第3話 マッチングアプリの男
これは、私の部活の先輩が体験したお話である。
昨年、高校を卒業した2つ上の先輩と久々に遊ぶことになった。N先輩は誰にでも優しいしっかりもので東京の結構頭のいい大学に進学、それを機に一人暮らしを始めていた。
私が東京に遊びにいくというと部屋に泊まっていきなよ。と快く誘ってくれたのだった。
N先輩のお部屋は1Kでとても綺麗なマンションだった。7階建ての5階で防犯面もばっちり。家賃は親からの仕送りで払っているそうで、部屋の中にはコスメや可愛らしい雑貨がたくさんあって羨ましかった。ただ、先輩のデスクの上にあるノートパソコンの方に嫌な気配を感じ、何か悪いものがいるのかもしれないと思った。
ただ、ぼんやりとしていてよく見えないので無視しよう。
「N先輩、すごい素敵なお部屋ですね〜」
「そう? でも大学生すごく楽しいよ。Sちゃんも早くおいで〜」
「いいなぁ……、先輩。彼氏とかできたんですか?」
私がそう聞いた時、先輩の表情がグッと曇った。
「あの、何かあったんですか?」
「うん、実は怖い目にあってさぁ」
N先輩はガラスのローテーブルに買ってきたパックのジュースを置くとゆっくりと話し始めた。
***
大学での授業も落ち着き始めた頃、バイトも決まりサークルも決まったNは「次は彼氏だ」と友人たちに意思表明をしたそうだ。と言っても、気になるような男子はみんな彼女持ちだったり恋愛に興味がなかったり、同じサークル内で付き合うのはなんとなく気が引けたことからマッチングアプリをしてみる流れになったという。
「まぁ、ヤリモクも多いけどその分飲み友もできるしみんなやってるよ」
そんな言葉を受けて、N先輩もマッチングアプリに登録をすることにした。マッチングアプリに登録すると顔写真が必須になる。しかも、写真を登録後に審査があり顔の一部が隠されていないことなど確認されると正式に承認される。
その上、実際にマッチングを始めるためには身分証のアップロードをする必要がありこれもまた審査がある。
N先輩は保険証をアップロード後、審査待ちの間にプロフィールを記入していく。ニックネームなどの基本情報の他に喫煙者かどうか、お酒は飲むか、結婚願望の度合いや子供の希望の有無。それから年収やデート代はどちらが出すべきかなど結構現実的な質問まであり驚いたという。
「どう? 登録できた?」
友人Kに言われて、N先輩は「まだ承認されない」と答えつつ、Kにマッチングアプリの色々を聞いてみることにした。
「会う時ってどんな感じ?」
「うーん、大学生とかだったらわりと軽く会っちゃうかも? でもその前にSNSがあるかどうかは聞くかな〜」
「SNS? なんで?」
「うーんやっぱり、同一人物がいるかどうかだけは確かめるかな〜って。例えば、おんなじ写真でSNS載せててその友達が同じ大学が多いとかで大体わかるじゃん?」
「K、探偵みたいだね。確かにそれなら安心かも?」
「そうそう、いざ待ち合わせ場所にいってキモいオジがいるとか最悪じゃん?」
「だね……あっ。本人確認できたっぽい」
「おぉ、さっそくみてみなよ」
マッチングアプリの指示に従って操作を進めていく。画面にデカデカと表示される異性の写真。気になったら左にスワイプ、ダメなら右にスワイプ。
「やっぱり、人間は外見ってことなんだよねぇ」
Kは私の画面に表示されていたおとなしそうな男性の写真を右にスワイプした。次に出てきた顔の整ったスーツ姿の写真は左にスワイプする。
「ちょっと、K〜」
「いいのいいの、プロフィールはっと。あ〜これはネズミ講だね〜」
男性のプロフィールには「副業して年収1千万」と書かれていた。なんでもこういうタイプはマッチング後に怪しい副業に勧誘されて恋愛関係にはならないのだとか。
「へぇ〜、ヤリモク以外にもそういうのいるのか」
「うん、こういうの書いてるだけマシだよ。まじで会ってご飯行ったら副業とか投資の話しかしないやつもいてまじっで時間の無駄だよねって感じ。だから顔の良すぎる写真には気をつけてね」
「わかった。やっぱ大学生がいいかなぁ〜」
「じゃあ、マッチング設定を同年齢にしよっか。したら基本は同じ歳くらいになるよ。けど、世の中大学生以外にもフリーターとか社会人もいるからなんとも言えないけどね」
N先輩は言われた通りに設定を変えてみる。すると、マッチングする男性の年齢層が若干若くなり、プロフィール写真も友達同士との写真や学生っぽい他撮り写真が増える。
「んじゃ、気になった子とマッチしたらメッセしてしばらくしたら会ってみなよ。そうだ、そうだ。居酒屋いくなら私に相談してよ。注意事項また教えるからさ〜」
別の授業を受講しているKと別れて、N先輩は講義室へと向かった。その道中からマッチングアプリの通知が止まらなかったという。
マッチングアプリを初めて数日、N先輩は何人かとメッセージのやり取りをしていた。N先輩は顔基準でマッチするかしないかを考えられる市場の中で自分にいいねが集まることで承認欲求が満たされるような感覚になってある意味でハイになっていたそうだ。
実際に大学に通っていると声をかけられることは少ないのに、マッチングアプリになるとこんなにもたくさんの男性から好意を向けられるのでそのギャップにも少し酔ってしまっていたという。
数ある中でもN先輩が一番気になっていた相手は、H君という大学生だった。H君は同じ歳で、他校の学生。とはいっても都内なのでそこまで離れているわけでもなく大学のレベルも同じくらいでいい意味で容姿も普通な感じの男性だった。
Kからのアドバイス通り、H君のSNSが存在するかどうかや彼と同じ大学の生徒にH君がタグ付けされていることも確認した。
【H:そういえばNちゃんって趣味とかあるの?】
【N:うーん、映画とか。実はアクション系が好きなんだよね。H君は?】
別にN先輩はアクション系は好きではないけれど、男性と話すなら無難なジャンルを選んで送ったそうだ。
【H:俺も同じかも。そうだ、今度映画でも見にいく?】
N先輩は既読をつけてしまったけれど、少し迷ったという。マッチングしてメッセージをやり取りして、アプリ内ではなく普段使っているメッセージツールのIDを交換するところまではいってもやっぱり会うのは怖いのだ。
これまでも何度か「会う?」と言われてブッチしてしまった人が何人かいたが、N先輩もその恐怖を払拭しないと前に進めないんじゃないかそんなふうに思い始めていて、H君とは会ってみようと勇気を出し「いいよ」と返事をしたのだった。
その週の土曜日。N先輩は待ち合わせ場所である渋谷のハチ公前へ向かっていた。けれど、N先輩は少し離れたところでたちどまり、彼が到着するのを待つ。なぜなら、この土壇場でも本当に写真通りのH君がくるかどうかは信用できなかったからだ。
【H:着いたよ〜。黒のスラックスにバケハ被ってハチ公の右側に立ってる】
N先輩が確認してみると、確かに黒のスラックスにバケハをかぶっている男性が立っていた。安心して「私ももうすぐ着くよ」と返信するとH君に声をかけたのだった。
「H君、Nです」
しかし、H君は不思議そうにイヤホンを片方外すと「どなたですか?」と怪訝そうに眉を顰めた。
「いや、今日映画に行くってマッチングアプリ経由で……」
「え? 俺、マッチングアプリなんてしてませんけど。てかH君って誰っすか?」
まさか、断るにしたってそんな断り方ないだろうと呆気に取られているとH君は君悪がってどこかへ去ってしまった。
もしかして、N先輩は自分の容姿が彼の思い通りでなかったのかも写真詐欺をしてしまったのかもしれないと落ち込んでその日はそのまま帰宅したそうだ。
数日後、そのことをKに話すと彼女は憤慨した。
「は? 何それ。ありえないんですけど」
「でも、私も遠くから眺めて彼が違う人だったら帰ろうとしてたしお互い様だったのかも」
「まぁでもサイテー男だったってわかったから切り替えるしかないね」
「うん……」
しばらくマッチングアプリはいいかな。と思って数ヶ月アプリには触らずに過ごしていた頃、サークルの飲み会に参加することになったN先輩はとある同級生から声をかけられたという。
その同級生はN先輩とは別の学部だったので関わりはなかったが、いわゆるヲタク系のモテない男子的な風貌でサークルの女子たちからはやんわりと避けられていたそうだ。J君は田舎の中学生が着るような英字プリントのロングTシャツをきていて、メガネは油っこく曇っている。どこか、J君の視線に好意を感じ、N先輩はゾッとしたという。
「Nちゃってさ、彼氏とかいるの」
「え……」
「い、いないよね」
「J君に関係ないよね」
冷たくいうとN先輩はKたちの方に逃げるように駆け寄り、J君に話しかけられないように必死で話題を盛り上げたそうだ。
飲み会中、ずっとJ君からの視線を感じてN先輩は恐怖を覚えKと一緒にタクシーに乗るまでずっと鳥肌が止まらなかったそうだ。タクシーの中でKから聞いた話によればJ君はなぜかN先輩のことを気に入っていて、KたちにもN先輩に彼氏がいるのかとか気持ち悪い質問をしてきたという。
「なんで私なんだろ?」
「うーん、あぁいうヲタクってさちょっとしたことで勘違いするからわかんないよ。例えば挨拶をしたってだけで勘違いしてくるとかあるらしいよ」
「マジ……? 覚えてないよ」
「あぁいうの、ほんと最悪だよね。Nも早く彼氏作って除霊しな」
「除霊?」
「うん、だってJってさマジで存在感ないのに粘着質って感じで幽霊みたいじゃん。さっきだってさずーとNのこと見つめててほんと怖かったよ」
「なんか、好きでもない人にずっと見られてるのってあんな感じでゾッとするんだね……はぁ、早く彼氏見つけよ」
「そうだ、マッチングアプリ再開してみたら? 前は変なゴミ男のせいで傷ついたかもだけどいい人もいるって!」
「だね、彼氏作り頑張ってみるわ」
タクシーを降りて自宅に戻った後、N先輩は久々にマッチングアプリを開いたという。お風呂に入りながら好みの異性を探していいねをしていく。前回と同じく結構簡単にマッチして、メッセージのやりとりが始まったという。その中でも好みの顔のY君と会話が弾み、いくつかの趣味が会うことからY君には普段使っているメッセージアプリのIDを教える運びとなった。
Y君は帝大に通う同い年で医者の卵。自分には少しだけハードルが高いかなとも思ったが彼とは気が合う気がしてぜひ会うまで進みたいと思っていた。
前回、H君の時に嫌な経験があったこともすっかり忘れてメッセージ数日を楽しみ、今度は会う前に通話をすることになった。
その日はアルバイト終わりで23時ごろの帰宅となり、寝る前にY君と初めての通話をする予定になっていた。時間通りに彼から通話がかかってくる。
少しだけ待たせてから出ると、Y君も緊張したようすで少し声が震えていた。
「もしもし、Nちゃん?」
「もしもし、Y君」
「なんか、Nちゃんの声好みかも」
そう言われて、あの写真の彼が思い浮かんでN先輩はすごく嬉しかった。彼の声はいわゆる「イケボ」と呼ばれるような括りでそれも好感度が高かった。
「私もY君の声好きかも」
「嬉しいな。俺実は彼女できたことなくてさ。女の子と話すのあんまりなれないんだよね」
「えっ、そうなんですか? 私も……実は彼氏できたことなくって」
「そっか、なんか安心したかも」
「高校時代は勉強と部活ばっかりで……Y君も医学部ってことは勉強詰めだったの?」
「うん、しかも男子校だったしね。医学部っていうといろんな女の子が寄ってくるようになったけど……俺は純粋な子が好きで。もしかしたらNちゃんみたいな子がいいかもって思ってる」
「嬉しい……かも」
その後、N先輩は2人の共通の趣味である映画について話してから、お互い明日の授業が早いため通話は早めに終えることになった。
それから1週間後、何度か通話をした後にY君から「会いたい」とメッセージが届いた。N先輩は少し怖い思いもありつつ、OKの返事を返す。すると、Y君はとある高級レストランを指定してきたという。
よく考えてみると、彼は医学部の学生で実家も裕福らしく彼にとってデートというとそういう高級店が普通なのかもしれない。そんなふうに浮かれたN先輩はデート場所についてもOKをして当日を心待ちにしたそうだ。
Kたちに相談しつつ、Y君とのデート当日を迎えたN先輩は指定の高級レストランへ向かった。六本木のビルの中にあるそのレストランは完全予約制で個室の創作和食店だった。N先輩が名乗ると、落ち着いた感じの店員さんに案内され奥にある部屋に案内された。
個室の中は掘り炬燵になっていて、ピンと綺麗な畳と高級そうなインテリアが並んでいた。初めてくるタイプのお店にテンションが上がりつつN先輩はY君の到着を待った。
しばらくすると、店員さんと誰かの足音が聞こえて個室の扉が開く。店員さんが「ごゆっくりどうぞ」と言って戻っていくと、Y君がN先輩の後ろから声をかけた。
「お待たせ、Nちゃん」
聞き覚えのあるイケボに振り向いて、N先輩は絶句したという。
Y君が立っているはずの場所に立っていたのは、J君だったのだ。J君はこの高級店に見合わない田舎の中学生のような服装とギトギトしたメガネ、ゾッとするような視線でN先輩を見つめていた。
「や、やっと2人になれたね」
「なんで……えっ」
あまりのショックに状況が飲み込めないN先輩にJ君が堂々と自慢したという。
「僕、マッチングアプリ会社でアルバイトしてるんだよね」
「は……?」
「本人確認証の承認作業。してるんだよね」
「えっ……」
「Nちゃんを見つけて運命だと思ったよ。でも、Nちゃんは見た目が格好いい人が好きだってわかったからさ。僕、高校が超進学校でさ優秀でイケメンの知り合いはいっぱいいるんだよね」
「だから何?」
「Nちゃんに振り向いて欲しくて……ちょっと写真を借りただけだよ。そしたらほら、Nちゃんと通話できたら……好きになってもらえると思って。好きだって言ってくれたろ? 僕の声、趣味。全部さ。だからほらね? 僕たちきっといい恋人になれると思うんだ。僕は頭もいいしきっと僕たちの子供も……」
「は? でもJ君はY君じゃないでしょ……?」
「僕はたまたま受験で失敗しただけで、医者にだってなれるんだよ! か、顔だって別に今は頑張ってないだけで……え、えNちゃんは外見なんか気にしない優しい子だからわかるよね? 清楚で処女だもんね? 純粋だからわかるよね?」
処女、という言葉にゾッとして
「キモい! お前なんか大嫌い!もう2度と私に関わらないで!」
N先輩は大声で叫ぶと、J君を押し退けて店を飛び出した。そのままKに連絡し合流。
「は? じゃあアイツマッチングアプリの会社でたまたまNのこと発見してストーカーしてたってこと?」
「うん、なんか高校の同級生の写真とか使って私とマッチしてたっぽい」
Kは
「もしかしてさ、最初にマッチしたH君だっけ。あの人の反応聞いた時変だなと思ったけどそこからJだったんじゃない?」
「どういうこと」
「つまり、H君のふりしてNとマッチ。本当にNかどうか確かめるために会う約束した。けど自分が姿を表すわけにはいかないからその場にいたまちわせしてるっぽい男の子の服装を指定して……」
——え? 俺、マッチングアプリなんてしてませんけど。てかH君って誰っすか?
あの時は、雑な断り方するなぁと思ったけどKに言われてみると納得がいく
憤慨したKと一緒に使っていたマッチングアプリの会社に苦情を入れたり、サークル長にも報告をした。
その後、N先輩は住所を知られていたことから一度引っ越しをする羽目になったがJが大学を退学したことで時間が経つにつれて心の傷は癒えていったという。
***
「まぁ、幽霊とかじゃないんだけどね。大学生になるとさ、価値観とか世界とか広がるけどそういうやばいやつもいるって話」
「N先輩、すごく怖かったですよね……。どんなにキモヲタでも私たち女性は男性に力では叶わないし。個人情報握られてるってほんと怖いですよね」
「うん、あの後サークル長とかいろんな人がJを締め上げてくれてさ。アイツ、大学やめたぽいんだよね。友達もいないっぽかったしその後のことはわからないけど。今も怖くてマッチングアプリはできないかな〜」
私はその話を聞いた後から、この部屋に幽霊の気配を感じていた。
デスクの上のノートパソコンのあたり、ローテーブルに置かれたスマホスタンドのあたり。部屋の壁にかけられたテレビ。
部屋に入ってきた時はぼんやりと嫌な感じがしただけだったけれど、今ははっきりと見える。
メガネをつけた若い男の生首がぶらんとぶら下がっているのだ。だらんと舌を垂らしていて、顔が土気色なことからみて多分、これは生霊ではなく死霊だと思う。
その視線はぴったりとN先輩を追っている。
スクの上のノートパソコンのあたり、ローテーブルに置かれたスマホスタンドのあたり。部屋の壁にかけられたテレビ。
この部屋にいる時、N先輩が視線を送る場所だ。J君はきっとN先輩のそばにいられる唯一の方法を選んでしまったのかもしれない。
「なかなか彼氏できないんだよね〜」
「そ、そうなんですね」
グワッとJ君の顔が3つとも恐ろしい表情に変わる。あぁ、これが原因なんだと私はすぐに察しがついた。詳しいことはわからないけれど、J君は自分の命と引き換えに呪詛をN先輩にかけたのかもしれない。
「そうだ、Sちゃん泊まってく?」
「あ、えっと明日も塾なので今日は帰ります」
「そっか、いつでも泊まりに来てね」
私は返事をはぐらかしてN先輩に向かって微笑んだ。多分もう私はN先輩の部屋にくることはないだろう。
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