あめのひ 3

 暗闇に踊る金色の目は身体を縦長に伸ばして前後左右、右往左往しながら怪しく踊る。ひたひたという軽快な足音が私の恐怖を煽る。私が怯えている様子を楽しんでいるのだ。


「やめてったら!!」


 私は大声で叫んだ。しかし声には動じずに踊りの勢いは増すばかりだ。


 コト タンッ


 私のポケットからスマホがずり落ちてアスファルトにペタリと貼り付いた。そのとき、私の心の中に小さな反逆心が浮かぶ。


 ≪こんなに私を怖がらせて、許せない。せめて顔だけでも拝んでやる≫


 私はスマホの画面を手早く開くと懐中電灯を起動し、踊り狂う影に向かって光を放った。


 光は黒い影を的確に照らし上げる。そしてその正体が明らかになった。


『や、やめるニャ!』


 金色の目の瞳孔が一瞬で細くなる。漆黒の森に溶け込んでいたその体毛もまた漆黒である。長く伸びた黒い髭、真っ直ぐに伸びた尻尾、二足歩行で両手を上げて踊るそれは猫だった。

 私はあんぐりと口を開けて黒猫を照らし続ける。先程の恐怖心は一瞬で何処かに飛んでいき、おかしな格好で立ち尽くす黒猫を見つめる。

『やめろと言っておろうが!!』

 黒猫は一歩後ずさりしてシャーシャー言っている。しかし、それ以上の違和感と疑念が頭をよぎる。

「なんで猫が話せるの!?」

 私は黒猫を指差して大声で言った。どう考えてもおかしい。この猫が何を言っているのか分かってしまうのだ。

『はて?』

 黒猫は私の質問を理解できないようで、シャーシャー声をやめてキョトンとしている。

「だから、なぜ猫が話せるのか聞いているのよ!」

『この小娘は何を言っているんだ?ワシの声が聞こえるわけないニャろ?(にゃうわうわ)』

「聞こえてるのよ!何か変なこと言ってみなさい。復唱してあげるわ」

 黒猫は目を見開いて考え込んでいたようだが、そんなわけないというように頭を振ってからぼそぼそと話す。

『大きなマグロの切り身をたらふく食べたあと、満月を見ながら晩酌をしたい(なうなう)』

「マグロをおなかいっぱい食べたいのね。でも、晩酌はよしなさい。壺に落ちて死んでしまうわ」

 私はその猫らしい、ありきたりな願望に呆れてため息をつく。一方、黒猫は目を真ん丸に開き、青ざめた顔をして動揺を隠しきれていなかった。

 黒猫は慌てて踵を返して立ち去ろうとする。しかし、そんなことはさせない。黒猫の首根っこをガッチリ掴んで軽く持ち上げた。

『堪忍してくれ!食い殺される!』

「は?食べるわけないじゃない。散々私を驚かしといて逃げるなんて許さないわ。それに普通の猫じゃないわよね?」

 私は肩をすくめて縮こまる黒猫に顔を近づけて尋問する。

「あなた、名前はなんて言うの?ねぇ、ねぇ?!」

 私は語気を強めて更に顔を近づけた。猫ごときが散々怖い思いをさせて。ムカつく。

 黒猫はじりじりと顔を近づける私から顔を背けていたが観念したようで、半ば投げやりに名を叫んだ。

『ワシの名は、。天下の大妖怪じゃ!』

 すねこすりは私が急な声にたじろいだのを見ると、少し満足気な顔をした。その反応に私はムッとする。

「あっそ。まあ妖怪だかなんだか知らないけど、私をこんな目に遭わせたことは許さないわ。とりあえず、私の家に来なさい。話はそこでゆっくり聞いてあげる」

 私はを抱きかかえたまま傘を閉じると、荷物も持ち直して家に向かう。

『待て待て待て。ワシはお前なんぞの家には行きたくない。頼むから離してくれ』

 すねこすりはジタバタと暴れるが、私が殺気立った目で黙って見つめると諦めたように黙って大人しくなった。


『ぎゃぁぁぁぁ(おうおうおうおうおうおうおうおううおうおうおうお)』

 家に着くとすぐに体が冷えないうちにシャワーを浴びることにしたが、この黒猫はうるさくてかなわない。まるで断末魔である。

『やめてくれ。お前は猫が水が嫌いなのを知らないのか?』

「知らないわけないじゃない。私を驚かせた罰よ。それにあんた臭いから」

 実際、黒猫を洗面器に入れて洗っているが土汚れは何度お湯を入れ替えても湧き出てくる。しかし、このずぶ濡れの猫のみっともなさといったらない。普段はシュッとしたシルエットであるが、水に濡れるとまるで鶏肉のように線が細くなる。

『助けてくれぇぇぇ』

 浴室に反響するしゃがれた声と必死な形相に私はフッと鼻で笑い、今日のことはひとまず許してやることにした。

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