<4・Tutorial>

 ゲーム『ロイヤル・ウィザード』の開始時点、つまりチュートリアル段階では、本当に簡単な風魔法と炎魔法しか使えない。手元に小さな竜巻を起こすのと、本当に小さな火の玉を作り出す魔法だけである。それでもコーデリアになった朝香は感激していた。


――ほ、ほ、本物の魔法だあああ!


 現実世界を生きる人間、特にオタクなら誰もが夢見たことがあるだろう。超能力に、魔法。そういった異能力を使って、手で触れずにものを動かしたり奇跡を魅せたりする行為。小さな風や火でも関係ない。現実ではできなかったことをしているというのが重要なのだ。

 なるほど、異世界転生や異世界転移した人間がついついハッスルして、元の世界に帰りたくなくなってしまう――というライトノベルのお約束もわからないではなかった。残念ながら朝香には、流行の“転生してチート無双”できるような特殊スキルは備わっていないようだったが(というか、悪役令嬢に転生した系列の話では、チートスキルはセットでないことも多かったはずである)。

 このゲームはとある理由から、何度も最初からやり直してプレイしたという実績がある。だからこそ、この後の展開も大体覚えてはいた。チュートリアルをクリアしたら魔法使いの父から魔法に関する講義を受け、その後は婚約者であるジュリアンとのお茶会に出かけるのである。ちなみにこの最初の講義で、一番簡単な回復魔法だけは教えて貰えるはずだった。


「お嬢様、忘れないでくださいね。お嬢様はこのウィルビー侯爵家の跡取りなのです。偉大なる祖先たる“円環の魔女・ヒストリア”の血を受け継ぐ存在であることを、努々お忘れなきように」


 相変わらずメイド頭のシェリーは厳しい。朝香は何度もうんうんと頷いた。


「わ、わかってます!頑張ります!」

「お嬢様、ファイトです!何か分からないことや困ったことがあったら、いつでも相談してくださいね。私達も、出来る限り協力しますので!」


――ああああやっぱりミリアって超いい子!ちょっとそそっかしいけど!


 ニコニコと応援の言葉を継げるミリアは、体が小さい事と一つ年下なこともあって、どちらかというと妹のような存在だった。朝香はそういう認識だったし、多分コーデリアにとっても同じだろう。頭わしゃわしゃしたい!という気持ちを抑えて二人に手を振る。例えゲームで定められたテンプレート台詞だとしても、好感度に変わりはないのだ。

 ゲームの中に入って、特別な経験ができるということ。アニメやマンガの世界で、異世界転生者がその楽しさに魅了されてしまうというのもわかる気がする。憧れたキャラクターたちと話せる、夢のような魔法や貴族の世界でドキドキワクワクの生活ができる。まるで魔力のような魅力が、この世界にはあるだろう。いつもの日常を退屈だと思ったり、辛い仕事や学校、現実から逃げたいと思っている者ほど尚更魅力的に映るに違いない。


――それでも、忘れてはいけない。私はコーデリアじゃなくて、日本で生きる小森朝香なんだから。小森朝香を捨てたらもう、それは私じゃないんだから。


 もし自分があのままホームから転落して電車に轢かれ、挽肉になって転生したというのなら。どんなに足掻いても元の世界に戻れないし、戻ったところで生きるための肉体は失われているだろう。しかし現状、異世界転生と考えるならおかしな点が多すぎるのも事実だ。何故、都合よくゲームの世界なのか?何故スタートが赤ん坊ではなく十七歳のコーデリアなのか?転移か転生か、あるいはそう思い込んでいるだけのただの夢なのか、それともそういうものを意図的に見せられているのか。それさえわからないのでは、正直対処のしようがない。

 とりあえず、希望があるうちは元の世界に帰ることを諦めるつもりはなかったし、諦めていいとも思ってはいなかった。この世界がいくら魅力的でも、ここは自分が生きるべき世界ではないのは事実なのだから。


――とりあえず、暫くはシナリオ通りに動いて、この世界が本当にゲームなのかを確かめないと。……ただの夢なら、あっさり眼がさめるようなこともあるかもしれないけれど。


 何だか、嫌な予感がしているのである。

 そもそも本当に夢だとしても。そこで受ける痛みが現実と変わらなく、夢から醒める方法が見つからないなら、それは現実とさほど変わらないのではないか。

 そもそも、ホームから転落する前の段階で、妙な幻覚を見ていたのも気になる。ただ酒に酔って幻を見ただけにしてはクリアであったし、内容も唐突過ぎる。おかしな力が働いているのかも、なんて非現実的なことを頭から信じているわけではないが。


――……深刻なことなんか、何もないといいけど。ていうか、元の世界に帰れなくて、お父さんやお母さん、瑠子に悲しい思いをさせるのも嫌だし……。


 ちなみに。

 ドレスを着るのに時間がかかりまくったせいで、既に講義の時間に遅刻していたと気づくのは“お父上”の雷が落ちてからのことだった。この世界も、大概理不尽である。




 ***




 ここで少し、主人公であるコーデリア・ウィルビーとその設定について解説しておくものとする。

 そもそもこの世界では、魔法は“存在するものの廃れつつある”という設定だった。文化基準としては、現代の十五世紀から十九世紀くらいのヨーロッパくらいに該当するらしい。なんで四世紀も振り幅があるかといえば、それらの時代のあるものとないものがごっちゃになっているから、とのこと。流石に携帯電話の類があるほど文明が進化しているわけではないが、蒸気機関車とガソリン車が一長一短として共存しているあたりでお察しだろう。

 他にも独自の科学や文明が存在するようだが、細かなところはひとまず割愛する。確かなのは、この世界が“武器と兵器の類だけは異様に発展した”世界であるということと、魔法が忌むべきものとして廃れたということだ。武器だけで言えば、なんと第二次世界大戦で見かけるような戦艦や巡洋艦、戦車や航空機の類があるというから恐れ入ることである(つまり、一定以上の高い水準の乗り物の技術等を政府が独占していることを意味している)。そうなったのには、当然理由があった。かつてこの世界は、科学派と魔法派で派手な戦争をしていたからだ。

 科学こそ人々の叡智と主張する科学派の人間達と、魔女の末裔を中心とする魔法推進派。魔女たちが力を持つ自分達こそ特別だと主張したことも相まって、二つの勢力の中は拗れに拗れた。最終的には、大規模な科学と魔法のぶつかりあいに発展。魔女狩りと科学者狩りが各地で起き、大勢の人命が失われる結果になったのだった。

 ウィルビー家の先祖である、ヒストリア・ウィルビーもまた“円環の魔女”の二つ名を持つ優秀な魔女だった。その膨大な魔力と多彩な魔法で科学派を追い詰めたものの、次第に物量の差がものを言って辺境の地へと追い詰められる結果になってしまう。元より、科学派の方が圧倒的に人数が多かったのも敗因であったことだろう。

 そして、最終的には捕まって火炙りになった。それ以外のウィルビー家は辺境の土地で暮らすこと、全ての魔導書を焼き捨てて魔法を捨てることを条件に政府に見逃され、永遠の監視対象となることを条件に生きることを許されたのである。その監視は、今でも解かれていない。便宜上は侯爵などという上級貴族の地位は貰っているが、それがほとんど名ばかりの称号であることをコーデリア達はよく知っているのである。


――だからこそ、コーデリアや両親は、この一族の復権を虎視眈々と狙っている。魔法の力を、陰でひそかに研究し続けながら。


 朝香は壁に飾られた肖像画を見た。

 ヒストリア・ウィルビー。金色の髪に赤い目、という姿はコーデリアにもよく似ている。不思議なことに、ウィルビー家に生まれる女はみんな金髪赤目になるのだそうだ。ヒストリアの血を受け継ぐ魔女、それを証明するかのように。


――綺麗な人。コーデリアも美人だけど、もっと大人の女性ってかんじ。……こんな綺麗な人を火炙りにしちゃうんだもんなあ。


 赤いドレスを纏って微笑む女性は美しい。しかしその美しさも含めて、当時の科学者たちにとっては脅威だったのだろう。通常魔女狩りで捕えられた魔女たちは、拷問されることこそあれ、殺される時は一思いに絞首刑に処されることがほとんどだ。そのあとに火刑にされ、遺体を燃やされる。魔女の躯は炎によって浄化されなければならない、そして遺体が残っていなければ審判の日に復活できないとされる、この国の宗教上の理由だった。そんなところだけ無駄に史実の魔女狩りに寄せなくても、とちょこっとだけ思った朝香である。

 しかし、大罪人とされたヒストリアに対する処罰は、そのような生ぬるいものではなかったのだという。彼女はただの火刑ではなく、古代ローマであったようなおぞましいやり方で処刑されることとなった。生きたまま焼かれた、だけではない。“人間松明”とでもいうような、恐ろしい苦痛を受けて殺されたのである。

 そのやり方は単純明快。全身に油をたっぷりしみこませた包帯を巻きつけ、爪先から火をつけていくのである。焔は燃え盛りながら足から焼き焦がして行き、処刑される人間に文字通り地獄の苦しみを与えるのだ。全身を焼かれるより、さらに絶命まで時間がかかることは言うまでもない。生きたまま足が焼かれ、炭になっていく苦痛はいかばかりであることか想像さえできないことだろう。ヒストリアは強靭な精神力で耐えたが、それでも足先から股間まで焼き尽くされたところで息絶えたのだそうだ。通常は膝程度でショック死するというから、いかに彼女の心が強いものであったのか窺い知るには十分だろう。


――でも、偉大なる魔女におぞましい刑罰を科したことで、生き残ったウィルビー家や彼女を信じていた魔法派の生き残りたちのココロに火をつけたのは事実だった。


 従うふりして耐え忍び、魔法の力を蓄え、必ずや科学派=現政府の連中に復讐を。コーデリア本人はその考え方に疑問を持っているものの、実際復権を狙う父に逆らえず魔法の勉強を続けているという設定だった。皮肉にもコーデリア本人に魔法の才能があり、魔法そのものを嫌っているわけではないというのも理由の一つだろう。

 そのせいで、最終的にこの物語は政府とウィルビー家をはじめとした魔女の生き残りとの争いに発展してしまうわけなのだが――。


「おい、コーデリア!聴いているのか?」

「へ!?あ、は、はい!すみませんお父様!」


 壁のヒストリアの肖像画をぼんやり見ていた朝香は、現実に引き戻された。魔法の実技は楽しいが、その歴史にまつわる講義を聴くのはなかなかにして退屈である。学校で勉強できないので、土日にこっそりと地下室で講義を受けるしかないというのはわかっているが。


「……まったく。お前はウィルビー家の跡取りとしての自覚が足らなすぎだ」


 はああ、と。黒板の前に立つコーデリアの父は、深く深くため息をついた。教鞭を畳んで、一言。


「まあいい。今日やったことをきっちり復習しておくように。以上。大事な婚約者とのお茶会があるんだろう、遅れないようにな」

「え」


 ついさっきまで、確かにシナリオ通りの台詞だったはずだった。しかし、最後の言葉に朝香は眼を見開くことになるのである。


――え、え?……回復魔法、教えてくれるんじゃなかったの?


 この最初の講義のあと、初歩の回復魔法を教えてくれる。それが第一章のシナリオだったはずである。それなのに。

 彼は何事もないように、講義を終わらせてしまった。そんなイベント知らないとでもいうように。


――シナリオが、違う?


 そう。

 それがこの世界の、最初の違和感であったのだ。

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