<9・Letter>

 なんとも便利だなと思うのが――この世界の自分は、当たり前のようにこの国の言語がわかる、ということである。世界観に則ってか、ロイヤル・ウィザードの世界は全て英語が母国語ということになっているらしい。手紙も看板も全て英語で表記されているが、朝香はそれらを全て当然のごとく読むことができている。なんとも便利な脳みそだ。大学までの学生時代、ずっと英語のテストができなさすぎて悩んできたとは思えない。四択問題でマジで鉛筆転がしてたっけな、と白目になるレベルだと言えばお察しだろう。

 まあ、そのおかげで。普通にジュリアンを送ってくる手紙を読むこともできるし、同じ英語で返信することも可能というわけである。この知識、元の世界に戻っても保持できないもんかな、なんてことを今考えてもどうしようもないが。


「よ、良かったあ」


 ジュリアンから来た手紙を読んで、朝香はほっと肩を撫で下ろした。自分を庇ったせいで彼が怪我をしてしまったので、酷かったらどうしようと心配していたのだ。電話でざっと状況は聴いていたものの(ちなみにこの世界、固定電話はあるが携帯電話はない)、詳細は病院での検査待ちとなっていたからである。


『足の骨に罅は入っていたが、完全に折れてはいなかったよ。あの重さの馬車の下敷きになったのに奇跡的だと言われた。コーデリアがすぐに助けてくれたおかげだね。ありがとう』


 礼を言うのはこっちだ、と朝香は心の底から思う。それこそあのまま自分が下敷きになっていたら、命を落としていても仕方なかったのだから。

 フィリップたちが賢明に調べてくれているが、未だに馬車に細工をした犯人は見つかっていない。これが防犯カメラのある現代日本なら話は違っていたのだろうが、流石にそこまで科学が進んでいる世界ではないのだから仕方ないだろう。馬車がある車庫は、皆が寝泊まりしている屋敷と少し離れたところにある。門からも遠いので、シフト制で動いている警備兵も見回りに来る時以外は近寄ることがないのだ。常に立って見張っていない、つまり深夜から早朝の間ならいくらでも細工する隙があったということである。

 兵士達に聞き込みをしたものの、全員馬車の異変には気付いていなかったというのだ。ということは、犯人は警備兵が見回るタイミングやローテーションを理解していた可能性が高い。ますます、この家の中に細工をした人間がいる可能性が高くなるだろう。厄介なのは警備兵全員がグルである可能性も否定できないことと、犯人が単独犯なのか複数犯なのかもわかっていないという点である。

 なんにせよ、まだ調査不足。この屋敷の中に敵側のスパイがいるかもしれない、なんてことを伝えたらジュリアンたちを不安にさせるだけだ。ましてや、ウィルビー家からすればまだ確定でもない情報のせいで破談の原因を作るのは避けたいに違いない。いくら朝香=コーデリアとジュリアンが相思相愛であっても、そもそも家の都合で婚約者になった事実に変わりはないのだから。


――犯人は内部犯であることを隠してない。というより、知らせたがっている。疑心暗鬼に陥らせて、一族の結束を揺らがしたい科学派の仕業……と考えるのが自然だけど、なんだろう。本当にそれだけ、なんだろうか。


 世界観の根本的な設定が同じなら、こうもぽんぽんと本来のシナリオにない事態が起きるのはおかしい。予定外の要素が飛び込んできたか、この世界そのものがあまりゲームに忠実ではないのかどちらなのだろう。

 まだ情報不足でしかない。いずれにせよ、ジュリアンの不安を煽るような情報を伝えられるはずもなかった。アダムからも止められているが、そうでなくても朝香が自分の判断で調査状況を伏せたことだろう。

 結果として、まだ彼と彼の家には“馬車に細工をした犯人は不明、それが公園の前なのか家の中のことなのかも不明”と伝えてある。仮に公園の前で何者かが細工したというのなら、“警備は何やってたんだ”にはなるものの、一応犯人は内部犯に限定されなくなるからだ。


『大学から無事推薦は貰えたし、なんとか高等学校卒業後路頭に迷わなくて済みそうだ。実は研究したいテーマも決まっている。やはりいつの時代も、情報の価値は変わらない。固定電話がなくても遠方の人と電話ができるような、そんな仕組みが整えられたら面白いと思うんだ。なんといってもレヴィ大学には、電波というものを飛ばして遠くの人と通信する技術を研究している教授がいてね。私もそこのラボに入りたいと思ってるんだよ。フロウ鉱石を利用したシステムを応用すれば、理論上は無線で遠方の人と通信することも可能らしい。今の無線機は範囲が狭い上、非常にノイズの多い通信しかできないからね』


 手紙のうち、このあたりの内容は本来のシナリオでもあったものだ。携帯電話を、現実世界とは別の方向で開発しようとしているというのが面白いと思ったものである。この世界の科学は、フロウ鉱石という鉱石の力に大きく依存している。この鉱石を反応させることにより莫大なエネルギーを発生させることができ、結果多くの戦艦や飛行機が開発できるようになったというのだ。蒸気機関ともガソリンとも違う、この世界独自のエネルギー資源というわけである。

 ただし、フロウ鉱石の八割は国が独占し、軍需産業に回してしまっているという背景がある。それ以外のものに使用できる鉱石はあまりにも少なく、不便な状況が続いているとのこと。ゆえに、少量のフロウ鉱石を有効活用できる手段を見つける、というのが一般企業にとっては急務となっているようだった。政権が変われば状況もまた変わるのかもしれないが、現在国の予算の多くが軍事費としてじゃぶじゃぶ使われている現状にある。――今の政府が、かつての戦争の科学派だった者達の子孫や遺志を継いだ者達で構成されているからというのが大きな理由だろう。彼等は未だに魔女の末裔を恐れている。万が一の時のため、戦うための力は最大限培っておきたいと思うのは、わからない話ではない。


『こうして手紙で君とやり取りするのは楽しいけれど、それでもレスポンスにはどうしても時間がかかってしまう。何より、リアルタイムで君の声が聴けない。電話は回線が限られているから、私達だけで独占するわけにもいかないしね。君の生の声を、好きなように好きなだけ聴くことができるようになったら嬉しいなと思う。科学技術も魔法も、人が幸せになるために応用されるべきものだ。君もそう考えるだろう?』

「もう、可愛いこと言っちゃって」

『いつか、君は言っていたね。科学と魔法、両方の力で世界を幸せにしたい。悲しい戦争の歴史は繰り返してはいけないと。私もそう思う。過去の悲劇を、ただの悲劇にするか、未来への礎にするか、人は選ぶことができる。多くの人が亡くなったからこそ、私達はその命を無駄にせず、未来のために生かす選択をしなければいけないのだから』


 この甘い台詞を言ってもらっている相手が、自分以外の誰かならなあ、と朝香は思う。いや、彼が伝えている相手は、本来のコーデリアと思うならば間違ってはいない。自分はあくまでコーデリアというガワに入ってしまっているだけの無関係の第三者、それをけして忘れてはいけないのだから。


――ねえ、コーデリア。あなたの婚約者は、こんなにも頑張ってるよ。……あなたも、どこかで見ているの?あなたに体を返すには、どうしたらいいの?


 心の中で何度呼びかけても、“コーデリア”は返事をしてくれない。その人格や魂は、完全に朝香が塗りつぶしてしまったということなのだろうか。彼女は完全に、この世界から消えてしまったのか。それとも、今も見えないだけで、幽霊のようになって自分の傍を漂っていたりするのだろうか。残念ながらいくら気配を探ろうとしても周囲を見回しても、それらしい存在が見えてくることもなければ声も聞こえない。その事実が、ますます朝香の心臓を締め上げるのだ。

 科学と魔法の共存を。自分とジュリアンで、二つの派閥の架け橋に。そのような立派なことをジュリアンに言い、信念を胸に秘めていたのは自分ではない。そんなかっこいい台詞、自分は言っていないし言えるはずもないのだ。ああ、もしジュリアンが知ってしまったら何を思うか。自分が命がけで助けた相手が、コーデリアの姿をしただけの赤の他人だなんてことは。


『ごめんなさい、ジュリアン。

 私は貴方に大切なことを隠していたの。私はコーデリアじゃない。コーデリアの中に入ってしまった、別の世界の幽霊のような存在。貴方の愛したコーデリアは、もう』


 ああ、馬鹿げている。

 思わず殴り書きしてしまったその手紙を、朝香はくしゃくしゃに丸めてゴミ箱に投げ捨てた。そんな突拍子もない話をしたところで、ジュリアンが信じてくれるとは思えない。信じてくれたらそれはそれで彼を絶望させるだけだ。未来に向かって頑張ろうとしている彼の足を引っ張るのだけは避けたかった。例え秘密を抱えれば抱えるだけ、苦しみを味わうことになるのだとしてもだ。


――……ほんっと、最悪。キャラと自分のCPなんか、夢女子以外に需要ないっつの。つか、成り代わりなんて特殊趣向、夢女子にだって嫌いな人多いんだから。なんでよりによって私にやらせんの、神様とやら。


 自分が願うのはあくまでジュリアンの幸せだ。そのジュリアンの幸せには、コーデリアの存在が必要不可欠。それがわかっているのに何故、その幸せを否定して邪魔するような真似ができるだろう。

 朝香がどれほどジュリアンを愛していたとしても。その愛は、一方通行だからこそ意味があるものだというのに。


「お嬢様」


 どうにか手紙に無難な言葉を認めて封をしたタイミングで、ドアがノックされるのが聞こえた。フィリップの声だ。朝香はぶんぶんと首を振って切り替える。今のコーデリアは、愛する人から手紙を貰って舞い上がっていなければおかしい。悲痛な顔なんかしていたら、心配をかけさせてしまうだけだ。


「ふぃ、フィリップ?なあに?」

「そろそろお時間です。地下講義室においでください」

「時間?」

「魔法の実技訓練の予定を入れてらっしゃったでしょう、お忘れですか?」

「あ」


 そうだった、と朝香は時計を見て慌てて立ち上がる。現在、朝香=コーデリアが使えるのは火の初級魔法と風の初級魔法のみ。本来なら第一章で初級回復魔法も会得できるはずだったのだが、それは謎のトラブルによって叶わずに終わってしまっている。このあとの魔法実技訓練で、さらに別の魔法を習得し、魔法の効率的な使い方を教えて貰えるというシナリオだった。


――実技訓練、大丈夫かなあ。


 朝香はゲームのシナリオを思い出してげんなりする。この実技訓練を乗り越えなければ物語が進まないし、魔法の数も増やせない、のだが。この実技訓練が、最初のハードルでもあるのだ。何故ならフィリップが召喚してくるモンスターを魔法で倒すというミッションを課せられるのだから。

 前にプレイした時は、かなり回復魔法頼りになってしまった。が、今回はその回復魔法がない。果たして乗り越えることはできるのだろうか。


――……なんにせよ、やるしかない。この世界の秘密を解き明かさなきゃ、未来なんか選べないんだから。


 そう。どれほど恐ろしくても、前を向いて歩いて行くしかないのだ。

 既に朝香は、嫌でも理解しつつあったのだから。

 この世界が自分が酔って見ている夢ではなく、まぎれもなく現実であろうということを。

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