<2・Phantom>

 ゲームのためならば翌日会社があろうがなんだろうがついつい徹夜もするし酒も飲んでしまう朝香だったが(駄目大人の典型だ自分でもわかっている)、今回ばかりは頂けない。自分でも完全に潰れるコースだ、と帰りの時点で理解していた。


「……ほんとに一人で帰れる?」

「だ、だいじょうぶ、たぶん、きっとめいびー……」

「あんまりヤバかったらタクシーで帰りなよ?いいね?」

「……うい」


 そんな会話を交わしながら、駅のホームで別れた。瑠子と自分では乗換駅が違う。彼女の方が若干会社から(会社の最寄駅前の居酒屋で飲んでいたのだ)近い。瑠子は乗換一回で、朝香は二回。これでも早めに切り上げたので、まだ終電までには時間がある。あるのだが、問題は飲んだ時間ではなく量の方だった。

 足がふらふらすることに気づいて、ホーム際を歩かないようには気を付けた。しかし休もうと思って一回目の乗換駅のホームのベンチに座った途端、そのまま動けなくなってしまったのだ。とてつもなく眠い上、気持ち悪い。油断したらそのままリバースしそうだと思うほどに。


――うう。安いお酒を大量に飲むのがいけないんだっけ。高いお酒なら……あれ、高いお酒でも酔うの?OL、お金なくて試したことないからわかんない……。


 何がまずいって、明日は休みではないということ。根性で朝起きたところで、二日酔いは免れられない。間違いなく酷い顔になっているだろう。木曜日だし、あと一日しか出勤日がないならちょっとくらい羽目を外しても乗り切れるだろうなんて言ったのは誰だ。自分だ。あの時の己に対して盛大にストップをかけにいきたいところである。

 まあ、愚痴大会出来たおかげで、少しだけ気持ちが軽くなったのは事実である。

 というのも闇の決闘王のアニメを見たのが昨日の夜。実はアニメの本放送ではなく、動画サイトで見ているタイプの人間だった。家にテレビはあるが、いかんせん安物で非常に小さいのである。パソコンで見た方がイヤホンを使える意味でも便利なのだった。ネット上で流れてくるネタバレをちら見した時点で嫌な予感はしていたが、まさかあんなところでライバルが生々しく凍死してくれるとはまったく予想していなかったのである。というか、死人が出たらしいという空気は察していたものの、まさか推しキャラくんだったとは。

 おかげで今朝は朝から仕事がはかどらないこと。同じ入力間違いを三回やらかしたせいで、チーフに本気で心配されてしまった。なんせ頭の中でいつまでも、美しく微笑んで氷像になる推しの姿がぐるぐるしてしまったのだからどうしようもない。ああ、現実と非現実を切り離せと?切り替えて現実頑張れと?ずぶずぶのオタクに完全にそれができる奴って本当にいるのだろうか、正直殆ど見たことがないんですけど?と思う。


――なんとか、復活しないと。ちょっと休んだら、電車乗らないと。このまま終電まで寝過ごすとか、笑えない……深夜タクシー高い……。


 眠らないために、朝香は必死で眼を開けて頭を回そうと努力した。電光掲示板には、“まもなく列車がまいります”の文字がちかちかしている。その周囲に、光に誘われたのか小さな羽虫が躍っているのが見えた。次に来る電車に乗るのは無理そうだ。せめてその次の電車には乗れるように、体力を回復させなければいけない。


『朝香がさ、夢小説地雷だっていうのは承知で訊くんだけどさー』


 頭を少しでも働かせるべく、居酒屋で瑠子と話した内容を思い返す。


『子供の頃からの生粋の夢女子としては、やっぱり不思議なんだよね。推しキャラがいるじゃん?かっこいいって思うじゃん?自分が、その推しと恋愛したいって思わないの?文字通り、夢見るみたいに幸せな気分でしょ』


 夢女子と腐女子。兼業している人もいるが、根本的には相いれないものだとよく言われる。片や“いもしないキャラを作り上げて恋愛なんぞありえない!”と主張し、片や“キャラを勝手にホモ改変なんかありえない!”と主張してバチンガチンとやり合う状況。腐女子であり、夢女子にも一定の理解がある朝香からすれば(地雷というのは自分が読みたくないという意味であって、好きな人を見たくもないという意味ではないのだ)どっちもどっちで不毛な争いでしかないと思うのだが。なんにせよ、生粋の夢女子を自称する瑠子と、腐女子オンリーの朝香が仲良しというのはあまりないことなのかもしれない。

 むしろ少しでも相手の趣味を否定するような気持ちがあったら、こんな火種になりかねない質問は出てこないだろう。お互い信頼しているからこそ、ぶつけあえる疑問もあるというものだ。


『すごーく小さい頃はさ、推しキャラの彼氏になる妄想もしてた気がするんだけどね』


 そこで、朝香がなんと答えたかと言えば。


『でも、ある日眼が醒めちゃったというか。どんなに望んでも、私自身は紙や液晶を越えて中には入れんのだよ。妄想すればするほどそういうのを思い知って、夢みたいな幸せより空しさが勝っちゃったというか』

『まあ、そりゃそうだけど』

『だったら、好きなキャラ同士、男だろうと女だろうと……同じ次元に存在する同士でくっつけた方が幸せになれるなと思って。だって、同じ世界にいるんだから、公式では描かれなかったどこかのパラレルワールドでは実際くっつく可能性があるでしょ。1%以下の確率でも想像の余地はある。でも、“私”を登場させる世界が実際にあり得る可能性は完全な0なのよ。その1と0の差が、私には絶望的に大きなものに思えたってわけ』


 という理論を口にすると、腐女子を嫌う夢女子は大抵“じゃあキャラを改悪(この場合同性愛者にすることを言っているのだろう)するのはいいの!?キャラがやりもしない行動をさせるのはいいの!?そっちの方が害悪だ!”と反論してくるものだと知っている。が、オタクの二次創作で時点で、キャラを1ミリも改変していないことなどあり得ないのだ。そもそも夢小説では、存在しもしないキャラに恋をするというイケメンが頻出することになる。場合によっては女性に興味がないストイックなキャラもデレデレになる。それもまた十二分に彼女らの主張する“改悪”と同レベルではなかろうか。

 ようするに。このテの議論はするだけ無駄。お互いに剥き身のナイフで切りつけ合うようなもの。あまりにも不毛。瑠子はそれをよくわかってくるからこそ、絶対にこの主張はしてこないと知っている。同じ穴の貉同士、ほどほどの距離感を保って仲良くした方がずっと建設的なのだ。


『何より。いもしないキャラを登場させたら……それだけで、その世界のあるべき物語を捻じ曲げるでしょ?瑠子には申し訳ないけど、夢主とかオリキャラってようはその世界の異物なんだからさ。……かといって、成り代わりとかも私は無理。イケメンのBと結ばれる予定のAってキャラに成り代わって愛されたとして、それって私が愛されたことになんないじゃん。あくまでBが愛してるのは本来のAなんだから。私は、そのAの人格を殺してBを寝取ったようなもんだから』


 だから。

 最近流行の、悪役令嬢に転生した、系の話も好きではないのだ。

 本来の悪役令嬢の人格を、前世の現代日本人が乗っ取っている。成り代わって殺しているようにしか見えないから。まあ、現代日本に存在する乙女ゲームの世界に、何をどうしたら転生することになるのかというのも疑問で仕方ないのだけれど。


『成り代わり系とかは、瑠子も好きじゃないからわかってくれるでしょ』

『まあ、そうだね。成り代わって溺愛されても、あたし自身見て貰えてるわけじゃないもんね。あたしの分身の夢ヒロインが愛されてる方がずっと幸せだし。別キャラのガワ着て溺愛されるってなんか解釈違いっていうか』

『まあ、そういうのが好きな人もいるからさー。“異物をねじこむな”っていう腐女子側の反論から始まった趣向なのかもしれないし……』


 今から思うと。よくもまあ、人がたくさんいる居酒屋で、あそこまで堂々とオタ談義ができたものである。周りの客たちも大半出来上がっていて、酔っぱらい女のくだらない会話なんかろくに聴こうともしていなかったとは思うが。


――あ、やばい、今一瞬落ちた。あかん。


 ぐるぐると考えていれば少しは眼が醒めるかと思ったが、残念ながらそんな単純な話ではなかったらしい。着いたばかりの電車の着信メロディーが流れ、ようやく我に返った。電車が来た瞬間の記憶が完全に抜けている。これはかなりまずい兆候だ。

 仕方ない、とふらつく頭を振りながら鞄を探る。お茶のペットボトルを掴もうとした、まさにその時だった。


「んあ?」


 一瞬、目の前がチカチカした。電気が消えたのだろうか、と朝香は天井を見る。が、チカチカしている蛍光灯などがあるわけでもない。酔っているせいで幻覚でも見たのだろうか。それとも。


「……あれ?」


 そこまで観察したところで、奇妙なことに気づいた。ホームに人影がないのだ。まだ夜の十時過ぎ、この規模の駅でホームが無人というのはおかしい。というか、ついさっきまではぽつぽつと電車を待つ客や駅員の姿があったような気がする。それが、いつの間にか全て消失しているではないか。

 何かがおかしい。

 そう思った時、ホームの真ん中に奇妙なものがあるのを発見した。バスケットボールくらいの大きさの、青く光る球体である。何がびっくりって、誰がどう見ても宙に浮いている。


――なに、あれ。


 酔っているせいで、幻を見ているのだろうか。気づけば浅香は、鞄を置いてふらふらと立ち上がっていた。おぼつかない足取りで、球体が浮かぶ方向へ近づいていく。すると、あと少しで手が触れるといったところで、球体はふよふよと宙を漂って動き始めたのだった。


「あ、待って……」


 追いかけなければいけない。何故かその瞬間、強くそう思った。球体が反対側のホームの方へと飛んでいく。朝香はそれを追いかける。そっちに行くと何があるのか、なんて考えていなかった。同時に。

 まったく耳にも入っていなかったのだ。反対側のホームで流れていたであろう――電車がまいります、のアナウンスも。


「え」


 光る球体を追いかけ、一歩踏み出したその瞬間。朝香は足元の地面が消失したことに気づいた。

 がくん、とバランスを崩す体。足を踏み外してホームから落ちたのだ、と気づいたその瞬間。


「!!」


 目の前が真っ白になるほどの、光。

 朝香が最後に見たのは、すぐそこまで迫る――電車の姿であったのである。

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