<17・Persecute>

 魔法を使う方法は実のところ二つあるのである。

 一つは魔女や魔法使いが、魔導書を用いる方法。ウィルビー家にある蔵書もほとんどがこの魔導書である。そこに記された多種多様な魔法を自身の持つ専用魔導書に書き写すことで継承し、本人が魔力を消費することで発動するのだ。魔力を消費するので無尽蔵でないことと、書き写された専用魔導書を持ち歩くという制約はかかるが、代わりに継承さえされればいつでもどこでも魔法を使うことができるというメリットがある。魔法使いの大半は、このやり方で魔法を発動させている。

 だが、実は魔法使いではなく、魔力を持たない一般の人間が制限付きで魔法を使う方法も存在するのだ。それが簡易魔法書を用いるというやり方。この屋敷の地下書庫にも僅かな冊数しか存在していない。何故なら魔法書は魔導書を作るより遥かに手間がかかる上、魔法使いにとって極めてメリットが小さいからである。

 簡易魔法書は、魔導書と違って一冊に付きひとつの魔法しか込めることができない。しかも、初級から中級の魔法が精々である。そのくせ、魔法書を作るためには、製本者が膨大な魔力を込める必要がある。しかも一冊を作るのに早くて一週間もかかるという。普通に魔力を使って魔法を使うより遥かに消耗する上、一つの初心者向け魔法しか使えないのだからあまりにも割に合わないというものである。

 唯一のメリットは、魔法書は魔力を持たない一般人でも使えるということ。ただ本を持ってスペルを唱えれば誰でも発動することができる。本人の魔力の代わりに、本に込められた魔力を消費するからだ。

 ただし。当然使えば使うほど本の中の魔力はすり減っていくので、使用回数には限りがある。しかも、後から充電するには製本時とほとんど同じ手間が必要。完全に空になるまで魔力を消費してしまうと、本そのものが消滅してしまうので最初から作り直さなければいけなくなる。


――確か。元々は、魔法が使えない戦士たちにも魔法を使って援護してもらうために、戦時中に開発されたものだったのよね。


 魔法使いたちを、同じ魔法派の兵士たちが援護できるようにすること。実際、後方から初級であれ回復魔法の一つでもかけてもらえれば、格段に戦いやすくなることだろう。ただ、あまりにも制限があった上、量産化するのが難しかったこと。簡易魔法書一つ作るのに一人の魔法使いがかかりきりになってしまうこと。それで完成するのが結局初級クラスくらいの魔法しか使えない代物である上、最終的には魔法の秘密が外部に漏れることを考えるならあまり大量保存もしておけなかったこと。などなどの理由から、結局研究そのものがお蔵入りになったのである。

 ゆえに、地下書庫にもほんの数冊程度しか保管されておらず、その存在も家族しか知らないはずであったのだが。


「しかも盗まれたのが……“洗脳ブレイン・コントロール”。人を洗脳して言うことを聞かせる魔法なの。初級の魔法だから、効果は長くないし、そこまで複雑な命令は与えられないみたいなんだけど……」


  よりにもよって、と言わざるを得ない。単純な攻撃魔法よりも厄介なのは言うまでもなかった。今回は白魔法の魔導書を盗んだ時とは違い、盗んだ本人も使うことができるのが面倒である。明らかに、それを使って何かをやらかそうという腹積もりであるはずだ。

 そしてその簡易魔法書が見つかったことで、より状況はややこしいものに変わるだろう。ようするに、朝香が何もしなくても、朝香=コーデリアの悪事が量産される可能性があるということ。目撃者を洗脳して、嘘の証言をさせればいいのだから。


「その簡易魔法書。前回チェックした時のままだとしたら……あと何回使えそうなの?」

「後でもう少し確認するけど、多分十回くらいね。それと、洗脳を使ったあとでどれくらい効果が持続するのか、どれくらいの命令が可能なのかもアダムと一緒に調べてみるわ」

「ありがとうございます、お母様」


 礼を言いながら朝香は、じわじわと怒りを募らせていた。ほぼほぼ確実に、犯人は朝霞を追い詰めるためにその魔法を使うだろう。いや、ひょっとしたら既に使われていた可能性もある。ネルとニコール、両方が操られていた可能性が出てきてしまったからだ。

 己が本当に悪役令嬢に仕立て上げられるかもしれない。それも恐ろしかったが、それ以上に怒りが募りつつあった。


――ねえ、輪転の魔女さんとやら。あんた、このゲームに詳しいんでしょ。このゲームを何度もプレイして、キャラや世界観を愛してたんでしょ。だからそんなに詳しいんでしょ。


 勿論、世の中にはマイナスの意識のファンもいる。アンチやヘイトをするためだけに、設定の穴を調べようと躍起になる連中もいると知っている。が、大半のファンはそうじゃない。朝霞=コーデリアに嫉妬してそのポジションを奪いたいというのなら、そいつはほぼ確実に“歪んではいるもののゲームとキャラが普通に好きなファン”だ。おそらくは、ジュリアン推しの夢女子か腐女子だろう。


――そんなに好きなゲームなら、キャラなら。なんでこんな酷いことできんの?ありえない。絶対許せない。


 望んでコーデリアに成り代わったわけではない朝香でさえ罪悪感で折れそうになったのに、この犯人は平気だというのか。登場人物の魂を、人格を殺して成り代わって。さも本人であるかのように振る舞った上、他の登場人物も洗脳して意志を捻じ曲げようとするなんて。

 屋敷のメイドや家族、執事たちがコーデリアのことを本来とても大切にしてくれていることを知っている。そんな彼らが、洗脳が解けた後で己がやった言動や行動を自覚したらどれほど苦しむことか。犯人は、自分が“ヒロイン”になるためならそんな彼ら彼女らの苦しみも顧みないというのか。


――ざっけんしゃねーぞ!


 朝香は拳を握りしめる。

 魔法の効果が一週間というのなら。ボロがでる前に、犯人は行動を開始するだろう。この一週間程度でケリをつける公算かもしれない。

 だが。無計画な短期決戦は焦りを生み、綻びを作る。こちらとしても犯人の隙を見つけ出すチャンスかもしれない。


――やってやる。絶対見つけて……ブン殴ってやるからな、輪転の魔女とやら。


 ガチファンの小森朝香サマをナメたら怖いってことを教えてやろうではないか。

 それは、朝香の腹が決まった瞬間でもあった。




 ***




 その日から三日間。あまりにもお約束な展開が次々と朝香を襲うことになる。

 アンの部屋に、誰かがゴミを巻き散らかした。部屋にはコーデリアの髪飾りが落ちていた。

 ミリアが階段から突き落とされて怪我をした。彼女は犯人の顔をはっきり見ていないものの、コーデリアが着ていたのと同じドレスの女性が逃げていくのを見たと証言した。

 ギルバートが落馬して負傷した。誰かが彼が訓練で乗っていた愛馬に薬を持って興奮状態にしていたことが判明。ニコールが、不自然に納屋から出てくるコーデリアを見たと話した。

 他にもシャーロットが食事に農薬を盛られてひどくお腹を壊したり、リネットが汚水を浴びせられる嫌がらせを受けたり、メイドたちはゴミだと蔑むような手紙が見つかったり。最初は娘がそんなことをするはずがないと信じてくれていた母も、段々と庇い切れなくなってきたのを感じたようだ。いかんせん、コーデリアがやったことを示すような証拠や証言が多すぎるのである。


「私だって貴女を信じたい。信じたいわ。でも……流石にメイドたちや執事達、みんながここまで結託して同じ嘘をつく理由が見つからないの」


 怪我をした彼ら、彼女らの手当。それからストレスの解消やメンタルケア。モニカも相当疲れが溜まっているのは目に見えていた。次第に、何が正しいのか正しくないのか彼女もわからなくなりつつあったのだろう。


「私は何もやっていません。神に誓って、家族も同然のメイドや執事のみんなを貶めるようなことはしていません」


 それに対して朝香が出来ることは、己の無実をきっぱりと主張し続けることだけだった。相手がボロを出す隙を伺っているものの、なかなかきっかけが掴めない。なんせ、犯人がいつどのタイミングで行動を起こすのかまったく予測ができないからだ。

 実の母親にまで、無実の罪を疑われ始めている。悲しいことだが、この状況ならば彼女を責めることはできなかった。それっぽい証拠だけならともかく、複数の証言が出ているのがいけない。モニカとて、あの簡易魔法書が使われた可能性は考慮しているだろうが、だからといってそれをコーデリア一人貶めるために使う理由がわからないのだろう。

 何よりここ最近は、コーデリアを殺すためではなく“罪を着せるため”の行動に終始している。単なる科学派の行動だと考えるには、違和感が尽きないのもまた事実に違いなかった。


「何度でも言います。私は神に誓って、嘘はついておりません」

「コーデリア……」

「身の潔白は、犯人を自ら捕まえることで証明します。ですからどうか……信じて待っていては頂けませんか」


 そう。口でははっきりそう言っても。犯人への怒りが尽きなくても。朝香もまた、一人の女性であるのは間違いない。流石にこうも連日で攻撃されて、全く参っていないはずはなかった。

 これは、謎の転生者と自分の耐久レースだ。先に音を上げた方が負け。そして、相手を屈服させて倒した方が勝ち、そういうゲームなのだろう。


――お前みたいに……人の心を書き換えることになんの躊躇いもないクズなんかに、負けてたまるかよ!


 そんな朝香にとって、唯一の心の支えはジュリアンだった。三日後の夜。耐えきれなくなり電話をかけ、ジュリアンに相談してしまった朝香。転生者云々の話は伏せたが、それでも“誰かが自分をいじめの加害者に仕立て上げようとしている”ことは話した。すると、彼は。


『わかってる。君が、そんなことをするはずかないってことは。私はずっと君を側で見てきたつもりだ。メイドたちを実の姉妹のように大切にしていたことも、執事達にいつも心から感謝をしてきたこのも、ウィルビー家の家族への愛も全て。……そんな君が、何故意味もなくその大切な仲間や家族を貶めなければいけない?……科学派の人間か、とにかく誰かが君がその家にいられなくなるように仕向けようとしているのだと思う』

「ジュリアンは、私を信じてくれるの」

『当たり前だ、何度でも同じことを言う。世界中の誰もが敵になっても……私は必ず、君の味方であり続ける。神に誓って、約束するよ』


 ああ。今だけは、その愛を糧にすることを許してほしい。

 その夜少しだけ朝香は泣いた。自分は折れない。折れるわけにはいかない。それは信じてくれる人を、裏切ることに他ならないのだからと。

 だが。


――運命は突如目の前に現れ、その焔で人を試す。……誰だっけね、そんなことを言ったのは。


 現実は、あまりにも容赦ない。

 朝香の願いをよそに、その日は無情にも訪れてしまうことになるのである。

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