<3・Change>
『頑張って頂戴ね。……期待してるんだから』
夢の中でそんな風に、誰かに声をかけられた気がした――というのは。朝香の幻聴、だったのだろうか。
「ぎゃんっ!?」
次の瞬間、全身に強い衝撃が走っていた。ちょっと高いところから落ちて体中を打ち付けたくらいの痛みである。しかも、完全に顔面からダイブした。地味に痛い。鼻が潰れそう。朝香はしばし床の上で悶絶する羽目になったのだった。
――い、いひゃい……ベッドから落ちたんか、これ。
もふもふの絨毯に顔を埋める形で、しばらくの間呻く羽目になった。痛いのは顔面だけではない。落ちたときに打ち付けた肩や足も痛いし、頭もなんだかガンガンする。おまけに眠い。一体自分はどれだけ長く寝てしまったんだろう――と、そこまで思ったところではっとした。
朝霞はアパートに一人暮らしで、床はフローリングだ。絨毯なんて敷いてない。
もっと言うと部屋だって非常に狭い。ベッドを置く場所もなく、毎晩律儀に押し入れから布団を出して寝ているくらいには。
つまり。ベッドから落ちて悶絶するなんてこと、本来ならあり得ないのだ――ここが、己の家であったのならば。
「ふがっ!?」
一気に目が覚めた。がばりと体を起こし、視界に飛び込んできた光景に目を見開くことになる。
「ちょ、ま……何処だよここっ!?」
ふかふかそうなベージュの羽布団がかかったベッド。二人は使えそうなくらいでっかくてふわふわの枕。難しそうな本が並んだ本棚に勉強机、高級そうな化粧品が並んだ鏡台。天井からは小さなシャンデリアかと思うほどに細かなバラのような形のガラス細工の証明が吊り下がっている。どこぞの高級ホテルかと思うような、贅沢な部屋だ。
結論。見覚えなどない。
というかこんな場所に、安月給のOLが宿泊できるはずもない。
――なななななななななんですととととととと!?
これは何かの夢か、夢なのか。少しずつ記憶がはっきりしてくる。そうだ、自分は璃子と一緒に居酒屋でリバース寸前まで飲みまくり、駅のホームでぶっ倒れていたはずである。そのままむりやり自力で家まで帰って眠ってしまったのだとしても、それならそれで翌日は確実に二日酔いコースだ。ここまでキレイに頭が冴えているとは到底思えない。頭痛はするが、いつもならこんな鈍い痛みですまないことくらい経験上よくわかっているのである。
ならば夢だと思うのが妥当ではある、が。
それはそうと、このやたらめったら派手で豪華な部屋に、見覚えがあるような気がするのは何故だろう。
――おおおおおちちゅけよ私ぃ!そうだ、これはきっと夢。夢なんだからどんな突拍子もないことが起きてもおかしくなんかない!そ、そうさ、だったら焦るこたないっしょ、うん!!
無理やり自分を納得させつつ、まずは窓に近付いてみた。そんな気はしていたが、やはりここはホテルではなさそうである。建物の三階くらいの高さ、だろうか。向こうには綺麗な噴水のある庭と、高い白い塀、その向こうに広がる広大な森が見える。
探せども探せども同じ。ホテルにありがちな駐車場の類も、道路も、別の町の建物らしきものも見つからなかった。空は朝香の混乱など知ったこっちゃないと言わんばかりに青々と晴れ渡っている。
――ホテル、じゃない?ていうかホテルだとしてもそんなところに何で泊まれてるの私って話だけど。
気になるのは、この窓の向こうの景色も見覚えがあるような気がしてならないということ。自分は此処に来たことがあるのだろうか。あるいは、写真か何かで見たことがあるのか。
「え」
ふと、一歩後ろに下がった拍子にちらりと見えたもの。はらり、と視界を過ぎった金色の髪と、それから窓にうっすらと映り込んでいる己の姿。
「は、はぁぁっ!?」
思わず声を上げて気づいた。というか、何故目覚めて第一声、叫んだときにわからなかったのか。朝香は慌てて鏡台駆け寄り、あんぐりと口を開ける羽目になるのである。
美しい金色の髪。元の世界の自分よりハリ・ツヤのある若くて白い肌に、真紅の瞳。勝ち気そうな顔をした、十七歳くらいの少女。それはどう見ても、現代日本で二十八歳OLをしていたはずの、朝香の姿とはかけ離れたものだった。そればかりか。
――……マジで?
見覚えがありすぎる。
薄ピンクのネグリジェを着ていても見間違えるはずがない、なぜならその姿は。
――な、な、なんで!?何で私が、コーデリアの姿になってんの!?
あのゲーム、“ロイヤル・ウィザード”の主人公、コーデリア・ウィルビー。
朝香はなんと、そのコーデリアの姿に変わってしまっていたのだ。
***
「お嬢様、早く着替えてください!学校がなくても、お父上の講義があるのはお忘れですか!?」
混乱を収める間もなく、部屋に飛び込んできたメイドにせっつかれてしまった。お下げ髪のメイドのミリア。コーデリアより一つ年下であり、階級を飛び越えて親しくしている召使いの一人である。彼女に手伝って貰ったものの、ドレスを着替えるのに随分手間取ってしまった。
顔を洗って髪を直して、ということをちゃんと終えるまで三十分。髪の毛はあまりにもぐちゃぐちゃだったので、業を煮やして部屋に飛び込んできたメイド頭にどうにかアップしてもらうことでこと無きことを得たのだった。――これはぶっちゃけ、長年勤めているのにいつまでも不器用なミリアにも問題はあったと思うが。
メイドのミリア。ベテランのメイド頭、シェリー。彼女らが名乗らなくても、名札をつけていなくても判別は容易い。バタバタしている間に思い出してきたからだ、ロイヤル・ウィザードの設定を。ミリアもシェリーも、主人公であるコーデリアとの親密度が設定されているキャラクターである。恋愛シミュレーションとかではないし同性なので、あくまで親密度によって最終バトルの結果に影響が出たり、ストーリーの選択肢が変わったりするというものであったが。
――ミリアとシェリーまで出てきたってことはこれ、決定的だよね?……私、ほんとにロイヤル・ウィザードの世界に来ちゃったの?こんなことってあんの?やっぱりこんなの、都合のいい夢かなんか、だよね?
思い出してきた。確か自分は、瑠子と居酒屋で飲んだあと乗り換え駅のホームでヘバってて、そしたら妙な光る球体を見つけて追いかけたのではなかったか。そしたらうっかり、反対側のホームから足を踏み外して転落し、そこに電車が来てしまった――という流れであったはずである。
光る球体、というのがおかしい。しかも、あの時周囲からまったく人がいなくなるというホラーな現象が起きていた。ならば一番合理的に考えた場合、酔っ払った自分が眠りこけて夢でも見ているだけと考えるのが一番自然だろう。電車に轢かれたかもしれない、なんて事実を信じたくないというのもあるが。
そもそも。電車に轢かれて異世界転移や異世界転生をやらかした、なんて。そんなのライトノベルじゃあるまいし、現実にあるわけないだろうとツッコミたいのである。百歩どころか千歩、いや万歩譲ったところで、何故自分がプレイしていたゲームの世界の主人公に成り代わってしまうなんてことになるのか。ゲームはゲームだ。それが都合よく異世界として存在し、あまつさえ自分が死んでそれに突っ込まれるなんてあまりにも出来すぎている。
――少なくとも。異世界転生、はないな。
ミリアとシェリーに連れられて廊下を歩きながら、朝香は結論を出した。
――転生したっつーなら、十七歳の姿からスタートなんてあるわけないでしょ。十七歳ってのは、ゲームのスタート時のコーデリアの年齢だし。……ここがゲームの世界だから、それ以前の“歴史”がそもそも存在してないと思ったほうがしっくり来る。
だからもし。もしも本当にこれが夢や幻、自分の妄想でないのなら。自分はコーデリアの姿に変わってしまった上で異世界転移をしたか、あるいはコーデリアに憑依して人格を乗っ取ってしまった可能性が濃厚ということになる。ゲームの世界がなんで実在しているのか、ということについても大いに疑問だ。ひょっとしたら、誰かが日本で人気のあのゲームの世界を、バーチャル空間にでも再現して作り上げた――なんてこともあるのだろうか。
いや、仮に作られたのだとしてもだ。それならそれで、罪悪感がやばいことになってしまう。自分は現代日本のOL、小森朝香だ。断じてコーデリア・ウォルビーではない。自分が成り代わったせいで、本来のコーデリアの魂を殺してしまった、あるいは追い出してしまったかもしれないとしたらなんて恐ろしいことなのか。
――夢だ。これは夢、これはきっと夢。だからそんな、細かいこと考える必要ないのかもしれない、けど。
窓から吹き込んでくる秋の風が気持ちいい。頬を撫ぜ、髪を靡かせる涼しい空気。歩きにくいドレスとヒールの高い靴に、ちょっと苦しいコルセットの感触。何から何まで、夢とは思えないほどリアルである。夢だ夢だと言い聞かせても揺らぎそうになるのは、つまりそういう理由だった。自分のほっぺを抓っても普通に痛かったから尚更である。
混乱しすぎて、まだ完全に考えがまとまっていない。
異世界転移なんて、ゲームの世界の侯爵家令嬢になってしまうなんて、そんなことあるはずがない。あるはずがない、けれど。
「お嬢様、そういえば魔導書はちゃんと持ってきてますよね?黒の書と白の書の両方ですよ」
シェリーが振り返って言った。
「お嬢様はまだ見習いですから、大きな魔法は使えませんけど……今後学んだ魔法は全て、魔導書に書き込んで発動させるわけですから。必ず肌見放さず持っていてくださいね。なんなら、お父上の講義を受ける前に、初期魔法のデモンストレーションをしますか?」
「え?……ええ、そうね」
その台詞には覚えがある。ありすぎた。コーデリアになってしまった朝香の背中に、冷たいものが走る。
――間違いない。これ、ゲームの第一章のチュートリアルだ……!
これは自分の記憶をなぞっているだけの妄想か、あるいは誰かに仕組まれた現実か。
いずれにせよ、確かめる他ない。この“夢”から醒める方法が、現状で見つかっていない以上は。
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