第1話

 スマホのアラームを止めて、チャオは土岐の頬を往復ビンタした。

「土岐ちゃん起きるぱお! 遅刻するぱお!」

「うにゃぁ……むぐむぐ」

「土岐ちゃん!」

 チャオの必死の目覚ましにも、土岐は寝苦しそうに顔を背けるのみで、まったく目を覚ます気配がなかった。

「仕方ないぱお。土岐ちゃんが悪いぱお」

 むくれたチャオは、どこからともなく黒板とフォークを取り出した。土岐の耳元に設置し、勢いよくひっかいた。

「!?」

 土岐の目がカッと開き、「あああああああああああああああやめてやめて起きた起きましたああああああああ!!」大声で相殺しはじめた。

「おはようぱお」

 フォークを置いてチャオが言うと、土岐はげっそりした顔を向けた。

「私、朝って爽やかなほうがいいと思うんだ」

「土岐ちゃんは放っておいたら昼まで寝てるぱお。それにしても、人間はこんな音が嫌だなんて不思議ぱおね」

 土岐はひとつため息をついて、それから大きく伸びをした。寒さに一瞬身体を震わせる。

「今日はまた一段と寒いね」

 スマホを開き、天気アプリを確認する。夕方から空の具合が崩れるらしい。

「ほら、顔洗うぱお。はやく準備しないと食堂しまっちゃうぱお」

「いやー、わかるんだけど、こう寒いと布団から出たくわかりました出ます出ますからフォークおろして」

 黒板にむけてフォークを構えるチャオに、土岐は敗北宣言をして布団から身体を引きずり出した。

 寮の一階に設置されている食堂は、ギリギリの時間にたどり着いたからか、かなりすいていた。土岐は流れ作業でごはん、みそ汁、卵焼き、サラダとお盆に乗せ、テレビ近くの座席に腰掛けた。

 みそ汁に七味唐辛子を振りかけていると、ニュースが目についた。

「へえ、新しいブラックホールゾーンの発見かあ。強い魔物が出てくるといいね」

「昨日あんな目に遭っておいてよく言えるぱお」

 ニュースキャスターの『周辺には近づかないようお願いいたします』という注意喚起を聞きながら、みそ汁をすすった。

 そもそものはじまりは、土岐の産まれた日にまでさかのぼる。

 ある科学者が、阿蘇山のいち地点を、ブラックホールにつなげたと発表したのだ。

 その、ブラックホールとつなげた穴、通称ブラックホールゾーンの恩恵は、大きくふたつあった。

 ひとつは、ごみ問題の解決。

 ブラックホールの重力は圧倒的だ。紙くずから放射性廃棄物まで、ありとあらゆるゴミを無限の食欲で飲み干した。

 もうひとつは、エネルギー問題の解決。

 強大すぎる重力は、石油にも石炭にも、原子力にも負けない、大量のエネルギーを生み出した。重力発電と名付けられたこの方式は、熊本県から日本中に電気を届けた。

 当初は忌避感や恐怖感を持つ人も多かったが、成果が目に見えてくると、彼の発明は世界中に広まった。

 ほんの数年。土岐が小学校に入学する頃には、世界中にブラックホールゾーンが生み出され、ごみ問題とエネルギー問題が歴史のものとなった。

 だが、宝箱だと思われたブラックホールゾーンは、その実、パンドラの匣だった。

 突如、ブラックホールゾーンから魔物が出現したのだ。黒々とした怪物は、発電施設を破壊し、そこで働く人々を虐殺した。生きているものがいなくなると、街へ降り、暴虐の限りを尽くした。即座に自衛隊が出動するも、重火器の類はほとんど効果がなく、返り討ちにあった。米軍の応援も徒労に終わった。

 いよいよ最後の手段かと核のボタンに手を乗せた、そのとき。匣の底が姿を見せた。

 妖精たちが、ブラックホールゾーンからやってきたのだ。

 愛らしい見た目のそれらは、魔物を退治するため、三人の女の子を魔法少女へと変身させた。

 のちに、”はじまりの魔法少女”として名をはせることになる三人。彼女らは、見事に魔物を斬り捨て、人々を救った。

 以降、妖精率いる魔法少女と、魔物との戦いの世界は、地球上の各地で繰り広げられることになった。

 それから十余年。

 ヤンキーとして好き放題してきた土岐は、中学卒業と同時、魔法少女を育成する高校にぶちこまれた。

 全寮制の学園で、ヤンキーとは無縁の生活をして更生しろ、というのが母親の弁だった。歩合制とはいえ給料も出るということで、親のありがたみを噛みしめろとも言われた。

「あんだけ痛い目みても怪我ひとつ残んないんだから、ケンカし得だよね」

「ふつうは痛いことを嫌がると思うぱお」

 この二年弱、実技の授業で行われる魔法少女同士の模擬戦において、土岐は無類の強さを発揮した。ヤンキーとして培った度胸と直感、根性が、あらゆる生徒を斬り伏せ続けた。

 その実力は、魔物討伐においてもいかんなく発揮されてきた。昨日のようなピンチもすくなくはないが。

 土岐は卵焼きを箸で切りながら不満げに言った。

「ていうか、私の剣、ほかの人にくらべてやたら短くない? あんなんじゃコアまで届かないよ」

「魔力供給がうまくいかないぱお。土岐ちゃんの中の魔力が悪さしてるのか、単純に相性の問題かはわからないぱお」

「やっぱ相方変えたほうがいいんじゃん。私、猫とか兎とかもっと可愛いのがいい」

「ぼくだって言わせてほしいけど、土岐ちゃんとバディを組んでからものすごく人事評価落とされてるぱお」

「おもろ」

「すこしは罪悪感をもってほしいぱお」

「いつも思ってたんだけど、魔物倒すならチャオが直接やれば良くない? わざわざ私に魔力流しこむなんて二度手間でしょ」

「ぼくだって本当はそうしたいぱお。でも、土岐ちゃんの成長のために、あえて手を出さないようにしてるぱお」

「ダルい上司?」

 もしゃもしゃとサラダを食べながらイヤそうに顔をゆがめた。

 ぴんぽんぱんぽーん、と寮内アナウンスが流れた。

『二年土岐さん。お電話です。至急事務室にお越しください』

「チャオ、呼ばれてるよ」

「……」

 無言で冷たい目を向けてくるチャオに、土岐は真顔で続けた。

「ごはん冷めちゃうし」

「土岐ちゃん、卒業したあと、ぼくなしで生きていけるぱお?」

 ぶつぶつと文句を言いながら、チャオは食堂を出て行った。

 テレビは、いつのまにか魔法少女連続失踪事件に話題を移していた。昨日で五人目の被害とのことで、コメンテーターが神妙な顔で私見を語っていた。

 あまり興味のない内容だったので、自然と食事が進んだ。すべてを平らげたころ、チャオが帰ってきた。

「なんだった?」

「お昼休みに理事長室へ来るようにって話ぱお」

「……なんで?」

「そこまでは教えてもらえなかったぱお」

 チャオの答えに首をかしげる。教員に呼び出される心当たりなら山ほどあるが、理事長室というのが引っかかる。この学園に編入して以来、理事長の姿など一度も見たことがない。

「考えても仕方ないぱお。それより、もう時間ないしはやく準備するぱお」

 チャオの言葉に時計を見やる。かなり時間ギリギリだった。

 これ以上遅刻をすると留年しかねない。お盆を手に慌てて駆け出した。


   ◯◯◯


 午前中の授業を終え、焼きそばパンを食べてから理事長室へ向かった。

 特別豪奢というわけでもないが、どこかものものしさを感じる扉。

 ひとつ息を吐き、心を落ち着ける。

「土岐です」

 居住まいを正し、ノックをふたつしてから名乗る。「どうぞ」という落ち着いた声が中から届いた。

「失礼します」

 重い扉を押す。蝶番のきしむ音とともに、薄暗い部屋が姿を現した。

 わりと広い部屋だった。奥のほうのこげ茶色のテーブルの上には書類が乱雑に積まれている。手前側は応接間のようになっていて、背の低いテーブルを挟んでソファがふたつ向かい合っていた。

 カーテンの隙間からわずかにもれる日の光を背に、クジラの姿をした妖精の影が宙を浮いていた。

「いらっしゃい、土岐さん。今朝も遅刻したそうですね」

「カツアゲされてる少年助けてたら遅れちゃって」

 雑に答えながらキョロキョロと見回して、人影が見当たらず、再び妖精の陰に目を向ける。

「わたしが、理事長の由仁千屋です」

「……えっと、マジすか」

 それは疑問形というより、確認の意味が強かった。

 由仁千屋彩夢ゆにちや・あやめ。わが校の理事長の名前だけはみな知っているが、姿を見たものはいないとされていた。表に出てくるのは性根と腰の曲がった校長ばかりで、取材記事などを漁っても、理事長は、名前以外出てくることがない。故に、実は理事長など存在しないのではないか、という噂がまことしやかにささやかれていた。

 土岐自身、理事長室に招かれたとはいえ、どうせ待っているのは校長あたりだろうと高をくくっていた。こんなにあっさりと姿を現すとは思ってもみなかった。

 そして、まさか、理事長が人間ではなく妖精だったとは。

「妖精ってみんな変な語尾してるんだと思ってました」

「あら、変だなんて失礼ですね。わたしたちからしたら、あなたがたのほうがよほどおかしく見えていますよ」

「そうすか?」

 なにか変な要素があるのか、と首をかしげる。

「まあ、いいでしょう。土岐さん、コーヒーはお好き?」

「……そうっすね」

 お構いなく、と断ろうかと一瞬思ったが、こういう場では甘えておいたほうが、むしろ好印象を与えたりするものだ。そう思いなおし、素直に答えた。

 しかし理事長の小さな身体でどうやって人間サイズのコーヒーを淹れるのか。すこし不安になりながら眺めていると、なにやら聞きなじみのない言葉を唱えはじめた。

 ほんの数秒。

 ポットやカップ、インスタントコーヒーたちがひとりでに動き始めた。

「なにあれ魔法?」

 声をひそめ、チャオに尋ねる。

「理事長は使える魔法の種類が段違いぱお」

「そもそも魔法に種類があること自体初耳なんだけど。剣出して身体能力あげるだけじゃないんだ」

「あなたたちの扱う魔法は、剣を出すだけですよ。身体能力の向上は、すべての魔法に共通の力です」

 土岐の質問に答えたのは理事長だった。視線を戻すと、値引きシールの貼られた瓶からコーヒーをざらざらとカップに投入していた。スプーンで計量していないことが気になったが、おそらく分量の指定までできるのだろう。明らかに入りすぎているコーヒーの粉から目をそらし、改めて尋ねた。

「その魔法、剣よりよっぽど魔物討伐に使えそうっすけど」

「カリキュラムに組みこみたいのは山々なのですがね。教えられる子がほとんどいないのです。それに、この魔法の呪文は、人間では発音できませんから」

「呪文? 私ら呪文なんて唱えてないっすけど」

「魔法の発動条件は、ものによって様々なのですよ。詠唱、動作、音、におい、色など。あなたも変身するとき、胸に手を当てるでしょう? あれが、あの魔法の発動条件なのです」

 湯気の立つインスタントコーヒーが目の前に出される。あざっす、と礼を言ってマグカップに視線を落とす。黒々として、ずいぶん苦そうに見える。

「土岐さん。学園生活はいかがですか」

「まあ、はい。順調っす」

 このコーヒーに手をつけて良いものか。どうもこの手のマナーには疎い。手をつけるべきか放置すべきか、あるいは理事長のあとで飲むべきか。いくつかの選択肢が脳内を駆け巡ったせいで、ふわっとした回答になってしまった。

「それならばよかったです」

 涼しげに言って、理事長はコーヒーをくいっと飲んだ。

「昨日の防衛任務、お疲れさまでした。大変だったみたいですね」

「あとちょっとで倒せると思ったんすけど、惜しかったっす」

「ところで、昨日の土岐さん、時間稼ぎをするべき場面で魔物に向かっていったという報告を受けているのですが、その点について教えていただいても?」

「……」

 なんだろう。先までと声の調子はかわらないし、表情に変化も見られない。なのに、威圧感があきらかに増した感じがある。

「えっと、」

「土岐さん。あなたたち学園魔法少女の一番の使命を覚えていますか?」

「……」

 なんでしたっけ、と口にしてはいけないということだけはハッキリと分かった。

 たらりと汗が一筋垂れる。緊張感のある空気が張りつめる。

「(人と街を守ることぱお)」

「人と街を守ることっす」

 こっそりと耳打ちするチャオの言葉をそのまま復唱した。

「……結構。昨日の現場は地点193。公園を抜けるとすぐ近くに住宅街のある、極めて危険度の高い場所ですね。チームが全滅し、応援がくるまでのこり一分という状況で、あなたはどう考え、どのような判断を下しましたか」

 ……これ、もしかして滅茶苦茶怒ってる?

「時間稼ぎをすべきと考えました。ただ、デカくてパワーもある奴っすから、受け身に回ってもきついだろうと思って、積極的にコアを狙いに行った感じっす」

「言いくるめようとしているなら三流、本気で言っているなら四流の回答ですが、あなたの答えはそれでいいですか?」

 これ滅茶苦茶怒ってる!!

 あわあわあわ、と口元に手をやり視線をぐるぐるさせていると、クジラの妖精はひとつため息をついた。

「あなたはこの一年、本当に成長しませんでしたね。授業中もいつも寝ているか上の空だと、どの先生からも聞きます。違反点が多すぎて本当なら退学なのですが、」「え」

 思わず口を挟んだ土岐に、すぅっと目を細めて言葉を続けた。

「ひとつ、任務をこなしていただけたら、退学を取り消してあげます」

 理事長は、なにもない空間から一枚の紙を取り出した。

「……こいつは」

 見覚えのある顔が印刷されていた。昨日の、手柄を横取りしてきた金髪魔法少女だ。

「この子を捕らえ、連れてきてほしいのです」

「……物騒な話っすね」

「魔法少女失踪事件についてはどの程度ご存じ?」

 土岐は、今朝のニュースを思い返した。

「昨日で五人目でしたっけ。天然魔法少女ばっか狙われてるって話っすよね」

 この世界の魔法少女は、大きくニ種類に分けられる。

 ひとつは、土岐たちのように学園に所属し、妖精から魔力を借りながら活動する、通称”学園魔法少女”。

 もうひとつが、学園に所属せず、妖精の相棒も持たず、自前の魔力で好きに魔法を振るう少女たち、”天然魔法少女”だ。

「わたしは、その子が犯人だろうとあたりをつけています」

「魔物に食われたとかじゃなくて?」

「あなたの言うとおり、魔物にやられたというのが一般的です。ただ、失踪した子たちも、ただの魔物に骨まで残らず殺されるような実力ではありません。むしろ、かなりの上澄みと言っていいでしょう」

 初耳だった。テレビではそこまで詳しく報道をしていなかったから、おそらく理事長が独自に仕入れた情報なのだろう。

「犯人がこいつだって証拠は」

「生徒が見ているのです。現場を。私自身の目で見たわけではないから、あくまで容疑者程度の扱いですが」

「……なるほど」

 なんとなくの違和感は覚えつつ、疑う要件としては筋が通っている。

「生徒としての姿勢はともかく、あなたの実力は買っています。が、念のため、ひとつ、魔道具を差し上げます。有効活用してください」

 同時、野球ボールほどの大きさの球体が、ふわふわと宙を飛んで土岐の目の前に来た。

 手に取り、これをどう使うんだと観察していると、おもむろに理事長が言った。

「"色なき緑の考えが猛烈に眠る"。この言葉を聞いたことがありますか?」

 無言で首を振る。

「昔、言語学の大家であるノーム・チョムスキーという人物が生み出した言葉です。文法上の体裁は整っているけれど、中身は無に等しい。そういう、皮肉めいた言葉です。一部の天然魔法少女はこの言葉をもじって、あなたたち学園魔法少女を色なき緑の魔法少女と揶揄しています」

 ずいぶんとオシャレな命名をするものだ。目を丸くして感心する。しばしば耳にする養殖魔法少女という蔑称よりはよほど嬉しい感じがする。

「わたしは、これを断固として許しません」

 理事長の語気が強くなる。嬉しい感じだなんて言ったら二枚目のイエローカードを食らいそうなので、神妙な面持ちでうなずいておいた。

「たしかに、あなたがたは内なる魔力をもたず、妖精の魔力を借りて戦っています。けれど、あなたがたの中には、人々を守ろうという強い意志がつまっています。コアやツノを盗んでいくだけの天然魔法少女たちに揶揄されるいわれはありません。土岐さんも、学園魔法少女としての矜持を見せつけてやってほしいのです」

 暑苦しい話だが、学園の創設者として、取り仕切る者としてのプライドを感じた。

 だが、それはそれとして、やはり無理な話だと思った。

「拒否権ってありますか?」

「退学になって良いならどうぞ。あなたのお母さまによろしくお伝えください」

 すました顔でそう言うと、理事長はコーヒーを飲み干した。

「……」

 土岐は思い出したようにコーヒーに手をつけた。汚泥のように黒々としたコーヒーは、強烈な苦みと酸味で味蕾を破壊した。

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