<10・Philipe>

 ぴしり、と背筋を伸ばして歩くフィリップは相変わらず格好良い。父と同年代であるはずなのに圧倒的に若く見えるのは、髭がないせいとその肉体がどこまでも若々しいからだろう。執事服を着ている時は分かりづらいが、足取りはどこまでもしっかりしているし、よく見れば太ももの筋肉はぱつんぱつんに張っている。世間でいうところの“イケてるおじさま”の典型と言っていいだろう。


「あの、フィリップ」


 彼には個人的に、いくつか訊きたいことがあった。この屋敷の召使いでも最古参の一人であり、数少ない“一般人ながらにして”努力で魔法を使えるようになった人物。アダムの信頼も厚い彼ならば、知っていることは多いはずである。だからこそ、朝香に魔法を教える役目を父から託されているとも言えるのだから。


「訊きたいことがあるんだけど、いい?」

「なんでしょうか」

「……貴方はもうわかってるだろうから隠さないけど。お父様は、魔導書を盗んで汚損したのは、家族か召使いの誰かだと思っている。実際、内部犯濃厚だからそれ以外に考えられないんでしょうけど」


 一部の警備兵たちは基本屋敷の中に入らず、敷地内を見回ることだけを任されている。もしくは、家族が出かけた時の護衛。地位の高い一部の警備兵だけが屋敷の中に入って見回りをすることを任されている。というのも、執事とメイドの大半が戦闘訓練をしているため、雇われの兵士を中に入れる必要があまりないからというのもあるのだが。彼等の寝泊まりしている別塔は敷地内の別に存在しているので、屋敷の中に踏み込む必要もないのだ。彼等だけは、容疑者から外すこともできるだろう。

 が、家族と多数の召使い達の誰が犯人であるか?というのは現状で特定が非常に難しい。自分の記憶が正しければ、確か。


「地下書庫の鍵は、管理室で厳重に管理されていたはずよね。お父様の許可なく持ちだすことは家族にもできない。こっそり持ち出して侵入して魔導書を盗む、なんてことできると思う?」


 フィリップは犯人ではないだろう、と朝香が信頼しているからこそこの話をしている。向こうも分かったのだろう、不快に思う様子もなく“そうですね”と頷いた。


「可能だった、と個人的には思います」

「根拠は?」

「私達は清掃などのためにマスターキーを渡されていますが、それで全ての部屋が開くわけではありません。重要な場所ほど、個別の鍵で管理されています。その鍵を取りに来るため、管理人室に入って鍵を借りることは執事とメイドほど頻繁にあることなのです。つまり、管理人室に入るのはなんら不自然なことではない。そして、他の鍵を借りるのと同時に、こっそり書庫の鍵をかすめ取っていくこともできるでしょう。鍵の管理は執事がローテーションで任されていますが、それでも頻繁にすべての鍵が元通りに戻されているのかまで確認してはおりません。定期的にチェックはしますが、チェックのタイミングを知っていれば掻い潜ることは可能です」

「召使い達はそれを知ってるから、ということね」

「加えて、地下書庫の鍵はタグ以外の部分……外見上他の鍵と見分けがつきません。それこそ、別の鍵とタグをつけかえて元に戻されてしまえば、判別することは不可能に違いでしょう。その鍵が正しいかどうかは、実際に該当の部屋の前に行って鍵穴に合致するかを調べるしかありませんので」

「……あー」


 そういえば、ミステリーでそういうトリックはあるあるだった気がする。朝香は内心頭を抱えた。

 なるほど。その状況なら、書庫の鍵を持ち出すのはさほど難しくなかったのかもしれない。ましてや、地下講義室はともかく、魔導書がある地下書庫を開くのは現在土日に限定されている。鍵をすり替えしてしまえば最大五日間、誰にも知られず自由に書庫に出入りすることも可能だったということだ。


「馬車への細工はもっと広い範囲の人間が可能だったことでしょう。調べたところ、車輪を固定する螺子の一本が大幅に緩んでいました。気づかないでそのまま動かしていけば、いずれ外れて横転する未来は見えていたでしょうね。大きな螺子ですが、テコの原理を使えば女性でも緩めることは不可能ではなかったものと思います。そして、馬車のメンテナンスはいつも皆様が寝静まる前に行われると決まっておりますので……深夜から早朝にかけて工作することは十分に可能。こちらは屋敷に立ち入らない警備兵にも出来たでしょう。この二つが同一犯であるという証拠もまだありませんので」


 結局、現状で犯人を見つけることは難しい、という結論であるらしい。ひょっとしたら“この人物かも”というアタリくらいはフィリップやアダムにはついているのかもしれないが、それを自分に言ってこないのならまだ確証が持てる段階にないのだろう。


「わかった。じゃあ、その件はいいや。……次ね」


 地下講義室へ続く階段を降りながら、朝香は告げる。


「フィリップ。貴方のことを知りたいの。というか、貴方以外のことも知りたいんだけど」

「私、でございますか?」

「ええ。ずっと気になってたから。……元々はフィリップは、海軍士官だったんでしょう。つまり、どちらかというと科学派に賛同する立場にあったはず。それが、どうして、この家の執事になったのかしら」


 朝香がそういうことを知りたがる理由は主に二つある。一つは、このフィリップが最初から最後まで自分達の味方でいてくれるかどうかの確認。もう一つは、自分が知っているフィリップの設定と、この世界のフィリップの設定にどこまで誤差があるかを確かめる目的である。

 ジュリアンが怪我をした一件から、朝香は屋敷にある書物を中心に様々なことを調べたのだった。この世界の歴史、この国の現在の政治と大統領。そして、この屋敷に現在務めている召使いたちのリストと、家族の状況。

 コーデリアの家族構成は、現在父、母、兄二人(兄が二人いるのにコーデリアが跡取りなのは、純粋に一番魔法の親和性が高かったからである。昔からウィルビー家は最も魔力の高い者に跡を継がせるという決まりがあるのだ)。それから、執事、メイド、警備兵があわせて八十五人。召使いたちの数は多いが、そのリストはファンブックに全て載っていたし、細かな設定を覚えるのが得意な朝香はみんな暗記していた。オタクの記憶力は素晴らしい。――結論から言えば、世界観の設定も登場人物の数も状況も、自分が知っているゲームとほぼ変わらないということが明らかになっている。突然謎の不審なオリキャラメイドが増えていた、なんてこともなかった。

 だが、キャラクターに変化はないのに、シナリオには変化がある。おかしなことがもう二回も起きたなら、それは偶然ではありえない。ならば、書物には記されない部分で、既存のキャラの設定に何か変化があるのではないかと踏んだのである。

 それこそ。この家に忠義を誓っているはずのフィリップに、“実は昔魔女に家族を殺されたことがあって”なんて悲劇的設定が追加されていたなら。この家に仇成すには、十分な理由となってしまうのだ。


「……ああ、お嬢様には話したことがありませんでしたっけ」


 地下講義室の扉の前で、フィリップは振り返る。リアルの朝香は知っていても、コーデリアはまだ確か聴いたことのない話、で間違っていないはずだ。


「そもそも、科学派だの魔法派だの。そんなことをいちいち考えている民衆は、多くはないと思うのです。いかんせん、戦争が終わってからもう何百年もすぎていて、戦時中に生きていた人々の実子でさえ亡くなっているわけですから」

「まあ、そうよね。……でも、今の政府は、科学を推進する者達が作ったもの。だから、実際国に仕えるということは、科学派に与することになるわけだけど」

「魔女の一族として生きてきたコーデリア様からすればその認識になるのでしょうけれど、多くの民衆は“安定した収入が得られるなら魔法でも科学でもどっちでもいい”だと思いますね。私もそうでした。進学するための金もなかったので、中学卒業と同時に軍に入り、両親に仕送りをしていたのです。軍属は危険も多いですが、その分机の前で仕事をするより給料は高いですからね。危険手当もつきますし。たまたま務め先が科学派に属する政府だった、それだけのことです」


 まあそんなもんだろうな、と朝香は思う。自分が生きていた現代日本に照らし合わせてみれば想像もつこうというもの。公務員や、政府官僚の元で働く者達が一概に現政権を支持しているかというとまったくそんなことはないわけなのだから。


「ただ悪い言い方をするなら……科学派の巣窟にいたのは事実。科学こそ善、悪しき魔法は滅ぼされるべき……未だにそんな過激なことを唱える者も少なくはありません。そういう者達に引っ張られて、魔法使いこそは悪であるという思想を持ってしまう同僚もいましたね。……私は当時から違和感を感じてはおりました。魔法と科学を共存させて共に手を取り合えば、より文明を発展させていくこともできるだろうに、と」


 そんな時です、と彼は小さく笑みを浮かべて言った。


「ドルアイド地方の大地震で、人命救助に当たった時。たまたまその地方を仕事で訪れていて、被災していたアダム様に……命を救われたのは。まさかあの大地震が余震でしかなかったとは誰も思っていませんでしたからね。予期せぬ大きな揺れに見舞われ、私は崩れてきた建物の中に閉じ込められてしまいました。アダム様は禁断の魔法の力を使ってまで、私を助けてくださったのです」

「命の恩人ってこと?」

「はい。……他にもいろいろと紆余曲折はあったのですが……私が、魔法は悪いものなどではなく、使う人間しだいでいくらでも世界を変えていけるものだと思うようになったのはそれがきっかけでしたね。同時に、これほど心優しい人達が、過去の戦争のせいで迫害され続けており、それを推進する政府に疑問を持つようになったのも。……おおまかに言えば、こんなところです。納得していただけましたか?」

「……ええ」


 朝香は自分の記憶と照らし合わせて確認する。やはり、知っていたフィリップのデータと変わりはないようだ。彼は、命を救ってくれたアダムに心から忠誠を誓っている。アダムと家族の為なら、命をも擲つ覚悟である、と。勿論、ここでフィリップが口にしなかったことまですべてわかるわけではないのだが。


「……お父様は」


 彼は裏切ってなどいない、そう信じたい。だが、裏を返せばもしアダムが本格的に科学派との戦争を決意した時、彼もまたその意思に殉じるということでもあるのだ。


「まだ、科学派を滅ぼして、魔法派の復権を果たしたいと思っているのかしら」

「わかりません。……ですが、科学派の人間だったジュリアン様やそのご家族に対しては、かなり好意的に考えてらっしゃる印象です。それに」

「それに?」

「……アダム様が復権を目指すのも、アダム様のお父上の影響でしょうから。アダム様ご本人は、科学派に憎しみも恨みもないと、私はそう解釈しておりますよ」


 それはあるのだろう。アダムの父、つまりコーデリアの祖父が、かなり過激なヒストリアの信者であったのは有名である。そのヒストリアを拷問死させた連中が作った政府を絶対に許せない、と思うのは自然なことではある。ただ、その憎しみを受け継ぐように強要されてきたダムが少々気の毒だというだけで。

 もう祖父は亡くなっている。アダムがその呪縛から己を解き放つことができるのならば、選択の幅はいくらでも広がることだろう。


――……私はアダムを信じたい。……だって、見知らぬ兵士を救うために魔法を使う選択ができた人だもの。


 フィリップが地下講義室の扉を開くのを見ながら、朝香は思う。

 誰を信じるべきか、誰を疑うべきか。一人ずつ自ら観察して、見定めていかねばなるまいと。

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