第4話 病院の怖い場所


 これは、看護師をしているLさんが体験したお話である。



***


 Lさんは、看護学校卒業後地元の総合病院に就職をした。病棟勤務となり、日勤と夜勤のシフト制で精神も体力も限界が近くなっていたという。

 ただ、Lさんが配属された病棟は人間関係がかなり良好でそれだけが救いだった。その晩もFさんという先輩看護師との夜勤でLさんは忙しいながらも安心して勤務をしていた。Fさんはこの道20年以上のベテランでお子さんがLさんと近い年齢ということもあってかなり可愛がってもらっていた。


「Lちゃん、大丈夫?」


 消灯時間を過ぎ、患者さんのトイレ介助などの作業が落ち着き、時刻は午前1時を過ぎていた。


「あっ、Fさん。すみません、大丈夫です。パソコン作業まとめてやっちゃいますね」

「あら……だめ。ちょっとコーヒーでも飲んで休みなさい」

 PCの前の席をFさんに取られて、Lさんは申し訳なく思いつつナースステーションの奥にある給湯室でコーヒーを2杯用意する。

「砂糖はたっぷり、ミルクは少し。Fさん、お砂糖とミルクはいりますか?」

「あっ、私はブラックがいいわ。ごめんなさいね」

 コーヒーを持っていくとFさんはLさんの分までパソコン作業を進めつつ、小さなお菓子を用意してくれていたという。

「どうぞ」

「まだ1年目、けどもうすぐ2年目ね」

「はい、まだ全然勉強も経験も足りなくて……」

「1年目だもの。けど、寝てないでしょう?」

 Fさんに見つめられ、Lさんは目を逸らした。その通りだ、忙しいとか勉強不足だとか理由をつけていたがLさんはどうしても眠れない事情があった。

「はい……生まれからこんなに人の死に直面するのは初めてで……仕事だとわかっていてもやっぱり悲しくなるし、引きずってしまうんです」

 病棟で看護師をしていると、少なからず患者さんの死に触れることがある。仲の良し悪しだけでなく、特に子供が亡くなるときは辛かった。死というのは誰にとっても平等に訪れるものであるし、医療にも限界がある。けれど、つい昨日まで話していた人が冷たくなっていくのをみるのも、悲しむ家族をみるのもやはり精神が削られた。

「そうねぇ、やっぱりみんなそういうわねぇ。ほら座って。チョコでも食べて」

「ありがとうございます」

「実はね、私と今の師長は新人の頃すごーくいびられてね。もう1人、同期の子がいたんだけどその子が自死をしてね。それから私たちは新人や学生をいびるようなナースにはならない、ナースが働きやすい職場を作るって心に決めて働いてきているのよ」

 確かに、Lさんも看護学生時代に実習にいった病棟ではひどいいじめのような理不尽を受けた。朝の挨拶を無視するとか学生をわざと巻いて仕事をさせない、怒鳴ったり患者さんに嫌味を言ったり。ネットで調べてもどこも同じような感じで、看護師になるなら「メンタルが強くないとダメ」「通過儀礼」「忙しいから仕方がない」なんていじめている側を肯定するような意見も多かったそうだ。

「そうだった……んですね」

「えぇ、もちろん。命を預かる仕事だから厳しいところは厳しくね。けど、後輩だから新人だから学生だからといって人としてやってはいけないことを平気でするナースが多すぎる。でしょう??」

「実習でびっくりしたことは何度か」

「けどね。いびりがなくなると次は、Lちゃんと同じ命と向き合って辛くなってしまう子が増えたの。この病棟で離職する子のほとんどがそれよ」

 とFさんが言った時、ナースコールが鳴った。

「出ます」

「いいの、Lちゃんは少し休んでなさい。304の飯田さんね。きっといつものリクエストだもの」

 304の飯田さんは若い女性の患者さんで、夜になると定期的にナースコールを鳴らす。彼女は自称「霊感のある人」で幽霊の存在を感じるとナースを呼ぶのだ。

 Fさんはさっと立ち上がると懐中電灯を持って病室へと向かう。Lさんは1人取り残され、Fさんにもらったチョコレートを口に入れた。

 チョコレートの小さな包み紙をみて、Lさんはふと思い出してしまう。1週間前、Lさんが受け持っていた患者さんでまだ高校生のUちゃんという子がいた。

 彼女はまだ若くて綺麗でその上とても前向きな子だった。ただ、術後容体が悪化しあっという間に旅立ってしまった。



「Lさんって彼氏いる?」

「いないよ、ほらちゃんと体温測って」

 Uちゃんはぷくっと頬を膨らませる。

「え〜、だって私ずっとチョコ我慢してるんだよ?」

「入院中でしょう? 早く良くなるようにお食事はしっかり食べること」

「え〜、Lさんきびし〜」

「そういうもんなの。さ、体温測れたわね」

「ねぇねぇ、看護師って大変?」

「うーん、そうね。勉強もたくさんしないとだしね」

「そっかぁ〜、ほら。私小さい頃から入退院繰り返してるじゃん?だからさ、もしも今回の手術で病気が治ったら進路決めなくちゃいけなくてさ〜」

 Uちゃんは高校2年生。2回目の2年生だった。原因不明の病で彼女は脳に腫瘍ができてしまう体質で、手術を繰り返していたのだ。

「そんな時期か」

「そ。やっぱ看護師さんて格好いいじゃん? なろっかな〜とか」

「Uちゃんならなれるかもね」

「まじ? じゃあ、退院してもまた会いにきていい?」

「いいわよ、じゃあ食事は残さずたべること。今はダイエットとかこっそりしたら怒るからね」



 それから1週間後、彼女は死んだ。手術後に目覚めることはなく静かに、家族の到着も待たないまま夜の病院でたった1人で逝ってしまった。


「やっぱり、飯田さん。幽霊の話だったわよ」

「Fさん、すみません代わりに」

「いいのいいの、あらカルテやってくれてたのありがとう」

「はい、とんでもないです。できることは何でもやらないと」

「じゃあ、夜勤明けはしっかり栄養摂ってしっかり睡眠とりなさいね。それから、少しずつ慣れていけばいいから」

「はい、ありがとうございます」

 ナースコールが再び鳴って、今度はLさんが応答する。飯田さんは「今すぐきてください」と小声でこちらに伝えていた。

「あら、今日は頻度が多いわね」

「少し、様子をみてあまりにもひどいようであれば睡眠導入剤の処方ができるか先生に確認します」

「そうね……よろしく」

「はい、いってきます」



 飯田さんのいる個室へ入ると、彼女はスマホのライトをつけて部屋を照らすように回していた。

「飯田さん、消灯時間過ぎていますよ」

「あぁ、看護師さん」

 飯田さんは30代の女性で軽度の精神的な疾患を患っておりこの病棟へは別の手術のために入院をしていた。旦那さんがお金持ちだそうで、病棟内では1番の個室を使っている。

「飯田さん、どうしました?」

「幽霊がいたんです」

「はいはい」

「信じてないんですね」

「幽霊がいたとしても、寝ていただかないと」

「そっか、看護師さんも見えない人?」

「飯田さん、ライトを消しましょう」

 飯田さんはぐっとLさんの腕を掴んで、真剣な眼差しになった。Lさんは患者さんに腕を掴まれるくらいよくあることなので驚きはしなかったものの、彼女の手から何か電流のようなものを感じて、さっと振り払ったそうだ。

「これで、あなたも視えるようになるよ」

「飯田さん、冗談はやめてくださいよ」

「冗談じゃないわ。看護師さんは霊感がないって思っているんでしょうけど違う。わかってるはずだよ。幼いころ怖いものを見たくせに、見えないように自分で思い込んでるだけ」

 飯田さんの視線の先、壁の方に何か動いた気がした。けれど、Lさんは「そんなわけない」と心に言い聞かせ飯田さんに眠るように伝えると急いで病室を出た。

 足早に廊下を歩いていると向かい側から点滴スタンドをガラガラと引きずって歩いてくる患者さんが目に入る。病室でもトイレでもなくナースステーションの方に向かっていた。

 若干の痴呆が入っている患者さんだとよくあることなのでLさんは回り込んで患者さんに声をかけようとした。


「えっ……」

 声をかけようとその患者さんの顔を見ても、顔を見ているはずなのに顔が認識できないのだ。いろんな人の顔が入り混じったような……おかしな顔。

 そして、その患者さんはLさんを見るでもなくただ真っ直ぐに進み続ける。患者さんはLさんの体を通り抜けたそうだ。寒気がして、全身の鳥肌が立ってLさんは悲鳴をあげられなかったそうだ。


——見えないように自分で思い込んでるだけ


 Lさんは恐ろしくなってナースステーション方方へと走った。明らかにおかしな患者さんと何人かすれ違ったが、それがこの世のものではないとすぐにわかったそうだ。腹部から血を流している人、明らかに昔の病院支給のパジャマを着ている人……すべてが不気味で恐ろしくて彼女は自然と涙が溢れていた。


「大丈夫、ナースステーションにつけば」


 角をなんとか曲がり、ナースステーションの明るさに安堵したのも束の間。Lさんはぴたりと足を止めた。

 そして、Lさんは目の前の光景に絶句したそうだ。

 夜中1時過ぎのナースステーションに、いるはずのない患者さんたちが群がっていたのだ。ナースステーションのカウンターにすがるようにして何かを叫んでいたり、奥にいるFさんに手を伸ばすものもいる。

 だらんと髪を垂らした女がぐるんとLさんの方に振り返った。

「い……た……」

 その女がLさんを指差すと、ナースステーションに群がっていた幽霊達が一斉にLさんの方を向いて口をパックリと開けた。

「いーーーたーーー」


 Lさんは懐中電灯を床に落とし、腰を抜かして叫ぶこともできなかったという。


「あら、どうしたの? 何かあったの?」

「あ、あ、あれ……」

 Lさんに気がついたFさんはLさんの様子がおかしいことに気がついて駆け寄ってきたがLさんの視線を見て全てを察したようだった。

「さぁ、大丈夫。こっちに」

 その夜は、落ち着いていたこともあってFさんと行動を共にしなんとかやり過ごした。

 あとからFさんに話を聞くと、彼女はこういったそうだ。


「看護師の中で辞めていく子の中にね、同じく霊感があるって子もいるの。その子達はみんな揃ってこういうのよ。『患者さんの幽霊は病室でもトイレでも霊安室でもなくてナースステーションに助けを求めにくるんだ』って。幽霊も元は人間ですもの、生きていた時に看護をしてくれた人に答えを求めにくるのかもね」


 Lさんはその経験をきっかけにその病院を辞めざるをえなくなったという。それからは病棟勤務ではなく外来専門の病院に勤めるようになり、次第に幽霊も見えなくなっていったそうだ。



***


「そうそう、看護師の中に挨拶を無視する人がいるっていったでしょ?」

「うん、いってたね」

 Lさんは今になるとその無視をする看護師の気持ちがわかるという。

「挨拶にくる実習生ってナースステーションのカウンターの方にくるの。並んでね。だからそっちを見たくない人がいたのかも」


 私は彼女の話を聞いて少し納得がいった。

 よく、創作の怪談話では人気のない場所に幽霊がいる描写が多いけれど、実際に視えるものはそうでないことも多い。生きている人間とそっくりで見分けがつかなかったり、それこそ人が集まる場所に幽霊も集まっていたり。

 私はまだ入院したことがないからわからないけれど、入院病棟のナースステーションは幽霊で溢れているのかもしれない。


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