第4話

 エリア2113。日本で2113番目に発見されたブラックホールゾーンにて、土岐は短剣を弄びながら尋ねた。

「チャオ、どう?」

「気配ないぱお」

 目をつむり集中していたチャオが、長い鼻を力なく垂らして答えた。

「やっぱ三級じゃ難しいんかな」

 土岐が小さくため息をついて言う。

 現在、日本に2500ほどあるブラックホールゾーンだが、そのすべてが危険というわけではない。魔物が頻繁に出現する箇所もあれば、一度も出現したことのない箇所もある。穴が小さすぎてそもそも生き物が行き来できるのか不明という箇所もある。危険度に応じて一級から五級までランクづけされており、一級はほぼ毎日魔物が出現するようになっている。そのため特に厳重な警戒がなされており、基本的には学園の魔法少女が三交代制で常に見張っている。

 土岐としても、本当は一級のブラックホールで張っていたいところだ。が、あんな手配書を発行されてしまっては、学園の生徒とかち合う展開を避けざるを得ない。そこで、あえて魔物出現率の低い三級ゲートの前で朝から張っていた。

「一級行くぱお?」

「行く……かなあ。けど、どうせ学園の人が張ってて、天然も控えてるもんね。そん中で出し抜のも大変だし、そもそも手柄横取りしたくないなあ」

「ここで待っててもコアは多分手に入らないぱおよ」

「それはそうなんだけどさ」

 大きくため息をついて木にもたれかかった。

 空をぼんやりと眺めて、今朝のことを思い返した。

「作戦会議をしましょう」

 土岐が無料のトーストをモリモリ食べていると、コーヒーを一口すすったアリスがそう切り出した。

「ふぁふへんはいひ?」

「まだ時間はあるから、ゆっくり食べて」

 そうは言われても、昨日の昼以降なにも食べていなかったのだ。オレンジジュースで口の中の炭水化物を押し流す。

「ふぅー。えっと、作戦会議?」

「このまま外に出ても行く当てがないでしょう?」

「だねえ。学校なんて行ったら今度こそ殺されかねん」

 新しいトーストを手に取って呑気に言う。

「エマ、誰か頼れる人いない? この人なら絶対信用できるっていう人」

「ガンコちゃんは信用できるけど、あいつ人脈皆無だし、私より弱いしなあ」

 アリスは複雑そうな表情でコーヒーを飲み干し、口を開いた。

「仕方ない。師匠を頼ろう」

「へえ、近いの?」

「わからない」

 首をひねる土岐に、アリスは淡々と続けた。

「師匠とはずいぶん連絡も取ってないの。どこにいるのか、そもそも生きているのかもわからない。でも、今のわたしたちに頼れるのはそこしかないから」

「……なんか、あんまり会いたくなさげ?」

 土岐の問いかけに、アリスはわずかに息を飲み、目をそらした。空のマグカップを両手で握りしめ、愁いを帯びた声で「大丈夫」と呟いた。

「……悪いね。しんどいとこ押しつけちゃって」

「お互い様でしょ」

 アリスの微笑み。

 土岐はコップに残ったオレンジジュースを飲み干し、立ち上がった。

「アリス、なんか飲む?」

「……うん。コーヒーを」

 マグカップを受け取り、ブースを出る。誰かが店の入り口をあけたのか、ひんやりとした風が身体をなでた。思わず握りしめたマグカップは、ほのかに温かかった。

 それからふたりは、三杯のコーヒーとココアを飲み干すまで話し合い、ひとつの方針を打ち出した。

 今晩行われる、天然魔法少女のファイトクラブでコアを大量入手、それらを情報屋に叩きつけ、師匠の居場所を突き止める。

 散々悩んだ結果、そういう結論になった。

「ファイトクラブ?」という土岐の問いに、アリスはこう答えた。

「魔法少女同士で戦い、観客が賭博する場」

 そんなことをするくらいなら大人しく魔物を狩れば良いのに、というのが正直な感想だったが、どうやらその考えは的はずれらしい。あくまで人間が興奮するのは人間同士の戦いであり、AIや獣と戦ったところで楽しくはない。とのこと。

 そして次の議題。ファイトクラブの開催時間までどう時間を使うか。

 これは一瞬で答えが出た。

 コアの収集。

 なぜなら、ファイトクラブは、提出したコアの数に応じて有利不利が設定されるからだ。

 そういうわけで、日も高く登った現在、土岐とアリスは手分けして、コアの入手のため奔走していた。

「アリスに重いとこ負担させちゃってるしね。私らも身体張るか」

「わかったぱお」

 換装を解くと、アリスから借りた自転車にまたがった。


「っと」

 一級ブラックホールゾーン近辺へ到着すると、早速、魔法少女たちが目についた。

 木陰に隠れて様子をうかがう。

 パッと見、学園魔法少女は五名。おそらくベテランと新人の混合部隊なのだろう。適度に気を張る少女が二人、極度にリラックスしてポテチをつまむ少女が二人と、そんな彼女らを説教する、おそらくリーダーと思しき少女が一人。なかなかの凸凹具合だ。チームワークは大丈夫なのだろうかと、他人事ながら心配になってしまう。

 一時間ほどそうしていただろうか。

「土岐ちゃん」

 チャオのささやく声。同時、

「ぐおおおおおおおおおおお!!」

 ぬるりと、魔物がブラックホールから這い出てきた。大地を揺らす雄たけび。

「うお来たあ!」

 土岐は目を輝かせてスマホをしまう。今日はもう一日徒労に終わるのではという不安が胸によぎっていたので、いつになくテンションが上がった。

 胸に手をあてかけ、違うまだ変身はしないんだったとひっこめる。

「いつ変身?」

「トドメの直前ぱお。気をつけるぱお。ぼくたち以外にも狙ってるのがいるぱお」

「マジ? 天然最低だな」

 自身を棚に上げて言って、木陰に隠れたまま学園魔法少女たちを見やる。

 先まで余裕こいてお菓子を食べていたふたりは、魔物の放つ威圧感に気圧されたのか、腰を抜かし、震えていた。

「ぐおおおおおおおおお!」

 再度のいななき。魔物がリーダーと思しき魔法少女へ巨大な鉤爪を振った。一撃で首をへし折るほどの速度と重量。

 受け流すことは不可能と判断したのだろう。リーダーはとっさに身をかがめ、かろうじて避けた。

「バケモノめ……」

 空を切った腕が地面にめりこむ。

「狩るよ!」

 後方の魔法少女に啖呵を切る。

 おう! と力強く答えたのはふたりだけだった。腰を抜かしているふたりも、ギリギリのところで剣を握ってはいる。だがその手は大きく震え、歯をガチガチと鳴らし、そのくせ視線だけは魔物から寸分もそらすことができないでいた。

 この距離で届くはずもないリーダーの舌打ちが、土岐の耳に響く。

 三人で横に広がり、腰の抜けたふたりを守るように立ちはだかる。剣先を魔物に向け、「いざ!」勇気を奮い立たせるように力強く叫んだ。

 魔法少女の取る戦術は、基本的にヒットアンドアウェイだ。魔物の周囲をチョロチョロと駆けてかく乱し、隙の生まれた場所に剣を突き立てる。ずしゅ、と肉を裂く音がするころには距離を取り、赤黒い血を地面にまき散らす。

 順調だ。教科書どおりの戦い方。たった三人だが、相当能力が高いのだろう。学園で一番最初に教わる基本戦術を、高い練度でこなしている。

「土岐ちゃんもあれくらい味方と連携が取れるといいぱおねえ」

「大人数でボコるのは性に合わないし」

「そうしないといけないくらい、性能差があるってことぱお」

 目を細めるチャオ。

「がああああああああ!」

 怒りか嘆きか。空をつんざく叫び声に合わせて、魔物が大きく腕を振った。

 ごっ。

 たぶん、そんな音だった。トラックにぶつかったみたいに、リーダーが撥ね飛ばされた。

 狙いすましたように土岐のほうへ飛んできた。

「チャオ!」

 反射だった。胸に手を当て、一瞬で変身。木陰から飛び出し、弾丸のように飛ぶ魔法少女の真正面に立った。

「今ぱお!」

 チャオの合図に合わせて垂直に跳ぶ。

「ぐおっ」

 肺から漏れる声。歯を食いしばって彼女を抱え、勢いを殺す。重力に抗いきれなくなった慣性が力を失う。

 なんとか二本足で立っているという想定だったが、想定以上に体勢が崩れた。結果、もろに地面に叩きつけられる。ゴロゴロとふたりもみくちゃに転がり、砂まみれになったところでようやく止まった。

「っでえ~~~~~~~~……」

 どんな馬鹿力だと心の中で愚痴りながら起き上がる。魔法少女の頑丈さにも限界はある。あんな速度で撥ね飛ばされて、まともに壁に叩きつけられたら、さすがに命の保証はできなかっただろう。気を失ってはいるものの、正常に胸が上下しているリーダーを見下ろして、土岐はホッと息をついた。

 顔を上げると、学園魔法少女たちが呆然とこちらを凝視していた。

 魔物からしたら、待ってやる義理などない。

「うしろ!」

 叫ぶ。

 反射的に振り向く前衛ふたり。

「ぐぅッッ!!」

 かろうじてリーダーの二の舞になることは避けられた。が、肉を裂く重たい音が響く。

 ボタボタと服を汚しながらよろめく。

 ちらりと周囲を見回す。

「チャオ。天然どこ」

「どうせ無駄ぱお」

「いいから」

「あそこの草むらにふたり組ぱお」

 呆れたように言うチャオ。

 土岐は構わず草むらへ向かった。

「おい」

 一般人の姿をした少女がふたり。草むらに隠れてわざわざ様子をうかがっているならビンゴだろう。ドスの利いた声をかける。

「ピンチだ。手を貸せ」

「は?」

 スマホをいじっていた女が顔を上げた。

「なんなの」

「見てわからんか。助けんだよ」

「ヤだけど」

「このままやられれば、お目当てのコアもツノも手に入らんぞ」

「養殖なんてどうせうじゃうじゃ応援くるし、そいつらが倒したあと奪うわ」

「……今戦ってるあいつらは見殺しにするってのか」

「あんなデカいの相手に無駄なリスク負うことないかなー」

 平然と言う。

「…………わかった」

 天然魔法少女なんてろくでもない奴ばかりなのだということを。

「あんたらは一生そうやってうずくまってろ」

 吐き捨てて踵を返す。

「どうするぱお」

「サポート入る」

「タイマンは?」

「しない。私は学園魔法少女だから」

「自覚が芽生えて嬉しいぱお」

 しみじみ言うチャオを無視して見回す。

 リーダーはダウンした。のこり四人のうちふたりはビビッて腰を抜かし、まともに動けているふたりが重傷。

「……頭数増やすべきか」

 つぶやき、いまだへたりこんでいるふたりの前に駆け寄った。

「おい」

「は、はい!」

 ふたりが震えあがりながら答えた。

 いけないビビらせてしまったと眉間をほぐす。

「君たち、戦場は初めて?」

「は、はい」

 微笑みを意識して尋ねる。彼女らはいまだカチコチ固まったまま答えた。

「私、今日は非番だったけど、加勢するよ」

 見たところふたりとも、気が弱いということはなさそうだ。むしろ気質としてはヤンキーに近い気がする。

 この手の人間は、基本的に想定が甘い。調子に乗ってケンカの場に赴いて、予想以上のバケモノを相手に逃げ出す奴など数えきれないほど見てきた。

 才能があり、図に乗っていて、いざホンモノを前にして心が折れる。彼女らもおそらくそういうタイプなのだろう。

 この手の輩を動かすのは、存外難しくない。

「でね、」

 にっこりと笑んで、土岐はふたりの頭上スレスレ、わずかに髪の毛をかするように短剣を振った。

 キィン! という甲高い音。一瞬遅れて、彼女らの背後の滑り台だった鉄塊が崩れ落ちた。

「君たちにも、力を貸してほしいんだ」

「ひゃいぃ!!」

 涙目になりながらふたりとも元気に答えた。

 ――この手のタイプは、恐怖に弱い。だから、より強い恐怖で支配権を上書きしてやれば良い。

 さてこれで頭数を増やせた。が、ここからどうしたら良いのかなどわからない。それがわかるくらい有能なら、退学寸前まで追いこまれたりなどしない。

 というわけで、

「どしたらいっすか!」

 ふたりを引き連れ、いまだギリギリのところで戦っている青とオレンジの魔法少女のもとへ駆けつけた。

「あなたは……いえ、助かります」

 一瞬戸惑ったふたりの魔法少女は、すぐに首を振って礼を言った。

「応援があと三分ほどできます。それまで持ちこたえます」

「うす。私らの役割は」

「意識を散らします。ばらけて、この子の注意を引きつけてください。攻撃はしなくて良いです。中途半端に手を出して駒が減るほうが問題です」

「了解! あんたらもわかったね! 向こうの間合い意識な!」

「はいぃ!!」

 ヘタレふたりは涙目で敬礼して、ぎこちない動きで魔物のうしろへ大回りしていった。

 あの様子ではあまり駒としての活躍は期待できそうにないな。心の中でつぶやき、土岐も暫定リーダーから距離を取った。

 それからの三分間は、たぶん、相対性理論を使わなければ説明できないほど長かった。

 魔物のメインターゲットはやはり手負いのふたりらしい。彼女らが落ちれば次どうなるかわかったものではない。だから、土岐も積極的に魔物の視界に入るように動き回った。ヘタレふたり組は、最初は動こうとしなかったが、土岐が睨みつけてやると、やがて遠くから石を投げつけるようになった。

 時間感覚が溶け、肩で息をし、汗を顎から滴らせはじめたころ、

「現着しました!」

 四人の魔法少女がハイエースから降りて来た。

 ぱぁっと目を輝かせた土岐は、次の瞬間、顔を青くした。

 生徒会長がいた。

 血の気が引く。迷っている暇などない。魔物の横をすり抜け、わき目も振らず逃げた。

 バレただろうか。ちらりと振り返ると、ヘタレ魔法少女たちはあっけにとられたようにこちらを見ていたが、のこりのメンツは魔物に向き合い続けていた。

 多分セーフ。自分に言い聞かせ、自転車に飛び乗った。全力で漕ぐ。五分か、十分ほどか。ひたすらに全力疾走した。魔法少女の身体は無限に力がわいてくる。このまま太平洋まで駆け抜けることだってできそうだ。

「なんで会長が来てんのさ!」

 八つ当たりするように漕ぎまくりながら叫ぶ。

「学園一の魔法少女なんだから、引っ張りだこなのは当然ぱお」

「バッチリ目え合った感じするけど、バレてないかな」

 追ってこないということはそういうことなのだろうか。

 髪を赤く染める魔法少女は少なくない。原付の匿名性が犯罪者に重宝されているように、赤い髪が特定されない理由になってくれているかもしれない。希望的観測を胸に、土岐はペダルを踏み続けるしかなかった。

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