように、顔を伏せ、心を閉ざしていた。
「帰れ。空が明るいうちにな」
吐き捨てるように言って背中を向け、ピンクの女は去って行った。
憔悴したアリスに後ろ髪をひかれつつ、土岐は、気づけばピンク魔法少女の後ろ姿を追っていた。
背中を視界にとらえ、土岐は跳んだ。
「おらぁ!」
確信する。完全に正中線をとらえた。生身の人間なら半身不随もありうる完璧なドロップキック。
ピンクの魔法少女は、避けなかった。
わずかに振り向き、飛んできた足首をキャッチ。慣性に腕力を足して、地面に叩きつけた。
「がはっ」
肺から空気がもれる。
「てめえナニモンだ」
「アリスのダチっす。なんかムカついたんで、ドロップキックを返しにきました」
「そうか。残念だったな」
ハチャメチャな理屈に、しかし彼女は、まったく気にした様子もなく背を向けた。
土岐は彼女のスカートの裾をひっつかんだ。
「待って私の話終わってない!」
「興味ねえ。帰れ」
「んなこと言わないで! あんた安芸桜さんでしょ! なんで弟子追い返してんのさ」
「うるせえ!」
ピンクの魔法少女は、縋りつく土岐を力いっぱい蹴りつけた。鈍い音とともに、うずくまる土岐から苦悶の声が滲み出る。
「アイツはもう弟子でもなんでもねえんだよ」
鼻を鳴らして背中を向ける。
が、一歩踏み出したところで、再びスカートを掴まれた。
「うぜぇ」
虫を払うように蹴った。鈍い音とともにゴロゴロ転がる。
だが、数歩進んだところで、三度、スカートを引っ張られた。
「……てめえ。ゾンビだったのか?」
鼻から血を出し、涙目になりながらそれでもスカートを握りしめる土岐に、口の端をひくひくとさせながら言う。
「ヤンキーっす」
「……そこは魔法少女ですって答えるとこだろ」
ガシガシと頭をかいて、「はぁー」と大きくため息をついた。
「わぁーったよ。話してやる。だからスカートを掴むな。破れる」
うんざりしたように言った。
「察しのとおり、アタシが安芸桜だ。だが、てめえが期待してるような面白い話はできねえぞ」
長い話をするつもりもないのだろう。手近に座れそうな岩が転がっているが、ちらりと見やるだけで、立ったまま語り始めた。
「はじめて会ったのは六年前だ。アイツは、魔物に襲われて死にそうになってた。だからとっさに、アタシの血を飲ませてギリ生き永らえさせた。が、アイツの親がまぁクソでな。魔法少女になったアイツをいらねえなんて抜かすから、こっちで引き取って魔法少女として育てることにした。そんときアイツに出した条件がふたつ。学園魔法少女にならねえこと。有象無象の天然みてえな、くだらん泥棒にならねえこと。だが、裏切られた。アイツはしょうもねえ泥棒に成り下がった。だから、もう二度と顔を見せるなと破門した」
語り終えた安芸は、わずかに顔をゆがめて、
「ただそれだけの、つまんねえ話だ」
冷たく言った。
泣きそうな顔だ、と思った。
「わかったら帰りな。いくら魔法少女の身体でも、夜の雪山は耐えられねえ」
それだけ言うと、土岐の答えを待たず、洞窟の奥へと歩いて行ってしまった。
どう答えるべきだったか。彼女のうしろ姿が暗闇に溶けて消えても、土岐にはわからなかった。
入口に戻ると、アリスが膝を抱えていた。
足音でこちらに気づいたのだろう。アリスは跳ねるように顔を上げて、安堵したように頬を緩めた。
「おかえり、エマ。無事でよかった」
「うん。アリスも」
洞窟の外は、日が傾いてきているようだった。
土岐は、アリスの隣に腰を下ろした。
「話、聞いてきた」
土岐の言葉に、しかし彼女の反応は薄い。覚悟していたのだろう。
「教えて。どうして、安芸さんの言いつけを破ったの」
「…………認められたかった、から」
吐露する声は、あまりにもか細かった。
「師匠は、本当によくしてくれた。血もつながってないわたしを引き取って、育ててくれた。教えかたはすごいへただったけど、それでも、魔法少女としての戦いかたを頑張って教えてくれた。今のわたしがあるのは、間違いなく師匠のおかげ」
ぽつりぽつりと語る言葉が、静かな洞窟にしみ入る。
「魔物に襲われたときのことを、よく夢に見た。目が覚めると師匠も必ず起きて、抱きしめてくれた。ぶっきらぼうで、暴力的で、でも、照れ屋で優しかった」
両の手のひらを握り合わせて、言葉をひとつひとつ吐き出す。
「わたしがひとりでもそれなりに戦えるようになったころ、師匠は外からの依頼を受けるようになった。傭兵やボディガードの仕事で、出張に出かけることが増えた」
彼女の話を聞きながら、土岐はぼんやりと思い出した。アリスも当初は、依頼で土岐を捕まえようとしていた。天然魔法少女のことは詳しく知らないが、学園魔法少女とは違う仕事のが舞いこんでくるのだろう。
「わたしは、コアを手に入れられなかった。魔物を倒すところまではできたけど、倒した端から天然魔法少女に奪われた。コアもツノも。どうしようもなく悔しかった」
握り合わせる両手に力がこもる。逡巡するように沈黙を挟んで、うつむいたまま言った。
「どれだけ頑張っても、師匠に手土産ひとつ用意することができなくて、だから、……」
「だから、盗んだ」
土岐の言葉に、アリスがうなずく。
「自分がされ続けたことだったから、どうすればいいのかはすぐにわかった。簡単だった。それまでの苦労がなんだったのかと思うくらい。師匠は喜んでくれて、強くなったなって認めてくれた。……やめられなくなった」
「で、バレて破門されたと」
だが、それなら、そのあとからでもやり直せたのではないか。なぜ、破門されたあとも泥棒仕草を続けていたのか。脳裏によぎる疑問が表情にも出ていたのだろう。アリスは土岐から目をそらし、自嘲的に言った。
「全部どうでもよくなった。どんなにがんばってもわたしを認める人はいない。なら、盗みをやめる理由だってない」
そう語る彼女の瞳に、土岐はぞくりとした。
大きな碧眼は、こんなにも寒々しい色をしていただろうか。
「でも、師匠はわたしのそんなところまで見抜いてるのかもね。ごめん、わたしのせいで」
そう言って顔を伏せる。
痛いほどの沈黙が洞窟に落ちた。
なるほど、と、土岐は心の中でうなずいた。
安芸がキレるのも、無理のない話である。なにしろ、手塩にかけて育てた弟子が、絶対の言いつけを破ったのだから。
とはいえ。
「んー……」
そうはいっても、アリスの心情も自然だと感じた。すくなくとも、破門されてドロップキックされるほどのひどい話だとも思えない。
「アリス」
だから彼女の手を取った。いまだ顔をあげない魔法少女を引っ張る。
「行こう。認められに」
「……無理だよ」
彼女は土岐の手をふりほどいた。
「わたしは所詮ケチな泥棒だから。わたしのことなんて気にしないで、エマだけで行ってきて。あんな態度だけど、案外、人がいいから、事情を説明すれば力になってくれるかも」
「なら、なおのことアリスを置いてくわけにはいかないね」
「……どうして」
「ヤンキーが、ケチな泥棒にどんだけ助けられてきたか教えてやんないと」
そう言って笑ってみせる。
アリスはあっけに取られたようにぽかんとして、やがて口元をわずかに緩めた。
「助けられたのはどっちさ」
小さなつぶやき。
彼女は、再び土岐の手を取った。
勇気を分け合うように手をつないだまま、ふたりは洞窟の奥へと歩みはじめた。
ある程度進むと広い空間に出た。ほのかに暖かい。おそらくカマクラが暖かいのと同じ原理だろう。
「……いるぱお」
チャオの緊張感のある声。安芸か、と視線を周囲に配ると、のしり、のしりと重量感のある音が耳に届いた。
土岐たちの背丈をはるかにしのぐ、体高五メートルほどの魔物がこちらに向かって歩いてきていた。
「!!」
あわてて短剣を構える。これほどの大物は初めて見た。
一歩進むごとに大地が揺れるような錯覚を受けた。あるいは本当にそうなのかもしれない。
「……待って」
アリスが殺気だつ土岐を制した。
「様子がおかしい。大人しすぎる」
言われて、改めて観察をする。その、デカすぎる魔物は、まるで散歩でもするかのように闊歩していた。こちらの姿が見えていないはずもなかろうに、まったく気にした様子もなく、ゆったりと歩いている。
「……こいつ、襲わないのか?」
「そうだ」
土岐の独り言のような疑問に、いつの間にうしろにいたのか、安芸が答えた。不意打ちに変な声をあげながら振り向くと、ピンク髪の妙齢魔法少女の人差し指が頬に刺さった。
古典的なトラップに固まっていると、安芸は面白くなさそうに指をひっこめ、口を開いた。
「帰れと言っただろう。なにしに来た」
「認めてもらいに」
不敵に笑んでみせる。絶対に舐められるなと、土岐の中のヤンキー部分が叫んでいた。
「安芸さん。あんたわかってないよ。アリスのこと」
土岐の言葉に、安芸が「へえ」と小バカにするように笑った。
「アタシも大概ロクデナシだからな。否定はしねえ。んで、てめえはどうなんだよ」
「あんたよりはマシだよ」
意識的に舐め腐った態度をして言う。
「アリスはたしかに悪い奴だよ。私も被害に遭ったし、正直超ムカついた」
手のひらの先が、びくんと震える。
安心させるように、強く握りしめた。
「いいかよく聞けよ。こんなもん、ただの気の迷いだ。あんたのほうが知ってんだろ。アリスがどんだけ長い間、コアを手に入れられず苦しんでたか。楽な道がすぐそばにあって、けどその道は選ばなかった。どんだけしんどくても正しくあろうとした。こいつの本質はそっちだろ」
「人間、行動がすべてだ。内心がどれだけ清らかだろうと、やったことが悪ならそいつは悪なんだよ」
「かもね。けど、今のアリスは違う。私をとっ捕まえる依頼を蹴って、殺されそうになった私を助けて、逃避行にも手を貸してくれた。なんのメリットもないのに。行動がすべてってんなら、今のアリスはもう、あんたが破門したときとは別モンだろ」
「改心したから許せって? 丸くなったヤンキーより、ずっと正しく生きてる奴のほうが圧倒的に偉いって相場が決まって」「ざけんな」
安芸のセリフを遮って、土岐は短剣を壁に突き刺した。
一番嫌いなセリフだった。
「家庭に恵まれず、教室に居場所がなく、勉強でもスポーツでも落ちこぼれ。いいか? ヤンキーってのはな、そうやって苦しみ続けてきた連中が、どうしようもなくたどり着く居場所なんだよ。夜の闇ん中でしか自分の輪郭を見つけらんない連中が、かろうじて呼吸できる場所なんだよ」
ヤンキーとしてバカやっていたころを思い出す。間違いなく楽しかった。刹那的で、衝動的で、でも、儚かった。みんな心の傷跡をひた隠しにしていた。ケンカをしている間だけは現実を忘れられる。そう語った奴もいた。
「ずっと正しい奴が偉いだ? なんの苦労もなく育って、自然体で正しくいられるような甘ちゃんのなにが偉いんだよ」
太陽の高い時間、なに食わぬ顔で学校生活を送る恵まれた連中が、憎かった。
「私もアリスも、道を間違えて、それでも必死に歯ぁ食いしばって、正しくなろうとあがいてんだ。こっちのが百倍偉いに決まってんだろ」
強い語気で、口を挟む隙間も与えずに言い切った。
腕を組み、じっと話を聞いていた安芸は、大きく、大きく息を吐いた。
鋭い瞳が、アリスをとらえる。
「……で、当のお前はどうなんだ」
「わたしは……」
口ごもるアリス。視線を右往左往させ、口を開けては閉める。言いたいことはあるものの、うまくまとまらない。そんな感じだった。
土岐は、彼女のこめかみに頭をコツンと当て、柔らかく言った。
「大丈夫」
一瞬、びっくりしたように身体を震えさせたアリスは、胸に手をあてた。ひとつ、ふたつ、大きく深呼吸。
瞼を閉じて、ゆっくり開けて、安芸をまっすぐに見つめた。
「わたしは、もう、泥棒はやらない。こんなわたしでも、認めてくれる人がいるってわかったから。――やらない理由が、できたから」
不安げに揺らぐ瞳。それでも、視線を安芸からそらすことはなかった。
「……そうか」
アリスの覚悟を真正面から受け止めた安芸は、ふっと表情を和らげた。
「良い友を得たな。大山」
「………………大山って、ひょっとしてアリスのこと?」
いいシーンだから割って入るのもどうかと思ったが、気になったので尋ねずにはいられなかった。
「ん? ああ、言ってねえのか。そいつの本名。大山アリスだ」
「大山……」
改めてアリスへ視線を戻す。白磁のように白い肌。シルクのごとき金髪。日本人離れした目鼻立ち。
他人の苗字を揶揄するつもりはない。ないが、大山という苗字を冠するには、彼女の外見はそのすべてが……「っあ~~~~~~~~~~~~~~~! だから嫌だったのに!」
アリスが発狂した。
「ほらその顔! エマも思ってるでしょ! シワシワ苗字だって! わたしだってエマみたいなスマートなのが良かったよ! 土岐アリスがよかったよ!」
早口にまくしたてるアリス。その怒った表情がまた絵になっていて、ますます大山という苗字から抱く印象から遠ざかり、土岐は思わず吹き出してしまった。
「……なにさぁ」
口をとがらせるアリスに、土岐はカラカラと笑った。
「だって、こないだ私が名前コンプレックス発揮したときは意味わかんないみたいな顔してたのに、同じじゃん」
「同じじゃないよ! 可愛い名前とシワシワ苗字は正反対だよ!」
ぽこぽこと殴ってくるアリス。
「痛い痛い、ごめんって」
笑いながら謝る。
そんなふたりの様子を、安芸は面食らったように見つめた。やがて大きな目をふっと細め、腰に手をやって言った。
「改めて、アタシは安芸桜。大山の師匠だ。よろしくな、土岐」
「土岐依満です。さっきは舐めた口きいてすんませんでした」
軽く頭を下げる。
「安芸さんにはいろいろ訊きたいことあるんすけど、とりあえず、ここなんなんすか」
「ここは、魔物の隠れ家だ」
「魔物の」
思わず反芻する。地球上にそんな場所があるだなんて、考えもしなかった。
トチ狂った科学者が阿蘇山にブラックホールゾーンをぶち空けてから、十年以上の月日が経つ。穴は、とっくに人間のコントロールを逃れた。ガン細胞のようにあちらこちらに出現し、今では日本国内だけでも2500個も発見されている。
だが、人類もただ指を咥えて眺めてきたわけではない。危険度別に階級わけし、出てきた魔物を最速で叩く体制を整えた。
現存するブラックホールゾーンはすべて管理下に置いている。魔物の隠れ棲むことのできる場所は日本に存在しない。だから安心して良い。総理大臣がテレビでそう言っているのたしかに見た覚えがある。
それが、まさか、こんな人っ子ひとりこない山奥の洞窟に魔物が隠れていたとは。
「もしかしてあのクソデカイやつだけじゃなくてほかにもいるんすか」
「ざっと三十くらいな。あいつが一番の長老だが、まだまだ元気だ」
ニカッと歯を見せて言う。
「なんで私ら襲われないんすか」
「……そうだな。学園では、魔物と妖精についてどう聞いている」
「ブラックホールゾーンの向こうの世界で妖精を襲ってて、なんとか妖精が抗ってること。ブラックホールゾーンを通ってこっちの世界に来ること。魔物は肉食だから、街中に現れると基本人間を食おうとすること。妖精が人間に戦う力を貸していること。とかっすかね」
「ふむ。いい機会だ。授業をしてやる」
言って、彼女は大きな岩に腰掛けた。
土岐とアリスも手近な場所に腰を下ろした。
「つっても、アタシもすべてを知ってるわけじゃあない。いちおう教鞭は振るってたが、下っ端だったしな。ただ、それでも、学園の方針に納得がいかなくて、だから辞めた」
「なにが駄目だったんすか」
「一番は、魔物について間違った知識を植えつけていたことだ」
「というと」
「魔物は肉食じゃねえ」
前提知識を覆された。
「……でも人襲ってますよね」
「ブラックホールゾーンから出てきた魔物が人を襲う理由はふたつある。ひとつは、パニックになっているから。土岐、ブラックホールゾーンに落ちたことあるか?」
「あったらここにいませんよ」
「だろうな。だいたいの魔物もそうだ。ブラックホールの圧倒的な重力にもみくちゃにされ、やがてイベントホライズンに引きずりこまれる」
「イベントホライズン?」
首を傾げる土岐に、アリスが声をひそめて言った。
「光も脱出できない、ブラックホールの一番危険な領域のこと」
「大山の言うとおりだ。そして、魔物が人を襲うもうひとつの理由。それは、魔物の主食が魔力だってことだ」
「魔力を……なら、人間を食うのっておかしくないですか」
「おかしくない。お前たちは知らないが、だいたいの人間は、体内にごく微量の魔力を持っている」
「えっ」
思わずチャオを見る。学園の授業で習った話と違う。チャオからも、人間は魔力を持たないから妖精から力を借りていると聞いていた。
「……ぼくもそんなの知らないぱお。一般人から魔力を検知したことなんてないぱお」
目を見開くチャオ。
「そもそもだ。おかしいと思わないか? 天然魔法少女の多くは、魔物の血が体内に入りこむことで魔法を扱えるようになった。なぜだ」
「なんでって、魔物の魔力が身体の中に順応するからじゃないんすか?」
「冷静に考えてみろ。無理だろ。人間同士ですら血液型が合わにゃ輸血できねえんだぞ。魔物の血に、魔力に適応するとしたら、あらかじめ魔力を持っているくらいじゃねえと、前提条件にも立てねえ」
「……」
荒っぽい理屈だが、なるほどまったくわからないでもない。魔力同士のかみ合わせはどうなのかと思うところもあるが、日々チャオから注ぎこまれる魔力で変身しているのだ。血液型よりは多少柔軟なのかもしれない。
「だが、さっきも言ったとおり、人間の生まれ持った魔力はごく僅かだ。魔物からしたら、どれだけ食っても腹が膨れるわけがない。だから次々と襲う。魔法少女が現れれば喜び勇んで攻撃する」
「けど、それなら私たちより妖精狙ったほうが効率よくないっすか?」
「当然。妖精側もわかっている。だから、人間を盾に隠れている。だろ? 象さんよ」
冷ややかな目が、ハッキリとチャオに注がれる。
「し、知らないぱお!」
ぶんぶんぶんと勢いよく顔を振って否定するチャオ。長い鼻がびたんびたんと鞭のように身体を叩く。
「……チャオは置いとくとして、この洞窟の魔物はなに食ってるんすか」
「石炭ってあるだろ?」
「あの、燃やせる石っすか」
「そうだ。あれは有機物が押し固められて石になったわけだが、あれと同様、魔力が押し固められて石になったものが、ここには死ぬほど眠っている。だから、そいつらを食っている。見てみろ」
安芸は魔物の口元に向けて石を放り投げた。
ばくんっ、と食らいついた魔物が、ごりごりと激しい破砕音を立てながら咀嚼、嚥下した。
「この手の石の取れる鉱山はそれなりにあるんだが、ほとんどが妖精におさえられている。五級や四級のブラックホールって、全然知らん山に分布されてたりするだろ? あれの一割くらいは、ブラックホールなんてなくて、鉱山に立ち入らせないことを目的に設定されてんだ。ここは幸い奴らに見つかる前にアタシが見つけられたがな」
「……おかしくないっすか? だって、妖精は魔物から人類を守るために、私たちに魔力を貸してるんでしょ? 食いもんがあんなら、素直に鉱山に追いやったらいいじゃないっすか」
「知らん。が、おおかた想像はつく。この石を独占したいんだろ」
「……こんな石の宝庫、私たちに明かしていいんですか?」
チャオの前で、とはさすがに言いづらく、あえて主語を大きくして尋ねた。
「ああ。もう手遅れだからな。カマトト妖精には察しがついてただろ」
安芸はそこで言葉を切ると、鋭い目をチャオに向けた。
「だが、簡単に奪えるとは思うなよ。戦力を蓄えてるのは妖精だけじゃねえ。アタシらの居場所を奪う気なら、それ相応の代償を支払ってもらうからな」
チャオは怯えたように鼻を垂れさせ、土岐の肩にもたれかかった。
気まずい沈黙。
アリスが、それを破った。
「本題がまだ。わたしたち、追われてて、どうしたらいいかわからなくて、師匠くらいしか頼れる人がいないから来たの」
「話してみろ」
静かに促され、アリスはこれまでの流れをかいつまんで説明した。
「……なるほどな」
すべてを聞いた安芸は、それだけ呟くと葉巻を取り出し、火をつけた。
「見事にハメられたってわけか」
「師匠。どうしてわたしたちは狙われてるの」
「悪いが、アタシにもわからん。が、今後についてなら、ふたつの選択肢を提示できる」
不安げなアリスに、安芸は指を二本立てた。
「ひとつは、ここに隠れ住むこと」
「それは……」
周囲をキョロキョロと見回す。都会の娯楽どころか、インフラとすら無縁の場所だ。かつてここを修行場としていたらしいが、数日泊まるだけならまだしも、いつ冷めるともわからないほとぼりのために延々とここで暮らし続けるのは、牢獄に囚われるようなものだ。終わりの見えない監禁ほど恐ろしいものはない。
「もうひとつは?」
「学園の、
「茂理……」
目で尋ねてくるアリスに、土岐は無言で首を振る。初めて聞く名前だった。
「学園時代、アタシが唯一信頼していた女だ。頭が切れるし、魔法少女としての性能もアタシより高い」
アリスが目を丸くする。安芸の実力を土岐は知らないが、彼女がこれだけ驚くということは、相当なのだろう。
「アタシは昔、あいつと約束した。この世界を変えると。アタシは魔物側から。アイツは魔法少女側から。今回お前らが狙われてる件は、特にアヤメが臭い」
「アヤメ……?」
「理事長のことぱお」
チャオが小声で教えてくれた。そういえばそんな名前だったと手を叩いた。
「茂理の積み重ねは間違いなく活きてくるはずだ。アタシの名前を出せば協力してくれるだろう」
「……アリス」
「うん」
土岐の目配せに、アリスはみなまで聞かずにうなずいた。どちらからともなく手をぎゅっと握り、言った。
「学園に行きます。だから、茂理さんについてもうすこし教えてください」
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