第2話 あの席の話


 これは、私のあるバイト先の先輩が体験したお話である。


「実は俺、このバイトに来る前はフードコートで働いてたんだよね。でさ、そこ実はめっちゃ出るので有名なんだよね」


 R君は今年大学に入学したばかりの苦学生だ。夏休みということもあってアルバイトを数個掛け持ちし、なんとか学費と生活費を稼いでいると話してくれた。一方で、アルバイトは初めての私はR君に品出しのやり方を教わっていた。

 大型ドラッグストアではバックヤードで品出し検品を行い、それを朝方専門のスタッフが一斉に品出しをする。私とR君は夏休み限定での早朝バイト組だった。


 夏休みは早朝バイトのほとんどが学生になる。というのも、普段、早朝に働いているパートさんたちが「夏休み」で忙しくなるからだ。小学生の子供を持つ人が多く、普段は主戦力の彼女たちが働けない。その分、短期間契約で学生のアルバイトを雇っているのだ。

 そんな早朝組にとって癒しの時間は、勤務後の賞味期限切れの菓子パン食べ放題である。今日も私とR君はお気に入りの菓子パンを店長からもらって休憩室で食べていた。

 私はこのR君が少し苦手だ。

 彼は何かと私に話しかけてくるし、その上距離の詰め方が早くなんというかチャラい感じで……。今日は他にもいた学生たちがさっさと帰ってしまったこともあり私が彼に捕まって付き合わされている。早いところ食べて帰ろうと思っていたが、怖い話が始まってしまった。


「フードコートって駅前のショッピングモールのですか?」

「あぁ、よく知ってるね」

「ほら、あそこは昔から出るって有名じゃないですか」

「それは旧婦人服売り場の話でしょ?」

「そうでしたっけ?」

 ととぼけてみたが、あのショッピングモールで昔婦人服売り場に務めていた女性が職場いじめを苦に飛び降り自殺をしたのは地元では有名な話である。そこから、夜になると女の幽霊が出るとか、いないはずの迷子放送が鳴るとかそんな噂が絶えないのだ。

「まぁ、俺が話したいのはフードコートの話」



***


R君は時給の高さとまかないの魅力からフードコートに入っているラーメン屋のアルバイトをすることになった。フードコートでは有名なチェーン店でマニュアルもしっかりしたし、人間関係もいい意味でライトで良好だったそうだ。

 その夜も閉館の22時を迎え、大学生のR君はあと1時間、残りの締め作業をおこなっていたそうだ。

「レジ締めました」

「おう、ありがとよ」

 厨房の店長の返事を聞き、R君はレジの鍵をかけてカウンターを掃除し始めた。フードコートに出店している仲でもラーメンはあまり人気がなく、穴場バイトだ。向かい側のアイス&クレープのお店なんかはいつだって行列だ。

 R君がアイス&クレープの店をちらりとみると、同じくレジ締めをしていたであろう女の子と目があった。

 可愛らしいメイド風の制服もあってか、数倍可愛く見える。この時間まで勤務しているということは彼女も大学生だろうか。

 ぺこりと帽子をとって挨拶をすると彼女は笑顔で会釈をしてくれた。今度、休憩が被ったら声をかけてみよう。彼女が店の奥へと入っていくのを見守って、掃除に戻ろうとした時、フロアにまだ人が座っているのを見つけてしまった。


 フードコートの席は数百席。間仕切りは大まかにしかなく、店舗の中にいると一段高くなっているのでフロア一帯が見渡せる。

その席は、アイス&クレープとR君が務めるラーメン屋からみてちょうど中央に位置していて、さっきまでどうして気が付かなかったのか不思議なくらいだ。

 座っているのは中年の男で、目の前には食べ終わった丼が置かれていた。楊枝で口を掃除するでもなく、ただぼぅっと丼を見つめている。

「ん?」

 よくみると、その丼はフードコートの中にあるうどん屋のものだった。店内では「蛍の光」が流れていて、客を追い出す警備員も巡回しているはずなのに……彼はどうして座っているんだろう?

 フードコートにはヤンキーから子供、老人までさまざまな人間が訪れる。その中でも頭のおかしいやつが一番厄介だが……あのおじさんもその類かもしれない。

「おーい、見切れの賄い持って帰るか?」

「あっ、いただきます!」

 店長に声をかけられて、R君が厨房に戻ると持ち帰り用の容器にうまそうなチャーシューチャーハンが詰められていた。

「あざす。あの店長、まだフロアに人が……」

「え? もう閉館だろ。追い出しはなにやってんだ」

「でも、座ってるんすよ」

 その時、一瞬だけ店長が嫌な顔をして、フロアが見渡せるカウンターの方へと向かった。R君も店長のあとに続く。

 以前としてあの席におっさんは座っていた。不気味なことに微動だにせず空になったうどんの丼を見つめているのだ。

「あぁ、アレか」

「やっぱ有名な人っすか?」

「まぁな。気にすんな。さっさと上がっていいぞ」

「いや、でも」

「いいんだ。アレは警備員がなんとかするからさ」

「そう……っすか。お先に失礼します」

「おうよ」



 それから、そのおじさんは不定期で現れるようになったという。必ず、閉館後もあの席に座ってうどんの丼を眺めている。R君は何度か「あのおっさんが食っているところを見てやろう」と試みたが、どうしてもダメだった。気がつくと、あの席にあのおっさんが座っているのだ。

 ある土曜日、14時からラストまでの勤務だったR君は少し遅めの19時に休憩に入っていた。バイトを始めて以来の混雑でこんなに休憩が遅くなるのは始めてだった。


 ショッピングモールの休憩室は地下にあり、ちょうどフードコートの真下に大きめな休憩室と喫煙所があった。R君は、いつも通り賄いをたんまり作ってもらいスマホで動画を見ながら休憩をとることにした。休憩時間が遅かったこともあってかだだっ広い休憩室にはR君しかおらず、少し寂しい感じもした。

「あ〜腹減った」

 店長特製のまかない油そばを格好見ながら、お気に入りのネット配信番組を見ていると、長机の向かい側に誰かが座った。

「あ、あのっ」

 なんだか慌てた様子でR君に声をかけてきたのは、ラーメン屋の向かい側にあるアイス&クレープのお店で働くあの可愛い女の子だった。

「どうぞ」

 R君は嬉しい気持ちになりながらも彼女の表情を見て軽薄な言葉をかけられなかった。なんだか、彼女は怯えているみたいに見えたのだ。

「あの……休憩、何時までですか?」

「俺は、一応20時まで。どうかしたんですか?」

「あの……それまでお話ししていてくれませんか?」

「いいですけど、なんか大丈夫ですか?」

 到底、大丈夫だという感じではなかったが彼女は自己紹介をしてくれた。Bちゃん。都内の女子大学に通う20歳で、甘いものが好きだからこのアルバイトを選んだらしい。

「なんか、嫌なことでもあったの?」

「R君、R君ってさ不思議なものが見えたりする?」

「不思議なもの? 幽霊とか?」

 幽霊、とR君が口にするとBちゃんはびくんっと体を跳ねさせる。明らかに異常な様子にR君は下心をすっかり忘れてしまっていた。

「そ、そんな感じかな」

「幽霊かはわからんけど、閉館後にたまーにラストまで入ってるとフードコートの真ん中の席に変なおっさん座ってるのはみるよ。ぼーっとうどんの丼眺めてるおっさん」

「あ……あぁ」

 彼女の視線がなんとなくR君の後ろに行っている気がして、振り返ってみるも誰もいない。

「見たことある?」

「うーん、あんまり閉館後はフロアの方をみないから知らないかも」

 少しだけ、彼女の声が震えていた。

「Bちゃんはそういうの視えるの?」

「ううん! 絶対見えない! なんにも!」

 変に声を張る彼女に不信感を覚えながらもR君は「だよな〜」と軽く合わせる。Bちゃんはすごくかわいい子だけど少し変わった子なのかもしれない。そんなふうに思ってR君はあまり踏み込まないようにしながら他愛もない会話を続け、20時前に彼女と一緒に休憩室を出た。

 休憩室を出ると、長い廊下を歩いて、従業員用のエレベーターへ向かう。その廊下には更衣室や給湯室、事務室なんかがある。

「あの、ありがとうございました」

「あぁ、むしろ俺こそ」

「あの、実は……休憩室が苦手なんです」

「そうなんだ、確かに遅いからか今日はがらんとしてて寂しいよね」

「ううん、そうじゃなくて……」

 エレベーターのボタンを押し、しばらくして扉が開く。

 R君とBちゃんはあまりの衝撃に動けなくなったそうだ。エレベーターの中にいたのは、いつも閉館後にあの席に座っているおじさんだった。

 なぜ、2人が衝撃を受けたのか、それはそのおじさんは下半身が透き通っていてほとんど見えなかったし顔は土気色で頭の後ろ側がげっそりと削れてしまっていたからである。

「っ……」

「R君、行こう」

 Bちゃんは何も見ないように下を向くとエレベーターに乗り込んだ。R君は彼女がどうして「視えないフリ」をしているのかわからなかったがきっと彼女の行動に従う方が良いと本能で理解してエレベーターに乗り込んだそうだ。

「仕事、だるいよね」

「あ、あぁ! ほんと、うちの店長気分屋だし!」

「あははは……」

「あははは!」

「……さい……ください」

 笑い声に紛れて、おっさんの声らしきものが聞こえる。それでもR君とBちゃんは示し合わせたように明るい話をし続ける。やっとエレベーターが1階につくとR君とBちゃんは飛び出すようにエレベーターを出てお互い店舗へと向かったそうだ。

 その日を境にBちゃんはお店をやめたのか見かけることはなくなり、R君も休憩はできるだけ早い時間に取るか、遅くなった時は外へ出て取るようにした。その頃からR君も気味が悪いしすぐ辞めようと大学の友人にアルバイトの紹介をお願いしていた。



 R君が居酒屋のバイトを紹介され、フードコートでの最終出勤日。店長はいつにも増して多めのまかないを用意してくれていた。

「あざっす」

「たまには食いにこいよ。まぁサービスしてやらんこともない。俺がいればな」

「あ……」

 閉館後のカウンターで店長と話していたら目に入ったのは、あの席に座っているおっさんだった。いつもどおり彼は空になったうどんの丼を見つめていた。あの日、エレベーターで見た凄惨な姿ではなく、一見人間に見えるくらい溶け込んでいる。

「アレな、実はもうずっと前からいるんだよ」

「え? 店長もしかして……」

「あぁ、まぁな。5年前くらいにこのフードコートに新しい店舗が入るってことになってさ、それに合わせてリニューアルするってんで改装工事があったんだが……まぁそんときうちらみたいな既存の店舗は1ヶ月も休み食らってよ。大変だったんだよ」

「へぇ……」

「んで、改装工事中に事故が起きたそうだ。なんでも、天井の照明を取り替える作業で作業員が死んだらしい」

 あの席の真上、シャンデリア風の照明があった。今は閉館後で照明はついていないがリニューアル時に取り付けられたものらしい。

「そうだったんすか……」

「あぁ、それからあの席にアレが見えるようになった。お前さんもアレをエレベーターで見てやめたくなったんだろ?」

「実は……」

「大丈夫、アレを見たバイトは何人もいるがここからは離れられない類のもんらしいからよ」

 R君は心底ホッとして店長に挨拶をしてその店をあとにした。それ以降、あのショッピングモールには近寄っていないという



***


「ね? 怖かったっしょ」

「あ、あぁ……そうですね」

 R君は、菓子パンの袋を小さく結ぶと満足げにニヤリと笑った。

「俺、霊感あるんだよね〜。君のも見てあげようか」

「え、えぇ〜」

 私の方を見て、R君は「憑いてないっ!」と笑うとスマホを見て帰り支度を始めた。多分、この後も別のバイトに行くらしい。

「じゃあ、また被ったらよろしくね」

「はい、お疲れ様です」

「おつでーす」


 私はR君が苦手だ。


 正確に言えば、R君に憑いているアレが苦手だ。



 R君が休憩室から出ていく後ろ姿はおぶさるように、婦人服売り場の制服をきた女性が覆いかぶさっている。その女性はR君と楽しそうに話す女性を強い視線で睨み、R君の服が捩れるほど掴んでいる。

 私は、彼が怪談を始めた時、てっきり婦人服売り場の話かと思っていた。けれど、彼は全く違う幽霊の話をして……もしかしたら霊感のあるBちゃんは会話をしている途中に女性の幽霊が視えていたのかもしれない。

 その後、R君は出勤回数が減ったこともあって2人きりで休憩室に入ることは無くなった。それでも、一緒に働いている時に彼の背中が気になって避けるようになった。早く夏休みが終わってくれればいいのにと思ったのはあの夏が初めてだ。


 私はいまだにあの女性の幽霊が私に向けていた恐ろしい表情が忘れられない。





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