第5話 使ってない講義室の話


 これは、私の知り合いの大学生Eちゃんが体験したお話しである。


「ねぇ、Sちゃんってさ幽霊が視えるんだよね?」

 Eちゃんは、私の3つ上。小学校の頃から仲良くしていた近所のお姉さん的な存在だ。彼女は都内の大学に通っていて、女子高生の私から見るとかなり大人に見えた。

 Eちゃんは女子大学の英文科に通っていて、可憐な雰囲気がさらに増したようにも感じたが、あまり表情は浮かない。

「うん、どうして?」

「あのね、実はうちの大学にはこんな話があるの」



***


 A女子大学には多くの生徒が通っている。

 明治時代からの長い歴史を紡ぐこの学校には全国各地から入学志望者が集まり、A女子大学出身という肩書きは一種のステータスにもなるそうだ。

 Eちゃんはその中でも高校時代からA女子大学系列校に通う内部進学生で友人も多く不安は少なかったそうだ。ただ、そんな内部進学の生徒に受け継がれる「伝説」のようなものがあったと言う。


【5号館の3階にある資料室の隣の講義室には近寄るな】


 学内は1号館〜8号館までありそれぞれ5階建て、講義室やゼミ室なんかが入っている。地下や屋上テラスは飲食店になっていたりして結構おしゃれな建物なのに、5号館だけがなぜか古いままの建物だった。

 というのも、5号館を立て直そうとすると事故が相次いだり、開発メンバーに不幸が起きたりして何度も取りやめになってると言う。

 その理由は……

「サークルの先輩から聞いたんけど、5号館の3階のあの部屋、昔教授と不倫した女学生が奥さんを刺し殺しちゃったんだって」

「え〜、奥さんじゃなくて教授でしょ?」

「自殺したって聞いたけど……?」

 と学生の間ではこんなふうに色々な話になっていて、Eちゃんはあまり信じていなかった。小学校の時からどこにでもある怪談話の一つだと聞き流すようにしていた。

「どうせ、嘘でしょ」

「でもさ、サークルの先輩が言ってたのちょっとリアルだったんだよね」

「なになに?」

「A女子大学ってさ、先生のほとんどが女の先生でしょ? なんなら事務の人や警備員まで女の人じゃん?」

 確かにそう言われてみると、高校時代よりも男の人が少なくなったと感じている。唯一、男の教授がいるがその人は女性が恋愛対象ではなく、オネエな感じで大変人気のある人だ。

「そうだね、確かに警備員さんも女の人かも」

「でしょ。それも、あの5号館で起きた事件がきっかけなんだって……」

 学食について、Eちゃんも友人たちもその話題はやめて、やれパスタがいいだのサラダがいいだの会話を続けた。Eちゃんは、英文科で最悪なことにその5号館の講義室をよく使うから、このことは忘れようと努めるようにした。



 大学2年生になると、ゼミが始まって夜遅くなることも増えた。英文科で留学を控えていたEちゃんは、特に単位を他の生徒よりも多く履修していたことからその日も6限まで講義を受けていたと言う。

 英文科の嫌なところはレポートや提出課題の多いところだ。その日も自分で選んだ課題図書(英文)の1章分を訳してレポートにまとめるという課題が出されていた。

 6限の授業が終わると、もう時刻は21時前になっておりこんな遅くまで授業を受けている学生は少ないため、いつもよりも閑散とした雰囲気は冷たくEちゃんは早く帰ろうと教室を出た時だった。

「すみません、すみません」

 5号館4階の廊下を歩いている時、後ろから声をかけられて振り返るとおとなしそうな学生が申し訳なさそうにこちらを見ていた。

「はい?」

「あの、私……英文科英語学専攻のMっていいます。あの……ちょっとお願いがあって」

 Mと名乗った子は、地味な茶色のロングセーターにやぼったいジーンズ。髪も黒くてボサボサで垢抜けない感じだった。Eちゃんは、どちらかといえばきらきらした人たちといることが多かったし、専攻が違ったことから始めてみるMに違和感は抱かなかったそうだ。

「なんですか?」

「あ、えっとその……英語学の資料を取りに行きたいんですけど」

「英語学?」

「はい、ほら……英文科の一番人数の少ない専攻です。えっと、お姉さんもしかして英文科じゃなかった……です? さっきのアメリカ文学の講義にいました……よね?」

「英文科です。えっと、Eって言います。私、2年生で」

「あっ、どうりで。私は3年生なんです。再履修で」

 Mさんは、申し訳なさそうにそう言うとEちゃんの隣にさっと近寄って頭を下げる。Eちゃんは先輩だと知り「いえいえ」と頭を上げるようにジェスチャーした。

「あの、3階の資料室に着いてきてもらえませんか?」

 と言った。


【5号館の3階にある資料室の隣の講義室には近寄るな】


 つい昼間に友人たちと話したことが頭に浮かんだ。時刻は夜21時、もうすぐ消灯だからか廊下も薄暗いし最低限の電気しかついていない。その上、学生たちがいないのでシンと静かで非常に気味が悪い。

「あ〜……」

「ほんとすみません。あの3階の資料室英語学の資料室なんです。けど、ほらあるでしょ? 変な噂、資料室の隣の講義室の話」

「知ってます……」

「だから、お願いします。ゼミの再履はできないから進級がかかってて」

「わかり……ました」

 正直、早く帰りたかったし近寄りたくなかったので断りたい気持ちは山々だったEちゃんだがそれはできなかった。というのも、このMさんという先輩がもしも「実は大きな権力をもった人」だったら恐ろしいからだ。女子校ではいわゆるドラマでみるような人たちがカーストトップとは限らない。

 一見、芋っぽく見えたりしても実は家がお金もちで権力を持っていたり……。学年が違うこともあってMさんの素性がしれない以上このお願いを無下にはできないのだ。

「ありがとうございます。うぅ、ほんっと噂とはいえ怖いよね」

 3階まで階段を降りて、廊下へと出る。資料室は一番奥の突き当たりにあって、その手前に例の講義室がある。

 5-3講義室。広さは大講義室に分類される大きな部屋だ。ちらりと視線をうつすと中は当然のように電気が消えていて、何も見えない。Eちゃんは少しだけ怖さが和らいだ。

 資料室までつくと、Mさんがドアを開けEちゃんも一緒に入る。古い書物の資料が多いせいか埃っぽく図書館のような嫌な匂いがする。狭い教室に無理やり本棚を置いているせいか、本棚と本棚の間が狭く、人1人が通るのがやっとである。

「えっと……えっと」

 一生懸命、資料になる本を探すMさんを見ながらEちゃんはスマホをチェックする。時刻は21時を回った。

「あの〜、手伝いましょうか?」

「いいの? じゃあ……called me っていう本なんだけど」

 Mちゃんが言った名前の背表紙を探すためにEちゃんは彼女とは反対側の本棚に向かう。本棚は整理されていればアルファベット順に並んでいるはずだ。

 A、B…と続きCの列に該当する本はなかった。Mちゃんは「コールドミー」と言ったからEちゃんは自然とcalledを想像したけれど違ったかもしれない。K列も探してみようと歩み進める。

 Kから始まる本がある本棚まで進んでもやはりそれらしき本は見当たらない。その上、さっきまで忙しなくしていたMちゃんが静かになっていた。

「あの、ないんですけど綴り教えてもらってもいいですか?」

「Cから始まるコールド。電話するって意味の」

 資料室の反対側からの返答に安心し、Eちゃんは再びCの列を探し始める。しかし、何度探してもそんな名前の本は置いておらず、もう一度Mさんに声をかけた。

「あの」

「なかったら一番奥の本が積んである場所にない? 教授がよくそこに置いちゃうみたいなの。片付けが苦手な人だったから」

「わかりました、奥ってあっちか」

 窓際まで続く本棚の間を歩いて抜けると窓と本棚の間に大量の本が積まれていた。埃をかぶっていて、一番上に積み上がっている本の上には変な虫の死骸が転がっていた。

「最悪……」

 他の本で虫の死骸を転がしてMさんが言った本を探す。埃だらけで乱雑に積まれた本を一つ一つ手に取って題名を確認する。どの本も年季が入ってて、傾けたらページがこぼれてしまいそうなものもある。

 何冊か避けてやっとMさんの言っていた「called me」という本が見つかった。茶色のハードカバーで今にも壊れそうなボロボロの本だった。

「Mさーん、見つけましたよ」

 返答がないので資料室の入り口まで戻ってみるも、彼女の姿はなかった。

「Mさん?」

 彼女が探していた方に足を進め、本棚の間を1列ずつ確認する。しかし、彼女はどこにもいない。先に資料室を出ているなんてことはあるだろうか。Eちゃんはちょっとイラッとしつつ引き返すと資料室の外に出た。

「Mさーん」

 廊下の突き当たりにある資料室、出たところ右側には例の5-3講義室、その向かい側にはトイレがあってトイレの電気がついていた。

 Eちゃんはトイレのドアを開けて中に入ってみるも、個室は全て空室でMさんの姿はない。

(トイレでないたらどこへ? まさか、私を忘れ帰ったとか?)

 やぼったい感じで友達もいなさそうだったMさんは変わり者だったのかもと嫌気がさして、ため息をついた。

 トイレの鏡で髪の毛を整え、口紅を直してから資料室へ戻ろうと廊下へ出た時のことだった。

「えっ……?」

  資料室の電気が消え、ドアが施錠されていた。トイレにいた時、ドアを施錠する音どころか人の足音すら聞こえなかったと言うのに。

 その不思議な現象に、Eちゃんはとても嫌な予感がして5-3講義室の方にゆっくりと視線を向けた。

「Mさん……?」

 照明が消されて不気味な資料室とは違って、5-3講義室は明かりがついていた。その上、施錠されていたはずのドアが観音開きになっており、中は綺麗な講義室だったという。

 そのちょうど真ん中あたり、Mさんが立っている。不安そうにこちらを見つめて立っている。

「ちょっと、何やってるんですか。本、見つかりましたよ。早く帰りましょう」

 怖いながらも、人を見つけて少し安心したEちゃんはわざと明るく声をかける。しかし、Mさんは笑顔をEちゃんに向けるばかりで返答をしてくれなかった。

 Eちゃんは思い切って5-3講義室に足を踏み入れると、Mさんの手を強引に掴んで引っ張った。しかし、彼女の足は石にでもなったかのように動かない。

「Mさん? 帰りましょ?」

「えへへ、へへ、あはは、はは」

 体も顔を動かさないのに、口だけを大きくあけて爆笑するMさんの不気味さにEちゃんは逃げようとするも、Eちゃんの足は思うように動かなかった。

「Mさん! Mさん!」

 声だけの笑い声をあげるMさん、動かない足。足首に無数の感触があっても怖くて下を向くことができなかった。Eちゃんはあまりの恐怖で目の前のMさんに声をかけ続ける。

(お願い、お願い!)

「Mさん! 帰りましょう! 帰りましょう!」

 半ば叫ぶように声をかけ続け、しばらくするとMさんはピタリと笑うのをやめたと言う。しかし、彼女表情は笑顔から無表情になり、じっとEちゃんを見つめるだけ。それがより不気味で恐ろしく、Eちゃんは「ひぃっ」と喉が閉まるような声を上げた。

「やっと……来てくれた」

 Mさんはそうつぶやくとうっとりしたような視線をEちゃんの手元に向けた。

「えっ」

「やっと、会いに来てくれた」

「Mさん?」

「電話、待ってた。待ってた。待ってた。ずっと出てくれないんだもん。待ってたここで、ずっと待ってた」

 EちゃんはMさんの視線が自分が持っていた「called me」の本だと気がついて本を手渡そうと彼女の方へ差し出す。

「待ってた待ってた待ってた待ってた待ってた待ってた待ってた待ってた待ってた待ってた待ってた待ってた待ってた待ってた待ってた待ってた待ってた待ってた待ってた」

 あまりの異常さに驚いたEちゃんは、本を床に落としてしまった。ドンと本が何か柔らかいものにあたる音がして、見たくなかった足元に視線がいく。

「いやぁーっ!」

 Eちゃんの視界に入ったのは、自分とMさんの足をがっしりと掴む無数の小さな手だったと言う。悲鳴をあげると足が動くようになって、彼女は転がるように5-3講義室を飛び出し、階段を駆け降りて5号館をあとにしたそうだ。


 その後にわかったことだが、そもそも英文科英語学専攻は存在しない専攻だった。そして、あの5-3講義室の近くにある資料室は現在使用されておらず、古くなった本を一次保管しておく倉庫になっており通常の生徒では出入りが不可能だということ。Mさんという学生は存在しないこと。


【5号館の3階にある資料室の隣の講義室には近寄るな】


 学校に伝わるこう言う口伝はあながち間違いではないのかもしれない。Eちゃんはそれ以来5号館3階にはできるだけ近づかないようにしているとのことだ。



***


「私って、幽霊憑いてる? そのMさんって女の幽霊はこんな感じで〜」

 EちゃんはMさんの容姿を私に教えてくれたが、そんな人は彼女に憑いてはいなかった。

「ちなみに、その講義室の怪談って結局噂ベースのまま?」

「うん、けど昔男性の教授が女学生を妊娠させて修羅場になったのがあの講義室って話みたい。そういえば、Mちゃんのお腹やけにふっくらしてたような気がするんだよね。ほら、妊婦さんになるとメイクの匂いとか無理になるって言うじゃん?」

「あ〜、もしかしたらお祓い行った方がいいかも」

「まじ?」

「うん、女の人は憑いてないけど……その赤ちゃんが」

「やだ〜! 超怖いんですけど」

 Eちゃんはおどけて笑って見せたが、私は全然笑えなかった。Eちゃんの足元にはがっしりと赤ん坊と女の人が混ざったような怨霊が憑いていたのだから。


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